スターダンサーズ・バレエ団『The Concert』他 2022

標記公演を見た(9月24日 東京芸術劇場 プレイハウス)。バランシン振付『スコッチ・シンフォニー』(NYCB52年 / SDB88年)、ロビンズ振付『牧神の午後』(NYCB53年 / SDB91年)、ロビンズ振付『コンサート』(NYCB56年 / SDB初演)による1950年代トリプル・ビル。ロビンズ2作はタナキル・ルクレア初演の繋がりもある。マラルメ専門家のルクレアの父は、『牧神の午後』原詩の「泉のように青く冷たいニンフと、羊毛を吹き抜ける暑い風のようなニンフが、同一人物であることをよく理解している」とロビンズに書き送った(Deborah Jowitt, Jerome Robbins, Simon & Schuster, 2004, p.226)。『ラ・シルフィード』オマージュのバランシン作品、ルクレア由来の透徹した神秘性(牧神)及び、浮世離れしたコメディセンス(コンサート)を主調とするロビンズ2作品は、バレエ団の音楽性、演技力、軽やかなスタイルを生かす好プログラムだった。

『コンサート』は21年3月に上演予定だったが、コロナ禍で中止に。今回が国内バレエ団初演となる。ショパンピアノ曲が舞台上で演奏され、オーケストラが自然に加わる編曲版。軍隊ポロネーズで登場するピアニストの演技も重要である。「舟歌」で始まるピアノコンサートにおかしな面々が集う。音楽青年、お喋りな2人娘、少し頭が飛んでいるバレリーナ、怒る女、中年夫婦、内気青年など。

バレリーナと内気青年による破茶滅茶PDD、アンサンブル6人がどうしても揃わない「ミステイク・ワルツ」、豪快でコミカルな男性マズルカ、傘をさした人々がそぞろに歩く夢想的情景が続く。終幕は、全員が蝶の羽と触角を付けて飛び回り、ピアニストの逆鱗に触れる(虫取り網で追いかけられる)場面で終わる。男性が女性をマネキンのように扱うシークエンス、葉巻夫が妻を殺そうとする場面も。喜劇的要素と詩情があざなえる縄のように現れては消える、クールで批評的な作品である。

バレリーナ役の渡辺恭子ははまり役だった。突き抜けた明るさ、繊細さが、頭を叩かれて倒れる際の ‟衝撃のなさ” を演出する。これまで主役を踊ってきた蓄積と、それを一気に捨て去る思い切りのよさが、類まれなバレリーナ像を作り上げた。葉巻夫の池田武志も、死神(クルト・ヨース)、狼(宝満直也)と並ぶはまり役。渡辺のお尻や腰を触っていやらしくなく、二人の呼吸もぴったりだった。妻の喜入依里もナチュラルな気の強さ。内気青年の佐野朋太郎、音楽青年の小澤倖造、お喋り娘の西原友衣菜、東真帆、怒る女の岩本悠里、案内役の渡辺大地など、演技の機微を見る楽しさがある。「ミステイク・ワルツ」6人のすっとぼけた味わいも、このバレエ団らしい。3月公演『緑のテーブル』を牽引したピアノの小池ちとせが、にこりともしない演技で舞台の要となった(演じた感想を聞いてみたい)。

ロビンズ版『牧神の午後』は、牧神とニンフの森をバレエスタジオに置き換え、ダンサー二人が鏡(正面)を見ながら踊りを確認する様子が描かれる。半覚醒のエロティシズムはそのまま。組む時も常に正面を見るため、感情の交換は鏡を通して迂回し、そこはかとないドラマを生成する。バレエダンサーの謎に迫る神秘的な傑作である。ニンフは喜入、東のWキャスト、牧神は林田翔平が配された。当日は若手の東と林田。両者とも見た目がよく、振付を美しくこなしている。ただ東は緊張のせいか硬さが、林田には見せる意識が垣間見られ、鏡の自分を確認する無意識の官能性を醸し出すには至らなかった。

幕開けの『スコッチ・シンフォニー』は、メンデルスゾーンの同名曲(1冒頭, 2, 3, 4楽章)に振り付けられた。1楽章のバットリー多用、男女ユニゾン、2楽章のシルフィードとスコッツマンは、『ラ・シルフィード』オマージュ。キルト姿の男性8人がシルフィードをかぎ型に囲んで護るフォーメーションが面白い。左右2回繰り返され、最後は高くリフトされたシルフィードを、スコッツマンが受け止めて終わる。インスピレーションの解明不可能な天才的振付である。

1楽章のスコッチガールには塩谷綾菜。素早いバットリーを男性顔負けの躍動感で次々と繰り出す。両手グーの勢いもよい。脇に控える佐野、飛永嘉尉との3人ユニゾンも素晴しかった。塩谷は技術のみならず音楽的詩情に優れる。アダージョも見てみたいところ。スコッツマンの林田は、シルフィードの喜入に翻弄される二枚目。喜入はパトスが滲み出る造形。3楽章でアンサンブルを主導する場面に本領があった。

田中良和指揮、テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラが、メンデルスゾーンドビュッシーショパンを生き生きと演奏し、華やかなトリプル・ビルを支えている。

牧阿佐美バレヱ団『飛鳥 ASUKA』2022

標記公演を見た(9月4日 東京文化会館 大ホール)。昨年10月28日に87歳で逝去した牧阿佐美の追悼公演。公演直後の9月6日には、バレヱ団と、牧が長年舞踊芸術監督を務めた新国立劇場の運営財団による「お別れの会」が、新国立劇場 中劇場で盛大に執り行われた。

『飛鳥 ASUKA』改訂版初演は2016年(コチラ)。スヴェトラーナ・ルンキナとルスラン・スクヴォルツォフの主演による。翌年ニーナ・アナニアシヴィリ、スクヴォルツォフ主演で富山再演、18年ハッピーエンドに改訂して、ルンキナ、スクヴォルツォフで再演、19年青山季可、中川郁、清瀧千晴主演によるマリインスキー劇場プリモルスキー分館公演を経て今回に至る。振付家本人が変更したハッピーエンドは順当に元に戻され、1幕最後の愁嘆場はやはり長いと感じさせつつも、全体に流れがよく、練り上げられた演出だった。

以前との違いは、動きへのミリ単位の意識。6月公演プティの『ノートルダム・ド・パリ』も同様だが、ドラマの流れがよくなる代わりに、動きへの切込みがゆるやかになった。振付家としてムーブメントを探究してきた牧の眼がなくなったせいだろう。振付自体はやはり二つのディヴェルティスマンが素晴らしい。生き生きとしたアレグロに、思いがけない動きのアクセントがちりばめられている。音楽的な振付家、牧の創意がよく表れている。

春日野すがる乙女の初日は青山、二日目が中川、岩足は清瀧千晴、水井駿介。その二日目を見た。すがる乙女の中川はこれ見よがしなく、役の心情に沿ってすっきりと演じている。大劇場ゆえ、やや伝わりにくいところもあったが、オーガニックな味わいは中川にしかない美点。汚れた衣装で息絶える終幕は、胸に迫るものがあった。対する岩足の水井は、鮮やかなソロに見応えがある。アダージョは献身的だが、もう少し相手を踊らせる余裕が望まれる。

竜神の菊地研、黒竜田切眞純美、竜神の使いのラグワスレン・オトゴンニャムは適役。阿部裕恵の竜剣の舞は音楽的。金竜の光永百花、銀竜の日髙有梨・近藤悠歩、青竜の久保茉莉恵が、主役級の輝かしさを放っている。

改訂版初演・再演に続き、デヴィッド・ガーフォースが雄大な切れのよい指揮で、舞台を作り上げた。序曲、間奏曲ではオーケストレーションを味わい、楽しんでいる様子も。雅楽を含む日本調メロディに、ワルツ、ハバネラ、ジャズ、銅鑼も鳴る 片岡良和の多彩な音楽が生き生きと蘇った。演奏は東京オーケストラ MIRAI。

小林紀子バレエ・シアター「アシュトン・マクミランプログラム」2022

標記公演を見た(9月3日 新国立劇場中劇場)。アシュトン振付『レ・パティヌール』(SWB37年 / 団98年)、マクミラン振付『ザ・フォーシーズンズ』(RB75年 / 団初演)による英国バレエダブル・ビル。それぞれマイヤベーアのオペラ『預言者』のバレエ曲(他)、ヴェルディのオペラ『シチリアの晩鐘』のバレエ曲(他)に振り付けられた。アシュトンは初期、マクミランは中期だが、対照的な個性は明らかである。前者のクラシック技法探究とその拡張、フォーメーションの幾何学的美意識。対する後者のクラシック技法ドラマ活用、内面を反映した複雑なパートナリングなど。アシュトンの「形式」に対する鋭い感受性、マクミランの「内容」重視がよく表れている。

再演を重ねる『レ・パティヌール』の完成度は高い。ソリスト、アンサンブル共に、クラシック技法とスケート動きを融合させた振付を楽しそうに踊り、出入りの絶妙なフォーメーションを流れるように紡いでいる。真野琴絵、濱口千歩のブルーガールズが、きびきびとした踊りで作品を牽引。ブルーボーイ八幡顕光の機嫌のよい踊り、ホワイト・カップル島添亮子・望月一真のゴージャスな存在感、レッドガールズ澁可奈子、中村悠里の大人っぽい雰囲気、ブラウン・カップルの重厚なマズルカなど、英国スタイルを重んじるカンパニーの美点が生かされていた。

マクミランの『ザ・フォーシーズンズ』は、冬、春、夏、秋、それぞれのソリストが個性と技量を主張する作品。ペニー、メイスン、コリア、ダウエル、ウォール、スリープ、イーグリング等、当時のロイヤル・バレエダンサーの作った役に、ダンサーたちは果敢に挑戦したが、初演とあってまだこなし切れていない様子。アンサンブルのスタイルや方向性も、アシュトン作品に比べるとやや統一感に欠ける。その中で、マクミランを踊り込んできた「秋」の島添が、抜きん出た技量を見せた。美しいライン、切れ味鋭い体捌き、ヴェルディの粋を聴かせる優れた音楽性。マクミランのドラマティックなニュアンス表出に、『マノン』『コンチェルト』を踊った蓄積が感じられた。また複雑なリフトで献身的サポートを見せた「春」上月佑馬の、確かな技術とスタイルも印象深い。

美術はシャーロット・マクミラン細胞分裂の映像(立石勇人)と、細胞模様のレオタードで、近未来の味わいを作品に与えている(初演美術はピーター・ライス。南イタリアの農民、兵士、旅人の衣裳、宿屋が舞台だった。80年再演の美術はデボラ・マクミラン)。

指揮の井田勝大は、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団を率いて、マイヤベーア舞曲の楽しさ、ヴェルディの重厚さを醸し出し、初演を含む舞台作りに大きく貢献した。

『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』2022

標記公演を見た(9月1日 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール)。主催・企画・制作:彩の国さいたま芸術劇場、テキスト・演出:岡田利規、共同振付:岡田+湯浅永麻+太田信吾、出演:湯浅+太田による。岡田は公演プログラムのコメントで次のように語っている。

演劇の持つさまざまな働きのうちで、わたしが重要だと思っているものの一つが、観客にとっての鏡になり得ることです。鏡に映る自分の姿はあれやこれや、思考なり反省なりを自ずと促すものです・・・『わたしは幾つものナラティヴのバトルフィールド』をわたしは、ダンスからなる演劇としてつくりました。それは、この作品を、わたしたちの生きる社会のなかでさまざまに振り付けられながら生きているわたしたちの姿を映す鏡として機能するものにしようとしたからです。そのような鏡は、ダンスからなる鏡であるのがうってつけだろうと思ったのです。ダンスは踊ることですが、同時に、大抵の場合、振り付けられることでもありますから。

作品はまさに「わたしたちの生きる社会のなかでさまざまに振り付けられながら生きているわたしたちの姿を映す鏡」だった。上演時間1時間5分。3部構成の第1部は、湯浅の一人芝居、2部から太田が加わり、3部は映像の太田(3人)と湯浅の掛け合いとなる。

あらすじは、湯浅扮する若い女性(髪はてっぺんでお団子、黒い眼鏡、絵柄のタンクトップ、カーキズボン、黄緑靴下)が、30万のフォロワーを持つSNSインフルエンサーに影響される話。「体の声を聴きなさい」という身体関係ではいかにものフレーズを、女性は信じ、実践している。それを動きながら観客に解説する。暗転後、女性は湖畔のカフェにいる。注文取りのウエイター(太田)登場。女性はテーブルにもぐったり乗ったりしながら、体の声を聴くとき「目をつむる派」か「開ける派」かについての言説を語る。突然、ウエイターがマイクの前に陣取り、「体の声を聴くという罠にあなたははまっている」と語りかける。混乱する女性。湖畔の映像が消え、ウエイターが映像の中に出現。「体の声を聴くのをやめなさい。体の声を聴くことにかまけて現実を直視しないように、上層部が仕向けている。SNSの人(インフルエンサー)は利用されている」と動きながら語る。動揺する女性。すると同じウエイターがもう一人映像の中に。「体の声を聴くことは現実の声を聴くこと。あなたの体も現実の一部だから」。さらにもう一人が「自然体でよいのでは。差別化せず、カッコつけず」と語りかける。3人は「体の声は世界の声」、「あなたはもっと自由にして」と言いながら、ユニゾン太極拳風に動く。女性はそれぞれの言葉に影響され、どうしたらよいのか分からないまま終幕となる。

様々なナラティヴに翻弄され、惑いながら生きるのは、人間本来の姿と言える。岡田は「SNSインフルエンサーと受け手」という現代的フォーマットを設定し、観客にそのことを分かりやすく啓蒙する。本当に自分で考えることの難しさ。岡田はこの人間の弱さを、湯浅担当キャラクターを作ることで、愛情を持って描き出した。ダンスの絡む『未練の幽霊と怪物』、『瀕死の白鳥 その死の真相』同様、岡田のフォーマットを作る能力は今回も冴えわたっている。湯浅パートを男性が演じたら、役者が演じたらと、想像を膨らませた。

6回公演の初日を見たが、湯浅本人が「空回った」と言う通り、岡田のテキストの妙味が前半は伝わりにくかった(アフタートーク岡田の「早口で何を言っているのか分からなかった」は本番を指したものか)。中盤から湯浅の体が温まり、なめらかに動き始める。「つむる派」「開ける派」のくだりは本領発揮。また終盤の映像との掛け合いが自然なことに驚かされた。

アフタートークで湯浅は、「イメージがあって動きを作るが、言葉を発すると同時に動くと遅い。誤差がある(概要)」、「今回は言わばタスク・インプロヴィゼーション」と語っている。インプロということは、これまで見た岡田✕酒井はな(瀕死)、森山未來(未練)、石橋静河(未練)とは、全く次元の異なるパフォーマンスを意味する。しかも音楽の助けがない。岡田のテキストを味わうには動きが決まっていた方がよく、湯浅の踊りを味わうにはテキストあり・発話なしの方がよい。そのぎりぎりの難しいところを狙った実験作ということになる。テキストがあってそこから動きが生まれ、さらにテキストを発話するのは、2重の表現。太田のように決まった語彙で意味を持たない動きなら、テキストを真っ直ぐに受け取れるが。そこをあえてチャレンジしたのだろう。もちろんこの方が面白いし、ダンス・シーンにとって有意義な実験だと言える。初日以降の5回がどのように練り上げられたのか、練り上げられなかったのか(インプロなので)、初発からの行く末に興味が湧く。

 

日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」2022

標記公演を見た(8月12、14日 新国立劇場 中劇場)。文化庁委託事業「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」の一環である。今年は全国13支部のうち7支部が参加、東京地区、本部作品を含め、11作品が出品された。古典は4作、古典改訂は3作、創作は4作で、そのうちコンテンポラリーダンスが2作という内訳である。例年本部作品はダヴィッド・リシーンの『卒業舞踏会』と決まっていたが、今年は代わりに『パキータ』が上演された。子供マズルカ、パ・ド・トロワに、6人のソリストがヴァリエーションを踊る壮大な一幕である。『卒業舞踏会』の醸し出す「お盆に帰るバレエのふるさと」感がなくなったのは寂しいが、子供の採用及び、ソリスト陣に協会主催「全日本バレエ・コンクール」入賞者を起用するなど、「次代の文化創造」を目指す舞台創りを見ることができた。

創作4作コンテンポラリーダンスから上演順に、東京地区『Echo』(振付:福田紘也、BM:川口藍)。12人の女性ダンサーと男性一人の板付きで始まり、少しニュアンスを変えて同位置で終幕となる福田らしい構成。バレエベースに妙な動きを加えたオーガニックな振付で、音楽を使用するのではなく、音楽と交感する感触がある。音取りの面白さ、特にカノンの微妙なずれ、ほころび、ほどけに魅了された。閾値を超えた思考はいつもながら。自らの眼差し、美的基準から1ミリも乖離しない真の‟クリエーション”である。黒一点の岸村光煕には、難度が高く、自分を超える踊りが振り付けられた。

関西支部『Putain de』(振付:磯見源、BM:貴島桂子、桑田彩愛)も、コンテンポラリー作品。10人の女性ダンサーが激しくスタイリッシュに踊る。フランス語の語りとパイプオルガンの現代曲に、シューベルトの弦楽曲を組み合わせ、女性デュオ、5人ユニゾン、ソロを次々に展開。海外経験で得られたコンテ・ボキャブラリーを駆使する、バレエダンサーの切れ味を生かした現代的振付だった。関西ダンサーは古典のみならず、コンテでも破格の強度がある。

北海道支部『仮面舞踏会』(振付:桝谷博子、BM:小野誠)は、ロマンティックなスタイルと繊細な音楽性が紡ぎ出す創作バレエ。ハチャトリアンの同名曲から5曲を選び、「ノクターン」(伊藤景子)、「マズルカ」(根本奈々、小野誠)、「ロマンス」(桝谷まい子、安中勝勇)がアンサンブルと共に踊られる。伊藤、根本の神経の行き届いた古典的味わい、桝谷の指導的存在感、男性陣のノーブルスタイルなど、踊りに艶と香りがあり、振付家の理想とするところが伝わってくる。アンサンブルも心を一つにした踊りで作品に貢献した。

東京地区『シェヘラザード』(振付:金田あゆ子、BM:藤野未来)は、モダンベースの物語バレエ。ゾベイダと金の奴隷の幻影に苦しめられるシャリアール王を、闇を表す「黒」と、光を表すシェヘラザードが引き合い、最後は光の世界に王を助け出す。リムスキー=コルサコフの同名曲を用いて、フォーキン版とは全く異なる作品を作り上げた。王の大嶋正樹が素晴らしい。シャリアールの苦悩を、奥行のある演技、美しい踊りで陰影濃く描き出す。シェヘラザードの近藤美緒は慎ましい演技と清潔な踊りで、王を闇の世界から見事に救い出した。ゾベイダの松岡梨絵、金の奴隷の宝満直也も適役。「黒」の穴井豪は8人の影たちと共に地表近くで蠢き、健康的なオダリスク・アンサンブルと共に金田の個性を体現した。適材適所の配役が作品の成功に繋がっている。

古典改訂作品3作も上演順に、初日幕開けの関東支部白鳥の湖』より第3幕(改訂振付:マイレン・トレウバエフ、BM:楠元郁子)。主役振付は伝統的だが、キャラクターダンスをポアントで踊らせて、ジュニア陣のクラシカルな育成を図っている。終盤ロットバルトが正体を現し、イーグル・クロウとなって踊る場面は、トレウバエフの創意。ジュニアの猪子咲月をオディールに配し、王子の遅沢佑介、ロットバルトの冨川祐樹、王妃の楠元郁子と、熟練ベテラン勢が周りを固める教育的な演出だった。特に楠元の行き届いた演技が物語の流れを生み出している。

二日目幕開けの関東支部クルミ割り人形』より第2幕(改訂振付:石井竜一、BM:菊池紀子、監修:島村睦美)も、主役振付は伝統的、キャラクターダンス、ワルツは石井振付による。石井の優れた音楽性を反映するきびきびとした『クルミ』で、振付アクセントも新鮮だった。金平糖には横山柊子(新国立)。磨くべき所は残されているが、主役としてのオーラ、エネルギーが舞台に充満し、気持ちのよい空間を作り出す。稀有な個性である。カヴァリエの浅田良和は、横山をよくサポートし、きめ細やかなヴァリエーションを披露した。可愛らしいクララ(安江優)をエスコートするクルミ割り人形には、ベテランの大森康正。ゆったりと行き届いた芝居で舞台を牽引した。プロからジュニアまで、適材適所の配役だった。

沖縄支部『ライモンダ』よりグラン・パ(改訂振付:島袋稚子、BM:島袋成子)は、1幕ワルツを冒頭に置き、2幕友人ソロを3幕パ・クラシック・オングルワに加えている。ジャン・ド・ブリエンヌ(バットバヤル・プレヴオチル)以外は全員女性のため、アンサンブルは島袋稚子の振付だが、原振付のニュアンスを踏襲し、古風なスタイルが堅持される。

ライモンダの長崎真湖は磨き抜かれた体。クラシック・スタイルと優れた技術の融合した光り輝く踊りを見せる。ディアゴナルの怖ろしく精緻な回転技が、異次元空間を作り出した。ヴィルトゥオジテ追求のこうしたスタイルは、沖縄にしか残されていないのだろうか。前田奈美甫、渡久地真理子、渡嘉敷由実を始めとする高度な技術のソリスト陣、踊る喜びにあふれるアンサンブルが一体となった、輝かしいグラン・パだった。

古典作品3作も上演順に、中部支部ドン・キホーテ』より「夢の場」(振付指導:松岡璃映、BM:伊藤正枝、服部幸恵)。ドン・キホーテは省略し、ドルシネア姫(御沓紗也)、森の女王(仲沙奈恵)、愛の妖精(兵藤杏)、妖精たち、キューピッドたちが登場する。御沓の隅々まで神経の行き届いた優雅なドルシネア姫を軸に、ソリスト、アンサンブルがロシア派らしい伸びやかな踊りで、夢の場を彩った。キューピッドたちもよく揃い、指導の成果を披露している。

山陰支部『ラ・バヤデール』より「祝宴の場」(振付指導:中川亮、BM:中川リサ、福原さやか)は、2幕ガムザッティとソロルの婚約披露グラン・パ。主演の上野瑞季が目の覚めるようなガムザッティを造形した。確かな技術に裏打ちされた精緻な踊りに、役にふさわしい瑞々しい気品が備わる。ソロルの藤島光太も上野をよく支え、ダイナミックな踊りにふと憂いを見せて、物語を浮かび上がらせた。4人のソリスト、若手アンサンブル(ワルツ)も指導の跡をよく窺わせる。オリバー・ホークス、中川亮が支え手となった。

九州北支部ドン・キホーテ』より第3幕(振付指導:坂本順子、BM:浜田小枝子)は、バジルに青木崇を迎え、若手の森重美沙季がキトリを踊った。森重は思い切りよく、伸びやかな踊り。バランス、回転技を得意とする、生きのよいキトリだった。友人(佐藤ひかる、原田伽音)、アンサンブルも伸び伸びとはじける踊りで、指導者の『ドン・キホーテ』解釈を体現している。青木は至芸。美しく正確な踊りに、バジルの粋、覇気が加わる。磨き抜かれたバジルだった。

本部作品『パキータ』は両日の最終演目。振付指導は法村圭緒、バレエ・ミストレスは佐藤真左美が務めた。子供マズルカから、アンサンブル、ソリストに至るまで、指導が行き届き、引き締まった舞台を作り上げる。初日主役は若手の中野伶美、孝多佑月、二日目はベテランの米沢唯、厚地康雄。前者は覇気あふれる踊り、後者は円熟の踊りで舞台の要となった。特に米沢、厚地の、後進の手本となる凛とした佇まいが印象深い。ソリストはコンクール上位入賞者で占められるため、いずれも技術的に遜色はないが、舞台に捧げるという点で、初日の名村空(3Va)がソリスト本来の役割を果たしている。

 

 

 

 

 

「NHK バレエの饗宴 2022」

標記公演を見た(8月13日 NHKホール)。昨年はコロナ禍ということもあり、国内4つのバレエ団が得意のレパートリーを持ち寄る形式だったが、今回は「饗宴」本来の姿に戻っている。コロナ禍は相変わらずで、出演者の変更を余儀なくされたものの、内外のダンサーが一堂に会し、古典作品からコンテンポラリーダンスまで、団体の枠組みを超えて共演する祝祭性豊かな公演となった。この模様は 9月18日にEテレで放送される。

3部構成の第1部は、アントン・ドーリン振付『Variations for four』(57年)、同じく『パ・ド・カトル』(41年)。それぞれ男性4人、女性4人に振り付けられ、高難度の技巧と精緻なスタイルを特徴とする。前者には厚地康雄、清瀧千晴、猿橋賢、中島瑞生、後者には中村祥子、水谷実喜、菅井円加、永久メイという興味深い配役。男性陣は美しいノーブルスタイルを披露、女性陣はタリオーニを始めとするロマンティック・バレリーナそれぞれの個性を、高度な技巧と共に再現した。中村の存在感、水谷の清潔な技術、菅井の浮遊感、永久のたおやかなラインと、見応えのある共演だった。振付指導は、元ベルリン国立バレエ団プリンシパルのミハイル・カニスキン。

第2部は、平山素子振付『牧神の午後への前奏曲』と、唯一の参加団体 スターダンサーズ・バレエ団によるバランシン振付『ウエスタン・シンフォニー』(54年)。平山作品は『Trip Triptych』(13年)から小㞍健太のソロを抜粋したもので、今回新たにニンフ(柴山紗帆、飯野萌子)のデュオが加えられた。微睡むようなドビュッシー音楽、鏡を使ったモダンな美術、スタイリッシュな照明を背景に、小㞍牧神とニンフの現代的戯れが描かれる。熟練のコンテンポラリーダンサー小㞍が、バレエダンサー二人を従えて、低重心の平山語彙を悠々と紡いでいく妙味。かつて同役で見せた‟没入”よりも、‟俯瞰”の優るクールな踊りだった(フルート演奏:高木綾子)。

続くバランシン振付『ウエスタン・シンフォニー』は、アメリカ民謡(編曲:ハーシー・ケイ)を使用したシンフォニックバレエ。振付家の西部劇愛から生まれた。アメリカ開拓時代の酒場を舞台に、カウボーイと女たちが小粋な恋愛模様を繰り広げる。今回は一段とブラッシュアップされた出色の出来栄えだった。ダンサーたちの明確なエネルギーの方向性、指先・爪先に至るまで意識化された四肢使い、役どころを押さえた芝居気たっぷりの踊りが揃う。1楽章プリンシパルの爽やかな塩谷綾菜・林田翔平、2楽章の華やかな渡辺恭子・池田武志、3楽章の闊達な冨岡玲美・関口啓、4楽章のゴージャスな喜入依里・飛永嘉尉は、適材適所の配役。男女アンサンブルの溌溂とした音楽性も加わり、バレエ団の美点が十二分に生かされた舞台だった。フィナーレの足つきピルエット全員ユニゾンは壮観。振付指導は元NYCBプリンシパルのベン・ヒューズ。

第3部は、永久メイ、ビクター・カイシェタによる『ロメオとジュリエット』バルコニーPDD、菅井円加、清瀧千晴による『ドン・キホーテ』GPDD、中村祥子、厚地康雄に振り付けられた金森穣新作『Andante』。若手、中堅、ベテランと、趣の異なる3つのパ・ド・ドゥが並んだ。

永久とカイシェタはマリインスキー劇場バレエでパートナーを組んでおり、完成度の高いバルコニー・パ・ド・ドゥを披露した(ロシア現況のため外国籍の二人は団を離れ、カイシェタは現在オランダ国立バレエに所属)。永久の崇高な踊りは、初演者ウラノワを彷彿とさせる。一挙手一投足をゆるがせにしない誠実さ、舞踊への信仰を裏打ちする高い精神性は、ファテーエフ芸術監督が望む舞姫の条件そのものだろう。永久に与えられたマリインスキーでの愛情深い指導を思わずにはいられなかった。カイシェタはダイナミックな踊りとサポートで、永久の舞踊への献身を支えている。

ドン・キホーテ』GPDDは菅井と清瀧の初顔合わせだった。菅井の小気味よいキトリは、高度な身体コントロールから生まれる。長いバランス、清潔な脚捌き、跳躍の浮遊感、ディアゴナルは吹っ飛んでいるように見えた。高難度の技をいとも容易く決めてニコリとほほ笑む、その嫌みのなさ。観客と楽しい空間を作ろうとする懐の深い精神性と持ち前のユーモアゆえだろう。舞台に爽やかで慎ましやかな風が吹いた。清瀧は跳躍の高さで持ち味を発揮、菅井を献身的にサポートしている。

金森作品『Andante』は、バッハのヴァイオリン協奏曲第1番第2楽章を使用。次々と現れる風景の中をゆっくりと歩くような音楽に乗せて、中村と厚地が寄り添い、離れ、再び共に歩む姿が描かれる。ベージュ色の衣裳を一つ二つと外し、最後は生まれたままのオールタイツ姿に。長身の中村と厚地の美しいラインが、金色に輝く瀟洒な空間、繊細で音楽的な振付と渾然一体となり、夢見心地に誘われる佳品を作り上げた(ヴァイオリン演奏:小林美樹)。

指揮は冨田実里、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団。バッハ、プーニ、アダン、ミンクス、ドビュッシープロコフィエフ等を、生き生きとした筆致で蘇らせる。舞台との呼吸も素晴らしく、特に『ウエスタン・シンフォニー』でのダンサーを駆り立てるエネルギッシュな指揮は、冨田の本領だった。

 

 

 

7月に見た公演 2022

鈴木ユキオ『刻の花 トキノハナ』『moments』(7月1日 シアタートラム)

『刻の花』は昨年の「中央線芸術祭」で発表した作品を再創作したもの。写真家 八木咲の写真と、八木が舞台上で撮ったライブ写真と共に踊る鈴木のソロダンスである。『moments』は安次嶺菜緒、赤木はるか、山田暁、若手の小谷葉月、阿部朱里に、ゲストの小暮香帆、中村駿、西山友貴を加えたグループ作品。「鈴」「花」「刻」「花束」のT シャツ、青や黄のオーバーブラウス、ギンガムチェックのワンピース(衣裳:山下陽光)が、新たなフェーズをもたらしている。

鈴木のボキャブラリーは当然両作品に共通するが、鈴木の思考をより強く感じさせたのは『moments』だった。動き、止まり、間、を組み合わせた振付の面白さ。かつて東京シティ・バレエ団に創った駐車場での作品を思い出した。フォーメーションはさほど複雑ではなく、関係性から逸脱しない。それよりも体の響き合いを重視しているようだ(安次嶺が小暮の背後霊になるなど)。舞踏をベースにした鈴木ボキャブラリーは、安次嶺、赤木、山田、小暮が踊る時、その本質が浮き彫りになる。特に安次嶺の振付遂行は深い。四つん這いは本当の四つん這いだった。

作中で流れる鈴木のナレーションは、舞踏のモノ化と共通する。「ムーブメントではなくプロセス、関係性に興味がある。モメントという動きの断片。写真のようにある瞬間を切り取る。静止ではなく、偶然止まってしまう。たまたまの瞬間が、たまたまダンスになる」。‟写真のようにある瞬間を切り取る”動きは、安次嶺と赤木にしかできない技だった。ゲストの小暮は舞踏ベース、その場で相手を見て、体で対話ができる。西山は動きが巧く、脚が鮮やか、意味や美の付着する点でモダンベース。中村はボーッとした体、ボワッとした存在感で、場を温めた。

鈴木ソロの『刻の花』は、踊りというよりも、振付のフォーマットを見せた印象だった。3月の黒田育世作品でも感じたが、観客のミラーニューロン作動を禁じる孤絶した体である。振り移しされた体は、生き生きと息づいているのに。ダンサー鈴木の自意識ゆえか。「まことの花」への移行期にあるのだろうか。

 

キエフ・バレエ支援チャリティー「BALLET GALA in TOKYO」(7月5日 昭和女子大学人見記念講堂

7月15日より始まるキエフ・バレエ来日公演に先駆けて、芸術監督の草刈民代が企画したキエフ・バレエ支援公演。チケットは無料、抽選で当たった観客には 5000円以上の寄付を募り、全額キエフ・バレエに寄付される。カーテンコールには草刈監督も登壇し、寺田宜弘ウクライナ国立バレエ(キエフ・バレエ)副芸術監督より感謝の花束が贈呈された。プログラムにはウクライナ国立バレエに在籍した経験を持ち、ウクライナに両親の住むアレクセイ・ラトマンスキーも一文を寄せ、戦争勃発以降のロシア、ウクライナ、ヨーロッパの状況を説明、何をなすべきかを訴えている。ガラ公演を企画した草刈監督、参加ダンサーへの敬意も表明された。

プログラムは2部構成。第1部は、

・『デューク・エリントン・バレエ』より「The Opener」(振付:ローラン・プティ、出演:水井駿介)

・『薔薇の精』(振付:フォーキン、出演:中野伶美、二山治雄

・『海賊』よりGPDD(振付:プティパ、田中祐子、出演:芝本梨花子、猿橋賢、福田昂平)

・『グラン・パ・クラシック』(振付:グゾフスキー、出演:佐々晴香、髙橋裕哉)

・『And... Carolyn.』(振付:アラン・ルシアン・オイエン、出演:大谷遥陽、松井学郎)

第2部は、

・『Deep Song』(振付:マーサ・グラハム、出演:佐藤碧)

・『ノートルダム・ド・パリ』よりPDD(振付:ローラン・プティ、出演:青山季可、菊地研)

・『ジゼル』よりアダージョ(振付:コラーリ、ペロー、出演:鍛冶屋百合子、平野亮一)

・『小さな死』より(振付:イリ・キリアン、出演:藤井彩嘉、江部直哉)

・『二羽の鳩』よりアダージョ(振付:アシュトン、出演:佐久間奈緒、厚地康雄)

・『コッペリア』より「祈り」(振付:フレデリック・フランクリン、出演:鍛冶屋百合子)

・『森の詩』よりPDD(出演:アンナ・ムロムツェワ、ニキータ・スハルコフ)

第1部は爽やかな幕開けから、コンサートの華やかな定番が続き、最後は苦しみや別れを表すコンテンポラリー・デュオが配された。第2部はグラハムのスペイン内戦を踏まえた苦悩のソロに始まり、互いの心情の発露となるPDD、さらに和解のアダージョ、鎮魂の祈りと続く。最後はウクライナ国立バレエオリジナル作品から、妖精と青年のPDDで締めくくられた。ガラの華やかさと、支援チャリティの趣旨を綿密に考え抜いた秀逸なプログラムである。草刈監督の分け隔てのない開放的な性格が反映した、気持ちのよいガラ公演。キエフ・バレエの主役二人に内外で活躍する日本人ダンサーが、それぞれの個性を生かした演目を踊り、平和への祈りを捧げている。

個性、技量ともに優れたダンサーが並ぶ中、ベテラン鍛冶屋百合子が、濃密なジゼルのアダージョアラベスクで見せる鎮魂と平和への祈りで、東洋的気の漲るヴィルトゥオジティを披露。また佐久間・厚地カップルの徐々に身体がほどけて和解へと至る暖かなアダージョ、若手 芝本のエキゾティックな魅力、佐々の清潔で香り高い踊り、髙橋の献身的なサポートなど、心に響く踊りの数々を堪能した。

シアターオーケストラトーキョー率いる指揮の井田勝大も、ガラ公演の成功に大きく貢献した。ダンサーと呼吸を一つにする素晴らしさ。特にウクライナ作品ではコンサートマスターを含め、熱のこもった演奏を聴くことができた。カーテンコールでムロムツェワ、スハルコフが見せた指揮者への敬意も忘れがたい。

 

東京バレエ団ベジャール・ガラ」(7月23, 24日 東京文化会館大ホール)

演目は、昨年の「HOPE JAPAN 2021」に続く『ギリシャの踊り』、同じく『ロミオとジュリエット』よりPDD、『バクチⅢ』、『火の鳥』というプログラム。パ・ド・ドゥやソロを含むグラン・パのような多人数作品、対照的なパ・ド・ドゥ2つ、男性ソロを核とする少人数作品、とバランスがよく、古典を踊るバレエ団にふさわしいラインナップと言える。音楽もテオドラキス、ベルリオーズ、インド伝統音楽、ストラヴィンスキーと多彩。どのような音楽でも掬い取る、ベジャールの優れた音楽性を味わうことができた。『ギリシャの踊り』『火の鳥』の振付指導は、次期BBL バレエマスターの小林十市ベジャールのエッセンスを感じさせるミックス・プロだった。

東京バレエ団が再びベジャールのバレエ団になったのは、大塚卓のせいである。昨年の『ロミオとジュリエット』PDDでは、スター誕生に驚き、『中国の不思議な役人』では、首藤康之の跡を継ぐボレロダンサー出現が予感された。ベジャール節の巧さに加え、何よりも祭儀としての舞台が実現されている。自らの技量を見せるために踊るのではなく、踊ることで自らを‟犠牲”として差し出す稀有なダンサーである。

今回の『火の鳥』主役においても、登場しただけで場の質を変えるスター性、的確な振付解釈、曲想のみならず構造まで把握した優れた音楽性、それらを具現化できる技術と身体性を見ることができた。まだ若いので若鳥の風情だが、すでにグループを率いるリーダーの素質が垣間見える。手と手を合わせ仲間たちにエネルギーを与えるシークエンス、フェニックスに新しい生命を注入され、手で繋がれた仲間たちにパルスを送るシークエンスは、実際に気の流れが見えるようだった。フェニックスの柄本弾と胸を合わせ、エネルギー放射を受けた時には、ある種の感慨が。由良助=ベジャール魂の受け渡しに思われたからだ。パルチザン伝田陽美とも阿吽の呼吸(もちろん伝田が大塚を見守っているのだが)。二人の『春の祭典』を見たいと思った。カーテンコールでは思いがけず小林十市が恥ずかしそうに登場。予定にはなかったようで、シャツ姿だった。観客に一礼、ダンサーたちに拍手を送り、すぐ袖に下がったが、迎えに行った大塚との無言の意思疎通を強烈に感じさせる一幕だった。

柄本『ギリシャ』ソロの光り輝く大きさと、シヴァのパワフルな踊り、伝田の肚の決まったシャクティ、山下湧吾『ギリシャ』PDDの美しいベジャール節、『ギリシャ』若者の名コンビ、岡崎隼也の振付ニュアンス実現と井福俊太郎の熱血ダンス、同パ・ド・セット女性陣の神経の行き届いた繊細な踊りが印象深い。

 

新国立劇場 こどものためのバレエ劇場 2022『ペンギン・カフェ(7月31日昼夕 新国立劇場 オペラパレス)

第1部はトークショー「いっしょに考えよう! 消えゆく生き物たちを救うには?」。司会の石山智恵氏による企画・演出で、ゲスト解説に上野動物園多摩動物公園で獣医を務め、NHK ラジオ「子ども科学電話相談」の人気回答者である成島悦雄先生を招いた。5日間で計8回行われたトークショーは、英語同時通訳サービス(5回)も実施、幅広く子供たちに絶滅危惧種について伝えている。子供たちは石山氏からの問いかけにすぐさま反応。手を挙げて「はい」とか「知りません」と即答する。またバックの大スクリーンに映し出されるパンダやトラ、ゴリラ、キリン、そして成島先生が長年保護活動に携わるトキの映像に、じっと見入っていた。『ペンギン・カフェ』で唯一取り残される(つまり絶滅してしまった)オオウミガラスについても、詳しい説明があり、後半のバレエ鑑賞の助けとなる有意義なトークショーだった。

第2部の『ペンギン・カフェ』は、今年の「ニューイヤー・バレエ」でも上演された人気レパートリー。1988年英国ロイヤル・バレエで初演されたデヴィッド・ビントレー初期の傑作である。被り物を被った可愛らしい動物たちは、実は絶滅危惧種だった。楽しい踊りに引き込まれながら、最後は動物や人間の儚さ、さらには地球の深刻な現実―環境破壊を突きつけられる。ノアの箱舟から取り残されたペンギン(オオウミガラス)は無邪気に佇んでいるけれども。

初役は10人。コロナ関連による降板で速水渉悟はモンキーを踊らず。また急遽配役の宇賀大将ネズミは見ることができなかった。初役で最も強い印象を残したのは、ネズミの髙橋一輝。先輩たちよりもひっそりしているが、見ていくうちにじんわりとネズミの心が伝わってくる。腕や手の角度など、ビントレー振付のニュアンスをオマージュと共に実現。最後は子供たちの手拍子に送られて草原の向こうへと消えていった。今季で退団する髙橋への何よりのはなむけである。昨秋「Dance to the Future 2021」で披露した創作『コロンバイン』にも、ビントレーへのオマージュ振付が入っていた。ダンサーの個性を見抜き、それにふさわしい振付を施し、ドラマと音楽が渾然一体となった作風は師匠譲り。バレエ団をビントレー作品で終えることができたのは幸いと言える。

ペンギン初役の池田理沙子ははまり役。ヒツジのパートナー中家正博の社交ダンスは鮮やかだったが、髪の色はどうか。シマウマには木下嘉人が新配役。よく役作りを心掛けるも、野性味が薄く、踊りが明晰過ぎた。また渡邊峻郁のモンキーも適役とは言えず(内側から踊っていない)。一方再演組はヒツジの米沢唯が、動きの切れ、優美さ、ユーモアで抜きん出ている。またシマウマ奥村康祐の崇高な死、五月女遥の繊細で音楽性豊かなノミに、熟成された味わいがあった。ネズミの福田圭吾は最終日やや疲れ気味か、踊りが草書になっていた。

今季退団組は、プリンシパル・キャラクター・アーティストの貝川鐵夫、同じく本島美和、ファースト・ソリストの井澤諒、ソリスト細田千晶、ファースト・アーティストの髙橋一輝、アーティストの稲村志穂里、川上環、北村香菜恵。

演技で舞台を支える貝川、本島に続き、ベテランの細田、中堅の髙橋がバレエ団を去り、一つの時代が終わった印象がある。ビントレーの影響は大きかった。本島の演技者開眼(コチラ)、細田もそれに続いて優れたシンデレラ仙女を見せたばかり。竜田姫では独自の境地を切り開いた。貝川は適役のハートの王様で本島との名コンビを総括、髙橋の『くるみ』老人は誰にもまねできない重層的な役作りだった(本島とは『ラ・シルフィード』のマッジ組である)。貝川と髙橋はダンサー・演技者として年輪を重ねる一方、ビントレーの孵卵器(NBJ Choreographic Group)で、じっくりと振付家としての個性を開花させていった(コチラ)。

退団組の今後の活躍を期待する。振付作品も見てみたい。