音楽の授業 村上愛子先生

明日シー・イージェのリサイタルに行く。ロッシーニ歌い。上海出身で30才、オーストリアグラーツ音楽院に留学。2、3年前、東フィルの定期でゼッダ先生に連れられ、凱旋した(最初に東邦音大で学んだので)。一声聴いてびっくり。いつもユーチューブで聴いていたので、ようやく生で一杯聴ける。嬉しい。
それで思い出したのが、高校の音楽の授業だ。愛子(よしこ)先生は、芸大トップ入学、トップ卒業のソプラノ歌手。ミミを歌いたかったが、家計のためコロムビア(?)に入社、レコードも出したけど、水が合わず、故郷に帰り、高校の音楽の先生をされていた。
当時はそれが普通だと思っていたが、今から考えるととても偏った授業だった。歌曲のみを歌う。試験も歌。教科書の歌も歌ったけど、ほとんどがオペラのアリアやイタリア歌曲をプリントしたものだった。もちろん原語。私たちは意味分からず、カタカナで発音を書き写し、それを歌った。ケルヴィーノの「ヴォイケッサ」やトスティの「ヴォッラ オセレナータ」を、今でも意味分からず歌うことができる。
先生は、生徒が変な声で、意味分からず歌っているのを、年中聴いていたのだ。歌唱指導などしようもないレヴェルの歌を。
先生も時々歌われた。「ホワイトクリスマス」の声を今でも覚えている。普段の発声はなぜかはっきりしなかったのに、歌になると明晰だった。素晴らしかった。
先生と音楽室のベランダで二人きりになったとき、言われたこと。「コンサートに行って、音楽を聴いていると、悲しくないのに涙が出るのよ。」
何のことか分からない生徒に、そう言われた。やはりアーティストだったのだ。分からないものに向かって、自らを投げ出すことができる人だった。オペラを聴くようになって、先生のことを思い出すが、もし聴かなかったらどうだったのか。
もう亡くなられて20年になるが、生きておられたら、「先生、新国立でいつもオペラを聴いているんですよ」と言いたかった。