山崎広太・鈴木ユキオ・平原慎太郎——『ネエアンタ』&『ASLEEP TO THE WORLD』

3人の優れた男性ダンサーを見た。
山崎はARICA『ネエアンタ』(2月28日、3月1日 森下スタジオCスタジオ)、鈴木と平原は青山円形劇場の『ASLEEP TO THE WORLD』(3月9日)。


『ネエアンタ』はベケットのテレビ・スクリプトを舞台化したものである。元は、男性俳優をテレビカメラが写し続け(アップの距離、秒数を指定)、姿を見せない女性のセリフに、男性が顔で反応する作品。それを山崎が身体で反応し、同じシークエンスをニュアンス、動きを変えることで、時間経過を見せている。まずベッドに座って動かずに踊り、裸電球の点滅を合図に、立って窓のところに行き、カーテンを開け、閉める。そして冷蔵庫と関わったあと、ドアに向かって対角に歩行、開いたドアを閉め、ベッドに戻るというシークエンスである。終盤、広太踊りの現在形とも言える、世界を穿つソロの他は、動かない踊りに終始する。演出家藤田康城との共同作業の結果、山崎の可能性の一角が現前された。ベッドでの動かない踊り(内部では明らかに動いており、濃密な時間が流れる)。冷蔵庫に頭を突っ込んで脚を突っ張る冷蔵庫とのデュオ(鮮烈な脚は、肉体の充実を窺わせる)。そして幾通りにもニュアンスを変える対角の歩行、厚木凡人の「パクストンの歩行はグラン・パ・ド・ドゥだった」という言葉を思い出させた。山崎自身はポスト・トークで「ジャドソンはニュートラル、自分は日本人として違ったものを出したかった」と語っているが。
演出には疑問もある(なぜ女性を表に出したのか、とか)が、藤田が山崎を丸ごと理解していることが、ポスト・トークでよく分かった。


『ASLEEP』は中村恩恵の振付(出演なし)、共同振付は鈴木、平原、音楽・演奏は内橋和久、ドラマトゥルクに廣田あつ子という布陣。全体の構想は中村、所々中村振付(生々しくキリアン風の部分も)、ソロは鈴木、平原が各自という感じだろうか。
中村振付を二人がユニゾンで踊るときが面白い。鈴木は中村のタスクを易々とこなし、自分の空間に歪曲する。平原は振付を誠実に追って、自分の肉体との齟齬を露わにする。鈴木の空間感覚、空間構成力がずば抜けていて、踊りながら常に演出しているのに対し、平原は外界との対話で自分の内から出てくるものを注視している。体の質感も対照的。鈴木が鋼鉄のような重さ、密度を感じさせるのに対し、平原は柔らかく受け身。見た目も、鈴木はガンダーラ仏、平原は犠牲としてのキリストである。
この座組みの良かった点は、枠を与えることにより、二人の優れたダンサーが思い切りソロを踊れたことである。中村の家は代々キリスト教徒とのことで(プログラム)、中村作品の文学性、意味性の強さに合点が行った。


山崎の出自は舞踏+バレエ、鈴木は舞踏、平原はバレエ+ヒップホップ。山崎は笠井叡門下、鈴木はアスベスト館出身で、同門に近い。一方、山崎は平原に注目していて、自ら主宰するWWFesでも起用し、インタヴューも行なっている。3人ともスター性があり、体を投げ出すことができる。一緒に踊るとどうなのか。常識の彼方にいるのは、山崎がダントツだけど。鈴木は山崎に空間を与え、平原はノイズムでもそうだったように犠牲の仔羊になるだろう。