イサムノグチ展+ゴッホ展(広島)

帰省したついでに、ひろしま美術館の「イサムノグチ展」と広島県立美術館の「ゴッホ展」に行ってきた(8月9日)。「ゴッホ展」は前売り券、「イサムノグチ展」は当日券。ただし「ゴ展」券を持っていると割引に。どちらも「アート・アーチ・ひろしま2013」7/20〜10/14の一環なので。民間と公立のコラボは珍しいらしい。両展ともよく練られたコンセプト、充実した内容だった(「ルーブル展」で「え〜」と思ったばかり)。
「イ展」は影響を受けたブランクーシやアルプ、石垣栄太郎、リベラなども展示あり。作品を比べることで、ノグチの個性が分かるようになっている。助手をしていたブランクーシとは、似たような形象の作品が並んで、ノグチのユーモアや端的なラインが明確になった。同じゾーンの石彫『幼年時代』(71年)は一番のお気に入り。御影石のいがぐり頭が少し下を向いている。鼻がちょこんと。スイカの2倍くらいの大きさ。なでたかった。レプリカがあったら買いたかった。
石垣の油絵『リンチ』(31年)に衝撃を受けて作った『死(リンチ)』(34年)は、鉄のぐにゃりとした人体がロープで吊るされた作品。肩から腕が脚のようになっていて、二重の人体みたい。生々しいが厳しいラインなので、安易な感想は受け付けない。主張と感覚の非常なバランスがある。あとはマーサ・グレアムの『エロディアード』のための舞台セット(44年)や、『AKARI』シリーズ、ランドスケープ・デザインなど。鋳鉄の『おかめ』(56年)も無性におかしかった。
「ゴ展」はゴッホの暗いニューネン時代から、パリの美しい売り絵に始まり、どんどんゴッホになっていった。今回は自画像中心で「空白のパリを追う」という副題。どれも面白かった。自分の視覚を突き詰めればこう描くしかないという、一種の倫理観、混じりけのなさに心打たれる。『アブサンのグラス』(87年)と『アサツキの鉢植え』(87年)の絵葉書を買い、『カフェにて:ル・タンブランのアゴティーナ・セガントーリ』(87年)の額絵(額なしだが)を買った。