ライマンの創作と『リア』・村松稔之

日生劇場が11月8、9、10日とアリベルト・ライマンの『リア』を上演するのに先駆けて、ドイツ文化会館がライマン自身の公開インタヴューを行なった(11月4日 同ホール)。聞き手は昨年の日生劇場ドラマトゥルクである長木誠司氏。前半にライマンの作曲家への道のりと、パウル・ツェラン等の詩に付けたリートについて、また長年ピアノ伴奏を務めたフィッシャー・ディスカウについての質問がなされた。今回は後半でツェランの『時の館』より5つの詩が歌われるため、ドイツ文学者の関口裕昭氏も解説に加わる行き届いたプログラム。客席には日本が世界に誇る作曲家細川俊夫氏の姿もあった。今年喜寿を迎えた(る?)ライマンは大柄の体をゆったりと構え、ユーモアを差し挟みながら、二回の世界大戦を経た現代の作曲家のあり方を、言葉と身体で示した。後半の最後には、ウィーンのコンツェルト・ハウスで10月に初演されたばかりの最新作『第九へのプロローグ』が音源で紹介された。『第九』に使われなかったシラーの詩につけた合唱曲で、まさに現代に生きる我々の歌である。幾重にも折り重なるアカペラの聖歌なので、「歓喜の歌」のようには歌えないが。
なぜこの催しに行ったかと言うと、先日の WWFes2013 で、田村友一郎演出のダンス作品に出演した村松稔之(カウンターテナー)が、ライマンを歌うと聞いたから(田村作品については本ブログ参照)。その時の天からの声があまりに素晴らしかったので、追いかけてみたのだ。真正面で聴くツェランのリートも素晴らしかった。カウンターテナーにありがちな人工的な臭みが一切なく、自然で真っ直ぐな声。低音もふくよか。声の継ぎ目が感じられない。当人の身体は細身だがガッツがあり、まるでスポーツ選手の感触がある。実際肉体を使う仕事なので不思議ではないけど。田村作品では死体役だったのだが、見事な死体ぶりだった。あの細身でなぜあのような強い声が出るのだろうか。声は、ほかのどんな才能よりも天からの授かり物に思える。ライマン曰く、「昨年芸大で『メデア』のマスターコースを行なった時、村松くんの声がこの曲に合っていると思った。今、実際に聞くことができて嬉しい」。長木氏曰く、「日本のカウンターテノールの未来は明るいですね」。大幅に伸びた公開インタヴューとミニコンサートのあと、知人とともに本人のところへ。私「これまで聞いたことのないカウンターテナー」、知人「そう。イギリスは健康的、ヨーロッパ大陸は退廃的、そのどちらでもない」に対し、村松「自分はアメリカのカウンターテナーに影響を受けている、オペラティックな感じの」とのことだった。