「日本昔ばなしのダンス」2015@彩の国さいたま芸術劇場

標記公演を見た(2月1日 彩の国さいたま芸術劇場大練習室)。下司尚実振付『いっすんぼうし』と近藤良平振付『ねずみのすもう』の二本立て。練習室なので座席が組んであり、地続きで見る楽しさがある。必ず子供連れという想定からか、座布団の置き方が狭く、大人3人が並ぶと(実際そうだった)身動きが取れない。左は親子連れで、業界風の父親が私の隣席、娘のために来ている感じ(始まる前、隣には母親がいて、次には娘、それから父親に変わったが、どういう阿吽のやり取りがあったのか)。右は30代初めの文化系青年で、役者の演技にいちいち受けていた。これほど反応のいい人は、ダンス系ではなかなかいない(後から伊丹アイホールの人だと分かった)。
下司(しもつかさ)作品は、昔ばなしをそのまま辿っていく正統派。小柄な佐々木富貴子が針の刀を持って、勇ましく跳ね回り、美形の鈴木美奈子と下司が、爺婆になったり、姫と鬼になったりして、物語の枠を作る。一寸法師は奥の小舞台で動き、爺婆たち二人は手前の地面で、あたかもそこに一寸法師がいるかのような演技をする。その演技が上手いので、奥の一寸法師が頭の中で合成されて、一緒にいるように錯覚する。果たして子供たちはどうだっただろうか。
下司はシャイ。ご飯を盛る手つきが素晴らしかった。子供を授かるよう、爺婆が神社にお参りをし、二礼二拍手一礼するシークエンスが何度も繰り返されるが、その度に、子供たちの声が上がる。少し前、WWFesプレイベントのシンポジウムで、山崎広太が「初詣で人々が参拝しているのを見ていると、踊りに見える」と言ったのを思い出した。下司に戻すと、小道具が背面のカーテンからマジックのように飛び出てきたり、袂から(?)出てきたりと、扱いに切れがある。求める効果に向かって脳を使い切った演出だった。
近藤作品は再演。物語は解体され、近藤のイメージが氾濫する。鎌倉道彦、藤田善宏、山本光二郎の百戦錬磨、強者どもが、肉体の全てを捧げて近藤の振付を遂行する。その迫力はトラウマとなるほど子供たちを圧倒するだろう。子供たちにはまだ分からない世界をそのまま提示し、子供たちに背伸びさせるような、高踏的な作品だった。