柳本雅寛@「佐藤俊介の現在」

標記公演を見て、聴いた(2月14日 彩の国さいたま劇術劇場音楽ホール)。バロック、モダン両方のヴァイオリニスト佐藤俊介のソロに、ダンサー柳本雅寛が絡み、田村吾郎が演出するコンサート。演目はビーバーのパッサカリアに始まり、バルツァー、プロコフィエフJ.S.バッハ、と来て、バルトークで折り返し(袖で演奏しているのかと思ったら、ホールのあちこちから音が聞こえるので、増幅かなと思う、しかし途中で佐藤が舞台に出てくると、白から黒シャツに着替えていて、弾いてないのに音がするので、録音だと分かった)、そしてイザイ、プロコフィエフ、イザイ、J.S.バッハシャコンヌで終わった。
よくありがちな音楽とダンスのコラボではなく、すべての動きに理由づけがある。佐藤が音を奏でている時に、柳本が小道具を動かす、歩き回る、動き回る、足音をさせる。コンサートの禁じ手をあえてやることで、こちら側の体がほぐれ、聴取する領域が広がる感じになった。
柳本は懐が深く、常に相手の身体を包容する、珍しいダンサー。佐藤はアンファン・テリブル。初っ端から圧倒された。何の留保もなく、才能がある、と言い切れる気持ちよさ。暗やみで(つまり暗譜で)弾く。柳本に引っ張られながら、柳本をころがしながら、柳本に抑えられながら、寸分の狂いなく弾く。シャコンヌは前半、形而上学を排した疾走する音楽、技巧の鋭さに神業かと思う。終盤シモテのライトが着くと、一瞬ミスタッチ、柳本が入ってくるとそれに向けて開いた演奏になった。つまり神業よりもコミュニケーションを良しとする弾き手なのだ。
柳本は佐藤の凄さを分かっているのだろうか。もちろん体で理解はしていると思うが。これほどの音楽で踊れるのは、柳本の人徳だろう。人間が人間と出会ったということ。