浄智寺・東慶寺・円覚寺@北鎌倉2016

北鎌倉に所要があり、そのついでに標記寺院に行った(6月5日)。浄智寺は、小津安二郎旧宅が近いという理由で行く(旧宅も探したが、分からなかった、目印の小倉遊亀宅までは分かった)。東に面しているため、西日が当たらず、苔むしている。上り坂をぐるっと回るコースができていて、道なりに行くと、茅葺のお堂、墓所(矢倉あり)、岩を穿ったトンネルなど、野趣に富んでいる。矢倉の傍に行くと、やはり妖気が漂う感じ。半日陰を好む植物が自生し、しみじみと湿気を味わった。
隣の谷古にある東慶寺は、観光地化している。入口の案内板で、哲学者や作家のお墓があることを知る。明治の廃仏毀釈まで駆け込み寺(尼寺)だったが、以降は男僧の禅寺となり、鈴木大拙と師の宗演が、禅を世界に広める拠点に変えたとのこと。苔むした墓所には、岩波茂雄西田幾多郎和辻哲郎小林秀雄神西清谷川徹三、野上豊一郎・弥生子、前田青邨などのお墓があった。和辻のお墓は木立に囲まれた小山になっていて、小さい石仏が絶妙の配置で置かれている(京都から持ってきたのだろうか)。小林のお墓は奥まった小さい一画にあり、年代物の五輪塔が墓標だった。花入れには紅花が手向けられ、水入れ(?)は苔そのものと化していた。石の表札に小林家と刻まれていなかったら、分からないぐらいの慎ましさだが、五輪塔の朽ち具合、苔の付き方など、厳しい美学を感じさせる。京都から持ってきたのだろうか。途中の坂には、平安時代風の石仏が、半身埋まって置かれていた。
円覚寺は西向きのため、明るい。時間の都合で、小津のお墓のみを目指した。鎌倉側の山の上の整然と仕切られた墓所にあり、立方体の黒御影石(?)に「無」と彫られている。驚いたのは、墓石の周りに、ファンが手向けたお酒、お水のボトルがぐるりと並び、タバコも置かれていたこと。小津が見たらどう思うだろう、あれだけ空間にこだわった監督なのに。同行の知人は、モダンな人だったからいいのでは、と言っていたが。