日本バレエ協会『ラ・バヤデール』2017

標記公演を見た(1月21日、22日昼夜 東京文化会館)。『ラ・バヤデール』の魅力は、ミンクスのロマンティックな音楽、人間の業を極限まで表現する女性主役2人、優柔不断な二枚目男性主役、シンプルで美しいバレエ・ブランと太鼓の踊りが同居する踊りの多彩さにある。改訂振付・演出は法村牧緒。主宰する法村友井バレエ団では、66年にスラミフ・メッセレル振付で『バヤデルカ』第三幕初演、86年にはキーロフ版を基に法村の演出で全幕初演、昨年には元ミハイロフスキー劇場バレエマスターのユーリ・ペトゥホフ振付で、新たに全幕を上演した。今回の版は、キーロフ版にボヤルチコフ=ペトゥホフのミハイロフスキー版を組み合わせ、法村が監修したものである。主な特徴は、幻影の場の後、ソロルとガムザッティの結婚式をラジャの館で行い、神の怒りで館は崩壊、最後は、生き残ったバラモンの高僧が悲劇を嘆くという結末にした点。神の怒りが高僧に及ばなかったのは、ソロルの誓いとは無縁だったという解釈だろうか。崩壊後にニキヤとソロルが冥界で結ばれる場面は、白いベールを上方に飛翔させる象徴的描写に変えている。場面転換の際、インド模様の幕が下ろされ、その前で行進が行われるのも面白い。高僧がニキヤに白いベールを掛ける場面が挿入されることで、一幕二場でのニキヤと奴隷のパ・ド・ドゥの意味が明らかになった。
一幕のガムザッティはヒール靴で登場。また一幕の巫女たちによる火の儀式は、通常よりも手の振りが慎ましく、古風な印象を与える。幻影の場のアラベスク入場も、現行ではアロンジェのところをパンシェで行ない、慎ましく楚々とした山下りだった。プログラムにはこの場面についての興味深い言及があった。ヴィハレフ復元版のリハーサルに参加していたニコライ・ツィスカリーゼが、自身のレクチャーで語った言葉―「影たちの登場の際のコンビネーションには、実はアラベスクの前にも、アラベスクの後にもグリッサードが入っていた。2つ目のグリッサードは体ごと180度向きを変えて行われた。そして両腕を3番ポジションに上げる過程は、現在マリインスキー劇場で行われているように1番ポジションを通るのではなく、2番ポジションを通っていた」(斎藤慶子 p.52)。上手く想像できないが、現在よりももっとアクセントが強かったのだろうか。さらに斎藤氏のエッセイ『「影の王国」2つのイメージ』には、『バヤデルカ』初演時は(太陽光の下のような)明るい照明があてられていた、といった記述もあり、我々の固定観念を覆すバレエ史研究の成果を知ることができた。
照明はバレエ・ブランの透明感に秀でた沢田祐二。影たちが洞窟から一人、また一人と出てくるにつれて、辺りは光を増してくる。全員(24人)が揃う場面では、まるで発光体のように銀色の光を発散させていた。通常よりも明るめの影の王国と言える。作品自体はどろどろとした嫉妬や裏切りのある悲劇だが、舞台は淡々と明るく、ダンサーたちもにこやかで楽しそうに見える。監修者の心持の反映だろうか。熱血アレクセイ・バクランが、ミンクスの魂が乗り移ったかのようなバレエ愛あふれる指揮で、舞台を牽引した。演奏はジャパン・バレエ・オーケストラ。


主役は3キャストが組まれた。初日のニキヤはベテランの酒井はな。一幕の瑞々しい愛の表現、激しいマイム、二幕の濃い情念のソロ、アクセントの鋭い花籠の踊りは言うまでもない。三幕幻影の場のパ・ド・ドゥでは、ダンス・クラシックに対する酒井の解釈が花開いた。いつもはパトスを秘めた暖かい体が、一気に引き絞られ、結晶度の高い透明感を帯びる。神々しいまでの霊性、円熟のクラシシズム。プティパ、N・レガート、チャブキアーニ、K・セルゲーエフの様式を理解し踊り分ける、クラシック・ダンサーとしての思考の深さがあった。ソロルは『ホフマンの恋』でも酒井と組んだ浅田良和。常に相手を注視する優れたパートナーであり、踊りのダイナミズム、男らしい演技に加え、役にふさわしいエレガンスを持ち合わせている。酒井とは恰好の組み合わせに思われる。
二日目マチネは瀬島五月と芳賀望。瀬島の持つ重厚な存在感は、ニキヤに合っている。初役なのだろうか、二幕ソロは予想よりもおとなしめだったが、終幕の結婚式の場、ソロルとガムザッティの間を割って入るトロワでは、持ち前の深い情念が迸った。花束を奪う激しさ、ソロルを弾劾する厳しさに、瀬島のニキヤ像が集約されている。対する芳賀は、純真無垢な戦士。その場で生きることを主眼とするダンサーのため、周囲も常に新たな局面に立たされ、観客も次はどうなるのか楽しみになる。所々、気弱な場面もあったが、一直線に進む芳賀の姿に魅了された。
二日目ソワレは長田佳世と橋本直樹。長田の音楽性、美しい腕使い、清潔な足捌き、そして誠実さが遺憾なく発揮された舞台。特に三幕の詩情、終幕のジゼルのような可憐な佇まいは、長田にしか出せない美点である。音楽をよく聞かせる心をこめた舞台は、いかにも長田らしい幕引きだった。パートナーの橋本も、可愛らしく初々しいソロル。相手の引退公演という緊張もあったとは思うが、カーテンコールに至るまでパートナーシップを発揮し、気持ちの良い舞台を作り上げた。
ガムザッティはそれぞれ、ゴージャスな美貌に行き届いた演技と踊りを見せた堀口純、箱入り娘そのままの無邪気な造形が自然だった法村珠里、確かな技術の馬場彩が勤めた。法村はスワニルダの時と同様、友人たちとの絆の深さを感じさせる。バラモンの高僧は、腹芸に存在感の増した小林貫太、パトスの漲る力強いマイムの敖強、やや人の好さが出たが端正なマイムのトレウバエフが好演。ラジャはノーブルな本多実男、妖しく肚の据わった冨川祐樹、大きく優雅な桝竹眞也と三者三様。全身でマイムする中弥智博のマグダヴェア、アイヤそのものの鈴木裕子、姿のよい村山亮の隊長(太鼓の踊りも)など、脇の演技も見応えがある。アレクサンドル・プーベルの黄金の神像、副智美の壺の踊りは、お手本のような完成度。幻影の場では、平尾麻実、戸田有紀、増原聖を始めとするソリスト陣が、美しいクラシックスタイルを披露した。太鼓のダイナミックな男性アンサンブル、ポアント音を立てないすっきりと揃った女性アンサンブルも、上演レベルを底上げしている。