セルゲイ・ヴィハレフを追悼する2017

マリインスキー・バレエの元ファースト・ソリストで、同団の指導者、ノヴォシビリスク・バレエの芸術監督を務めたセルゲイ・ヴィハレフが、6月3日、55歳の若さで急逝した。氏の功績は、舞踊譜によるプティパ作品の復元を本格化させたことにある。マリインスキー・バレエでの『眠れる森の美女』、『ラ・バヤデール』、『フローラの目覚め』、ノヴォシビリスク・バレエでの『コッペリア』(ボリショイ・バレエでも上演)、ミラノ・スカラ座バレエでの『ライモンダ』など。またフォーキンの『ル・カルナヴァル』、『バラの精』、『ポロヴェッツ人の踊り』の再振付も行なっている。
ヴィハレフを初めて見たのは1999年5月、平井凉子さんを中心としたバレエファン有志の会、T.T.プロジェクトによる「ヴィハレフ・セレクションズⅢ」の『ブルノンヴィルの風』だった(マリインスキー時代は映像のみ)。当時は分からなかったが、ヴィハレフはそのつい2週間前に、マリインスキー・バレエの『眠れる森の美女』復元版初日を迎えていたことになる。この復元版は幸運なことに、翌2000年の同団来日公演プログラムに含まれていた(招聘:ジャパン・アーツ)。
『眠り』復元版の価値を来日公演以上に知らしめたのは、T.T.プロジェクトが催した公演直前の記念レクチャーと資料展である。復元を担当したヴィハレフ、文献研究を担当したマリインスキー劇場新聞編集長のパーベル・ゲルシェンゾン、資料展の学芸員サンクトペテルブルグ舞台芸術博物館のエレーナ・フェドーソワが、レクチャーと質疑応答を行なった。
T.T.プロジェクトは続けて2003年にも「マリインスキー・バレエ展」を開催した。この時は、ロシア国立人文大学歴史文献学部教授でバレエ評論家のワジム・ガエフスキー、エレーナ・フェドーソワ、ヴィハレフが、レクチャーと質疑応答を行なった。テーマはマリインスキー・バレエのプリマバレリーナについて、『ラ・バヤデール』の復元、『コッペリア』の復元について。後日まとめられた記録は、バレエ史を考える上で重要な資料となっている。
その後、平井さん主催のヴィハレフ復元版の映像を見る会で、『ラ・バヤデール』(2002年)、『眠れる森の美女』(2006年再演)、『フローラの目覚め』(2007年)、『コッペリア』(2009年 ボリショイ・バレエ)を見る幸運にも恵まれた。

一方2000年代に入って、NBAバレエ団がヴィハレフを招いて公演を行うようになった。バレエ史家で世界有数のバレエ・コレクションを持つ薄井憲二氏との関係と推測するが、2005年の『コッペリア』上演前には、ヴィハレフと薄井氏による対談形式のレクチャーが、NBAバレエ団スタジオで催された。2007年には「バレエ・リュスの夕べ」としてワガノワ再振付『ショピニアーナ』、ロプホフ再振付『ポロヴェッツ人の踊り』に加えて、ヴィハレフ再振付『ル・カルナヴァル』、『バラの精』が上演された(演出は全てヴィハレフ)。
翌2008年には、ヴィハレフ再振付の『ドン・キホーテ』。マリインスキーからエフゲーニャ・オブラスツォーワを招いての上演は、19世紀バレエとはこのようなものだったのでは、と思わせる素晴らしさだった。音楽性と演劇性が拮抗したマイム(プティパもマイム作りの名手)、子役の適切な扱い、ドン・キホーテの文学的妄想の美しい視覚化。復元という縛りがないだけに、ヴィハレフの19世紀バレエへの深い認識が一気に解き放たれた気がした。これ以上の『ドン・キホーテ』はなく、再演を望んでいたのだが。2009年にはニジンスカの『レ・ビッシュ』(再振付:ハワード・セイエット)と共に、ヴィハレフ演出の『ショピニアーナ』、『ポロヴェッツ人の踊り』が再演された。2012年には『コッペリア』再演、翌13年にはフォーキンの『クレオパトラ』(再振付:アレクサンドル・ミシューチン)と共に、ヴィハレフ再振付『ル・カルナヴァル』と、『ショピニアーナ』、『ポロヴェッツ人の踊り』が再演された。
ヴィハレフの復元作品、再振付作品、レクチャー、質疑への応答により、19世紀バレエについて、バレエスタイルの変遷について、日本にいながら多くを学ぶことができた。平井さん、薄井氏の、ヴィハレフと共有する情熱のおかげだと感謝したい。以下は、ヴィハレフ版『ドン・キホーテ』の公演評である。

NBAバレエ団が昨年の「バレエ・リュスの夕べ」に引き続き、演出にセルゲイ・ヴィハレフを招聘、『ドン・キホーテ』を上演した。ヴィハレフはマリインスキー劇場で『眠れる森の美女』『ラ・バヤデール』を、ノボシビルスク・バレエで『コッペリア』を、昨年のマリインスキー国際バレエフェスティバルでは、プティパの一幕物『フローラの目覚め』を復元している。ブルノンヴィルに傾倒し、帝政ロシアスタイルに視線を届かせるヴィハレフが、技巧満載バレエと化した『ドン・キホーテ』をどのように料理するのか、興味深い企画である。


ゴルスキー版を基にした四幕構成の第一幕は、ドン・キホーテの書斎とバルセロナの広場、二幕は居酒屋、三幕はジプシーの野営地と夢の二場面、及び狩猟場、四幕は結婚式となっており、追加曲を最小限に留めている。


上演の条件や環境、すなわち音楽の主張がやや強すぎたこと(30分押し)と技巧を偏重する観客の拍手がブレーキになったものの、ヴィハレフの『ドン・キホーテ』は、ブルノンヴィル作品を想起させる十九世紀バレエの精緻な輝きに満ちていた。同作への既成概念を十二分に覆す革新性を帯びている。とくに一幕にその特徴が明らかだった。


登場人物のマイムが音楽的で美しい。さらにロレンツォの中村一哉を始めとする脇役、アンサンブル、子ども達が、様式的かつ生き生きとした演技を身に付けている。中でも子どもの扱いが素晴らしかった。野営地の人形劇も同様だったが、子どもと言えども一人前の舞台人としての立ち居振る舞いが要求されており、彼らは完全に虚構の中に入り込んでいる。これは舞台に立つ厳しさの彼我の差というより、ヴィハレフの子役へのヴィジョンが反映したと考えるべきだろう。復元版『眠れる森の美女』における一幕ワルツの子ども達を思い出した。


ドン・キホーテの妄想についても示唆的だった。書斎での騎士との戦いと夢の二場面だが、とくに夢の前半部が面白い。数匹の蝶が掛かった巨大な蜘蛛の巣の紗幕越しに、白い蝶の群舞が民族舞曲風の音楽で闊達に踊る。直後、これと呼応するように、サラセン人に捕らえられたドゥルシネア姫(人形劇の一団)が通りがかる。ドン・キホーテは姫を救い出し、騎士として最高の役目を果たすのである。


続くいわゆる夢の場面では、背景に海が拡がり、島とそれを跨ぐ美しい虹が見える。美術を含めたプロダクション・ノートがあれば、さらにこの演出についての理解が深まると思われるのだが。狩りにやってきた公爵一行は鬱蒼とした森の中に登場し、最終幕への自然な流れを作っている。


キトリには、昨年『フローラの目覚め』で主役を務めたマリインスキー劇場ソリストのエフゲーニャ・オブラスツォーワ。強烈な個性を発揮するタイプではないが、愛らしい生き生きとした表情で、素直な明るいキトリを造形する。サポート慣れしていない二日目のパートナー秋元康臣(初日は同じくバレエ団のサレンコ)に対しては、見守るように接していた。


一方秋元は、06年にボリショイバレエ学校を卒業したばかりのバレエ団期待の若手である。長い手足に柔軟な体、脚もよく開いており、一幕では驚くほど美しい肉体の軌跡を描き出した。ただ最終幕のソロは、正確なピルエット、美しい跳躍が並ぶものの、まだ役の踊りになっていない。この逸材がどのように開花するのか、今後に期待したい。


ドン・キホーテのグージェレフ、サンチョ・パンサ岩上純の真摯で熱い演技が全幕を支える。また、街の踊り子佐藤圭の本格的な踊りは、新しい主役ダンサー誕生を予感させた。アンサンブルのセギディーリャ、ジプシー、ファンダンゴが素晴らしい。ゲスト冨川直樹の情熱的な踊りと、クロフォードの演技が牽引力となった。


榊原徹指揮、東京劇場管弦楽団は、個々の曲に肉薄した音色豊かな演奏を聴かせたが、舞台を間延びさせた点が惜しまれる。(2月24日 ゆうぽうとホール) *『音楽舞踊新聞』No.2750(2008.4.1号)初出