新国立劇場バレエ団2004年公演評

標記公演評をまとめてアップする。

●『シンデレラ』


かつてない出来の『シンデレラ』。星の精は元より、四季の精、道化(吉本泰久、バリノフ)、宮殿の男女群舞、キャラクターに至るまで、アシュトンのきびきびとはじけるような振付を実現している。粗暴な姉イリイン、可愛らしい妹奥田慎也という自前の義姉たちが加わり、完全なレパートリー化が達成された。


新年の初日は酒井はなと山本隆之、半年ぶりのパートナーシップである。酒井は振付のすべてに自らの感情を行き渡らせる稀有なダンサー。四季の場のマイムや義姉たちとの和解の抱擁に、演技ではなく真の感情が込められていた。山本は『こうもり』三連続主演の影響か舞台上で故障。二幕ソロは省略したが終幕まで酒井へのサポートは揺るがなかった。主役級の故障降板が相次いでいる。ダンサーの肉体ケアや代役制度など構造的な改善が望まれる。


最終日は『くるみ』でも絶妙のコンビだった高橋有里と小嶋直也。小嶋のステージマナーは恐ろしく亭主関白だが、高橋がよく従って粗にはならない。高橋は一幕でけなげなかわいらしさ、二幕で相手を包み込むような情感を見せて、清潔なシンデレラを造型。小嶋は甘さに欠けるが、踊りは鮮やかだった。


管弦楽は音楽と踊りの両面に寄り添うガルフォース指揮、東京フィル。(1月10、12日 新国立劇場オペラ劇場)  *『音楽舞踊新聞』No.2627(H16.3.1号)初出

●『ロメオとジュリエット』 


マクミラン版『ロメオとジュリエット』、二年半ぶりの再演である。主役は四組。海外ゲスト二組は、初日のフェリとコレーラ(ABT)が完成された役作りでマクミラン版の手本を示す一方、急遽代役を務めたシオマーラ・レイエス(ABT)とマトヴィエンコは、自然な感情のドラマを形成して、好対照の舞台を作り上げた。ただシーズンゲストのマトヴィエンコについては、振付解釈が前回よりも深まっていない点に不満が残る。


国内のジュリエット、酒井はなと志賀三佐枝はともに初演組。酒井は前回とは異なり、爆発的な愛の物語よりも凄絶な拒絶と死を選んだ。パートナーの山本隆之とは兄妹のような同質の愛を築き、バルコニーシーンはまるでユートピアかと思われたが、それを上回ったのが三幕である。寝室でのロメオとの別れからパリスに対する拒絶、仮死の選択、そして死体に囲まれた中でのロメオへの後追い心中と、ジュリエットの枠を越える苛烈な感情の氾濫だった。前回のロメオだった森田健太郎のパリスが触媒になったのか、あらがうリフト、力まかせに押さえ込むデュエットに、物語の爆発があった。これはいびつなことである。だが、そもそも森田という存在感の強い踊り手をパリスにしたこと自体が変則的なのであって、そこに反応した酒井に責任はない。ロメオの短剣で腹を突く酒井の姿が、目に焼き付いて離れない。


故障から復帰した山本はエネルギーに満ちていた。ラインをよく意識した丁寧な踊りと、持ち前の豊かな物語性を発揮して、快活で暖かみのあるロメオを造型。サポートは確実で自然、会話のようだった。


初演と同じマトヴィエンコと組んだ志賀は、前回よりも演技が細やかで踊りも繊細になっている。ただパートナーに感情が向かうタイプではないので、マクミラン版よりも古典的な振付のジュリエットでより生かされたかもしれない。


バレエ団ではイリインのティボルトと修道士ロレンス(日替り二役)がずば抜けている。23日のロレンスは、ただ座って祈るだけで聖なる空間を現出させた。また楠元郁子のさっぱりと気持のよいキャピュレット夫人は、娘の死の場面で、すべてを理解した母の大きさを示した。真忠久美子の豪華で美しいロザライン、湯川麻美子の情の深い娼婦、ジュリエットの友人西山裕子とベンヴォーリオ奥田慎也の主役を見守る視線が、舞台を親密なものにさせている。またバリノフを中心とした「マンドリン」は、ラインの見えないピラピラの衣裳にもめげず、大きな踊りで連日観客を魅了した。


ただ、こうしたダンサーたちの健闘にもかかわらず、今季先行作の『マノン』や『シンデレラ』に比べると完成度がやや落ちると言わざるをえない。とくに一幕「街の広場」の群舞と殺陣は、演出家の要求レヴェルの低さを窺わせる。また悲劇の鍵をにぎるマキューシオの人物造型の曖昧さも、ダンサーの実力から言って、演出家に責があると思われる。


トワイナー指揮の東京フィルは、二週目から調子が上がった。青春の疾走感には欠けるが、劇場音楽らしい落ちついた演奏である。(4月16、17、23、24、25日 新国立劇場オペラ劇場)  *『音楽舞踊新聞』No.2637(H16.6.21号)初出

●『眠れる森の美女』


97年の開場記念公演以来三回目、三年ぶりの『眠り』である。マリインスキー劇場版として導入されたセルゲーエフ版は、99年に当のマリインスキーで復元版が上演されたため、その根拠を失ったかに見える。また伝統的なマイムを排したスピーディでモダンな演出は、現演出陣の傾向に必ずしも合致するところではない。にもかかわらず、今回初めて、この作品に新国立の命が吹き込まれたことを実感した。


主役は4キャスト。初日のザハロワとゼレンスキーは、優れた技術と身体性を駆使して、ロシアスタイルのすがすがしい魅力を発散させる。しかし、この日の真の主役は、リラの精の前田新奈だった。前田が登場するたびに、舞台の空気が変わる。単に善の精と言うだけではない、すべてを見通す奥行の深さがあった。プロローグのソロは、前田の解釈が完全に身体化された、気が横溢した、この日一番の踊りだった。


バレエ団のオーロラは、ヴェテランの域に入った酒井はなと、初役の厚木三杏にさいとう美帆。厚木はこれまでの舞台経験を十全に生かした、新国立主役デビューである。一幕の品格、二幕の情感、三幕の存在感と全幕を通してすばらしい。初日の勇気の精で見せた鋭角的な踊り(好演)からは想像もできなかった、甘い優しさに満ちている。とくに上体の気品は、英国ロイヤルスタイルを彷彿とさせる。中心であることの重みを引き受けた新プリマの誕生だった。パートナーの逸見智彦は、演技がやや硬いように見えるが(そういう役作りか)、二つのヴァリエーションは爆発的だった。従来の美しさと鮮やかさに、力強さと安定感が加わっている。絵になる二人だった。


一方のさいとうは、シーズンゲストのマトヴィエンコ(代役)が王子。一年前に研修所を修了したばかりのさいとうは、『シンデレラ』で主役デビューを果しているとはいえ、幕ごとにアダージョのあるタフな役を、終始笑顔でよく踊り抜いた。まだラインで見せるまでには至っていないが、今後の成長を見守りたい。


酒井の日はマクドナルドデー(半額の日)のため、20列目からの所見となった。一幕の酒井はおとなしめだったが、二幕ではしんしんと静まりかえるような幻のソロを、三幕では感情が圧縮された緻密なアダージョを見せて、「酒井のオーロラ」を完成させている。パートナーの山本隆之はりりしい王子。感情のこもったサポートはいつも通りのすばらしさだが、今回はダイナミックな持ち味をソロで生かすことができた。コーダの一致はこの二人ならでは。リラの真忠久美子は初役ゆえ、役の彫りこみはこれからだが、身体の魔術的な美しさで他を圧倒した。


青い鳥組では、西山裕子とバリノフがメルヘンらしい甘さを、高橋有里と吉本泰久が日本昔話風の素朴さで見せる。また西山の呑気の精と、奥田慎也の猫が、愛情に満ちた踊りで舞台を温め、豪華な銀の精寺島ひろみと、美しい王妃深沢祥子が華やかさを加えた。細やかな演技で定評のあるアクリのカラボスは、今回なぜかおとなしかった。


ワルツの子供たちのトウシューズは疑問、アンサンブルが犠牲になる。グルージン指揮東京フィル。(6月4、5、12、13日 新国立劇場オペラ劇場)  *『音楽舞踊新聞』No.2639(H16.7.11号)初出

●『くるみ割り人形


年末恒例の、そして今季のテーマ「プティパ・バレエの世界」の一環として『くるみ割り人形』が上演された。海外ゲスト一組にバレエ団から四組というにぎやかさだが、ゲストが三日間、あとはそれぞれ一日のみという日程がやや淋しい。マリインスキー劇場版として導入されたワイノーネン版は、全三幕を一人のバレリーナが踊りぬいて、最後にアクロバティックなアダージョ(王子がいながら、四人のカバリエにリフトされる)と、回転技の多いヴァリエーションが待つ、バレリーナにとってはタフな版である。マーシャの成長を、幕を追って見せる演技力も要求される。


全体を通して最も完成された役作りを見せたのが、高橋有里。シンデレラ同様はまり役である。よく詰められた演技と緊密な踊りは、豊かな感情に裏打ちされており、一幕のかわいらしさからチュチュでの貫禄まで、隙のない舞台だった。相手役の吉本泰久は、初めての王子役。ノーブルなラインをよく意識している。男らしいサポートにシュアな技術が特長で、さらに落ちついた情感が加われば申し分ない。


プリマとしての華やかさでは、初役の真忠久美子が群を抜く。ロココ調に合った上品な少女らしさ、二幕アダージョでの暖かみのある美しいラインは、他の追随を許さない。三幕のアダージョでは崇高ささえ漂わせた(途中、やや不安定な場面もあったが)。相手役の山本隆之とも相性がよく、特に二幕のアダージョで、二人が作り出す虚構のレヴェルは高い。山本は自らを捧げる王子。アダージョでのラインも美しい。ただパートナーに徹したのか、ヴァリエーションの精度に物足りなさが残った。


舞台としての調和が最も感じられたのが、西山裕子とトレウバエフの組。西山は少し引っ込み思案なマーシャだが、踊りになると、素直な音楽性が伝わってくる。トレウバエフも、西山をよく見守り、りりしいヴァリエーションを披露した。二人とも華やかさはないが、舞台が進むにつれて心がポッと暖かくなるような、クリスマスにふさわしい味わいがあった。


最終日は若手のさいとう美帆。かわいらしい外見にガッツのある踊りが特徴。一幕では先行者をよく研究した細やかな演技を見せたが、厳しい日程をこなしたせいか、磐石の踊りではなかった。相手役の逸見智彦も、美しいラインを見せながら、やや集中に欠ける。『眠り』での圧倒的なヴァリエーションの再現とはならなかった。


三回踊ったアリーナ・ソーモア(マリインスキー劇場)は、03年に入団したばかりの新鋭。少女らしくはあるものの、ゲストとしての芸術的貢献を果すレヴェルには見えなかった。相手役のマトヴィエンコも、前回の役作りより後退している。


演出は一幕の仕上がりがすばらしい。ドロッセルマイヤー(イリイン)の優美なマイム、フリッツとその友人(大和雅美、キミホ・ハルバート)の悪童ぶり、シュタリバウム夫人(湯川麻美子)の大らかさが、舞台に貢献している。また雪の精のコール・ド・バレエは、相変わらず精緻。ソリストの厚木三杏、寺島ひろみが伸びやかな踊りで、雪の透明感とスピードを表していた。ただ三幕ディヴェルティスマンは、男性陣の駒不足が原因か、適材適所とはならず、盛り上がりに欠ける。


管弦楽は、渡邊一正指揮、東京フィル。ワルツの軽快さ、グロースファーターの荘厳さに、身体的ともいえる喜びを感じた。(12月17、18、24、25、26日 新国立劇場オペラ劇場)   *『音楽舞踊新聞』No2654(H17.2.11号)初出