新国立劇場バレエ団2008年公演評

標記公演評をまとめてアップする。

●『カルメン


新国立劇場バレエ団が三年ぶりに石井潤振付『カルメン』を上演した。初演時にもすでにレパートリーとしての地力は予想されたが、今回の再演でこれが確認されたことになる。


石井版『カルメン』の特徴は、オペラにほぼ準じた構成にホセとカルメンの心象風景を挿入している点、全体を闘牛のモチーフで貫いている点が挙げられるが、今回改めて、これらを駆使する石井の緻密な演出手腕に驚かされた。物語上の現在と象徴的場面が、演劇的必然性を伴って織り合わされている。ただ、ロビン・バーカーのきめ細やかな選曲とは足並みを揃えているものの、美術とはコンセプトの共有がなく、さらに照明の主張が強すぎて石井の実験性や諧謔味が前面に出ないなど、コラボレーションとしての不満が残った。


振付のスタイルは役に即した多彩なもの。主役、ソリスト、群舞、および男女舞踊のバランスのよさが、全幕物の醍醐味をもたらす。最大の見せ場はやはり「花の歌」のパ・ド・ドゥだろう。直接的表現にのみ目が行きがちだが、カルメンの孤独の激しさと深さが痛切に刻まれた、優れたパ・ド・ドゥである。また街の男による闘牛士を象った踊りは、発声に依然として問題を残すものの、フラメンコと東洋武術の掛け合わせが面白い。


カルメンは四キャスト。そのうち三人のベテランが、それぞれ役作りに充実を見せている。初日の酒井はなは、自らのカルメン像を振付に反映させ、その上で肉体の変容を目指す、一種巫女に似たアプローチを取る。今回は初演時のようなエネルギーの爆発はなかったが、舞踊の原点に遡る貴重な方向と言えるだろう。


二日目の湯川麻美子は、その場で役を生きる演技派の正統的アプローチ。四人のうちで最もホセへの愛を肉体化させている。「花の歌」のパ・ド・ドゥでは、湯川のこれまでの人生がすべて動きに注ぎ込まれ、真実とまで言える表現に到達した。


最終日の厚木三杏は舞台の上で自由になれるプロのダンサー。舞台で死んでもかまわないと思っている風に見える。クリエイティヴなアプローチはバレエ団随一と言えるだろう。石井の振付を細部まで読み込み、十全に身体化する。厚木の描く「孤独を抱えながら誰にも束縛されない自由人カルメン」には普遍性があり、石井の作品世界もより明晰になった。


対するホセもベテラン三人が個性を発揮している。初日の山本隆之は踊りの質も向上し、磨き上げられたホセ像を見せる。ただ前回よりも酒井を受け止める度合いが狭まったため、一人芝居に見える部分があった。二日目のゲスト、ガリムーリンは、往年の切れは見られなかったものの、ホセのプロトタイプを示す円熟の舞台。湯川との呼吸も深く、唯一、愛の物語を現出させた。最終日の貝川鐵夫は厚木に匹敵する思い切りのよさが身上。平気で舞台に身を捨てることができる。踊りはあくまで正統派ノーブル系だが、そのギャップに魅力がある。


三日目に踊った若手二人は課題を残した。カルメンの本島美和は、解釈を身体化する方向をまだ見つけていないようだ。動きが動きのままで終わっている。様式性の獲得、ラインの彫琢という原点に立ち返るべきだろう。一方ホセを踊ったゲストの碓氷悠太は、恵まれた容姿と一定の技量を持つノーブル候補。途中からロミオのようになってしまったが、場数を踏めば有望と思われる。


カエラの真忠久美子、川村真樹、西山裕子、大湊由美(出演日順)もやはりベテランが個性を発揮した。中でも川村は華やかで大きさのあるプリマの踊りを見せる。大湊は時期尚早のデビューだったかもしれない。


スニーガの市川透は嫌らしさで独壇場、パスティアのイリインは登場するだけでドラマが立ち上がる。また街の男ソリストでは、吉本泰久の東洋的呼吸と切れ味鋭い所作が光った。男女アンサンブルは年末の『くるみ割り人形』に引き続き円熟味を感じさせる。大井剛史指揮の東京フィルも、初日こそ硬かったものの、舞台との呼吸もよく、ビゼーの魅力を堪能させた。(3月27、28、29、30日 新国立劇場中劇場)  *『音楽舞踊新聞』N0.2753(H20.5.1号)初出

●『白鳥の湖


新国立劇場バレエ団今季最終演目は、牧阿佐美版『白鳥の湖』。06年の初演以来一年半ぶりの再演である。牧版は、セルゲーエフ版本体にオデットが白鳥に変えられるプロローグを追加。終幕は同じハッピーエンドながら演出を変更し、さらに三幕にルースカヤ、四幕冒頭に王子の独白ソロが加わる。


プロローグと終幕の演出は依然として演劇的説得力を欠くが、全体の仕上がりが良く、特に一幕男女アンサンブル、二幕の白鳥群舞、三幕キャラクターダンスは、これまでになく生きいきしていた。「中学生のためのバレエ」を含め連続六日間、レヴェルを落とすことなくむしろ向上させて公演を終えた点に、十年を経過したバレエ団の成熟がある。


四キャストの初日は例によって海外ゲスト(ザハロワとウヴァーロフ、ボリショイ劇場バレエプリンシパル)だが、今回は日本人ダンサー三人の表現の違いに、考えさせられる点が多かった。日本人初日の川村真樹は初役。そのせいか白鳥では手足が縮こまり、長所の伸びやかなラインを見ることができない。だが一転して黒鳥では、コントロールされたラインが醸し出す輝かしい気品、踊りの正統的な美しさ、アチチュードで立つだけでふっと浮くような歴史的肉体が出現する。英国ロイヤル直系の姫役であり、同時に、酒井はなに並ぶ唯一のオールラウンド型プリマである。


二日目の寺島ひろみは スピーディ、スポーティにドラマティックが加わり、長足の進歩を遂げた。長い手足、ふくらはぎの筋肉、少し長めの胴が弓のようにしなり、音楽と一体化した力強い動きを繰り出していく。終幕では王子の貝川鐵夫、ロートバルトの冨川祐樹、指揮者のエルマノ・フローリオと四つ巴になり、破格のクライマックスを作り上げた。極めて意志の強い寺島の白鳥は、貝川の優しい王子とよく合っている。だがカーテンコールを含め、もう少し二人の共同作業も見せて欲しかった。


最終日、今季のトリを務めた酒井はこの十年間、第一線のプリマとして白鳥を踊り続けてきた。今回はその総決算とも言うべき、極めて完成度の高い白鳥を披露している。ただし、かつてのようなあの篠山紀信をかぶりつきに座らせた肉体の熱はなく、観客が体から自然に拍手をしてしまう霊的交感もなかった。劇場における酒井の位置付けの変遷を考えると、当然の結果と言えるだろう。


酒井の特徴は、バレエのパが完全に遂行されているのに、所謂「バレエ」に見えないこと、バレエという枠組みでは捉えきれない、ジャンルを超えた「踊り」そのものになっている点である。拍を刻まない独特の音取りや体幹の使い方と言った技術的なことよりも、舞台上での身体感覚や存在のあり方が、日本の伝統芸能に近い点に理由があると考えられる。


息を詰める座敷舞のような白鳥のアダージョ、花魁道中のようなマノン二幕の登場、道行きのようなオルフェオとのデュエットなど、身内がトロッとするような、日本の芸能が与える独特の感覚を、酒井の舞台から何度も味わってきた。さらに佐々木大と組んだ『ドン・キホーテ』では、巫女がトランスに入ったのと同じような破壊的なエネルギーを劇場に充満させている。世界(社会)を相対化させる劇場本来の機能に、最も貢献したプリマと言えるだろう。もう二度と篠山をかぶりつきに座らせるダンサーは現れない、酒井の静かに閉じた舞台を見て、そう思った。


三人のパートナーは、それぞれ中村誠、貝川、山本隆之。中村はノーブルな立ち姿とは裏腹にソロルの方が適役。ただ、いずれにしても体力、筋力の向上は必須だろう。貝川はおっとりした無垢な王子。登場するだけで場がなごむ。一幕ソロはまとまらなかったが、三幕ソロでは喜びが爆発、四幕は情熱的だった。酒井のパートナー山本は、第一舞踊手としての求心力がある。白鳥群舞をざわめかせる色気もこの人ならでは。


冨川の様式的でドラマティックなロートバルト、厚木三杏の鮮烈な大きい白鳥、中村の美しいスペイン、若手小野絢子のはじけるトロワが印象に残る。イリインの愛情深い家庭教師はやはり一幕の要。フローリオ指揮の東京フィルも、管のミスを帳消しにする重厚で体に残る音楽を作り上げた。


中学生とは別に二日間学生団体が入り、一般客に非常な忍耐を強いたが、中学生に対するのと同じ、適切な手当が必要だろう。(6月24、25、26、27、28、29日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2761(H20.9.1号)初出

●『アラジン』


新国立劇場バレエ団に老若男女が楽しめる魅力的なレパートリーが出現した。『アラビアンナイト』の一話として伝えられてきた『アラジン』である。構成・振付・演出はバレエ団次期芸術監督で、現ロイヤル・バーミンガムバレエ団芸術監督のデヴィッド・ビントレー。映画音楽で有名なカール・デイヴィスによる入魂の音楽に、創意あふれる舞台装置(ディック・バード)、美しい衣裳(スー・ブレイン)、マジカルな照明(マーク・ジョナサン)がスクラムを組んだ、高レヴェルの総合芸術である。


一見してビントレーの指導者としての力量は明らかだった。ダンサーのほぼ全員が、技術的にも表現的にもレベルアップしている。バレエの伝統的役柄に則った適材適所の配役で、久々にバレエ団全体が使い切られている印象を受けた。
明確な構成、演劇的で緻密な演出、優れた音楽性は、いかにもド・ヴァロア、アシュトンの後継者である。振付は前回の『カルミナ・ブラーナ』とは異なりクラシックスタイル。音楽に沿った自然な振付は、ビントレーの円熟を示している。


アシュトンへのオマージュ(ダイヤモンド)を含む宝石のディヴェルティスマンの完成度は高く、コンサートピースにできるほど。一方、結婚のパ・ド・ドゥと幸福のパ・ド・ドゥはストイックなまでにシンプルである。主役(特にプリンセス)に音楽性、様式性、演劇性を要求する試金石のような振付と言える。


主役のアラジンとプリンセスにはトリプル・キャストが組まれたが、今回は二人の新星が誕生した公演として記憶されるだろう。すなわちプリンセスの小野絢子と、アラジンの芳賀望である。


二日目を踊った研修所出身の小野は、新人ながら最も明確なプリンセス像を描き出した。清潔で伸びやかなライン、正確な技術、優れた音楽性、様式的かつ感情豊かなマイム、そして愛情あふれるユーモアのセンス。特に最後の属性は天から授かった最高の贈り物である。パ・ド・ドゥでは小柄ながら献身的な八幡顕光のサポートを得て、シンプルな振付を主役の輝きで満たした。


一方、三日目を踊った芳賀はやんちゃなアラジンそのままだった。つむじ風のようなピルエット、はじける跳躍、そして「ダイヤモンド」の振りマネの美しさ。舞台やパートナーへの献身性もあり、役柄は限定されるが、即戦力の主役である。


芳賀のプリンセス湯川麻美子は『カルミナ・ブラーナ』でも主役を務め、ビントレーの信頼が厚い。所謂姫役ではないが、役の感情を一つ一つ大切にし、丁寧な踊りで円熟味を見せた。一方、初日の本島美和は華やかな存在感が持ち味。ただ依然として人気が先行しており、今後は技術の向上、肉体(特に腕)の意識化もさることながら、主役として観客のために踊ることが求められるだろう。


初日のアラジンはプリンシパルとなった山本隆之。これまで王子役や『カルメン』のホセなど二枚目系統で優れた演技を見せてきたが、今回のやんちゃな役柄には自身今一つはまっていないようだ。珍しく役との隙間が見え隠れした。二日目の八幡は健気で真面目なアラジン。踊りの切れはあるが、もう少し役作りにゆとりが欲しい気がする。


魔術師マグリブ人のトレウバエフは様式美で、冨川祐樹は妖しさで、ランプの精ジーンの吉本泰久は高速の回転技で、中村誠は美しい肢体とエキゾティックな雰囲気で、物語の脇を固めた。特に中村は抜きん出た音楽性を示したエメラルド役と共に、究極のはまり役と言えるだろう。


サルタン役のガリムーリン、アラジンの母の難波美保は適役。ディヴェルティスマンでは、美しいシルバーの川村真樹、官能的なルビーの厚木三杏、ゴージャスなダイヤモンドの西川貴子が印象深い。


定評のアンサンブルも踊りが大きく勢いがあった。特に「砂漠の風」はこのバレエ団にしては珍しくエロティックなニュアンスを出している。ポール・マーフィ指揮、大編成の東京フィルも充実していた。(11月15、19、20日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2773(H21.1.1-11号)初出

●『シンデレラ』


新国立劇場バレエ団が二年ぶり六度目のアシュトン版『シンデレラ』をクリスマス上演した。前回公演はアシュトンのプティパ・オマージュが明確に伝わる批評性の高いパフォーマンスだったが、今回そうした振付のエッセンスは影を潜めている。星の精やマズルカ群舞の鋭いエポールマンによる人体のきらめきは消えてしまった。また、前公演『アラジン』のような演劇的な演出の痕跡もない。その代わりダンサー達は伸び伸びと明るく踊っており、指導者は芸術的な完成度よりレパートリーとしての安定感を目指したと思われる。ただし、5キャスト8公演の長丁場は波乱含みだった。


当初予定されていたアリーナ・コジョカルの代役ラリーサ・レジニナが初日の舞台で故障。第二幕で王子のヨハン・コボーがソロを踊って幕が降り、短い休憩を挿んで他日主演のさいとう美帆とマイレン・トレウバエフがパ・ド・ドゥから引き継ぐ一幕があった。


故障は避けられないが、最終日のアクシデント、馬車の横転は緊張感の欠如と言われても仕方がない。一つ間違えばけが人が続出する可能性もあり、何より物語上あってはならない事故である。


初日の短時間での代役交替は評価されるべきだろう。ただし観客への告知は表方の責任者が行なうべきだろうし、最終日、十数秒にわたって横転した馬車と呆然と立ち尽くす御者を観客の目に焼き付けたのは得策ではなかった。


シンデレラの4キャストはそれぞれの個性を発揮。ベテラン酒井はなは息の合ったパートナー山本隆之と共に、隅々まで心を込めた細やかな演技と踊りで、夢のような暖かい舞台を作り出した。


レジニナの残り二公演も代役したさいとう美帆(22日夜、23日昼夜のハードスケジュール)は、コボーとも自然なコミュニケーションを取り、きらきらと輝くシンデレラを造形、初役の寺島まゆみは、古典作品のような客席目線が気になったが、可憐で力みのない踊りが貝川鐵夫の優しい王子とよく合っていた。


最終日の西山裕子は最もアシュトン振付の可能性を明らかにしたと言えるだろう。室内楽のような繊細な音楽性、的確で自然な演技、妖精のような詩情が融合し、ダンサーとして円熟の境地に達している。とくに一幕が素晴らしく、マイム役者西山を見る喜びがあった。王子は同種の音楽性を有する中村誠。二幕で一瞬二人の音楽性が共有される瞬間はあったが、本調子でなかったのが残念。


義理の姉たちでは、姉役の保坂アントン慶のアンサンブルを見守る視野の広さが際立った。妹の初役高木裕次、ベテランの堀登とも呼吸を合わせ、物語の土台作りに貢献している。名父親役のイリインは残念ながら配役されなかった。


仙女のダブル・キャストは共に一長一短がある。初日の川村真樹はバレエの美そのもののヴァリエーションを見せたが、役作りに物足りなさが、一方の本島美和は役にふさわしい大きさはあるものの、踊りの精度に問題があった。


春の精小野絢子の清潔なポール・ド・ブラと優れた音楽性、冬の精厚木三杏の圧倒的な存在感と研ぎ澄まされたラインが印象的。吉本泰久、バリノフ、八幡顕光の道化三人組は献身的、伊藤隆仁のナポレオンは今回も期待を裏切らなかった。デヴィッド・ガルフォース指揮、東京フィル。(12月20、22、24、26、27日、新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2778(H21.3.1号)初出