新国立劇場バレエ団2009年公演評

標記公演評をまとめてアップする。

●『ライモンダ』


新国立劇場バレエ団が牧阿佐美版『ライモンダ』(全三幕)を上演した。ワシントン公演を含めると四度目の公演となり、バレエ団は振付をよく咀嚼、レパートリーとしての安定感が増している。


牧版の特徴は20世紀における古典改訂の主流、古典のシンフォニック・バレエ化を最大限に推し進めた点にある。マイムは極力排除、踊りで全編を綴り、主役によっては一大ディヴェルティスマンの様相を呈する。登場人物も『眠れる森の美女』のリラの精に相当する白い貴婦人を省略、さらには夢の場面でのアブデラクマンをカットするなど、恐らく世界で最もシンプルな筋書きと言える。


この夢の場のアブデラクマンは、ライモンダに、他の姫役とは異なる神秘性を付与する重要な要素である。それを省略する点に、改訂者特有の演出傾向を見ることができる。すなわち、女性主役の完全性、無謬性の強調であり、このことは同じ作者の『ア ビアント』改訂版、『椿姫』でも顕著だった。


シンフォニック化された『ライモンダ』はマイム不可欠のプティパ版から遠く離れているが、今回はオームズビー・ウィルキンスの緩急自在な指揮の下、東京交響楽団がかつてない演奏を行なって、牧版の美点を強調した。特に初日の音楽的充実は主役のザハロワによる感謝のレヴェランスからも明らかである。


ライモンダは四キャスト。初日を含め三公演を踊ったザハロワは、初役時に比べると格段に成長した。特に一幕アダージョでは堂々たるボリショイ・プリマの風格を見せつけている。


バレエ団では最終日に踊ったファースト・ソリストの川村真樹が、碓氷悠太(松岡怜子バレエ団ソリスト)という釣り合いの取れたパートナーを得て、持ち味を発揮した。アラベスクの正統的な美しさはバレエ団の中でも群を抜いている。一幕アダージョでは久しぶりにバレエの美そのものを味わうことができた。また、三幕ソロの澄み切った詩情も素晴らしい。ただしコーダは押しが弱く、今後はゴージャスな肢体にふさわしい精神性を身に付けることが望まれる。


同じくファースト・ソリストの寺島ひろみは、なぜかこれまでとは異なり、ダイナミックでスポーティな魅力を発揮する前に終幕を迎えた。唯一、アブデラクマン森田健太郎とのパ・ダクションに本来の姿をかいま見せている。ソリストの本島美和は、華やかな容姿と押し出しの良さを買われての主役起用。ただ純粋なクラシックダンサーとは言えず、古典主役は少し時期尚早だったかもしれない。


ジャン・ド・ブリエンヌは、ザハロワにマトヴィエンコ、川村に碓氷、寺島と本島に山本隆之(前者は貝川鐵夫がインフルエンザのため代役)。一幕アダージョには、うつ伏せになったライモンダを両手で高く持ち上げたまま後ずさりで入場するハードワークがあり、頭が下がる。マトヴィエンコは従僕のような献身性、山本はノーブルでソフトな味わい、碓氷は荒削りだがダイナミックな踊りで、それぞれのジャンを務めた。


アフデラクマンは森田と冨川祐樹。両者ともエキゾティシズムよりノーブルさが優る。リアルな衣裳と齟齬があり、改訂者にはもう少し明確なアブデラクマン像提示を望みたい。


脇役では西川貴子のドリ伯爵夫人がずば抜けていた。ライン一つで空気を変えることができる。アンドリュー二世王市川透との組み合わせも良かった。また、ワガノワの同窓 トレウバエフと西川によるチャルダッシュが素晴らしい。回転技を含む変形の男踊り、さらにはスパニッシュでも、トレウバエフのキャラクター魂が炸裂した。


クレメンス小野絢子の明晰な踊り、ヘンリエット堀口純の内的な踊り、スパニッシュ江本拓の鮮やかな踊りが印象深い。また移籍組、芳賀望の無心な踊り、古川和則の生き生きとした踊りが目を引いた。(2月10、11、13、15日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2782(H21.4.21号)初出

●『白鳥の湖


新国立劇場バレエ団が牧阿佐美改訂振付による『白鳥の湖』(06年)を再々演した。牧版は土台のセルゲーエフ版にプロローグを加え、三幕にはルースカヤを挿入、終幕はロートバルトが愛の力に打ち砕かれて湖に沈む演出を採る。今回はプロローグの王女と友人による踊りを削除し、終幕ロートバルトの演技にも手を加えて、物語の流れを分かり易くしている。また照明の明度が上がったのか、踊り、衣裳、美術がよく見えるようになった。


主役は4キャスト。初日を含めた3公演をザハロワとウヴァーロフのボリショイ劇場プリンシパル組、あとの3公演をバレエ団の寺島ひろみと山本隆之(「中学生のための公演」のため未見)、厚木三杏と逸見智彦、真忠久美子と冨川祐樹が担当している。


ザハロワとウヴァーロフは以前よりも互いを尊重し合うパートナーになりつつある。ザハロワはマリインスキーの伝統的解釈からもボリショイの様式性からも外れたところにいるが、本人の持つひたむきな愛らしさと美しい容姿でスターの輝きを放っている。ウヴァーロフにとっては狭い舞台なのだろう。力を出し切ることはないが、丁寧な踊りとサポートでザハロワを支えた。


厚木は初役。二幕は緊張からか体よりも頭が先に立ち、良いところを出せなかったが、三幕黒鳥からほぐれ、四幕は本来の姿に立ち戻った。厚木の才能は優れた振付解釈にある。コンテンポラリー、バランシン、創作バレエ、古典と、あらゆるジャンルにおいて振付家の意図を正確に理解し、それを最大限に膨らませることができる。振付の音楽的造形的な理想形が、恐らく瞬時に感得されるのだろう。終幕には厚木の個性ではなく、バレエ芸術とはかくあるべしという踊りを見ることができた。04年の『眠れる森の美女』でも共に優れた舞台を作り上げた逸見は、行き届いた踊りに愛情あふれるサポートで厚木を盛り立てている。


最終日の真忠は二回目の『白鳥』。一時よりもスタミナが付き、ヴァリエーションの不安定さも見られなかった。何よりも美しい白鳥である。おっとりした半ば無意識かと思われる踊りに、指揮者を始めその場の全員が魔法に掛かったように引き込まれる。永遠を含んだ独特の時間感覚は真忠にしかない個性。『カルミナ・ブラーナ』のローストスワンや『こうもり』のベラは究極のはまり役だった。あのローラン・プティにコール・ド・バレエから抜擢された逸話を成る程と思わせる、まさしくバレリーナの白鳥だった。パートナーの冨川は前回ドラマティックなロートバルトを演じたが、ノーブルな踊りと万全のサポートで真忠の美を生かしている。


ロートバルトは芳賀望が気の漲った踊りで舞台に貢献した。道化の吉本泰久、バリノフ、八幡顕光も例によって献身的。パ・ド・トロワでは、ベテラン西山裕子と若手小野絢子の音楽的でクリアな踊りが印象的だった。同じく江本拓は両回転トゥール・アン・レールを鮮やかに決めたが、髪の色が芳賀(トロワ時)共どもヤンキー上がりに見えたのが残念。また今回もトレウバエフがスペインとハンガリーで見事なキャラクターダンスを披露している。


同団の売り物であるコール・ド・バレエはこのところ若手を多く起用したこともあり、精度が落ちている。以前は若いエネルギーでそれを補っていたが、今回は明らかに志気が低下。残念ながらかつてのような輝きは見られなかった。


指揮は『ラ・バヤデール』で情熱的な音楽を紡ぎ出したアレクセイ・バクラン。今回も意欲的だったが東京フィルの状態が悪く、指揮者の足を引っ張る結果に終わった。(5月21、22、24日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2787(H21.6.21号)初出

●『ドン・キホーテ


新国立劇場バレエ団が13回目のシーズンを開幕した。牧阿佐美芸術監督の総決算の年である。開幕作『ドン・キホーテ』(改訂振付・アレクセイ・ファジェーチェフ)には、ゲストを含め5キャストが組まれた。


今季バレエ団は新たなフェイズに突入した模様だ。Kバレエカンパニーからのソリスト3名の移籍(長田佳世、芳賀望、輪島拓也)、チューリヒ・バレエで活躍していた福岡雄大の参入、バレエ研修所には実力ある男子生徒が複数入所した。既存バレエ団や系統の枠を越える、国立本来のリクルートが軌道に乗り始めたと言える。その結果、所属ダンサーにも実力本位の基準が共有され、観客のために踊る劇場人らしい姿勢がより徹底して見られるようになった。


5キャストのうち最大の収穫は、プリマとして立つべき川村真樹の成熟、福岡雄大という新しい男性スターの誕生、さらに芳賀望の活躍だろう。


川村は99年入団、『眠れる森の美女』、『白鳥の湖』、『ライモンダ』とゆっくり古典主役の道を歩み、輝かしい存在感を示してきた。さらに今年3月のサープ作品では、ダンス・クラシックへの批評的振付をゴージャスな踊りで難なくこなし、優れた振付解釈力を明らかにしている。今回のキトリ役では、懸念されたコミカルな演技を英国系の上品な細やかさで的確に行なって、オールラウンド型プリマとしての実力を発揮した。踊りはパのみで空間を異化できる究極の正統派。一幕アン・オーのアチチュードでは、バレエの歴史を一瞬にして凝縮してみせた。無意識のうちにバレエの規範と化した肉体の可能性は計り知れない。川村自身とバレエ団は、その才能を完全に開花させる義務がある。


一方、福岡のバレエ団デビューは、久々の男性スター誕生を意味した。ルックス、技術、パートナリングが揃った即戦力で、爽やかな魅力にあふれる。若手の筆頭、小野絢子とメヌエットで絡む場面では、バレエ団の明るい未来図さえも描き出した。


福岡がノーブル系バジルなら、芳賀望はやんちゃなキャラクター系。『アラジン』の主役を登録時代すでに踊っているが、つむじ風のような回転と矢のような跳躍は健在。「楽しくやろうよ」精神で、パートナーの川村をぐんぐん引っ張っていく。腕を使わないピルエットは圧巻。生命の躍動としての踊りを、初めて新国立の舞台にもたらした功績は大きい。


研修所二期生寺田亜沙子の主役デビューも、トレウバエフという安定感抜群、愛情あふれるパートナーを得て成功裡に終わった。少し硬くなってはいたが、おっとりした情感のある独自のキトリである。ラインも美しく透明感があり、何より観客に好感を抱かせるのが最大の強みと言える。


日本人初日の寺島ひろみは躍動感あふれる踊りが魅力。ただ少し先走り過ぎるのか、周囲とのコミュニケーションが空回りする。もう少し落ち着いた役作りが加われば、より美点が生きるだろう。パートナーの山本隆之はボリショイ劇場での大役を終え、ホームグラウンドでベテランらしい安定した舞台を見せた。ソフトで美しいバジルである。はまり役エスパーダには残念ながら配役なし。


最終日に福岡と組んだ本島美和は、チュチュでの様式性をよく意識してはいたが、やはりキャラクター色の強い一幕で持ち味が生きた。また初日のザハロワは、九月に行われた新国立劇場バレエ団ボリショイ劇場公演『椿姫』(振付・牧阿佐美)主演の感動そのままに、かつてない観客への奉仕と愛情に満ちた舞台で、オペラパレスとパートナーのウヴァーロフを興奮の渦に巻き込んだ。


バレエ団では市川透のロマンティックなドン・キホーテ、吉本泰久の献身的なサンチョ・パンサが初役ながらドラマの核となる。ロレンツォの小笠原一真も進境を示した。トレウバエフの正統派エスパーダ、それに応える厚木三杏の粋な街の踊り子と湯川麻美子の情念の色濃いギターの踊りが濃密なドラマを立ち上げる。またキトリの友人西山裕子と遠藤睦子の息の合った踊りはまさにバレエ団の歴史だった。森の場面では、少し甘さ控えめながら音楽的な厚木と、ボリショイ主演の輝きに満ちた堀口純が女王として君臨した。


大和雅美率いるセギディーリャとジプシーアンサンブルの切れのよさ、西山、小野、丸尾孝子率いる妖精アンサンブルの透明感がすばらしい。バレエへの愛情に満ちた情熱派アレクセイ・バクランの指揮に、東京フィルもよく応えていた。(10月12、13、15、17、18日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2801(H21.12.11-12号)初出

●『くるみ割り人形』新制作


新国立劇場バレエ団が12年ぶりに『くるみ割り人形』を新制作した。演出・改訂振付は芸術監督の牧阿佐美。長年ワイノーネン版を上演しながら自らの案を温めてきたのだろうか、初演にして完成された版である。


演出の最大の違いはクララと金平糖の精を別配役にし、プティパ=イワノフ版に近づけた点。二幕パ・ド・ドゥは伝統的な振付が採用された。ワイノーネン版の演出と雪の女王役を含む英国系の演出が違和感なく組み合わされているのは、牧の音楽性によるものだろう。現代の東京から始まる導入部、ブルーマンを従えた興行師風ドロッセルマイヤーは、東京所在国立劇場の新制作として納得できる趣向である。


牧版ディヴェルティスマンは魅力的だった。アラビア(エジプト?)男女の官能性、中国の華やかな男性パ・ド・シャ、トレパックの勇壮、葦の精の音楽的調和など創意に富んだ振付が続き、牧の優れた音楽性、動きへの新鮮な感覚が改めて認識された。


オラフ・フォンベックによる赤から青に転換する大広間や国々の風景、夜会や花のワルツの美しい衣裳、立田雄士による幻想的な雪の森や王子登場のマジカルな照明がすばらしい。バレエ団のモットー「クール&エレガンス」を象徴する空間作りだった。


配役はゲストなし、バレエ団が総力を挙げて取り組んでいる。上演順に、金平糖の精には小野絢子、川村真樹、寺島ひろみ、本島美和、さいとう美帆、王子は山本隆之、芳賀望、貝川鐵夫、トレウバエフ、クララには伊東真央、井倉真未、さいとう、小野、雪の女王は西山裕子、西川貴子、湯川麻美子、厚木三杏、堀口純。


ファースト・ソリスト二人を置いて初日を勤めた小野が、緻密で的確な解釈を示している。優れたパートナーであるベテランの山本を相手に、二幕冒頭の登場からパ・ド・ドゥのアダージョ、ソロ、コーダに至るまで、気品と愛情に満ちた踊り、立ち居振る舞いで一貫した。象徴的だったのが幕前のカーテンコールでクララを先に入らせたこと。主役はあくまでクララという物語の筋を貫いた。まだ少し理が優っており、肉体の余情や倍音を醸し出すには至っていないが、バレエ団の次代を担うに足る志の高さがある。


作品の頂点を成すチャイコフスキーの痛切なアダージョを最も観客に体感させ、さらにパートナーシップの妙味を示したのが寺島と貝川。音楽の中に入り込み、パートナーをエネルギーの渦に巻き込む寺島の才能は、貝川相手によく発揮されるようだ。


前公演『ドン・キホーテ』で優れた舞台を提供した川村は美しい踊りながら、この役にふさわしい暖かさや包容力の点で物足りなさを残した。一方パートナーの芳賀はピンポイントの音感と献身性に魅力があった。


雪の女王の振付は解釈を分けた。西山は優れた音楽性とアシュトン風の鋭角的な上体使いで雪片のきらめきを、湯川はゆったりとした大きな役作りで女王の風格を表した。共に自らの可能性の最終段階に辿り着いた円熟の境地である。クララでは伊東の自然な少女らしさ、小野の圧倒的な解釈が強い印象を残した。


ドロッセルマイヤーはまだ完成の途上にあるが、冨川祐樹は妖しさ、森田健太郎はドラマティックな音楽性で個性を発揮、逸見智彦と楠元郁子がエレガントで美しいシュタルバウム夫妻を演じている。フリッツ、トロル、くるみ割り人形、トレパックと八幡顕光が大活躍、スペイン古川和則の音楽的で味わい深い踊り、アラビア寺島のなまめかしい踊りが印象深い。またフランスの田舎娘風葦の精の寺島まゆみ、小村美沙、細田千晶トリオが息の合った回転技で観客を魅了、雪、花の両ワルツ・アンサンブルは格別の美しさだった。


演奏は大井剛史指揮の東京フィル。健闘した東京少年少女合唱隊にスポットライト無しは可哀相な気がする。(12月20、21、23昼夜、26日 新国立劇場オペラパレス)  *『音楽舞踊新聞』No.2809(H22.4.1号)初出