第3回「ブルノンヴィル・フェスティバル」2005

標記公演評をアップする。

ブルノンヴィルの生誕200年を祝うフェスティバルが、6月3日から11日まで、コペンハーゲンの王立劇場で開かれた。復元物を含めた11演目が上演され、最終日のガラ公演では、その抜粋とオペラからのパ・ド・ドゥやソロ等が、デンマーク・ロイヤルバレエ団によって踊られた。


最終日の客席に降り注ぐ花吹雪を、小型のデンマーク国旗にしたのは、芸術監督フランク・アンダーソンの気概だったろう。ブルノンヴィル作品は、19世紀の遺産(テクニックや作品構造)というバレエ史的側面と、デンマーク人が作り上げてきた国民バレエの両面がある。19世紀からレパートリーを持続させてきた、その一点こそ、デンマークでしか起こりえない奇跡と言える。


つつましく、突出することを望まないデンマーク人気質は、ダンサーのあり方を規定する。ブルノンヴィルのハードな足技に、困難を滲ませてはならない。終幕のレヴェランスは、あっさりと控え目。舞台を提供するのが当然の義務だと言わんばかりで、観客の拍手の多寡などには、目もくれない。自己表現を旨とする現代のアーティストには、耐えがたいような職人気質である。


フランス・ロマンティックバレエの影響を受けた『ラ・シルフィード』や、踊りを抜粋した『ナポリ第三幕』、『ジェンツァーノの花祭り』は、他国への移植が可能かもしれない。だが作品のほとんどは、演劇に近いマイム中心の作品形式である。バレエ学校(劇場内)の時代から頻繁に舞台に立つ環境、舞台人としての長年の蓄積がなければ、十全に作品を成立させることはできない。


重要なのは、子役、研修生、コールド・バレエ、ソリストプリンシパル、キャラクターと、ダンサーが踊り継いでいく過程をつぶさに見て、プリンシパルの美技よりも、キャラクターの献身的な演技に、より多く拍手をおくる観客の存在である。『ラ・シルフィード』のマッジや『民話』のトロルの弟を演じたリス・イエッペセン、『ナポリ』の僧や『コンセルヴァトワール』のムッシュ・ドゥフゥールを演じたポール=エリック・ヘッセルキルの献身的な演技に対して、劇場は拍手と床を踏み鳴らす足音で湧き返った。唐突だが、藤山寛美時代の松竹新喜劇を思い出した。観客が芸の質を知り尽くしているのである。


古い木の床の劇場で、大きいデンマーク人の中に埋まり、改めて、舞台は観客によって作られるということを認識させられた。観客(国民)に見合ったバレエ団が作られるのである。このことを象徴する興味深い出来事があった。


デンマークを遠く離れて』(因みに458回目の上演)で、ディヴェルティスマンのインディアンの首領を、ポーランド出身のマーチン・クピンスキーが踊った。豪快な開脚ジャンプに対し、デンマーク以外どの劇場でも聞くことができる賞賛の拍手が、一度起こった。そしてすぐに止んだ。誰も後に続かなかったのである。拍手をした人は恐らく外国人で、ブルノンヴィル愛好家ではなかっただろう。拍手くらいすればいいとも思うが、そうやってレパートリーは守られてきたのである。


この『デンマークを遠く離れて』や『コンセルヴァトワール』(全二幕)、『アマールの志願兵』といったボードヴィル・バレエを見ることができたのは大きな収穫だった。ブエノス・アイレスでのデンマーク海軍や、フランスのバレエ学校、デンマークの田舎の風俗が、当時の様式性と規範をもって描かれる。伝統芸能としての感触が強く感じられる作品群だった。


ダンサーでは、ブルノンヴィルの下肢の重さと粘りを最も体現しているジャン・リュシアン・マソ、若手のモルテン・エガート、ニコライ・ハンセンのパワフルな踊りに、ブルノンヴィルの男性舞踊を堪能した。女性では、江戸っ子のような切れ味のティナ・ヒュールンと、ディアナ・クーニ、愛らしいスザンヌ・グリンデルが印象に残る。ヒュールンのテレシーナ(ナポリ)とベアテ(民話)は絶品だった。グリンデルと日系のクリストファー・サクライが『ブルージュの大市』で見せたパートナーシップは、豊かな将来を感じさせる。


ブルノンヴィル作品のみを見る奇跡のような八日間は、瞬く間に終った。次回は2018年。チボリ公園でパントマイムを楽しむデンマーク人がいる限り、ブルノンヴィルは安泰に思われる。  *『音楽舞踊新聞』No.2672(H17.9.11号)初出【改訂】