新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』 2018

標記公演を見た(4月30日、5月3日昼夜、4,5,6日 新国立劇場オペラパレス)。06年初演より8回目、3年ぶりの牧阿佐美版『白鳥の湖』である。今回は一幕の優雅な男女アンサンブル、二・四幕の音楽的で磨き抜かれた白鳥アンサンブルが実現し、一瞬、牧時代が戻ったような錯覚を覚えた。土台となったK・セルゲーエフ版は、マイムを舞踊に変える音楽性重視の版で、牧自身の志向と一致する。一方、牧版最大の特徴は、高い技術と覇気を要求する三幕ルースカヤの超絶ソロ。主役・準主役級が配され、技を競ってきた。問題のプロローグは様々な変遷を辿り落ち着いたが、終幕ロートバルトの死に至る道のりは、依然として難所。四幕別れのパ・ド・ドゥの省略も、終盤を難しくさせる要因の一つである。P・カザレットの澄み切った美しい美術、沢田祐二の横ライトを駆使した照明が、モダンでクールな味わいを作品に付加している。
主役のオデット=オディールは、ベテランの域に入った米沢唯と小野絢子、初役の木村優里と柴山紗帆(出演順)。いずれも高い技術と個性の持ち主で、自らの本領を発揮した。王子はそれぞれ井澤駿、福岡雄大、渡邊峻郁、奥村康祐。こちらも考え抜かれた役作りとレベルの高い踊りで観客を魅了した。
初日の米沢は、その場を生きるタイプのため、これまで様々な白鳥・黒鳥を見せてきた。周囲を巻き込む磁場のようなオデット、ロートバルトの魔法に苦しむオデットなど。今回は全く異なる正攻法のアプローチだった。パの一つ一つを明確に、クラシックの立体的なきらめきを見せる楷書の手法である。長い手足を駆使する肉体がこれほど美しく見えたことはない。二幕の詩情、三幕のドラマティックなフェッテも新たな表現。これらを武器に、米沢本来のアプローチを実践するとどうなるのか、期待が膨らむ。対する井澤は、優れた身体美を生かす初役王子。スタイル習得の途上ながら、踊り、佇まいに、気品と華やかさがあった。
貸切公演(木村=渡邊)を挟み、二日目ソワレと千秋楽の小野は、円熟の舞台。振付の意味を考え抜くアプローチを完成させ、余裕すら感じさせる。二幕と三幕の踊り分けは身体の変化にまで及び、別人のごとく。優雅なフェッテも磨き抜かれた体ゆえの結果である。二幕の出会いには真実が、同じくソロの語りには胸に迫るものがあった。対する福岡もベテランの王子。全体を統率する大きさ、踊りの優雅さが素晴らしい。二幕アダージョでは二人の心が通じ合い、終幕ではドラマが立ち上がった。長年にわたるパートナシップの成果を見る思いだった。
三日目の木村、四日目の柴山は初役ながら、自分の持ち味を発揮している。木村は物語を細かく踊りに反映させ、柴山は正確なポジションから繰り出される美しい踊りに終始した。油彩画と水彩画の対照的な個性。木村は今後、踊りのフレーズを大切にして音楽に寄り添うことが、柴山はさらなる役の彫り込みが期待される。木村の王子 渡邊は優男の地で勝負、まだ王子のスタイルを身に付けるに至っていないが、一幕ソロは深い憂愁を帯びていた。柴山の王子 奥村ははまり役。王子らしい鷹揚な佇まい、丁寧な踊り(他役でも期待)、白鳥の中にいて自然。柴山をよく見守っている。
ロートバルトの貝川鐵夫は大きく華やか、小柴富久修は役を生きて、終幕の溺死を納得させた。道化は、場を暖かく包む福田圭吾、細かく気を使い、目の覚めるような美しいグランド・ピルエットを見せた井澤諒、悪戯っ子の小野寺雄。王妃の楠元郁子は情味のある円熟の芝居で、風格とユーモアを兼ね備えた家庭教師の内藤博と共に、一幕に厚みを加えている。パ・ド・トロワは3キャスト組まれたが、池田理沙子、柴山、木下嘉人が対話のような踊りを見せた。柴山の正確無比な踊り、池田のパッションが、木下の冷静な俯瞰力によってまとめられている。
トロワから、白鳥たち、キャラクターダンスに至るソリストたちを、ベテランの細田千晶、寺田亜沙子が牽引した。技術の高さ、姿形の美しさは言うまでもなく、バレエ団のスタイルを後輩に伝える役割を十二分に果たしている。ただ公演後半から終盤にかけてややスタミナの問題が浮上。もう少し次代を担う若手の抜擢があってもよかったのではないか。スペインでは川口藍、益田裕子、木下、清水裕三郎、ナポリでは池田、広瀬碧、原健太が組み合わせの妙を誇る。浜崎恵二朗のスタイリッシュなマズルカ、飯野萌子のふくよかなハンガリー、玉井るいの意志のある白鳥、寺井七海の大らかな白鳥が印象深い。
指揮のアレクセイ・バクランは今回、腰の重い東京交響楽団を相手に、これまでとは異なる音楽を聴かせた。グラン・アダージョがゆっくりめで、踊りが見辛かったのは初めて。何か思うところがあるのだろうか。東響の管の響きは素晴らしく、重厚な音楽に彩られた6日間だった。