小林紀子バレエ・シアター「シアトリカル・ダブルビル」 2018

標記公演を見た(6月30日 新国立劇場中劇場)。英国バレエの導入を活動の柱とする小林紀子バレエ・シアターが、「シアトリカル・ダブルビル」と銘打ち、ニネット・ド・ヴァロワの『チェックメイト』とフレデリック・アシュトンの『二羽の鳩』(全二幕)を上演した。前者は、戦争の影を背後に忍ばせた表現主義モダニズム作品、後者は『白鳥の湖』を援用した19世紀フランスバレエへのオマージュである。英国ロイヤル・バレエを築いたド・ヴァロワと、ロイヤル・スタイルを確立したアシュトンの、二人三脚を象徴するプログラムと言える。
チェックメイト』はアーサー・ブリスの台本・音楽、E・マクナイト・カウファーの美術で、パリ万博英国フェアの一環としてサドラーズ・ウエルズ・バレエにより初演された(37年 パリ・シャンゼリゼ劇場)。ブリスの音楽はストラヴィンスキーの原始的響きと英国民謡のペーソスを撚り合わせた力感あふれる作品。カウファーの直線を多用したモダンな背景と共に、20世紀初頭の時代色を感じさせる。ド・ヴァロワはチェスに通じていなかったとのことだが、歩の可愛らしく清潔な歩行、騎士の直線的力強さ(両手はグーのまま動かす)、僧正の重厚さ、ダンベルを持った城将の力自慢など、駒の性格が動きに反映されている。シンメトリー隊形が多く、捻りのない正面重視のクキクキした振付もチェスを意識してのことだろう。黒側は非情で強く、赤側は優しく穏やかに描かれる。黒の女王の人を人とも思わぬ怖ろしさと、赤の王の衰え、赤の女王の優しさ、赤の騎士の弱さとの対照が、当時の世界情勢の写し絵となっている。冒頭は「愛」と「死」がチェスをする情景で、ゲームは入れ子、赤の王が殺され(チェックメイト)、「死」が勝つという結末である。初演時にはアシュトンとアラン・カーターがチェスプレーヤーに配されている。アシュトンが「愛」だったのだろうか。
グラマラスな黒の女王初日は、若手の澁可奈子(二日目は萱嶋みゆき)。淑やかな性格なのか、容赦のない腹からの強さ、ゴージャスな存在感をまだ見せるには至っていないが、伸びやかで美しい体の持ち主で、抜擢に懸命に応えている。赤の第一騎士は、昨年マクミラン版『春の祭典』で入魂の踊りを見せた望月一真。今回も一直線の情熱、真っ直ぐな踊りで黒の女王に立ち向かった。赤の王は2回目の澤田展生、弱々しくひたすら怯える王を好演、廣田有紀の美しい妃に支えられている。真野琴絵、濱口千歩率いる赤の歩の可愛らしさ、清潔な足捌きは、同団の私塾らしい雰囲気を伝える。
『二羽の鳩』(61年)は、アシュトンがアンドレ・メサジェの楽譜をロイヤルオペラ・ハウスで見つけたことに端を発する。前年の『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』に続き、ランチベリー編曲による19世紀フランス・バレエへのオマージュと言える。ルイ・メラントの原典版(86年)は、18世紀のエーゲ海沿岸が舞台。貞淑なグルリに恋人のペピオが退屈を覚え、ジプシーの一団と旅に出る。アシュトン版との違いは、グルリがペピオの後を追い、ジプシーの頭領に頼んでジプシー女に変装する点。情熱的な踊りでペピオを夢中にさせる。カード賭博で一切を失い、嵐の中をさまよい、子どもたちに投げ輪で捕えられたペピオは、すごすごとグルリの元へ。頭を垂れて入り口に立つ彼を、グルリが抱きしめる。グルリ役ロジータ・マウリ(ハンセン振付『夢』ではダイタ役)の貞淑と奔放の両面が見どころで、ジプシー女のピツィカート・ソロではアンコールが起きたという(Cyril W. Beaumont: Complete Book of Ballets,1941,pp.508-12)。なおペピオはトラヴェスティで、マリー・サンラヴィーユが演じた。
アシュトン版はパリのアトリエが舞台。ボヘミアン画家の若者とその恋人がささいな喧嘩を繰り返す。そこに訪れたジプシーたちと共に、若者はアトリエを飛び出し、後は原典版と同じ。振付は、少女や友人たちの鳩まね、若者、ジプシー女、その恋人による黒鳥を思わせるトロワ、白鳥のような和解のアダージョなど、寓話に寄り添っている。一幕の少女とジプシー女による踊り合いは凄まじく、アシュトンらしい火花の散るような足技の応酬に見応えがあった。
少女の島添亮子は若者への悪戯に、無邪気なコケットリーよりも、しっとりした和風の恥じらいを滲ませる。和解のアダージョは素晴らしく、音楽が体から流れ出るような繊細な音楽性を披露した。若者のアントニーノ・ステラ(ミラノ・スカラ座バレエ)はマイムが雄弁、心得た芝居と規範に則った踊りで、物語を生き生きと牽引した。ジプシー女の萱嶋みゆきははまり役。若者を翻弄する濃厚な演技、火のような情熱が迸る踊りを掌中に収めている。冨川直樹の男らしい演技、上月佑馬の鮮やかな踊り、村山亮の美しい踊りも印象深い。
ポール・ストバートの指揮は、劇場の匂いあり。特にブリスの音楽では舞台との濃密な一体感を感じさせた。演奏は東京ニューフィルハーモニック管弦楽団