7月に見た振付家・ダンサー 2018 ブルメイステル/柳下・藤井/ショルツ/ブルジョワ

7月に見た振付家・ダンサーについて、短くメモする。


ウラジーミル・ブルメイステル @ 東京バレエ団白鳥の湖(7月1日 東京文化会館
ブルメイステル版『白鳥の湖』は1953年モスクワ音楽劇場で初演。パリ・オペラ座ミラノ・スカラ座でも上演されている。その特徴は、音楽構成を原曲になるべく戻し、一貫したドラマトゥルギーを目指した点にある。新発見曲やパ・ド・シスの使用は、当時衝撃的だったのではないだろうか。オデットが白鳥の姿に変えられるプロローグ、人間に戻る終幕も、現在では一演出として定着しているが、驚くべき発想だったに違いない。
今回最も印象に残ったのは、演技部分がマイムではなく、リアルな芝居によって行われている点。さらにヴァリエーション曲を、舞踊ではなく演技に充てた点である。マイムは20世紀に入って排除される傾向にあり、旧ソ連では絶滅の危機に瀕していたが、伝統を重んじる英国で保存され、またデンマークでもフレンチ=デイニッシュ・スタイルのマイムが残されて、バレエの一要素としての命脈を保っている。ブルメイステルはスタニスラフスキーを信奉しており、演技部分がマイムではなく芝居になるのは当然だが、演技と音楽の間に乖離が生じるため、古典作品としては少し違和感が残る。振付自体も音楽的というより演劇的(モダンダンス風のフォルムも使用)。同版を導入した斎藤友佳理監督も、演劇的傾向にあるのだろう。最後は、オデットが湖に身を翻した瞬間、火花が散り、波にもまれていた王子がオデットを抱いて湖から上がってくる感動的な幕切れ。スカラ座と演出が異なるのは、斎藤芸監が原点回帰を目指したということだろうか。スタニスラフスキーはヨーガを演技術に活用している。セルゲイ・チェルカッスキー著、堀江新二訳、『スタニスラフスキーとヨーガ』(2015、未来社)は、演技とは何かを考える上で示唆的だった。
オデット=オディールは沖香菜子。悲劇(今回は悲劇ではないが)であっても、陽性の踊る喜びが迸る。腕を伸ばす、アラベスク・パンシェをするだけで、生き生きとした清潔なエネルギーを放射する。黒鳥は目力があり、美しい体には気品が備わっていた。王子は宮川新大。沖とは無垢なパートナーシップを築く。スタイルとサポートはこれからだが、踊りに(やんちゃ系の)エネルギーが漲っている。道化は池本祥真。左右色違いの衣裳が脚の美しさを際立たせた。ワレリー・オブジャニコフ指揮、東京シティ・フィル。(第二幕をグーセフ改訂からイワーノフ原振付に戻したとのことだが、マイムは省略されている。)


柳下規夫×藤井利子 @ 東京新聞 第45回 「現代舞踊展」 (7月7日 メルパルクホール
師弟コンビが共演したのではなく、柳下は自作『ざわめく森』、藤井は上原尚美作品『何も』で踊った。柳下はいつものヘラヘラ顔を封印して、本来の貴種としての特権的肉体を浮かび上がらせた。頭には王冠のようなもの。斜め前方を刺す動き、アティチュードの一つ一つが、美しいフォルムへと昇華する。コロスの女性7人は、花や草綱を被り、葉脈を模したドレス、その上に薄衣を纏っている。いつもは柳下を柔らかく包む母性的存在だが、今回は手をヒラヒラさせ激しい身振り。ピンクの女性が柳下と関わり、衰弱する王を最後に征服した。前衛風の音楽が、ある種時代の匂いを醸し出す。どこを切り取っても柳下の世界だった。一方藤井は、上原のポストモダンダンス風振付を、5番の脚、エポールマンを備えた美しい体で塗り替えていく。正面重視のフラットな日常的身振りにもかかわらず、物語的ニュアンスが否応なく滲み出る。動きの立体性、感情の奥行に、藤井の肉体の歴史を思わされた。


ウヴェ・ショルツ @ 東京シティ・バレエ団 「ウヴェ・ショルツ・セレクション」 (7月8日 ティアラこうとう 大ホール)
演目は、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲に振り付けた『オクテット』(87年チューリッヒ・バレエ、17年団初演)と、『ベートーヴェン 交響曲第7番』(91年シュツットガルト・バレエ、13年団初演)、ショルツ30歳と34歳の作品である。『オクテット』の方が茶目っ気や実験性が濃厚ながら、共に、音楽と踊りの繰り返しが喚起する懐かしい喜び、カノンの爽快感にあふれる優れたシンフォニック・バレエである。『オクテット』では、いきなりアラベスク、いきなりポアント、いきなり倒れる、が目立つ。こうしたアスレティックな要素に、優雅で伸びやかなライン、細やかな腕のニュアンスを融合させ、独自のネオクラシック・スタイルを築いている。清水愛恵の晴れやかで美しい体、石黒善大を相手に踊る岡博美の濃密なドラマ性(アンナ・カレーニナ風)、沖田貴士の二カッと笑う二枚目半ぶり、濱本泰然の名前通りのロマンティックスタイルが印象深い。
『ベート―ヴェン 交響曲第7番』は3回目。やはり、いきなり動き、カノンが多用されるが、音楽の大きさに従ったより壮大でダイナミックな作品。スピーディな走り込み、後ろ向きの隊形、光を中心に円陣を組むスピリチュアルなフォーメイションなど、全ての動きがショルツの体を通過した音楽から生み出されている。二楽章 志賀育恵の半眼でのデヴェロッペが素晴らしい。その気迫と美しさ。志賀の体だけ画素数が違って見えるほど、意識化された緻密なラインだった。佐合萌香の湿度の高いしっとりした体、中森理恵の華やかさ、キム・セジョンの無色の献身的サポート、松本佳織の音楽性、高井将伍の懐の深さなど、ソリスト陣の個性とアンサンブルのエネルギー、さらに、井田勝大率いる東京シティ・フィルの生き生きとした演奏が一体となった充実の再演だった。ゲスト指導者は、ジャヴァンニ・ディ・パルマ、木村規予香、ヴィスラフ・デュディック。



ファブリス・ブルジョワ @ 京都バレエ団 『LE REVE “夢”』 (7月27日 ロームシアター京都 メインホール)
ブルジョワパリ・オペラ座バレエ団メートル・ド・バレエ。長年フランス派スタイルを導入してきた京都バレエ団(旧有馬龍子バレエ団)には、『ドン・キホーテ』(12年、16年)と『ロミオとジュリエット』(15年)を振り付けている。装飾音符のような細かい足技、内側から滲み出る自然なマイムは、まさにフランス派そのものだった。
今回取り上げる『夢』は、1890年パリ・オペラ座で初演されたジャポニズム・バレエ。日本の村を舞台に、幻想シーンを加えた二幕三場からなる作品である。配役は、主人公のダイタにロジータ・マウリ、兄のアマニシにインヴェルニッツィ(異性装)、女神イザナミにトッリ、婚約者のタイコにミシェル・ヴァスケス、領主サクマにハンセン、ケッショにブリュク。娘たちと対になる若者たちは異性装女性、漁師たちは男性が踊っている(平林正司著『十九世紀フランス・バレエの台本』2000年、慶応義塾大学出版会 同書によれば、初演は国立音楽アカデミーとの表記)。ジョゼフ・ハンセンの原振付は残っていないため、ブルジョワが全振付を担当。1時間20分(全楽譜では2時間)の上演時間を40分に短縮し、大勢を占めるマイムシーンを舞踊に転換させた(WEB『マダムフィガロ・ジャポン』2018.6.25)。
音楽構成はブルジョワと、パリ・オペラ座バレエ団ピアニストのミシェル・ディエトラン(ピアノ編曲・演奏も)。ディエトランはある日のリハーサル室で、ブルジョワに「レオン・ガスティヌルの『夢』の音楽を、資料室で調べてくれないか?」と頼まれた。その前にブルジョワは、京都バレエ専門学校教授でバレエ史家の薄井憲二氏から、『夢』復元への情熱を聴かされている(残念ながら薄井氏は昨年12月24日に逝去)。ディエトランは800頁の楽譜を手で書き起こし、ブルジョワと話し合いながら6ヶ月かけて30頁に縮める。主人公の婚約者タイコの「失望のヴァリエーション」と最後のパ・ド・ドゥは、ディエトラン自身が作曲した。音楽にはパ・ド・ドゥがなかったという(公演プログラム)。公演でピアノ演奏を担当したディエトランは、3場を挟む2つの間奏曲、最初は夢のような、二つ目は朝を迎えるような音楽で、清潔なピアニズムを披露した。
幕が開くと、カミテには茶屋、その奥に松の木、シモテには縁台、背景は海で小島に弁財天が祀られている。初演当時評判となった機械仕掛けの巨大扇は、照明を使用、表は赤と黄色、裏(青海原の幻想シーン)は水色と紫で彩られている。衣裳は短い着物にズポン、当時のポスターに描かれたダイタの打掛姿も見ることができる。弁財天の旗持ち少女たちは後頭部に歌舞伎の隈取風お面を掛けているが、どういう理由か。領主サクマの衛兵が忍者風であるのもジャポニズム的だった。
物語は、村一番の美人で野心家のダイタが、領主サクマに気に入られ、婚約者のタイコをないがしろにする。イザナミは夢(幻想シーン)でその結末をダイタに見せる。夢から醒めたダイタは改心し、タイコと和解のパ・ド・ドゥを踊る。ブルジョワの演出・振付はこれまで同様、物語性重視だった。舞台上の全員が生き生きとした演技を見せる。マイムも多用、踊りはソリスト、アンサンブルを問わず、全て物語と結び付いている。村娘と漁師たちの振付が素晴らしい。弾けるような足技、古風なアンシェヌマンが19世紀の匂いを醸し出す。さらに、一つ一つの踊りがテクニックに留まることなく、感情を伴った言葉へと昇華していた。青波の女神たちの淑やかなスタイルにも、ブルジョワの薫陶を見ることができる。
主役のダイタにはパリ・オペラ座プルミエール・ダンスーズのオニール八菜。クールな美貌、涼やかなライン、きらめくオーラは、ダイタの野心を示すに十分だった。タイコはエトワールのカール・パケット。踊りは全盛期とは言えないが、振付解釈の深さはエトワールとしての長い経験を思わせる。失望のヴァリエーションでは、一気に濃密なドラマが立ち上がった。オニールを大きく包むサポートも同じ。和解のパ・ド・ドゥは、オニールの解釈がさらに深まれば、胸を打つ終幕となるだろう。
同時上演は、ラコット復元振付『パキータ』第2幕よりと、ブルジョワ改訂振付『ラ・バヤデール』第2幕より。ベテランの陳秀介(ラジャ)、藤川雅子(イザナミ)、高橋弘典(ケッショ)、若手の北尾優香(パキータ)、里帰り組の西岡幸輝(ブロンズ・アイドル、漁師)、鷲尾佳凛(サクマ、リュシアン)、またアカデミーの荒井玲那、中村理寿、菊岡優舞等が活躍。特に西岡のノーブルなブロンズ・アイドルは公演全体の華だった。