新国立劇場バレエ団 『くるみ割り人形』 2018

標記公演を見た(12月16日昼夜, 21日, 22日昼夜, 24日 新国立劇場オペラパレス)。昨年初演のイーグリング版『くるみ割り人形』は、少女クララの成長譚という点でワイノーネン版を踏襲している。そこに英国系の細やかな演劇性を加え、兄妹愛、家族の絆を強調した。プロローグの雪の窓辺に座るフリッツとクララ、二人が雪明りのなかで振り向く終幕(子守唄のメロディに変更)が印象深い。グロスファーターでは祖父母の杖と補聴器が、踊るうちに父母に渡り、さらにフリッツも加わることで、世代の継承、家族の絆が視覚化される。客人たちと一緒に塊になって踊るユニゾンには、胸が熱くなった。
振付は高難度。主役、ソリスト、アンサンブルに至るまで複雑なパートナリングが要求される。今回は初演時よりも、振付が体に入ったパフォーマンスだった。切れの良いカノンがあらゆる場面で顔を覗かせるのも特徴。花のワルツの一団がフィナーレで見せる道連れフォーメイション、縦一列の男性が走り込む女性を次々に押しやり、すぐさま直立不動になる奇天烈なカノンが楽しい。
主役は4組(出演順)。小野絢子と福岡雄大は長年のパートナシップで安定感ある舞台。小野は音楽的で繊細な踊り、福岡は覇気あふれる鋭い踊りでベテランの責任を果たしている。米沢唯は再び井澤駿と。一幕パ・ド・ドゥでは暖かい光の粒子が拡がり、二幕パ・ド・ドゥは和風のしっとりとした踊りだった。米沢の、周囲を肯定し、じんわりと客席を温める地に付いた祝福、井澤の別世界に跳び込むようなマネージュとグランド・ピルエットに、迷いのない晴れやかさを感じた。
木村優里は渡邊峻郁と組み、意志のある踊りを見せる。ダイナミックなラインには爽快感があった。渡邊は優しい二枚目ぶりに、繊細で勢いある踊り。パ・ド・ドゥは渡邊がカヴァリエとして尽くすスタイルだが、もう少し二人で踊ってもよい気がする。池田理沙子と奥村康祐は清々しい舞台。二人の呼吸が同じ世界を築いている。池田は踊りが伸びやかになり、王子役を心得た奥村が全身でそれを受け止めていた。
ドロッセルマイヤーはピアノを弾き、ディヴェルティスマンを指揮する。ホフマンの音楽家としての側面を投影した造形。貝川鐵夫は愛情深く少しコミカルなおじさん、ピアノを弾く姿が楽しそうだった。中家正博はホフマンのダークな味わいを、美しいスタイルで見せる。手の動きが魔術的だった。
ねずみの王様は、渡邊、奥村、井澤、木下嘉人が配され、いずれも弾けた踊りだった(木下はやや端正)。振付の面白さもさることながら、被り物そのものが楽しいのかもしれない。井澤はやはり団十郎系の歌舞伎振りだった。
クララの姉ルイーズは、二幕で超絶技巧の蝶々を踊るため、テクニシャンが選ばれている。細田千晶の涼やかさ、池田の可愛らしさ、奥田花純の元気(中国も)、柴山紗帆の端正。シュタルバウム夫妻は、中家と関晶帆のスタイリッシュ組、貝川と本島美和の長年連れ添った愛情組だった。本島が姿を見せるだけで関係性が生まれる。深い役作りをしてきた蓄積ゆえだろう。また郄橋一輝が祖父役で人生の深みを、老人役では、老人がねずみの王様を劇中舞踊として踊るという二重の虚構を身体化している(本島とはマッジ組)。
ソリストでは、新加入の青年役 速水渉悟が、明確なエポールマン、力強いバットリー、美しい回転で鮮やかな踊りを披露。本島の美しいアラビア、渡辺与布の妖艶なアラビア、福田圭吾の側宙入り華やかロシア、原健太の機嫌のよい詩人、浜崎恵二朗のノーブルな花のワルツ、小野寺雄のやんちゃなスケーターが印象に残る。またスペインの廣田奈々が抜擢によく応えた。8人のアラビア男性奴隷(宇賀大将、小柴富久修、清水裕三郎、趙載範、中島駿野、福田紘也、樋口響、渡邊拓朗)は体をよく鍛え、縁の下の力持ちを粛々とこなしている。
雪、花ともにアンサンブルは生き生きとしている。ワイノーネンをバージョンアップした雪の振付(アラベスクから反転を繰り返す退場シーン)、躍動感あふれる花の振付の魅力が伝わってきた。
アレクセイ・バクラン指揮、東京フィル、東京少年少女合唱隊(バルコニーに移動、退場の際ライトアップが欲しい)は穏やかで温かい演奏。家族愛を描いた舞台と呼応している。