マリインスキー・バレエ2018

マリインスキー・バレエが3年ぶりに来日公演を行なった(11月28日〜12月9日 東京文化会館大ホール)。前回同様、ファテーエフ芸術監督の美意識が行き渡っている。繊細で美しい女性ダンサー、役への細やかなアプローチ、創作時のスタイルに沿った踊り方など。これまでは何を踊っても同じスタイルに見えたのが、作品ごとにアプローチを変えている。いわゆる西欧化とも言えるが、古典に関してはプティパの館にふさわしい変化に思われる。故ヴィハレフは振付のみを復元したのではなく、踊りのスタイルも先祖返りさせようとした。オブラスツォーワを好んで使ったのも、同じ理由からである(現在はボリショイ風になっているが)。こうしたファテーエフの改革は、ツィスカリーゼによるワガノワ・バレエ・アカデミーの改革とも連動しているように見える。
ドン・キホーテ』は日本では22年ぶりとのこと。オリガ・マカーロワによる作品解説(プログラム)が現行版までの道筋を詳しく語っている。ゴルスキー版なので他団と大きな違いはないが、ベリーダンス衣裳の「東洋の踊り」(振付:アニシーモワ)が珍しい。また街の踊り子が床のナイフを縫って踊る場面の、装飾的な体の切り返しにも驚かされた。演出は演劇性重視、街のアンサンブルはもちろん、森のアンサンブルにも温かい血が通っている。セギーリア、ジプシー、ファンダンゴ、それぞれのキャラクターダンスを楽しむことができた。
キトリのシャキロワ(11/29)は、回転、跳躍とも素晴らしく、溌剌としている。クリサノワを明るくした感じのダンサー。バジルのアスケロフは超絶技巧ではないが、大きくおっとりとシャキロワを見守る。街の踊り子のコンダウーロワは至芸。立っているだけで婀娜っぽかった。花売り娘の石井久美子は踊りで見せるタイプ。アクセントが明確で、粋にきっちり踊る。街の踊り子でもよかったほど。レプニコフ指揮のマリインスキー歌劇場管弦楽団も素晴しい。カスタネットの鋭さ、活きのよさは破格だった。
『マリインスキーのすべて』は二日目(12/3)。第1部が『ショピニアーナ』(振付:フォーキン 改訂振付:ワガノワ)、第2部は「マリインスキーの現在」と題し、『眠れる森の美女』よりローズ・アダージョ(原振付:プティパ 改訂振付:K・セルゲーエフ)、『ソロ』(振付:ファン・マーネン)、『海賊』第2幕のパ・ド・ドゥ(原振付:プティパ)、『バレエ』101(振付:エリック・ゴーティエ)、『別れ』(振付:ユーリー・スメカロフ)、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』(振付:バランシン)。第3部は『パキータ』よりグラン・パ(原振付:プティパ 復元振付・演出:ユーリー・ブルラーカ)。
作品で最も印象的だったのは『ショピニアーナ』である。柔らかい上体に優美な腕使い。全員が音楽をよく聴き、一体となって踊っている。フォーキン、バランシンにも見られる民族舞踊的な腕繋ぎが、真円を描いて明確だった。主役のオスモールキナは風格のあるキーロフ・ダンサー。対してファテーエワは古風な舞姫、時代を遡る踊りだった。
一方ブルラーカが復元した『パキータ』は、アダージョの左右両回転、床に絵を描くような足捌きなど、十九世紀の香りが漂う。ヴァリエーションも主役級ソリストが技を競う華やかさ。主役のコンダウーロワは貫禄の踊り、イリューシュキナ、ホーレワは繊細で可愛らしく、バトーエワは格調高い踊りだった。
プログラム全体を通して最も鮮烈な印象を与えたのは、『海賊』の永久メイとキミン・キムの日韓ペアである。永久の繊細で気品ある佇まい、絶えず微笑んでいるような慎ましやかさは、生まれながらの姫に見える。手首をピンと張る決めも、なぜか新鮮だった。キムは久しぶりに見た空中で止まるダンサー。マネージュの迫力も素晴しかった。
マリインスキーの代名詞とも言える『白鳥の湖』(改訂振付:K・セルゲーエフ)も、演劇性重視に変わっている。以前の白鳥たちは崇高なまでに美しく揃っていたが、今回は自然体で生き生きとしている。主役のテリョーシキナ(12/6)は堂々たるオデット=オディール。踊りのニュアンスもきめ細かく、懐の深さを感じさせる。対するシクリャローフは若々しい王子。やや軽めの造形ながら、勢いのある踊りを見せた。トロワのホーレワ、グセイノワ、スチョーピンは技術、スタイルともに申し分ない。ハイネ指揮の管弦楽団は、ツアー終盤の疲れもあったか、やや乗り切れない印象だった。