2月に見た公演2019

2月に見た公演について、短くメモする。

 

エラ・ホチルド『Futuristic Space』@ 横浜ダンスコレクション(2月3日 横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール)

L字型の客席に囲まれた長方形の舞台。上方には、光る透き通ったベールが広がっている。ベールが上下にたゆたうのは、床に作られた5つの送風口から、風が吹き上げられているからである。ベールの動きはダンスの一部。下方のダンサーたちと呼応するでもなく、無関係にでもなく、上空を彷徨っている。

音楽はタジキスタンからイスラエルに移住したゲルション・ヴァイセルフィレルの生演奏。ウードやユーフォニウムを電子的に増幅させ、薄暗い空間に拡がりを作る。短調における肚からのパトスが印象的。小柄だが舞台人としての存在感も濃厚だった。

エラ・ホチルドの振付は、幽霊風の佇まい、コンテンポラリーの動きを挟みながらも、傾向はモダンダンスを思わせる物語性の強いものだった。5人のダンサーが生み出す集団フォルムや動きは、常に感情や意味を示す。終盤、湯浅永麻が頭から被る黒い布は、バットシェバ舞踊団の初代芸術アドヴァイザーだったマーサ・グレアムを想起させた(ちなみにホチルドの綴りはバットシェバ・ド・ロスチャイルドと同じ)。『未来空間』という題名とは裏腹に、人間臭い、懐かしさを感じさせる空間だった。

5人のダンサーのレヴェルは高い。ただし、個々のダンスの技量を見せる場は少なく、演技や存在感、互いの関係性で作品を形作る。大宮大奨のスタイリッシュな踊り、ミハル・サイファンの素直な踊り、笹本龍史の巧さ、鈴木竜の懐の深さ、湯浅永麻の湿度の高い体と泣き顔。鈴木の信頼できる温かみのあるオーラが糊となって、ダンサーたちを結び付けている。

 

Noism1 『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』(2月22日 吉祥寺シアター

「実験舞踊」という新シリーズの vol.1 。このシリーズを立ち上げた理由を芸術監督の金森穣は次のように述べている。一つ目は、所属ダンサーの国際化にあたり「 Noism メソッドのバージョン・アップを図ることです。言い換えるならば、メソッドに新たに加えられるべき動きによって、本作品は構成されているということです」。もう一つは、Noism の活動継続問題。「この1年ほど、その不連続的な定め、その無常を痛感する1年はありませんでした。そんな中、私は自らに問いかけました。『もし今 Noism が終わるとしたら、最後に何を発表するべきだろうか』と。すると私の心は言いました。『これは終わりではなく、始まりなのだ』と。だから私はこの15年を総括するのではなく、新しく何かを始めることにしたのです。」(プログラム)

『R.O.O.M.』は横長の四角い箱が舞台(演出振付・空間・照明:金森)。50㎝四方の銀鼠色の板を組み合わせて作られている。照明によって光り具合が微妙に変わり、まるで銀の茶室のような趣がある。ダンサーは忍者のように天井から降りてきて、左右の開閉できるにじり口から去る。衣裳ペイントはRATTA RATTARR。男性はブルー地に蜘蛛の巣模様、女性はグリーン地に四角模様のユニタード、それぞれピンク、柿色の靴下を身に付けている。音楽はcyclo。

冒頭、天井から降りてくる男性ダンサーの脚の美しさに驚かされる。カンパニーが新たなフェイズに突入したことを感じさせた。振付は、かつてNoism メソッドを作品化した『ASU』第一部よりも不定形な動きが増えている。特に床を使った動きが面白い。一方、女性はポアントも使用。動きに強度が増し、狭い空間でのパ・ド・ブレは迫力があった。全編にわたって新鮮な動きの快楽に身を委ねることができたが、途中、振付家の身体感覚を外れた(と思われる)シークエンスがあり、50分は少し長いのではとも思った。

女性ダンサーは前回とほぼ同じだが、男性ダンサーはチャン・シャンユー以外新加入。フランス、イギリス(日系)、香港、日本(海外カンパニー経験)と国籍が多様になった。

主役の井関佐和子は、裸足でも、動きの切れ、脚の美しさ、身体的なバランスに優れていたが、ポアントを履くと、研ぎ澄まされた肉体美がアンドロイドのような機能美へと増幅される。縦や横のライン投影をバックにポアントで歩く姿は、近未来のダンサーといった趣だった。新加入のポプラヴスキーにサポートされた壁や天井での歩行、最後の踊り合いでも、動きの鋭さはずば抜けている。

同時上演の『鏡の中の鏡』は、D・コープによるコンピューター作曲のクラシック音楽を使用。金森のソロ、井関のソロの後、ベートーヴェンの『月光』を再構築したロマンティックな音楽で、デュオが踊られる。化学反応という言葉さえ陳腐に思われる自然な呼吸。同質だが、暖かく弾力のある金森の体と、鋭く繊細な井関の体が二つの声のように混じりあう。もう一人の自分と出会えた井関の喜び、金森への深い理解が、デュオをぐんぐん前進させた。

金森は一つの動きで空間に色を与えられる卓越したダンサー。情感豊かで、肉体そのものに物語を孕んでいる。体が芸術品と化した井関とのデュオは、二人にとっても、現在のダンスシーンにとっても貴重。二人が60歳になった時の踊りも見てみたい。

 

彩の国さいたま芸術劇場日本昔ばなしのダンス」(2月24日 彩の国さいたま芸術劇場 大稽古場)

2006年に始まったシリーズの第6弾。マグナム☆マダム選抜メンバーによる『つるのおんがえし』(構成・振付・演出:山口夏絵)、休憩を挟んで、コンドルズ選抜メンバーによる『かさじぞう』『てんぐのかくれみの』(構成・振付・演出:近藤良平)というプログラム。近藤作品の前に「昔ばなしこれくしょん」(だったか)と題し、昔ばなしの登場人物たちが、ファッションショーのように練り歩く。モデル歩きが上手かったのはコンドルズの藤田善宏だった(以前ヨウジヤマモトのファッションショーでコンドルズの面々を見たことがある。ついでに、昨年 都響の『カルミナ・ブラーナ』で香取直登の美しい女装を目撃した)。

山口作品は、演技のツボをピンポイントで押さえ、正攻法の振付を配した完成度の高い作品だった。早回しのシークエンスでは、こどもたちからドハドハ笑いを取る。老母と殿様を演じた山口の自在な演技、息子役 宮内愛の切れのよい宝塚風男装、鶴役 稲村はるのふくよかな演技が、うまく噛み合っている。山口の動きは鋭く、息子に突きを喰らわした時には、思わず声が出てしまった。踊りも巧い(天性の巧さ)。最後は、老母が息子を鶴に変身させ、二羽が飛び立つハッピーエンドに収めている。

近藤作品は、子どもたちとのコミュニケーションを第一の目的とする。ただし、演技に「ずらし」、ダンスに「脱力」があるので、高踏的。子どもたちは、分からない世界があることを無意識に感じるだろう。司会の近藤(なぜか司会がある)も容赦がない。それでも埼玉の子どもたちは元気がよく、素直だった。プラスチックのメガネを配られ、「これで隠れ蓑を被った彦一が見えるよー」と言われると、「見える」「見える」と喜ぶ(「外しても見えるよー」と後ろの女の子が言ったりしたが)。小道具、影絵の使い方、選曲は、大人公演の時と同様、素晴らしい。こどもたちは未知の世界に驚き、怖ろしさも感じつつ、帰路に就いたことだろう。入り口で配布された「子どもアンケート」の回答を読んでみたい。