新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2019」①

標記公演を見た(3月29, 30夜, 31日 新国立劇場 小劇場)。前芸術監督 D・ビントレーが2012年に始めた振付家育成企画。団員の振付を団員が踊ることで、両者にクリエイティブな相互関係が生まれる。前監督時代は、振付家の卵たちが思うがままに作品を発表する、言わば孵卵器として機能していた。今では、そこから育った振付家たちだけで、自前のコンテンポラリー・ダンス公演が成立する。ビントレーが見たら喜ぶだろう。

6回目となる今回は、4人の振付家による新作4作、再演2作、さらに前回に続いて生演奏での即興というプログラム。アドヴァイザーも同じく、中村恩恵が担当した。3部構成の1部は、中堅2人の新作である。

髙橋一輝『コルトベルク変奏曲』は、バッハの同名曲を抜粋。薄暗い照明のなか、バックドロップに2つの赤い太陽が明滅し、心臓の鼓動のような生命感を作り出す。4人のダンサーが椅子と関わりながら、ソロ、ユニゾン、シンメトリーを踊るが、関係性は繊細で緻密。振付家の息を詰めた思考が感じられる。

芯となるべき渡邊拓朗は、プティの『若者と死』のような神話への道筋を示したが、肉体に詰まったパトスをまだ完全には放出し切れていない。宇賀大将の躍動感、奥田花純の情熱、益田裕子の抒情性と、それぞれの個性を生かした振付。特に宇賀の、振付の機微を完全に捉えた踊りに目を見張った。

福田紘也は『猫の皿』と『Format』を続けて(入れ子で?)上演した。福田が登場し、マイクと座布団の前に座る。座布団の中から鏡と粘着テープを取り出して、口に貼る。暗転後、カミテにポニーテールの本島美和が忍者座り。少し動いて、シモテに忍者走りで去る。さらに暗転後、カミテから小柴富久修が金色の着物で登場。タンデュの小手調べをしてから膝を折って座る。観客に来場の礼を言い、「見ての通り、バレエダンサーです」で観客をつかむ。4回公演のうち3回を見たが、つかみは全て違っていた。そして全て面白かった。小柴の経験・感想を基にしているので、小柴のつかみなのだろう。

本題の『猫の皿』は柳家三三流。言葉の意味ではなく、言葉の音とリズムに合わせて、本島、福岡雄大、福田圭吾がコンテを踊る。なぜか忍者風の任務(振付)遂行。噺の区切りと動きが同期する、セッションに似た快感があった。噺が終わって暗転。福田(紘)が、拍子木の音から始まるパーカッション(音楽:福田紘也)で、『Format』を踊る。踊りにはニュアンスがなく、フォーマットそのもの。動きの基本を見せるミニマルな面白さがあった。

今回は小柴遣いが圧巻だった。なぜボーリングのピン(宝満作品)にさせられたのか、よく分かった。落語が初めてというのは嘘だろう。茶を飲む所作、着物の立ち居振る舞いが板についている。だが、バレエと落研は両立できるのか。もし初めてなら、振付を覚えるように覚えたのだろうか。謎である(普段の小柴は、ノーブルなラインの持ち主で、優れたパートナー)。②はこちら