5月に見たダンサー・公演 2019

森下洋子 @ 清水哲太郎振付『眠れる森の美女』(5月3日 オーチャードホール)。

清水版『眠れる森の美女』は、清水独自のモダンな振付に混じって、ヌレエフの構成・振付が遺跡のように残り、バレエ団の歴史の一端を垣間見せる。森下(48年生まれ)のオーロラ姫は何度か見ているが、当然その時々の身体に応じた変化がある。今回はローズ・アダージョのアティチュードを、ドゥヴァンに変えて踊った。デリエールに比べると華やかさは減るが、気品や優雅さは増している。本来はこうだったのでは、とまで思わせる。二幕幻影の場でのソロ、及び、三幕グラン・パ・ド・ドゥでのソロの上体は、依然として国内(海外でも?)最高峰である。

森下ほどダンス・クラシックを追究したダンサーはいない。筋肉の極限までの意識化・細分化、フォルムの絶対性。現在も維持している上体の素晴らしさに加え、かつては脚の動きそれだけで、劇場空間を異化することができた。フランス派の脚が見せる機敏な運動性とは異なる、日本古典芸能に近づいた脚の感触だった。本来はバレエ団の垣根を超えて、現役バレリーナたちへのマスタークラスが開かれてしかるべきである。森下の貴重な財産を、少しでも残す方法はないものだろうか。

先ごろ現役引退を表明した吉田都は、松山バレエ学校出身だった。ローザンヌ・コンクール出場時の映像に見られる、明晰なテクニック、抜きん出た音楽性、鮮やかな脚の軌跡は、吉田が森下の後継者であったことを告げる。加えて吉田の個性、晴れやかな詩情が、すでに芽吹いていることにも驚かされた。英国系の慎ましやかな踊りに変わる以前の、ヴィルトゥオーゾ風の踊り(映像)に、吉田が辿ったかもしれないもう一つの道筋を思った。

 

Jason Respilieux @ ローザス『至上の愛』(5月9日 東京芸術劇場 プレイハウス)

『至上の愛』(17年)は、サルヴァ・サンチスとアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルが、ジョン・コルトレーンの同名曲(65年)に振り付けた作品。全編45分中、冒頭の15分は無音で踊られる。「承認」、「決意」、「追求」、「賛美」の4部からなり、4人のダンサーはコルトレーン(テナーサックス、ヴォーカル)、マッコイ・タイナー(ピアノ)、ジミー・ギャリソン(ベース)、エルヴィン・ジョーンズ(ドラムス、銅鑼、ティンパニ)とほぼ対応したパートを踊る。ソロから一斉ユニゾンになる瞬間と、ソロ演奏から全員演奏になる瞬間とが(当然だが)一致して、外から家に戻ってきたような暖かい快感をもたらす。

振付の分担は分からないが、アン・ドゥダン回転、腕を起点とする動き、後ろ走り、ナンバでの振り子動きは、ローザス的。そこに角ばった腕の動きや、フォルムを見せる動き、武術的なニュアンスが加わる。原曲の持つスピリチュアルな物語性の反映は、サンチスによるものだろう。

コルトレーンの Thomas Vantuycom は骨太でダイナミック。最終部の「賛美」ではキリストのように十字架リフトをされる。タイナーの Jason Respilieux は、動きがミニマルで、高度にコントロールされた踊り。ギャリソンの Robin Haghi はリハーサル・ディレクターだったが、急遽代役に転じた。癖のない温かみのある踊りが特徴。ジョーンズの Jose Paulo dos Santos はバネがあり、弾むような踊りだった。音楽(家)の個性に合わせた配役に思われる。

全員が PARTS の出身者でローザス所属とのことだが、唯一 Respilieux のみ、ダンスの質が異なっている。と言うか、ケースマイケルに近い。中盤、本来のピアノ・パートから離れて、ベースによる瞑想的なソロを踊った。内向きのコンパクトな動きで、体で考えているようにも、自分の体と対話しているようにも見える。ケースマイケルの色気や自意識はなく、淡々と枯れた踊り。ローザスの良心のようなダンサーだった。

 

中国国立バレエ団『赤いランタン』(5月10日 東京文化会館大ホール)

映画監督の張芸謀が、自作『紅夢』(91年)を基に演出したバレエ作品(2001年)。夥しい赤いランタン、床一面に広がる赤い布、壁に叩きつけられ血の跡を残す巨大な棒など、張の美学が息づいている。劇中劇の京劇や1920年代の風俗も興味深く、京劇役者とその観客が互いに抱挙礼をしたことに驚かされた。

振付(王新鵬、王媛媛)は個性を出すことよりも、物語に即した明快さを重視する。主役の感情表出はモダン寄りの振付、群舞は男女それぞれに、中国の身のこなしや武術を取り入れている。高水準のダンサーを含め、全体に「中国のバレエ」として過不足のない仕上がりだが、オケ・ピットが見える席だったせいか、音楽が最も印象に残った。

指揮は張藝、管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団。ピットの中は指揮台を囲むように、中国民族音楽奏者が陣取り、舞台袖花道には打楽器奏者が配置されている(京劇の場面は、京劇の奏者が舞台上で演奏)。作曲は陳其鋼。中国民族音楽と20世紀初頭のフランス風音楽が違和感なく混じりあい、躍動感あふれるパーカッションに牽引される。篳篥チャルメラ)や胡弓の痛切な音が耳に残った。また麻雀の場面では、ピット全員が大きなソロバンを持ち、ジャラジャラと効果音を出す。見た目も音も楽しかった。東フィルメンバーは初体験ではないか。

現在の日本では、同時代作曲家にバレエ音楽を委嘱することはほとんどない。新国立劇場の『梵鐘の聲』を蘇らせることは難しいだろうか。細川俊夫委嘱の新たな「日本のバレエ」も見てみたい。