6月に見たダンサー・振付家 2019

佐辺良和 @ 青山実験工房「能と琉球舞踊」(6月24日 銕仙会能楽研修所)

標記公演は、能と琉球舞踊を並列させ、組踊における能の影響を見ようというもの。組踊の始祖 玉城朝薫は、大和芸能に造詣が深く、1706年薩摩で仕舞『軒端の梅(東北)』を舞った(プログラム)。第一部は、和泉式部の霊を舞う舞囃子『東北』と、和泉式部の化身 梅の精を踊る創作舞踊『軒端の梅』、第二部は舞囃子『芦刈』と、その翻案と言われる組踊『花売りの縁』が上演された。

能は思い出したように見るが、琉球舞踊は生では初めて。共に摺り足ながら、前者は直線歩行、後者は足の動きが左右にほころぶ柔らかさがある。構えを含む能の緩急に対し、琉球舞踊は常に体が揺蕩うように平行に推移する。その立ち方は、男性は直立で足は逆ハの字、女性は右足重心で左つま先を少し浮かせる。また女性は立膝座りだった。耳を澄まして意識を集中させなければならない能から、琉球舞踊に移って、体がフッと楽になる。詞章の問題、演者の資質によるのかもしれないが。

佐辺良和は『軒端の梅』を自作自演、『花売りの縁』では森川の子を演じた。薄紫の衣をまとった梅の精は、女踊り。初めてなので、女踊りという意識なく見たが、慎ましく、ふっくらとした艶があり、自然。動きが滑らかで、佇まいのみが目に見える。陶然とした。組踊では男役。すっぱりとした男らしい演技で、若い男の色香を放つ。菊之助の両性具有を連想させるも、舞踊家らしいストイシズムが芯にあった。

 

ナターリヤ・オシポワ @ 英国ロイヤル・バレエ団日本公演(6月26, 29日 東京文化会館大ホール/神奈川県民ホール

前回来日に続き、今回もやはりオシポワが面白かった。ワディム・ムンタギロフと組んでの『ドン・キホーテ』、セザール・コラレスと組んでの『ロミオとジュリエット』バルコニーシーン。登場しただけで笑顔になる。全身に気が漲り、一直線に役を生きることが予感されるから。バルコニーにジュリエットとして現れた時には、思わず声が出た。これから起こる逢引きの激しさが、立ち姿に表れていた。

ボリショイ・バレエ時代には、ふくらはぎの筋肉が目につき、男性並みの脚力、技術の高さのみが印象に残ったが、ロイヤル・バレエに来てからは、脚が歌うようになった。活きた脚の美しさ。プティが生きていたら、オシポワを使っただろう。

キトリはロイヤルの指導に沿いながらも、役の計算や思惑を超える楽しさがあった。思わず体が動いている。脚の切れと自在さ、マネージュの驚くべき早さ、正確さ。高さと飛距離のある跳躍には見る喜びがあり、陽性の資質を共有する菅井円加を思い出させた。扇子をあちこちに投げられて、恐らく体もあちこちされるせいか、パートナーのムンタギロフはやや疲れ気味。一方、四方に飛び散るようなジュリエットを、コラレスは動じず受け止め、丁々発止に踊る(全幕ではどうなるか)。可愛い子ぶるオシポワが可愛かった。

他には、ガラで『オンディーヌ』のパ・ド・ドゥを踊ったフランチェスカ・ヘイワードが素晴らしい。フォンテイン生誕100年を記念したプログラムの一つで、唯一彼女のオーラと香気を偲ばせる。妖しい妖精そのものだった。日本人ダンサーでは、平野亮一のデ・グリュー。武士のように力強く、真っ直ぐな個性を発揮した。東京シティ・フィルを率いたのは、新国立劇場でもおなじみのマーティン・イエーツ。自作(ピアノ譜から編曲)の『ドン・キホーテ』を嬉しそうに振っていた。

 

ディミトリス・パパイオアヌー @ 『THE GREAT TAMER』(6月28日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

題名の「偉大なる調教師」は神を連想させるが、パパイオアヌー自身のことかもしれない。時空間が怖ろしくコントロールされている。ワンショット、ワンショットがすべて絵になり、舞台の呼吸の乱れがない。そのため観客の呼吸も乱れない。全て演出家の美意識下に置かれ、何のためかも問われない。ダンサーたちは皆美しく、植物系のほどよい筋肉を纏っていた。このため裸が頻出しても、厭らしさがない。丹念に作り上げた美的世界が、厳然と存在している。

舞台は一畳の薄板を全面に敷き詰めた丘。男が向こう側から登ってきて、仰向けの裸の男に布をかける。すぐに布をあおる別の男。このシークエンスが何度も繰り返される。また、裸で仰向けになった女性の鳩尾を、片手で突きながら押し進める男。女は板の下の穴に滑り込む。明らかにピナ・バウシュを思わせる演出だが、ピナのようなダンサーの傷口を抉る残酷さ、退廃はない。また繰り返しの強迫性もなく、一定のリズムで絵柄を見せる面白さに重点がある。美的画面という点では、ロベール・ルパージュを思わせるが、演劇性はなく、意味を成す一歩手前。もう一つの世界を創りたいという欲望の結果として、作品は存在する。死生観は明るく、ユーモアあり。

ダンサーたちはよく訓練され、美的に統一されている。ダンスのムーブメントを作ってはいないので、振付家というよりも演出家だと思うが、ダンサーへの指示は振付と同じ精度に見える。

因みにムーブメントを「てにをは」の組み合わせでなく作った振付家は、マッツ・エック、ウィリアム・フォーサイス、マルコ・ゲッケ、山崎広太。