9月に見た公演など2019

9月はまだ終わっていない。Kバレエカンパニーの新制作も控えているが、記憶の新しいうちにメモしてみたい。

 

★「塩田千春展 魂がふるえる」(9月3日 森美術館)✖「没後90年記念 岸田劉生展」(9月3日 東京ステーションギャラリー)✖「東京計画2019 vol.2 風間サチコ」(6月27日 ギャラリーαM)← 追加

美術関係の情報は主に新聞から。塩田千春展と風間サチコ展は日経新聞の記事で知った。岸田劉生朝日新聞の広告から。塩田と風間は共に1972年生まれだが、正反対の作風。ダンスになぞらえれば、塩田はコンテンポラリー・ダンス、風間は舞踏である。ついでに言うと、岸田はモダンダンス。西洋の様式と東洋の美的感覚を融合させたので(作風はばんばん変わっていくが)。

塩田作品は、新国立劇場の『タトゥー』、『松風』の舞台美術、初台のギャラリーでの新作インスタレーションを見ている。今回の大規模展で改めて感じたのは、内臓感覚と知的意匠が組み合わさったスタイリッシュな東洋美。見て面白く、中に入っては、蚊帳の中にいるような心地よさがある。観客は外国人が多く、お洒落な富裕層も見受けられた。美術館柄だろうか。

塩田の美しいインスタレーションを見ているうちに、何もかも対照的な風間のことを思い出した。風間とは、17年の横浜トリエンナーレで出会った(参照)。一回しか摺らない白黒木版画をメディアとする。6月の個展では、オリンピックと優生思想、全体主義をからめたディストピア、「ディスリンピック2680」が壁一面を覆っていた。2680とは皇紀で、西洋歴2020年のこと。あまりに細かく彫られているので、隅々まで見ることができない。ただただ圧倒されるばかり。その場で「予感の帝国―風間サチコ作品集」(朝日出版社 2018)を購入する。眺めていると、つげ義春、版画繋がりで、ナンシー関を思い出した。愛読する風間のブログ「窓外の黒化粧」(http://kazamasachiko.com/)はそのままで「文学」。風間の思考、感覚、匂いが染みついた文章には、自作と拮抗する高度な批評性がある。風間装丁の本(活字)で読みたい。

塩田展当日、岸田劉生展にも回った。美術好きの中高年に混じると、全身がグッとほぐれる。岸田は最も好きな画家。西洋の様式を採用しながら、日本の湿気、土臭さを内包する初期の肖像画群、宗教画のような妻の肖像、存在そのものを描いた風景画、娘麗子像の変奏など。何度見ても、嬉しくなる。西洋との苦闘をぎりぎりまで突き詰め、その果てに日本人の私を見出しているからだろう。関東大震災で崩壊した家の上に、岸田一家が集合し、にこやかに笑っている写真、あり。初めて見た。

 

ニコライ・ツィスカリーゼ @ 『バレエの王子になる! "世界最高峰” ロシア・バレエ学校の青春』(9月7日 NHKBS1

ワガノワ・バレエ・アカデミーの最終学年男子生徒を、卒業公演まで追ったドキュメンタリー。男子生徒の個性も面白かったが、ツィスカリーゼの異人ぶりが圧倒的だった。豊かな黒髪をヘアバンドのように眼鏡でまとめ、趣味のよく分からない個性的ないで立ちで、次々と鋭い(毒舌)批評を放つ。一方、生徒への愛は深く広い。国家試験前に高熱を出した生徒を、医務室に連れて行ったり、卒業公演で主役を踊る生徒の髪を、自ら仕上げたり。何よりも、生徒の個性を見抜き、それに応じた指導をする。抜きんでた才能(美貌も)がありながら、バレエへの姿勢に甘さがある生徒には、卒業公演に出ることを禁じた。「そんなことでは、女性と組めないよ」、「君を褒める人は君の敵だと思いなさい」などの言葉も。全体に厳しいおばさんのような母性愛を感じさせた。

ツィスカリーゼのクラスは、「バレエ・アステラス 2017」の公開レッスンで見たことがある(通訳:西川貴子)。この時もツィスカリーゼの演技(?)に魅了されたが、一つのアンシェンヌマンを示して、「これは昔のだけど、とても有効なんだよ」と語っていた。ドキュメンタリーの国家試験の振付でも、グラン・プリエからのピルエット、ブルノンヴィル風の前方グラン・ジュテ、シャッセなど、伝統に則ったバレエスタイルを重視する。ツィスカリーゼ自身の破天荒な個性と、歴史を視野に入れた正統派スタイルの、奇妙で奇跡的な融合である。

プティがボリショイ・バレエに『スペードの女王』を振付に来た時のこと。「このバレエ団に狂人はいるかな?」と尋ねると、ツィスカリーゼが「はい、私がそうです」と答えた 如何にものエピソードがある。牧阿佐美バレヱ団ではプティの『若者と死』にゲスト出演した。カーテンコールでプティが登場、喝采を浴びて、後ずさりした途端、置き道具の机に脚をとられ、後転。ダンサー・プティはすぐに起き上がったが、その時のツィスカリーゼの驚きと心配そうな顔が、今でも忘れられない。

上記公開レッスンでは、終了後に会場からの質問を受けた。最前列に座った女性が手を挙げ、マイクを渡されると、いきなり「ニコライ」と愛情を込めて呼びかける。するとニコライは乙女のように全身で恥じらって、嬉しそうにその女性の言葉に耳を傾けた。長年の出待ちファンだったのだろうか。

 

山九郎右衛門 @ 銕仙会9月定期公演『通小町』(9月13日 宝生能楽堂

シテの深草の少将ノ怨霊には、観世清和、ツレの小野小町ノ霊を、片山九郎右衛門、ワキの僧を森常好。笛 一噌隆之、小鼓 大倉源次郎、大鼓 亀井忠雄、地謡 観世銕之丞ほか。これがどういう座組かは分からないが、初めて神事に近い鎮魂の能を見た。

観世清和の舞台を覆いつくすような怨霊に対し、片山の小野小町はほとんど動かず、佇まいのみで見せる。内に向かって引き絞られた立ち姿からは光の粒が放射され、慎ましやかに光り輝く小町の霊が顕現する。その硬質で禁欲的な舞に、片山家と井上流の濃密な婚姻関係が思い出された。面の内側から響く男性の声と、その優美な舞が一致せず。しばらくたって片山の声と分かった。最後は小町と少将がともに成仏し、僧に回向の礼を言って去る。その唐突な終わり方に、先ほどまでの異空間が急速に閉じられた印象を受けた。演者のエネルギーが一気にぶつかり、一つに纏まって異次元へと至り、すぐに終息する。皮膚感覚まで動員された強烈な体験だった。