Kバレエカンパニー『マダム・バタフライ』新制作 2019 ②

標記公演三日目を見た。主要キャストはゴロー、花魁を除いて、ファーストキャストと同じである。

主役の蝶々夫人には、持てる才能を順調に開花させた矢内千夏。生来の慎ましさが役柄によく合い、日本的はかなさ、透明感に、清潔なきらめきを加えている。その虚構度の高さ。役を生きるというよりも、役に入ると言った方がよく、佇まいのみで空間を作ることができる。美質である優れた音楽性、技術の高さは、全て役作りの深化に捧げられ、振付の高難度を微塵も感じさせない。

ピンカートンに裏切られ、正座でお辞儀をしたまま身じろぎもせず、彼が立ち去るのを待つ場面の素晴らしさ。すでに只ならぬ気配が舞台に立ち込める。懐剣の幻視、自害への流れるような推移は、冥界との行き来、異界との交流が自然であると思わせる質の高さだった。かつて生き生きと跳躍するミルタを見せたが、すぐにでも優れたジゼル・ダンサーになることだろう。

蝶々を見初めて、悲劇に陥れるピンカートンには堀内將平。軍人らしい割り切り感、明るいアメリカ人気質を前面に出さず、複雑でロマンティックな造形を行なっている。アルブレヒトに近づけたのだろうか。パ・ド・ドゥでの親密なパートナーシップ、端正で美しい踊りは相変わらず。入魂の矢内を大きく支えた。終幕、お辞儀したままの蝶々を置いて去る 苦悩の表情が印象深い。

遊郭の遣り手を辞めて、蝶々の身の回りの世話をするスズキには荒井祐子。はまり役である。遣り手時代の紫の着物姿が艶やかで、日本的所作も美しい(『ザ・カブキ』の蓄積だろうか)。蝶々のもとでは縞の着物で、献身的に主人に尽くす。蝶々の苦しみを思いやるドラマティックなソロは力強く、愛情に満ちていた。

ボンゾウの遅沢佑介は、クラシックダンサーとは思えない腰の入り。着流しがこれほど似合うダンサーがいるだろうか。登場したとたん、舞台にきな臭さが充満する。遅沢に宛てて振り付けしたとしか思えない 完成度の高さだった(もちろん剣術の腕は磨き続けると思うが)。

一方、明るい好青年と化したヤマドリには、そのままの山本雅也。蝶々との幼馴染はすくすくと育ち、書生時代にはシャープレスとの「踊り」マイム談義を楽しみ、陸軍士官となってからは凛々しい立ち姿を見せる。堀内ピンカートンとの好対照を形成した。斡旋屋のゴローは、ベテランの伊坂文月が円熟の芝居と踊りを披露。高度なテクニックと軽妙な演技の混ざり合うソロが鮮やかだった。

ピンカートンの婚約者ケイトには小林美奈。米国シーンでの素朴で明るい娘、日本シーンでのしっかりとした軍人の妻を、大らかに描き出した。蝶々に「結婚している」マイムを見せるのは、バチルドを想起させるが、オペラ通り、キリスト教的博愛に終始する方が米国的に思われる。花魁は、苦界に沈んだ哀しみを湛える山田蘭が勤めた。

今回もスチュアート・キャシディが二つの脇役で舞台を締める。米国シーンではピンカートンの上官として、軍人のあるべき立ち居振る舞いを、日本シーンではアメリカ領事 シャープレスとして、日本の習俗に親しみ、愛情深く日本人に接する姿を見せて、対極にある二役を見事に演じ分けた。懐の深さは両者に共通するが、身体性は別人のごとく。上官の背筋を伸ばしたノーブルで大きな返礼、シャープレスの、その名の通りやや背中を丸めた柔らかな物腰。役作りの深さのみならず、舞台、ダンサー、そして熊川への愛情に満ちた名演だった。

栗山廉、西口直弥のノーブルな海軍士官、酒匂麗のクリアな踊りと慎ましい物腰、佐伯美帆を始めとする振袖新造のたおやかな踊りなど、ソリスト・アンサンブルともに、音楽性とスタイルの統一が目覚ましかった。管弦楽はシアター オーケストラ トーキョー。

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