新国立劇場バレエ団『ロメオとジュリエット』2019

標記公演を見た(10月19, 20夜, 26夜, 27日 新国立劇場オペラパレス)。大原永子芸術監督最終シーズンの幕開けは、ドラマティック・バレエの定着を悲願としてきた監督にふさわしい、マクミラン版『ロメオとジュリエット』だった。

同版(65年)は、01年バレエ団初演、5回目、3年ぶりの上演である。ラブロフスキー版を下敷きにし、クランコ版からも多くの影響を受けているが、先行版にはない生々しさ、猥雑なエネルギーにあふれる(ゼッフィレッリ同名演劇からの影響―Jann Parry, Different Drummer)。また、映画のクローズアップを思わせる一幕出会いの場面、三幕ジュリエットの黙考も、マクミラン版の特徴。歌舞伎に馴染んだ我々にとっては自然な、「時の永遠化」と言える。何よりも、クラシカルな様式性を排し、全て対話と化したパ・ド・ドゥが、マクミラン版の表徴である。

空中遊泳する身体の揺らぎ、呼吸の高まり、美醜を超えた鮮烈なフォルムにあふれるバルコニーのパ・ド・ドゥ。「朝のセレナーデ」(舞踏会挿入)によるロメオの自己紹介に始まり、ジュリエット・ソロへの自然なサポート介入、「マドリガル」での名付けようのない感情の迸り、さらにバルコニーでの恋の爆発へと開花していく身体言語が素晴らしい。

三幕はジュリエットの体が、物語を紡ぐ。寝室のパ・ド・ドゥの錐もみピルエット、ベッド上の黙考、パリスとの硬直+脱力パ・ド・ドゥ、ロメオとの死体のパ・ド・ドゥ。終幕は、ロメオと結ばれることなく、石棺の上に仰向けに倒れる。リアリズムを超えた歪な体に、マクミランの真価がある。

主役は3キャスト。初日ジュリエットは3度目の小野絢子。一幕は振付遂行への意志が前に出たが、三幕に入ると、振付探求と感情が一致し、生きたジュリエットが立ち現れた。小野本来のあどけなさ、小動物のような可愛らしさが、動きの一つ一つに刻印される。黙考から自死までを、異空間の中で駆け抜けた。

ロメオは福岡雄大。他日にティボルト配役のせいか、少し胸が固いが、振付、役柄を考え抜いた、演出の眼も入る舞台だった。踊りの切れも凄まじく、剣術の巧みな、文武両道のロメオだった。

第2キャストは米沢唯と渡邊峻郁。全幕3度目とは思えない息の合ったパートナーシップである。米沢のその場を生きる細やかな演技に、渡邊は包容力と愛情をもって応える。ピュアな少女から、徐々に自我に目覚め、最後は孤独の中で決断するジュリエットを、その過程、微妙なあわいまでをも可視化する米沢。役に寄り添いつつ、自然体でいられる点に、成熟が見える。「カーテンコールも舞台のうち」は米沢の常に実践するところだが、今回は渡邊が米沢の手を取ったまま、観客を愛の余韻に浸らせる。エスコートされた米沢の動きによって劇場が一つになる、至福のひと時だった。

渡邊はロメオらしい甘やかさ、瑞々しさがある。バルコニーでの回転、跳躍の伸びやかさ、最後にジュリエットに向かって手を伸ばすその真実味。3人組では、兄のような優しさをもって取りまとめる。すべて内側から湧き出る動きだった(終演後に大原監督から、プリンシパル昇格が告げられた)。

第3キャストは、木村優里と井澤駿。これまで何度も組む機会があったが、今回初めて、呼吸を合わせたパ・ド・ドゥを見ることができた。木村はよく考えられた役作りを、真っ直ぐに実行。その場で相手を見る意識が加わり、ドラマを立ち上げる段階を迎えている。バルコニーでは、悠揚迫らぬ井澤と共に、ダイナミックな踊りで、マクミラン振付の醍醐味を明らかにした。

その井澤は、おっとり育った貴族の一人息子をノーブルに演じる。正確な回転技、大きな跳躍が、分厚い体から繰り出され、舞台を席捲。木村のパワーを受け止めて、新たなパートナーシップへの道筋を示した。

マキューシオには奥村康祐と木下嘉人。大公の遠縁という、両家とは少し離れた役柄には合致するが、今回は残念ながら実力発揮には至らず。ベンヴォーリオにはベテランの福田圭吾と若手の速水渉悟。福田はいとこのロメオを見守る優しさ、速水は全体を見渡す芝居が目覚ましい。速水は将来のロメオを見据えてのキャスティングだが、柄としてはマキューシオだろう(ルービックキューブを手にしたマキューシオが目に浮かぶ)。強い体幹、左右ムラのない正確な技術、天性の踊りの巧さが揃った、世代を代表するダンサーである。

ティボルト3キャストは、それぞれ見応えがあった。貝川鐡夫は最年長ながら、最も若く、動きも華やか。ジュリエットへの愛情も、一族の担い手にふさわしい。他日ロメオの福岡は、本来の持ち味を生かしたハードな役作り。ベンヴォーリオをおちょくる剣の巧さが際立つ。もう少しジュリエットに優しくして欲しい気もするが、死を引き寄せるほど血気盛んな青年という解釈なのだろう。中家正博は、貴族らしいノーブルな佇まい。「騎士の踊り」での凛々しい立ち姿、美しい剣の構えなど、風格あるティボルト像を描き出した。

パリスは渡邊、井澤、小柴富久修。渡邊は小野ジュリエットへの苛立ちを隠さず、やや父権的な匂い。井澤は米沢ジュリエットと正面から向き合うパートナーシップを見せる。初役の小柴は適役ながら、ノーブルな立ち姿にまだ肚が追い付いていないように見えた。

輪島拓也のキャピュレット卿は、人間味にあふれ、舞踏会での重心の低い要たり得ている。本島美和のキャピュレット夫人も、美しさはそのままに(舞踏会でのフォルム!)、夫に寄り添う境地。穏やかで愛情深い母、叔母だった。

乳母 丸尾孝子のふくよかなユーモア、楠本郁子の優しい包容力、ロザライン 渡辺与布の華やかさ、関晶帆の水際立ったスタイル、またロレンス神父 菅野英男の恰幅の良い腹芸(もう少し外に出しても)が、舞台に幅を持たせる。

また、娼婦を率いる寺田亜沙子、ジュリエット友人を率いる細田千晶、ビラビラ衣装で顔の見えない、献身的マンドリン・ダンサーを率いる福田、原健太が舞台の活性化に大きく貢献した。例によって古川和則が、古だぬきのようなモンタギュー卿(夫人 玉井るい)と、結婚行列の懐の深すぎる司祭を自在に演じている。祝福で頭を叩かれたのは木下と速水。

ステージングのカール・バーネットとパトリシア・ルアンヌ・ヤーンが、絢爛たる舞踏会、リアリティあふれるバトル・シーン、広場の賑わいを実現。マーティン・イェーツの指揮は、いつも通り精緻で気品あふれる。若手中心の東京フィルを穏やかにまとめ上げた。