ミハイロフスキー劇場バレエ『パリの炎』『眠りの森の美女』2019

標記公演を見た(11月21日昼, 24日朝 東京文化会館大ホール)。4年ぶりの来日公演。毎年夏冬に公演していたレニングラード国立バレエ団時代との、あまりの違いに驚かされた。以前は、古典やボヤルチコフ作品を誠実に踊り、観客との間に近しい関係を築く一ロシアバレエ団という印象だったが、現在は国際級の質を誇るバレエ団に変貌を遂げている。ダンサーのレヴェルの高さに加え、磨き抜かれた舞踊スタイルに衝撃を受けた。

男性のノーブルスタイル、女性の優美なスタイルの素晴らしさ。特に男性ダンサーは、主役からアンサンブルまで、ロシアの身体に西欧風ノーブルスタイルが施された理想形だった。現在、英国ロイヤル・バレエやシュツットガルト・バレエのスタイルがやや定型化しているのに対し、ミハイロフスキーでは「生きた」ノーブルスタイルが実践されている。長年英国ロイヤルで教えていた首席バレエ・マスター ミハイル・メッセレルの薫陶の成果だろうか。

メッセレルが改訂振付したワイノーネン版『パリの炎』(1932年, 2013年)は、舞踊スタイルの宝庫だった。民衆の踊る民族舞踊、貴族の踊る歴史舞踊、俳優の踊る古典舞踊。フランス革命を舞台としているため、脚技を多用し小さく踊るフランス・スタイルも見ることができる(アレゴリック・ダンス「平等」「友愛」、後者の音楽はフランス革命歌を作曲したフランソワ=ジョゼフ・ゴセックのガヴォットを使用)。ワイノーネンの代名詞とされるアクロバティックなリフトは、ベテランのイリーナ・ペレン、マラト・シュミウノフによって果敢に実行された(アレゴリック・ダンス「自由」)。

バスクの踊り」と、有名なジャンヌとフィリップのパ・ド・ドゥは、新台本のラトマンスキー版(2008年)とも共通するワイノーネン原振付。その他はメッセレルが、口伝を含む様々な資料を基に振付を行なったという。全体に格調が高く、いわゆるソビエト・バレエよりもプティパ作品を彷彿とさせる。アサフィエフの音楽、ヴォルコフとドミトリエフの台本、ワイノーネンの振付、ラドロフの演出から生まれたソビエト・バレエが、メッセレルの身体を経由することにより、19世紀バレエとの連続性を強調する作品となったかに見える。それともワイノーネン版自体にそうした要素が含まれていたのだろうか。ドラマトゥルギーに則った演出はソビエト・バレエの伝統であるとして、スタイルの重視、自然で細やかな演技は、メッセレルが新たに継承し直した19世紀バレエの遺産に思われる。

ジャンヌ役アンジェリーナ・ヴォロンツォーワの華やかさ、フィリップ役イワン・ザイツェフの爽やかな男らしさ。女優ミレイユのペレン、パートナーのシュミウノフは、ソビエト・スタイルのダイナミックな踊りで観客を魅了した。俳優ミストラルのヴィクトル・レベデフ(他日デジレ王子)は、繊細かつ美しい踊りで古典バレエのイデアを体現。各アンサンブルも役にふさわしいスタイルが徹底され、バレエ団の質の高い教育を窺わせた。

ナチョ・ドゥアト版『眠りの森の美女』(2011年)も、スタイルへの意識の高さが共有される。一方、その振付手法は、振付家に寄り添うメッセレルの復元手法とは対照的だった。物語、キャラクターはそのままに、原振付を批評的に取り入れたコンテンポラリー語彙で、音楽を読み直している。伝統的マイムの変奏はあるが、物語の機微は、役の性根を踏まえた細やかな演技によって伝えられた。

全体的によく踊り、よく走り、よく跳ぶ、軽やかな作風。王、王妃、儀典長、貴族も踊るが、考えてみれば不思議ではない。宮廷女性の衣装はシフォンを重ねているため、回転時には美しく広がり、重厚さよりも流れるような軽やかさが強調された。

アンゲリーナ・アトラギッチの舞台美術・衣裳、ブラッド・フィールズの照明デザインの作り出す、シックで夢のように美しい空間が、新しい『眠り』の揺りかごとなった。眠りの森が大輪のバラの森へと変わるマジカルな美しさ。全幕通して存在する石造りの額縁には、カラボスの手下と思われるトカゲが数匹張り付いて、その呪いの怖ろしさを告げる。二幕の水の精たちは、月光の下、薄グレーの長いチュチュを身にまとい、フォーメイションと共に、『ジゼル』二幕を連想させた。

ヴィハレフ版を参照した原典版への理解、コンテンポラリー語彙とダンス・クラシックの技法を継ぎ目なく融合させる 優れた音楽性が、歴史を視野に入れた現代的改訂版を生み出している。原典版を踊れるダンサーたちの、混淆振付を滑らかに踊る能力も、ドゥアト版を支える重要な要素。ドゥアトがクラシックバレエ団を率いることにより、双方の才能が拡大された。

オーロラ姫 アナスタシア・ソボレワの伸びやかな踊り、デジレ王子のレベデフは、気品に満ちた美しい踊りに加え、高難度の振付(トゥール・アン・レール着地後すぐにピルエット、を2回繰り返す)をノーブルにこなしている。

リラの精 ユリア・ルキヤネンコ率いる妖精たちの生き生きとした踊り、ミハイル・シヴァコフ率いる騎士たちの控えめな凛々しさを好例に、ソリスト陣、男女アンサンブルの匂やかなスタイルを堪能した。

そして、ファルフ・ルジマトフのカラボスは、はまり役だった。濃密で肉感的な演技は、一人異次元に生きるキャラクターを自然に造形する。歴史的肉体だった。

両作指揮のパーヴェル・ソローキンは、母がボリショイ劇場の歌手、父が同劇場のダンサーという出自(プログラム)。壮麗で身体性があり、舞台愛ゆえの容赦のない指揮に、シアターオーケストラトーキョーは真っ直ぐに食らいついた。ソローキンの愛はカーテンコールでも。惜しみなく体を捧げたペレン(パリの炎)に、小道具の花を拾い、花束にして、健闘を称えたのだ。