11月に見た振付家・公演2019

皆藤千賀子 @「ダンスブリッジ 2019 インターナショナル劇場」(11月3日 セッションハウス)

『Age of curse』。1時間物を短縮したとのことで、やや断片的な印象も受けたが、その断片の強度、コンセプトの強さに驚かされた(皆藤はデュッセルドルフを拠点とする振付家・ダンサー、フォルクヴァング大卒)。男性ダンサーが人間ロボットになって歩行する場面、男女ダンサーがレスリングのようにくんずほぐれつしながら、狼のように相手を咬む場面が交互に現れる。立ち上がれない男性をロボットが助ける場面も。合間に骸骨と透明人間を映した映像が流れる。

大野一雄ピナ・バウシュから影響を受けたというが、当然ながらもっと現代的。咬み合う男女の場面では、昨年OPTOが上演したクリスタル・パイトの『The Other You』を思い出した。咬む男のカール・ルンメルは、フィリピン系ドイツ人。細かく分割された肉体が、滑らかに有機的に動く。指を広げてゆっくりと形を作る「手のダンス」に魅了された。伝統舞踊のダンサーかと思ったが、ヒップホップ・ダンサーで役者とのことだった。作品全体を見てみたい。

 

琉球芸能の美と心」(11月7日 東京建物 Brillia HALL)

標記ホール杮落しの一環だが、10月31日未明に起きた首里城火災から、日も経たないうちの公演となった。福岡、大分、直前の島根、新潟に続いての東京、さらに、長野、兵庫を回る「組踊上演300周年」記念全国ツアーの最中である。本来なら、11月2, 3日に、首里城御庭等で『二童敵討』と、今回の演目にある『執心鐘入』を上演し終えた後での、東京公演だった。「組踊上演300年」の企画展も首里城黄金御殿において会期中で、展示品の多くが焼失した可能性があるという(『朝日新聞』11月12日)。

胸塞がる思いで客席についたが、 嘉数道彦 国立劇場おきなわ芸術監督による 明るく親しみやすい司会により、舞台は通常通り(と思われる)に執り行われた。第一部「琉球舞踊」は、若衆踊、二才踊り、雑踊、古典音楽「仲風節」、女踊、第二部「組踊」は『執心鐘入』(作:玉城朝薫、監修:宮城能鳳)。後者は「道成寺物」だが、当然ながら音楽は琉球音階で、演者の語りに緩やかな抑揚が付くため、のどかで明るい印象を受ける。演技も舞踊に近い。6月に銕仙会能楽研修所で見た佐辺良和が、鬼女になる「宿の女」を演じた。慎ましい佇まい、ゆっくりと揺蕩う動きが素晴らしい。能とも日舞とも異なる、花が綻んでいくような晴れやかさがあった。

 

福岡雄大川越市バレエ連盟『ジゼル』(11月16日 ウェスタ川越大ホール)

川越市民文化際の一環。標記連盟の10周年記念公演でもある。『ジゼル』に先駆けて、伊藤京子振付の『Tokyo 2020 ~Opening march~』が上演された。ミリタリールックの所属スタジオ生たちが、様々なマーチに乗せて、音楽的で明快なフォーメーションを溌溂と築いていく。クラシック・スタイルへの意識もよく行き届いていた。

主演目の『ジゼル』は、新国立劇場バレエ団プリンシパルの福岡雄大が、初めて構成・演出した全幕物である。バレエミストレスは同団の五月女遥が担当。英国ロイヤル・バレエ現行版(演出・振付:P・ライト)を基にしているが、細部に福岡の手が入り、感情の流れを重視する、血の通った演出となった。場の繋ぎが細かい。振付面では、ペザントを男女のカトル(榎本祥子、鈴木優、大森安正、高橋真之)に変え、難度の高い踊りで収穫祭を牽引させている。

ジゼルの小野絢子は、自身の資質と完全に一致した造形だった。はまり役である。引っ込み思案の少女、半意識で動くウィリ、その両方に可愛らしさが宿る。全編にわたって、小野の慎ましい呼吸が息づいていた。いかにも蝋梅を好みそうなジゼル。

アルブレヒトの福岡は、演出して演じる二役を見事にこなしている。極めてノーブルなウィルフリード(坂爪智來)に対する時には、少し気張りがあったが、後は福岡らしい意志の強いアルブレヒト。二幕アントルシャの素晴らしさ。技術のみならず、ミルタに踊らされている、力を出し尽くすことを強いられている様がよく分かった。

ヒラリオンの柄本弾もはまり役。型通りではなく、考えながら(感じながら)動いている。素朴な男らしさ、暖かい体温が、舞台にエネルギーをもたらした。バチルド姫の関口祐美も、華やかさに加え、役を生きる演技。身振りの美しさ、語りかけるマイムが素晴らしい。クーランド公の小原孝司、ベルタの小川育子、貴族の串田光男など、ベテラン勢が脇を固めた。

ミルタの横山柊子を女王に戴くウィリたちは、ジュニアを多く含む。見た目は必ずしも揃っていないが、呼吸を合わせ、アンサンブルとして動いていた。音楽編集は高橋一輝、ポスターデザインは廣田奈々。

 

国立劇場第163回舞踊公演京舞(11月29日 国立劇場大劇場)

21年ぶりの井上流「京舞」東京公演。舞妓8人による上方唄『京の四季』、芸妓21人による手打『廓の賑』(木頭:小萬)の、一糸乱れぬ姿に驚かされる。色っぽい女踊りよりも、男踊りの方が面白い。他流よりも「男」を作らず、あっさりしている。八千代は『三つ面椀久』を娘の安寿子と舞った。3人を踊り分ける飄々とした舞。重心の低い腰の静止、脚の切れの気持ちよさ。詞章との関係が抽象的で、動きのみで見ることができる。浄瑠璃 竹本駒之助の破天荒な面白さ、子役の女の子たちの可愛らしさも印象深い。

以下は作家の松井今朝子が、井上流の人形ぶりについて書いた文章(プログラム)。「文楽人形を模写した姿態は歌舞伎役者が愛嬌たっぷりで見せる人形ぶりの及ばない、ある種の凄味を感じさせる。なぜならそれらは人形のカリカチュアではなく、近松門左衛門のいう『正根なき木偶』に成りきった捨身の芸を想わせるからだ。つまりは演者が自身をオブジェ化した凄味、とでもいうのだろうか」。舞踊そのものを考える上で示唆的だった。

 

中島伸欣 ジョン・ヒョンイル @ 東京シティ・バレエ団「シティ・バレエ・サロン vol.8」(11月30日 豊洲シビックセンターホール)

キム・ボヨン公演監督の選んだ4作品が、バレエ団ダンサーとスタジオ・カンパニーダンサーによって上演された。『ドン・キホーテ』第3幕より、草間華菜『Finding Happiness...』 、中島伸欣の『セレナーデ』、ジョン・ヒュンイル(ゲスト)の『The Seventh Position』である。

中島作品は、ドヴォルザークの「弦楽セレナーデホ長調」を使用。ネオクラシカルなスタイルで、中島らしい諧謔味があちこちに付される。特にフレックスの足技が可愛らしい。背中を丸める、膝を曲げるなど、体のアクセントも面白く、明るく晴れやかな音楽性が横溢する。バランシンの引用もあるが、オマージュと同時に、捻りを加えて楽しんでいる様子あり。愛のアダージョは例によって対話のごとく雄弁だった。音楽から汲み取ったものが余さず形になった、瑞々しく機嫌のよいシンフォニックバレエ。レパートリー保存を期待する。

ジョン・ヒョンイルは、キム監督が母国で作品を見て感動し、公演を依頼した振付家。1974年生まれ、漢陽大学のダンス・福祉学科を卒業後、韓国国立バレエ団、ユージン・バレエ(米国)、ダンス・シアター・オブ・ハーレム(米国)で踊る。帰国後、ジョン・ヒョンイル・バレエ・クリエイティブ(オサン文化芸術センター)を設立。ソウル国際振付フェスティバルのチーフ・ディレクター等を歴任する。

作品は1時間物を短縮したとのこと。題名『The Seventh Position』が示唆する通り、ポジションの追究を主眼とする。当然フォーサイスの影響が窺えるが、脱力のない、よりハードで強い(太い)スタイルで、固有の音楽性に基づいている。バッハの「ブランデンブルク協奏曲3番」では、バロックの激しさに見合った力強い動きが炸裂。女性ダンサーが仁王立ちになり、上目遣いで前を見る、大股でどしどし歩くなど、通常の日本人ダンサーの閾値を超えた表現が、振付家の指導によって実現される。続く太い弦のミニマルな音楽を背景とした場面では、精妙な振付に驚かされた。二人の女性ダンサーが向かい合い、鏡面の踊りを始めるが、途中から違う動きになり、相手と関わり、やがてそれぞれが立ち去る。動きのみで表された繊細なドラマの生起に感動した。鏡面の一人、櫻井美咲のシャープな動きが素晴らしい。パガニーニの「24の奇想曲カプリース」では、動きの切れ味が印象的。元の1時間に戻した上で、バレエ団のプログラムとして見てみたい。

 

勅使川原三郎『忘れっぽい天使 ポール・クレーの手』(12月13日 シアターX)

12月だが。勅使川原と佐東利穂子の出演で、画家クレーの生涯を描く。装置はなく、照明と音楽のみで鮮烈な空間を作る熟練の手法。ヘンデルモーツァルトは馴染み深いが、今回は、クレーのチュニジア旅行を反映して、アラブ風の音楽も使用された。上半身を照らされた勅使川原が、クキクキと動く。右足をへらのようにヒョイと左へ動かしたり。音楽を頭から被り、嘗め回すような、これまでにない音楽との一体化、新たな動きの創出があった。無音でクレーの線をなぞったり、サイレンと機銃掃射のような床面移動ライトで、ナチス時代の恐怖を見せるなど、主題に誠実な演出が、勅使川原のクレーへの愛を明らかにする。佐東は、天使の勅使川原を補完するように、影となって踊った。