『くるみ割り人形』+『かもめ食堂』2019

Kバレエカンパニー(11月28日 オーチャードホール

熊川哲也版。ホフマン原作の複雑な時空を反映。ヨランダ・ソナベントの華麗な美術がマジカルな空間を作る。マリー姫の浅野真由香は明るく爽やか、王子の遅沢佑介はノーブル、クララの河合有里子は可愛らしい芸達者。渡辺レイが舞踊監督に就任し、音取りが緩やかになった。踊りの見せ方も、立体性よりも二次元の美を追求する。カンパニーのスタイルは継続されるのだろうか。フリッツの関野海斗が小回りの利く巧い踊り、花のワルツの成田紗弥がよく歌う脚を披露した。井田勝大指揮、シアターオーケストラトーキョー。

 

バレエ団ピッコロ(12月5日 練馬文化センター 大ホール)

松崎すみ子版。細かく自然な演技が、大人から子供まで行き渡る。クララの子供らしい感情の表出、それを暖かく見守るドロッセルマイヤー(小原孝司)、やれやれと肩を叩く召使たち、酔っ払いの父の手を引く子供の姿も。新鮮な空気を深々と吸える晴れやかな舞台。見る者を前向きにさせるのは、松崎の真っ直ぐな人間性が舞台に反映しているから。金平糖の精の松岡梨絵はリリカルで優しい演技、王子の橋本直樹は規範に則った丁寧な踊りで、すみ子ワールドの芯となった。

 

井上バレエ団(12月7日 文京シビックホール 大ホール)

5月に急逝した関直人の版。関振付の特徴は、ダイナミックで精緻な音取りが、めくるめく幻惑感、さらには高揚感を生み出す点にある。ダンサーたちは、シンプルなポール・ド・ブラと真っ直ぐな脚遣いで、その並外れた音楽性を視覚化してきた。今回は腕の美しさを追求したせいか、音取りが緩やかになり、夢のような異空間は現出せず。バレエマスター石井竜一への世代交代、過渡期なのだろう。金平糖の精の源小織は、凛とした佇まい、柔らかな腕遣い、鋭い動きで、団の伝統を継承。王子の西野隼人は美しく誠実な踊りで、源をサポートした。フリッツの渡部出日寿が父譲りの美しい踊りを披露。御法川雄矢指揮、ロイヤルチェンバーオーケトラ、NHK東京児童合唱団。

 

スターダンサーズ・バレエ団(12月8日 テアトロ・ジーリオ・ショウワ)

鈴木稔版。ドイツの一般家庭の少女が、人形の世界に紛れ込み、王子と結婚に至る直前で、家族を思い出し、現実の世界に戻ってくるお話。ディック・バードのお伽話風美術(人形劇舞台の裏側、三連兵隊、ドールハウス)と、コンテ雪片ワルツを含む自由闊達な鈴木振付が合致し、暖かい舞台を作る。主演の塩谷綾菜は、自然な演技、繊細で癖のない踊り、正確な技術で可愛らしいクララを造形、王子の高谷遼は力強く美しい踊りで、塩谷をサポートした。田中良和指揮、テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ、ゆりがおか児童合唱団。

 

東京バレエ団(12月14日 東京文化会館 大ホール)

斎藤友佳理版。新制作。ほぼワイノーネン版を踏襲するが、雪片のワルツ、花のワルツは、フォーメイションを変えている。またグラン・パ・ド・ドゥのアダージョは2人で踊り(ワイノーネンは4人の騎士が加わる)、ソビエト・バレエらしいグランドリフトを多用。各国の踊り手がクリスマス・ツリーから出てくるのが斎藤版の特徴である。装置・衣裳のコンセプトはニコライ・フョードロフとのことで、ソビエト時代への素朴な郷愁を感じさせる(ムーア人の造形を含む)。マーシャの沖香菜子は持ち前の輝きに、斎藤芸監の細やかな演技を加えたアプローチ、くるみ割り王子の秋元康臣は美しく伸びやかな踊りで、沖をサポートした。老人と組んだ伝田陽美の若妻(または亡き息子の嫁)が際立つ演技。池本祥真のスペインも鮮やかだった。井田勝大指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団NHK児童合唱団。

 

牧阿佐美バレヱ団(12月14, 15日 文京シビックホール 大ホール)

三谷恭三版。デヴィッド・ウォーカーの豪華な美術と英国系の演出が合致したオーソドックスな版。バレエ団の精緻な音楽性は、雪片のアンサンブルに象徴される。今年は2人の王子がデビュー、いずれも海外バレエ団経験者である。初日ソワレの元吉優哉は、感情を載せた踊り、献身的なサポート、鮮やかなラインが特徴。常に目の前の相手に向かって演技をする、親密なパートナーである。二日目の水井駿介は、バランスの取れた四肢、美しく大きな踊り、陽性の客観的視点を備えた主役。共に次回作での活躍が期待される。金平糖の精はそれぞれ、美的な織山万梨子、音楽的な阿部裕恵が勤めた。花のワルツソリスト 中川郁の清々しいオーラ、アラブ 光永百花の濃厚で危険なオーラも印象的。デヴィッド・ガーフォース指揮、東京オーケストラ MIRAI、なかの児童合唱団。

 

新国立劇場バレエ団(12月15日夜, 17日, 21日昼, 22日夜 新国立劇場オペラパレス)

ウエイン・イーグリング版。ホフマン原作を反映させつつ、家族の繋がりを強調する演出。自動人形の場面は、クララの姉と求婚者たちによる劇中舞踊に、グロス・ファーターは、祖父母から父母へ杖と補聴器が渡り、フリッツも加わる世代継承を暖かく視覚化、闘いとディヴェルティスマンには、フリッツを模した騎兵隊長、姉ルイーズによる蝶々、父母によるロシアが組み込まれ、終幕はクララとフリッツが雪の夜空を振り返って終わる(音楽:子守歌)。振付は難度が高く、多数の実力派ソリストが必要。同団でなければ上演できない、タフな『くるみ』である。なぜか暗幕が下りる樅の森のパ・ド・ドゥは、もう少し明度を上げてもよい気がする。

クララとドロッセルマイヤーの甥=くるみ割り人形=王子は4組。米沢唯と井澤駿は、穏やかな光が拡がるようなアダージョ、小野絢子と福岡雄大は、振付のアクセントも明確な磨き抜かれたアダージョ、池田理沙子と奥村康祐は、池田の開かれた生命力に奥村が優しく応えるアダージョ木村優里と渡邊峻郁は、木村が率先し渡邊がフォローするアダージョ、とそれぞれの個性を発揮した。ダンサー全員が持ち役や初役を掌中に納め、劇場のクリスマスシーズンに貢献。福田圭吾の献身的ロシア、髙橋一輝の老人2役、木下嘉人・原健太の明るく機嫌のよい花のワルツソリストが印象深い。また井澤諒が美しい踊りで復帰している。アレクセイ・バクラン指揮、東京フィルハーモニー交響楽団東京少年少女合唱隊(退場時にライトアップ希望)。

 

東京シティ・バレエ団(12月21日 ティアラこうとう大ホール)

石井清子版。冒頭の若草物語風母子、ピエロ、コロンビーヌ、ムーアの大小2組など、児童舞踊の楽しさが横溢する。樅の森から大人のクララに変わり、くるみ割り人形アダージョ金平糖の女王は原典版通り、コクリューシュ王子と踊る。金平糖の斎藤ジュンは、愛らしく明るい女王、王子のキム・セジョンは、誠実で美しい踊りを心掛ける(本来は情熱的なタイプだと思うが)。『R&J』でも組んだくるみ割り人形の吉留諒、クララの庄司絢香は息も合い、見ごたえあるアダージョを披露。NBAバレエ団から移籍した土橋冬夢が、随所で体を惜しげもなく捧げる献身性を見せている。福田一雄指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、江東少年少女合唱団。

 

松山バレエ団(12月22日 東京文化会館大ホール)

清水哲太郎版。森下洋子のための版と言ってよく、クララの見せ場が他版よりも多い。モダンな語彙と戯画化された演技で独自の様式を築く一方、人形3体、ディヴェルティスマンのクラシカルな振付は、バレエ団の歴史を思い出させる。森下の腕遣いは依然として素晴らしく、伝統舞踊の真髄。NBAバレエ団に移籍した王子の刑部星矢は、溌溂とした美しい踊りで新境地を拓いた。雪の女王とあし笛を踊った石津紫帆は、美しさと気品にあふれた次代を担う逸材である。河合尚市指揮、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団

 

小林紀子バレエ・シアター(12月27日 東京建物 Brillia HALL)

同劇場杮落しシリーズの一環。小林紀子版。先行版同様、ワイノーネン版の影響が見られるが、クリスマス・ケーキが頻出し、振付家の思い入れを窺わせる。またねずみの王様が食事を邪魔されて怒る場面も。パーティシーンでは、かつてお転婆だった祖母の存在感が際立つ。金平糖の精の真野琴絵は、バレエ団のスタイルをよく実践。明るく力みのない踊りを披露した。王子のアントニーノ・ステラは献身的だが、様式が異なる。くるみ割り人形・青を踊った吉瀬智弘の方が、舞台に馴染んでいた。赤の望月一真、五十嵐耕司とのトリオは、見応えがある。江原功指揮、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団

 

井上恵美子ダンスカンパニー『かもめ食堂(12月28日 川崎市アートセンター アルテリオ小劇場)

母(井上恵美子)と娘(江上万絢)の葛藤と和解を描く物語ダンス。合間にかもめたちが入り乱れ、酔っぱらった母と男かもめがパ・ド・ドゥまで踊る。音楽の表記はないが、島唄や沖縄風の曲が用いられ、母のまな板叩きと相まって、明るい南国の港食堂が浮かび上がる。因みに、まな板を叩くリズムは音楽と一致せず、そこに鼻が開いたような脱力の面白さがある。母子の芝居が素晴らしい。役者顔負けだが、ダンスと地続きにある点で、役者を上回る。井上の酔っ払い芝居の巧さ。煮物に酒を入れて味見を繰り返すうちに、しゃもじの酒を舐め、終いには一升瓶から直飲みする。男かもめ(大前祐太郎)とコミカルでロマンティックなダンスシーンを繰り広げた挙句、逃げる大前に「待てー」、大前「いやだー」。娘の江上も、パトスを出し切る舞台、よれよれになることができる。

そばを食べる所作が、拡張されてダンスになる面白さ。井上の哀しみのソロの溜め、群舞の手首の決め、フッと立つ、フッと動くなど、日舞の下地を感じさせる。バレエで培われた音楽性、モダンの破天荒な自然体が加わり、独自の振付、舞踊形態が生み出されたのだろう。そして物語る力。ホロリとさせるダンスを初めて見た。