山本康介『英国バレエの世界』2020【追記】

標記書籍を読んだ(3月23日)。ダンサー山本康介を見たのは、バーミンガム・ロイヤル・バレエ退団後、バレエシャンブルウエストの『おやゆび姫』と『ルナ』において。それぞれ、つばめと長耳(うさぎ)の役を、パワフルに踊った印象がある。一方、振付家としては、日本バレエ協会の「全国合同バレエの夕べ」が初めてだった。鋭く繊細な音楽性、そこはかとない情感、清潔なクラシック・スタイルが特徴。まだ全幕を見たことはないが、音楽性豊かな物語バレエ作家になるのではないか。これまで書いた作品評を以下に挙げる。

山本作品『冬の終り』は、生演奏ピアノを背景に踊る極めて質の高い作品だった。対角線の照明をベースに、スモークや微妙な明度の変化で堅固な空間を形作る。振付は音楽を読み込み、ストラヴィンスキー独特の“おかしみ”や“はずし”によく応えていた。パートナリングは創意にあふれ新鮮。支部の若手女性二人はすこし背伸びした感じだが、ゲスト厚地康雄の優れた振付解釈と清潔な踊り、対話のようなサポートに助けられ、作品の内包する鮮烈なドラマを立ち上げることに成功した。(2011年 日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」四国支部

【追記】二作目は、長年バーミンガム・ロイヤルバレエ団で活躍した山本康介によるフォーレの『レクイエム』。歌の声部と男女ダンサーが呼応する、祈りに満ちた踊りである。

振付語彙はネオ・クラシック。バランシンやベジャールへのオマージュを響かせながらも、オリジナルの強さを持つ。堅固な構成力、力みのない自然なスケール感、そして何よりも音楽を深く汲み取った振付の強度。音単位ではなく、フレーズに付けられたパおよびアンシェヌマンの全てに、意味があった。

特に「我を許したまえ」の冒頭、バリトンで踊られるアクリ士門のソロが素晴らしい。両腕を上方に差し出してのアラベスクから、半回転し、後脚を胸に引き付ける動き、そのフォルムの強さ。士門の美しいラインと強烈なパトス、自らを捧げ切る舞台人魂が、山本の振付とぶつかり合った瞬間だった。

演技によってではなく、ラインとフォルムで精神性を表す一種の抑制美が、山本振付の特徴である。英国由来か、個人に帰するものかは分からないが、現在の日本においては稀少な個性と言える。(2012年日本バレエ協会関東支部埼玉ブロック「バレエファンタジー」)

シンフォニック・バレエでは[髙部尚子がストラヴィンスキーの協奏曲を使って、激しいアーティスト魂を炸裂させ]、山本康介がフォーレの『レクイエム』で祈りの歌を、ラヴェルの『クープランの墓』でみずみずしい音楽の流れを身体化した(日本バレエ協会)。共に抜きん出た音楽性の持ち主である。(2012年公演総括― 日本バレエ協会関東ブロック埼玉支部「バレエファンタジー」、同協会「バレエクレアシオン」)

 [続いて]山本作品『Thais Meditation』。修道僧アタナエルと高級娼婦タイスを描いたマスネの同名オペラから、タイスを回心に至らしめる瞑想の曲に振り付けられた。先行にアシュトン、プティ。山本はBRB時代から創作を始め、ストラヴィンスキーを隅々まで舞踊化した『冬の終わり』が、2011年に日本でも上演されている。その繊細で自然な音楽性は山本の才能の核心。今作でも、星空をバックに荒井祐子と宮尾俊太郎の踊るパ・ド・ドゥは、パへの分割が不可能なほど音楽と一体化している。荒井は冒頭から振付の音楽性を余すところなく汲み取り、そのまま身体に移し替える。まるで体から音楽が流れ出るようだった。対する宮尾はリフトの多いサポートを、恋する騎士として誠実に実行。荒井の美しいパフォーマンスを献身的に支えている。優美なバイオリン独奏は浜野考史。(2018年 Kバレエカンパニー「New Pieces」)

 [創作3つ目は]四国支部『練習曲』(振付:山本康介)。シベリウスの『カレリア舞曲』より行進曲を使用。明るく明快な音楽に、英国系のクリスピーなアンシェヌマンが弾ける。二倍速のパの切り替えは、音楽と共に今でも目に焼き付いている。黒一点の野中悠聖には、高難度のソロを振り付け、技量の高さを知らしめた。余計なものが何もない清潔なエチュードだった。(2018年 日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」四国支部

 幕開けの山本作品は、グリーグの同名組曲と他2曲を使用。抒情的なアリエッタを前後に置く。女性主人公が夢に誘われ、男性とのアダージョ、若い男女や女性アンサンブルを交えた踊りを経験した後、元の世界に戻ってくるロマンティックな構成。シモテ奥にはピアノ(演奏:佐藤美和)、カミテ奥に一本の木、最後に枯葉が降り注ぐ。冒頭 女性が一人、両腕をふわりと前方になびかせドゥミ・ポアントになった瞬間から、音楽と動きの密やかな一致に魅了された。音楽が聞こえる振付家もいるが、山本の場合は、音楽と戯れるような動きの創出に才能がある。自然で、ほんのりユーモアとペーソスの滲み出る振付。水彩画のように繊細な世界に、水色のロマンティック・チュチュ、ポアント音なしのアンサンブルによるバランシンのエコー(セレナーデ・腕繋ぎ)が、こっそり嵌め込まれている。6番で踏み切り6番で終わるトゥール・アン・レールも可愛らしい。

主人公を踊った長田佳世は、高比良洋と組んで、大人のそこはかとない情感を醸し出す。その音楽性、美しい脚遣い、誠実さが作品の磁場となった。うつ伏せになり、皆が去った後、一人目覚めて木に向かう長田。その一足一足に、人生の機微を知る穏やかな境地を感じさせた。盆子原美奈と八幡顕光は、若々しいデュオ。華やかなリフトに加え、八幡はチャルダッシュ風の踊りも披露した。14人の女性アンサンブルは英国系の慎ましいスタイルを身に付けて、山本の指導者としての力量を明らかにしている。(2018年 日本バレエ協会「バレエクレアシオン」)

指導者 山本の実力は、「ローザンヌ国際バレエコンクール」NHK放映時の的確な解説でも明らかである。

本題に戻って、氏初の著書『英国バレエの世界」は、英国バレエに詳しい舞踊評論家の長野由紀氏が聴き手となり、数回にわたって山本氏が語った言葉を文章化したと言う。バレエについての認識や考えを、自分の言葉で率直に述べており、特に実践者から見た英国振付家への批評が面白かった。

Part.1は「僕の来歴と現在について」。師匠だった山口美佳先生、コンクール等での薄井憲二先生の思い出(ビントリーについての薄井評あり)、振付に興味を持った原体験(プティの『長靴を履いた猫)、憧れのマクシーモアとセメニャカ、規範となったルグリ、ロイヤル・バレエ・スクールでの教師(サンソム、コープ、コリア)、ゲイリーン・ストック校長、BRB でのダンサー生活、指導者として、振付家として、解説者として。

Part.2は「英国バレエの歴史と今に迫る」。世界のバレエ史、英国バレエの歴史(RB、BRB)、その他の英国カンパニー、アシュトン(ド・ヴァロワと共にチェケッティの技術継承―身体を立体的に保つ、音楽を重視/精巧なステップと隊形―ビントリー、ウィールドンへの影響)、マクミラン(1幕物に個性、グループワークよりも主役重視の振付、パ・ド・ドゥの魅力)、ライト、ビントリー、ウィールドンについて、フォンティーンの魅力(音楽性、素晴らしい立ち脚、基本の強弱の調整によって役柄を表現)、吉田都の魅力(軽やかな美しさ、キラキラとした輝き、動きの特質や音楽性が英国的―フォンティーンやコリアに通じる、バランシン、フォーサイスでも)、ロイヤル・スタイル(はない)について、各国バレエの特徴(ムハメドフの教え)。

Part.3は「英国的おすすめ演目を徹底解説!」。『白鳥の湖」から『チェックメイト』まで。BRB『R&J』でのマンドリン・ダンサーのモップ衣裳は、マクミラン自身のアイデア(イタリア・カーニヴァルの「炎の踊り」を模した)。『二羽の鳩』は初めて踊る役で出演した幕物(ジプシー・ボーイを踊った、アシュトン・バレエはどの役をやっても楽しい、カンパニーとしてやりがいがある)。

Part.4は「バーミンガム・ロイヤル・バレエの仲間との思い出話」。佐久間奈緒、厚地康雄、平田桃子と、BRB のバックステージを赤裸々に語る。

装丁が素晴らしく、思わず手に取りたくなる。あっさりと軽やか、これ見よがしのない、アシュトン系の美意識。世界文化社より 2020年3月30日発行。定価:本体1800円+税。