盆踊りのこと2020

前回触れた盆踊りのことを書いておきたい。が、その前に、SWITCHインタビュー達人達「神田松之丞 × いとうせいこう2017」(NHK Eテレ 5/30)について少し。松之丞(現伯山)がなぜ講談師になったか、その経緯を語る。「小4の時、父が自死。遺書のふるえる字を見て、人生が変わった。それ以降 自分の居場所がどこにもないと思うようになった。高3の時、ラジオで三遊亭圓生の噺を聞いて、落語にのめり込む。その後 立川談志にはまり、談志の芸能談義を読むうちに、講談に巡り合う。神田伯龍を聴いて、これだと思った。講談に救われた。」

「自分が死んでも後の人に繋げていける。自分もそのリレーの一部になれる。自分は消えてしまうかもしれないけど、完全に消えるわけではない。伝統芸能は、死んだ過去の名人上手たち、いろいろ物を書いてくれた人たちを背負って、今自分がバトンを渡されている、また次の人たちに、自分が死んでバトンを渡すという、繋げていくもの。仕事としてずっと続いていくものがいいと思った。」

いとうせいこうというこの上ない聴き手を得て、松之丞の熱く深い言葉が迸るインタビューだった(いとうも同じく)。「自分が死んでも続いていく」が、伝統芸能にはまるツボ。我々が歌舞伎を見て、身内がとろりとするのは、連綿と続く大きな流れの中で、役者が生まれて育ち、成熟して終わる、その繰り返しを目の当たりにし、自分もまたそこに吸い込まれて、死への直面を一旦猶予される、または死を虚構化できるからだろう。

わが町の盆踊りは中学のグラウンドで催され、新盆の人の遺影に見守られて踊った。8月の13, 14, 15日だったと思う。12日にはお寺の境内でも踊りがあった。18日は送り盆で、浜の桟橋から紙と藁でできた灯篭を流した。山の方の神社でも盆踊りはあったが、遠いので行っていない。同時期に「盆踊り保存会」主催の会もあり、これは小学校のグラウンドで踊った。お爺さんの口説きとシンプルな太鼓で、前に歩いては戻る緩やかな踊り。手も高くは上げない。円になって行きつ戻りつするうちに、意識が朦朧として、自分の体が周囲に溶けていく。

山崎広太主宰ボディ・アーツ・ラボラトリーによる「Whenever Wherever Festival 2015」プレイベントで、佐藤剛裕氏のレクチャー「チベット密教舞踊における反スペクタクル」の参考映像を見た時、心底驚いた。村人が円になって踊る死者を悼む踊り(だったと思う)が、わが町盆踊りと瓜二つだったのだ。ゆるゆると前後する引きずるような足の運び。音楽は覚えていないが、リズムは同じだった。さらに鳥葬の原型とされる鳥を呼ぶ踊りの歌が、お爺さんの口説きにそっくりだった。円を組んで、ゆるゆると何時間も踊り続けるのは、戻ってきた死者への供養であると同時に、死後の世界へ触れる入口でもある。臨終の際、屏風に描かれた「山越阿弥陀」の手から伸びる五色の糸を握り、浄土に行けると信じた鎌倉時代の幸福を思い出させる。