ボリショイ・バレエ in シネマ『ジゼル』2020【追記】

標記映像を見た(6月24日 TOHOシネマズ日本橋)。2020年1月26日、ボリショイ劇場から世界へ生中継された公演の収録映像である。振付はアレクセイ・ラトマンスキー、振付助手はタチアナ・ラトマンスカ、美術はロバート・パージオラ(アレクサンドル・ブノワに倣って)、指揮はパヴェル・クリニチェフ。キャストは、ジゼル:オルガ・スミルノワ、アルブレヒト:アルテミー・ベリャコフ、森番ハンス:デニス・サーヴィン、ミルタ:アンゲリーナ・ブラーシネツ、ジゼルの母ベルト:リュドミラ・セメニャカ、バチルド:ネッリ・コバヒーゼ。クールランド公、ウィルフリード、ペザント・パ・ド・ドゥも好演したが、キャスト表に記載がなく、エンドロールも見逃した。【追記】コメント欄を参照。

ラトマンスキーによれば、様々な史料(ニコライ・セルゲーエフのノート、アンリ・ジュスタマンの舞踊譜等)を基に、現代的に再構成したとのこと。全体的に英国系よりもさらにマイムが多く、振付のバットリー多用が目立つ。自身のデンマーク・ロイヤル・バレエにおけるダンサー経験が、大きく反映されているものと思われる。構成・演出は、サン=ジョルジュとゴーティエの台本にほぼ忠実。またジュスタマン舞踊譜の引用も散見される。1幕バチルドとジゼルの親密なやりとり、狂乱のジゼルからアルブレヒトが剣を奪う(台本では母)、2幕冒頭 森番たちとハンスのやりとり(皆でジゼルの墓に祈る、は舞踊譜にはない)、ウィリたちの十字フォーメイション、そして台本通りの終幕の情景。

朝の光で衰えるジゼルを、アルブレヒトが抱いて小さな塚に横たわらせる。弱るジゼルを何度も抱き起すが、周りの草花がその体を覆い始める。ウィルフリードに案内されたクールランド公とバチルドが到着。ジゼルはバチルドと結婚して幸せになってねと言い残し、草の中に沈んでいく。アルブレヒトはウィルフリードに抱きかかえられ、バチルドに手を差し伸べて幕となる。

バチルドは台本通りに優しく愛情深い女性に描かれ、ジゼルとの暖かい交流、その死への衝撃が、終幕のアルブレヒトへの包容に繋がっていく。結果、アルブレヒトはジゼルにもバチルドにも許されるナイーヴな二枚目の造形となった。物語の本来に立ち返った演出・結末と言える。

現行では省略される二幕怒りのフーガは、ラトマンスキーの新振付による。ジゼルがウィリの掟を破り、アルブレヒトを十字架へと導いたことへのウィリたちの怒りを表す場面である。ミルタがローズマリーの枝で、十字架の二人を支配しようとするも、枝が折れて失敗。ウィリたちは怒り狂って二人に攻め寄る。ラトマンスキーは、ハンス犠牲直後のバッカナールを参考に振り付けているが、振付それぞれの意図が異なる上、やや二番煎じの印象。因みにメアリー・スキーピング版(1971年)のフーガ振付は、台本に沿い、よく怒りを表している。

2幕に見られる機械仕掛けは、19世紀バレエの伝統。台車に乗ったミルタの滑走、ジゼルのすっぽんによる登場、宙乗り、シーソーのような大枝の前傾など。ドゥジンスカヤ監修、K・セルゲーエフ版で保存されていたものと同じである(1998年 新国立劇場オペラ劇場)。1幕での子役の採用(子供バッカス、村人の子供たち)も、19世紀の雰囲気を加味。またクールランド公とバチルドは本物の白馬で登場する。4人の角笛吹き、6人の鷹匠、8人の槍持ちが先駆けるが、鷹匠にはトラヴェスティの雰囲気があった。ジュスタマンではワルツの村娘が12人のところ、ラトマンスキー版では16人に、ブドウ収穫人はコリフェ4人、男女24人から、コリフェ8人、男女32人に増えて、群舞の迫力を示した(ボーモントによればオリジナル版は、コリフェ8人、男女32人、少女18人、少年6人、楽士4人とのこと)。

美術をブノワに倣ったのはなぜだろう。2幕の湖水の向こうに教会(修道院?)が描かれる。鐘の音が聞こえるので、不思議ではないが、森の奥深さが減じるような気がする。屋根の十字架はよく見えなかった。ウィリの描く十字フォーメーションの意図もよく分からない。現地プログラムには記載されているのだろうか。 

スミルノワのジゼルは、登場した時から異世界にいる。可愛らしさよりも霊性が優る造形だが、演技によってではなく、体の質や意識を変える手法による。バチルドとの阿吽のやりとり、狂乱にも作為がなく、ウィリとなってからの慈愛も自然に流れ出て、終幕の祝福を納得させる。踊りもこれ見よがしがなく、難度の高いソロも、物語の流れの中で踊っていた。新振付、従来の振付の、隅々にまで思考が行き渡った 伝統を塗り替えるジゼルだった。

ベリャコフのアルブレヒトは、絵に描いたような二枚目。気品があり、苦労を知らない可愛らしさもある。二人の女性に許されることがおかしくない無垢な味わいも。1幕にソロが2つあるが、やたらとアントルシャの多い振付を難なく、しかもノーブルにこなしている。ペザント・パ・ド・ドゥもバットリーが多く、男性は左右トゥール・アン・レールを挟んでアントルシャなど、非常に難度が高い。男女ともにテンポが速く、技量のあるダンサーが選ばれている。

サーヴィンのたくましいハンス、コバヒーゼの優しく気品のあるバチルド、真情のこもったウィルフリード、鷹揚なクールランド公を始め、貴族、村人の一人一人が細やかな演技を見せる。中でも、ベルト セメニャカの鋭いマイム、深い眼差しは、一瞬で空間を変える力を備えていた。セメニャカによって物語の空間が作られたと言える。素晴らしい役者だった。

ミルタ、ドゥ・ウィリ、ウィリ・アンサンブルは、伝統的な造形(スキーピング版はシルフィードに近い造形)。ひたむきな愛らしさがあった。

クリニチェフ指揮、ボリショイ劇場管弦楽団が素晴らしい。深い弦の響き、豊かで柔らかい金管の音色に四方から包まれるようだった(映画館の音響設備もあるが)。