牧阿佐美バレヱ団『眠れる森の美女』2020

標記公演を見た(10月3日 文京シビックホール 大ホール)。同団では1982年にウェストモーランド版を導入。以来、再演を重ねる重要なレパートリーの一つとなった(今回は12回目)。振付のテリー・ウェストモーランドは、1958年に英国ロイヤル・バレエに入団し、10年間 主役、ソリストとして活躍している。セルゲイエフの舞踊譜に端を発し、様々な英国らしい振付が加味された当時のロイヤル版『眠れる森の美女』を、移植された牧阿佐美バレヱ団が保存しているのである。

今回は新型コロナウイルス感染拡大予防のため、時間を短縮しての上演となった(1幕編み物女性たち、2幕ファランドール、パノラマ、目覚めのパ・ド・ドゥ等を省略)。また2幕と3幕を続けて上演し、3幕行進曲を間奏曲としている。

主役はWキャスト。オーロラ姫初日は青山季可、二日目は中川郁、フロリモンド王子にはそれぞれ、清瀧千晴、水井駿介(共に初役)が配された。その初日を見た。

青山は07年、10年、15年と踊り、今回が4回目のオーロラである。若手時代は、体全体が微笑んでいるような暖かい舞台が特徴だった。リーズ、シルフィード、キトリを見ては、幸福を感じていたが、15年のジゼルでは、実存と絡んだ深い造形に衝撃を受けた。その後『飛鳥』金竜の力強いソロ、『ア ビアント』パ・ド・ドゥで見せた音楽と劇的感情の一致に、青山の別の側面を見る思いがした。因みに15年のオーロラ評は以下の通り。

青山は物語性を重視。古典バレエの演劇的側面を読み込み、一挙手一投足に心を込める。常に相手との、さらには観客とのコミュニケーションを目指すので、観客は青山と共に旅をし、その身体から微笑まれたような心持ちになる。

今回のオーロラ姫は打って変わり、青山の古典解釈が花開いている。最も演劇的な1幕も、音楽とともにすっきりと踊り、品格を重視。2幕ヴァリエーションは、本来の資質であるロマンティックな幻想性が遺憾なく発揮された。空気と交わり溶け込むような密やかさがある。水色チュチュがよく似合っていた。3幕は気品そのもの。踊りというよりも所作に見える。周囲、観客を祝福する澄み切ったオーラが拡がり、劇場を静かにまとめ上げた。体感としては、バレエのいわゆる温泉効果はなく、日本舞踊の佳いものを見た時のような、浄化される感触に近い。水のような踊りだった。

これは牧の伝統なのだろうか。それとも青山の解釈と資質の混淆なのか。少し川口ゆり子を思わせる日本的ニュアンスもあるが、踊り方は全く異なる。青山の『ア ビアント』や『飛鳥』全幕を見てみたい。

王子の清瀧は、ノーブルな雰囲気をよく身につけていた。3幕ヴァリエーションの品格ある美しさは、ダウエルを手本としたバレエマスター 森田健太郎の伝授によるものだろうか。コーダのグランド・ピルエットはやや王子から逸脱したが、清瀧らしさが横溢した。

リラの精 茂田絵美子は、伸びやかなライン、確かな技術に、包容力が加わり、善の象徴たり得ている。対するカラボスは、はまり役の保坂アントン慶。女装の妖しさに一層磨きがかかり、悪を楽し気に演じている。フロレスタン24世王の逸見智彦、王妃の坂西麻美、カタラブット 依田俊之のベテラン勢が、的確な演技で脇を固めた。

フロリン王女 米澤真弓の匂やかさ、ブルーバード 山本達史の高い跳躍、また宝石の精(織山万梨子、上中穂香、細野生、濱田雄冴)が、溌溂とした踊りで同版の美点を体現した。古典全幕ゆえ、残念ながらコロナ自粛期間の影響は拭えない印象だったが、ベテラン主要キャストが相変わらぬ実力を見せて、舞台を大きく牽引した。

指揮は当初デヴィッド・ガーフォースが予定されていたが、コロナ禍で来日が不可能となり、代わって冨田実里が東京オーケストラ MIRAI を率いた。当然ながら大ベテラン ガーフォースのようなとろみはないが、明快でエネルギッシュな指揮により、躍動感あふれる引き締まった舞台を作り上げた。