新国立劇場バレエ団『ドン・キホーテ』2020

標記公演を見た(10月23日、24日昼、25日、31日昼夜、11月1日 新国立劇場オペラパレス)。今季より就任した吉田都芸術監督初のシーズン開幕公演である。当初はピーター・ライト版『白鳥の湖』を予定していたが、コロナ禍により、前季ラインナップの『ドン・キホーテ』(5月に公演中止)に変更された。主要キャストは大原永子前監督の配役を引き継ぐ。英国バレエを規範とする演劇性重視の指導方針も継続され、吉田監督によってさらに強化される模様だ。

アレクセイ・ファジェーチェフ(当時ボリショイ劇場バレエ芸術監督)による版は、1999年新国立劇場に導入された(今回で9回目)。ボリショイ・バレエ伝統版を基に、後世の挿入部を一部削除したシンプルな名版である。オークネフの晴れやかな美術に加え、舞踊を生かす梶孝三の明快な照明が、遺産として残されている。今回は「密」を避けるため、アンサンブルの数を減らし、子役の出番も省略された。

初演時には、当時英国ロイヤル・バレエ プリンシパルの吉田監督が初日を飾り、現バレエミストレスの遠藤睦子、湯川麻美子がキトリ友人、バレエ教師の西川貴子が街の踊り子、同じくイルギス・ガリムーリンがエスパーダを踊った。湯川、西川はメルセデスも。また、今回標題役の貝川鐡夫、公爵・役人の内藤博がセギディーリャに名を連ねて、一世代回ったバレエ団の歴史に思いを至らせる(因みに現バレエマスターの陳秀介はトレアドール、バレエ教師の吉本泰久はジプシーとサンチョ・パンサを演じてきた。3幕小キューピッドの落とした矢を拾う吉本の機転は、後輩サンチョにも受け継がれている)。

キトリとバジルは6組。初日の米沢唯と井澤駿は、艶やかな写真でリーフレットとチラシを飾り、バレエ団の新たなフェーズ突入を予感させた。何よりも米沢の踊りが一変したことが、吉田監督の方向性を物語る。一つの振りに幾つもの手を加え、上体を大きく使いながらも、体を立体的かつ求心的にまとめている。結果、パひとつに複雑なニュアンスが宿り、踊りそのものが画然と屹立する。ロシア派(現行)というよりも、英国の古典解釈を見るようだった。

米沢は磨き抜かれた体、艶っぽい美しさで、プリマとしての成熟に拍車をかけている。速くて数えられないグラン・フェッテは、もちろん技巧を見せるためではなく、バレエ、舞台への捧げもの、観客への祝福である。対する井澤はゆったりと大きく構え、米沢を包む。踊りも同じくゆったり。片手リフトを含むサポートも万全だった。互いに無意識下でコンタクトを取りあっているのか、不思議なカップルである。

二日目昼は木村優里と渡邊峻郁。木村はおきゃんな娘を伸び伸びと演じている。アダージョではパートナーとの対話をもう少し期待したいところだが、雄弁な脚線で空間を掌握した。対する渡邊は匂い立つような二枚目。決めのアクセントを細かく付けて、スタイリッシュなバルセロナの若者となった。

二日目夜と最終日は小野絢子と福岡雄大(最終日所見)。ファジェーチェフ版のニュアンスを最もよく伝える。長年組んだパートナーシップは揺ぎ無く、阿吽の呼吸。1幕の細やかな演技では滋味さえ感じさせた。小野は持ち前の音楽性を発揮、何とも品のよい可愛いキトリである。対する福岡は、はまり役。隅々まで血が通い、詰めに詰めた造形で、しかも気張りがない。万全の踊りに鮮やかなポーズで、ベテランの落ち着き、懐の深さを垣間見せた。今後は別々のパートナーと新たな展開が期待される(『くるみ割り人形』は同じ)。

三日目は柴山紗帆と中家正博。共に正確なポジションが描き出す正統派ラインが美しく、バレエの醍醐味を感じさせる。柴山はやや控えめな演技だが、その真髄は音楽と一体化するドラマティックな踊りにある。特に短調に親和性があり、1幕セレナーデでは、メロディに深く分け入る濃い情感が醸し出された。対する中家は美しいサポート、大きな踊りに、これまで敵役で発揮してきた演劇性が喜劇に転換、茶目っ気のある芝居を見せる。音楽性豊かな、息の合うコンビだった。

四日目昼は池田理沙子と奥村康祐。池田は作品を俯瞰的に理解し、それを舞台での自然な演技に還元できる。バジル、ドン・キホーテ、ガマーシュへの誠実な反応が、観客をドラマの没入へと導いている。1幕メヌエットで、ガマーシュを(ついでに)誘う際の表情と手つきが忘れられない。踊り方も米沢に続いて様変わりし、上体を使う大きな踊りに変わった。対する奥村は、明るくやんちゃなバジル。池田キトリを見守る風もあり、二人揃ってポジティブなメッセージを観客に伝えている。

四日目夜は、再び米沢と、主役デビューの速水渉悟。米沢は初日よりも自然で初々しい。特に2幕夢の場の匂やかな踊りが素晴らしかった。存在そのもので空気を和らげ、体の透明感も際立っている。居酒屋の踊り見物は、テーブルの上に腰かけて、バジルと語らいながら。速水とのアイコンタクトは体と体のぶつかり合いに等しく、濃厚だった。

対する速水は主役デビューとは思えない落ち着き。肩乗せリフトで米沢が上がり切れないアクシデントに見舞われたものの、盤石のサポートで米沢を支え続けた。入団当時から瞠目させられた踊りの技術と質の高さは、全幕主役という場を得て全開に。ただし、アクロバティックな振付を選択しながら、なぜかこれ見よがしにならない。バレエの技法・見せ方を日々追究しているからだろう。持ち前の分析的批評精神が、作品解釈、同僚理解、舞台の状況把握に生きて、着実な主役の道が予想される。質を保ちつつ限界に挑戦する跳躍、回転は、米沢のグラン・フェッテと共に、観客への祝福となった。

6組の主役は、ビントレー時代のダンサーを含みつつ、そのほとんどが大原前監督が一から育てたダンサーである。才能と個性を見抜き、適役に配し、叱咤激励しながら主役へと育て上げた。その成果を直に見て確かめることができなかったのは、心残りだろう。吉田新監督の「最後の味付け」に期待する。

バレエ団はベテラン勢と若手抜擢組が共に活躍した。立ち役初日組、貝川鐡夫のドン・キホーテ、福田圭吾のサンチョ・パンサ、福田紘也のロレンツォ、奥村康祐のガマーシュは、たがが外れた破天荒な組み合わせ、二日目の趙載範、髙橋一輝、中島駿野、小柴富久修は、様式性があり、趙、小柴(美脚)は、あちらの世界の住人である。宿屋テーブルでそれぞれが好きな方向に向いているのがおかしかった。狂気の貝川キホーテと活きの良い福田サンチョ(空中2回横転!)、真っ直ぐ突き進む趙キホーテと献身的な髙橋サンチョは、ともに好一対。初日組サンチョとロレンツォの苛烈な兄弟喧嘩も見ものだった。

公爵・役人の内藤博は、役を心得た風格ある演じ分け、公爵夫人の本島美和も、優雅な佇まいにわずかな手の振りで情景を立ち上げ、舞台に厚みを加えている。ジプシーの王 菅野英男の気怠い演技も秀逸だった。

キトリ友人は2キャスト。上体を使った美しい踊りの奥田花純、芝居心のある飯野萌子は持ち役を楽し気に、初役の廣田奈々と横山柊子は、それぞれ繊細な踊りと、豪快な踊りで持ち味を発揮した。エスパーダは切れ味鋭い渋めの木下嘉人、荒々しく女関係に事欠かない井澤、と対照的。対する街の踊り子には、婀娜っぽい寺田亜沙子、体の美しい柴山、ダイナミックな木村、メルセデスには気の漲る渡辺与布、鋭く気迫のこもった益田裕子、カスタネットの踊りには、ラインの美しい細田千晶、情感豊かな朝枝尚子が揃った。特に朝枝は音楽と一体化した踊りで、新境地を拓いている。

森の女王は伸びやかな木村と繊細な細田。アンサンブルとの関係では細田に一日の長がある。キューピッド五月女遥と広瀬碧も、それぞれ音楽性、柔和な佇まいと個性を発揮した。ボレロはスレンダーな益田と川口藍に対し、バジル役ダンサーをぶつける。渡邊の情熱的なパートナー振り、中家の美しいライン、速水の巧さと、それぞれに華があった。また3幕ヴァリエーションでは、奥田、五月女、池田に並んで、廣川みくりが香りのある踊りで抜擢に応えている。

アンサンブルは揃えることよりも生き生きとした体の表情を重視、広場、居酒屋での小芝居も、これまで通り各自が考え、工夫を凝らしている。夢の場の妖精アンサンブルでは、柔らかい質感が強調されていた。

充実の東京フィルハーモニー交響楽団を率いるのは、冨田実里。『ドン・キホーテ』(日本バレエ協会関東支部神奈川ブロック)で指揮者デビューした冨田は、新国立ではアレクセイ・バクランとマーティン・イエーツの同作副指揮者を務めた。そのどちらとも似ていない、ずっしりと構えた骨格の明確な指揮で、東京フィルの弦と管を十全に使い切った。ビントレー時代に確立された副指揮者の制度、指導者育成の「キャリア・ディヴェロップメント」(『SPICE』2020.10.29)、振付家育成の「DANCE to the Future」が、現在花開き、実を付けつつある。