Noism0/Noism1『Duplex』2021

標記公演を見た (2月26日 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール)。ゲスト振付家 森優貴の『Das Zimmer』、Noism Company Niigata 芸術監督 金森穣の『残影の庭~Traces Garden』によるダブルビルである。

森は昨シーズン『Farben』を振り付けて、Noism ダンサーの新たな側面を開拓。初めて出会うダンサーたちとの生々しいぶつかり合い、混沌とした不定形な作品の流れが、ダンサーたちに新鮮な息吹を与えた。今作の『Das Zimmer』では対照的に、小空間ゆえのソリッドに作り込まれた構成、ダンサーたちの資質を把握した振付が行われている。

椅子の置かれた薄暗い部屋に、古風な洋服を着た人々が半ば亡霊のように佇んでいる(衣裳:鷲尾華子)。ラフマニノフショパンピアノ曲、人声、轟音、無音が組み合わさって、時空を形成。鳥羽絢美とカイ・トミオカの夫婦を中心に、西澤真耶、三好綾音による娘たちの物語が展開される。ただし、短いシークエンス、暗転、シークエンス、暗転、が最後まで続き、物語は断片的に示されるのみ。結末は分からず、ただ濃厚な夢を見たような後味が残った。

ダンサーたちの情感あふれる踊り、スタイリッシュな動きの連続、濃密な集団フォルムなど、ドイツの歌劇場ダンスカンパニー芸術監督として、作品を創り続けてきた熟練の技が冴えわたる。その質の高さに驚かされたが、一方で、森の創作の軸足はどこにあるのかという疑問も浮かぶ。ヨーロッパ風の風俗、物語性が前面に出たせいか、観客との地続き感がやや希薄に思われた。

金森作品『残影の庭~Traces Garden』は、ロームシアター京都 開館5周年記念作品として、今年1月、雅楽の伶楽舎と Noism0 により初演された。今回は「小空間・録音」音源による再構成版である。演出・振付は金森穣、音楽は武満徹の『秋庭歌一具』、衣裳は堂本教子、木工美術は近藤正樹、映像は遠藤龍。

舞楽を思わせる四角い舞台、三方には石棺のような長方形の石壁が並び、それぞれに小さい炎が燈されている。Noism0 所属の金森、井関佐和子、山田勇気が、黒の上下(袖なし)を身に着け、横並びで舞う。舞楽の振り(両腕を上方斜めに広げる、片脚を上げて踏み下ろす、開脚グラン・プリエ、両脚閉じプリエなど)、バレエの腕遣い、ノイズム・メソッドの中腰バレエ歩きが、金森の優れた音楽性を通して融合、武満雅楽と呼応する。洋舞ダンサーの舞楽、または「日本人」の洋舞が、高度な身体技法、緻密な音楽解釈により実現されたと言える(先月急逝された山野博大氏が、この作品を見られないことに驚きを禁じ得ない、あるいは初演をご覧になったか)。

冒頭と最後の3人ユニゾンには、同じメソッドを体に入れたダンサーにしか出せない、吸い込まれるような美しさがあった。その中で、特にダンサー金森の充実が際立つ。持ち味の魔術的な腕遣いが、力強く、壮年期の厳しさを纏っている。エポールマン、スパイラルの入った立体的な肉体美。動きの一つ一つに、複雑なニュアンス、力感が宿り、円熟の踊り盛りを印象付けた。終幕、墨色狩衣での蹲踞には、舞台を鎮めるような意識の統一があった。

井関は質の異なる体で、伸びやかな踊りを見せる。天から降りてくる紅色の狩衣が、お伽話の世界を呼び起こし、都の貴人 金森、また流浪の僧侶 山田との物語を紡ぐ。金森とのお雛様のような相似形では、溶け合うような呼吸=体の一致を見せて、類まれなパートナーシップを再確認させた。座敷童のような黒い小人(映像)との戯れ、木の下で瞑想する山田とのやり取りは、妖精のような透明感にあふれる。山田は茶色の狩衣、禁欲的な修行僧そのものだった。2004年カンパニー設立の翌年に入団、退団を経て、指導者として帰団する。苦楽を共にした3人ユニゾンの志の一致に、胸打たれた。