新国立劇場バレエ団『コッペリア』2021

標記公演を無観客ライブ配信で見た(5月2, 4, 5, 8日 新国立劇場オペラパレスより中継)。政府の緊急事態宣言を受けて、新国立劇場も4月25日から5月11日までの全公演が中止となった。有料配信を希望する観客の声もあったが、準備期間が短いため無料配信にしたとのこと。初日のみ配信が予想されたが、結果は全キャスト。吉田都芸術監督の「ダンサーを踊らせたい」という強い意志が窺える。当日配布予定のリーフレットも HP上で公開された。

同団『コッペリア』は古典版ではなく、ローラン・プティ版(75年マルセイユ・バレエ団/07年)。プティ版がパリで初演される2年前、パリ・オペラ座バレエ団後輩のピエール・ラコットが、復元版を手掛けている(「スラブ風主題と変奏」のフランス脚!)。それに対抗してか、プティ版では舞台をフランスの都市に移し、村人の代わりに衛兵と町娘が登場する。スワニルダと友人たちはピンクのミニチュチュ姿で脚線を強調。コッペリウスは偏屈な老人から、気をあやつるスタイリッシュな紳士へと変貌を遂げた。さらに、牧歌的なドリーブの傑作に手廻しオルガンを登場させ、フランス風の乾いたエスプリを主張する。

3幕ディヴェルティスマンを省略した全2幕。最後にスワニルダとフランツのパ・ド・ドゥ、コッペリウスの愁嘆場が加わる。1幕スワニルダ・ソロの恐るべき技巧、「戦い」使用の男らしいフランツ・ソロ、スワニルダとフランツの「心ここにあらずパ・ド・ドゥ」(フレデリとヴィヴェット、ヨハンとベラと同系)など、クラシカルな見せ場に加え、スワニルダと友人たちの鳥動き、衛兵たちの脚伸ばし前傾歩行、低重心チャルダッシュ、フランツとコッペリウスの鳩首動きなど、プティの音楽的で破天荒なムーヴメントが全編にちりばめられている(鳥動きの点で、マルコ・ゲッケの先輩)。 プティ版『こうもり』同様、客席に向かって芝居をする演技手法のため、観客の反応が通常作品以上に 舞台を成立させる鍵となる。今回 無観客で演じるダンサーにとっては大きな試練だが、連日4万人の視聴者に含まれる「バレエを初めて見る観客」にとっては、ドリーブの音楽を含め、最適の演目だったかもしれない。今回で4度目、4年ぶりの上演である。

主役4キャスト(コッペリウスはWキャスト)はいずれも個性を発揮、無観客の困難を乗り越えている。本来初日の小野絢子と渡邊峻郁は、最終日のみとなり、米沢唯と井澤駿が配信初日を務めた。米沢のスワニルダは動きの解像度が高く、明晰なパが特徴。フランス派の細かい脚技、軸のぶれない回転技で見る者を圧倒する。コケットリーはやや真っ直ぐめながら、常に相手とコミュニケーションをとる王道の演技で、座長の芝居を見せつけた。配信初日ゆえ、舞台で全力を尽くしても観客の反応がないことに 見る側も衝撃を受けたが、その虚ろな間合いを物ともせず、最後まで揺るぎのない舞台を作り上げた。

対する井澤はあまり小芝居をせず、ダイナミックな跳躍と美しい回転で、ノーブルな青年フランツを造形。米沢とも息の合ったパートナリングを見せる。やや古典色の強い組み合わせと言える。コッペリウスは抜擢の中島駿野。コッペリア人形とのデュエットがソロに見えたものの、初役とは思えない落ち着いた演技に驚かされた。燕尾服のラインが美しく、歴代に比べるとすっきりと癖のないニュートラルな造形だった。

2日目は木村優里と福岡雄大コンビ。初めて見る組み合わせだが、アスレティックな味わいが共通し、踊り合いの様相となった。初役の木村は、1幕ではまだムラがあったが思い切りよく芝居、2幕のボレロジーグで爆発する。プティが見たら喜ぶ 決然とした脚で、空間を切り裂いていく。最後のパ・ド・ドゥも笑顔で思い切りよく、サバッとした明るさの出た舞台だった。

対する福岡は、冒頭のタバコを吸う姿から すぐにはまり役と思わせる。通常よりも男らしいプティ版フランツにぴったり。踊りの切れはもちろん素晴らしく、やんちゃ系の味付けもこなれている。コッペリウス 山本隆之とのやり取りは地のように自然だった。久しぶりに帰団した山本は、並外れた虚構度の高さを誇る。パ・ド・ドゥの名手で、コッペリア人形が生きて見えるのは当然として、モノ扱いする時の酷薄さも得意とするところ。コミカルな動きから、踊りに至るまで、全て演技に含まれて、なおかつ音楽と一致している。町娘アンサンブルに囲まれる時の受けの力、そこから生じる色気は舞台人として貴重。終幕、崩れたコッペリアと佇む姿からは、悲哀と言う言葉では言い尽くせない人間存在の深みを感じさせた。なぜここにいるのか考え抜いている。

三日目の池田理沙子と奥村康祐は、1月の『ジェンツァーノの花祭り』pdd、2月の『眠り』ブルーバードpdd、3月の平山素子『Butterfly』デュオと、スタイルの異なる作品を踊りこなしてきた。2回目となる本作でも、長年培った自然な呼吸が際立っている。池田は確かな技術に加え、前回よりも踊りが美しく明快になった。スワニルダは適役だが、今回はやや表情が硬く、持ち前の 役に入り込む美質が なぜか生かされていないように見える。本調子ではなかったのだろうか。対する奥村は伝統的なフランツタイプ。煙草は似合わなかったが、元気で溌溂とした人気者を明るく演じ切った。中島コッペリウスが順当に年上に見える。中島は客席への目の芝居が細かく、ノーブルな楷書の動き。プティ研究の成果だろう。

最終日は本来初日組の小野絢子と渡邊峻郁。昨秋の中村恩恵作品でも見せた相性の良さが、今作でも生かされた。渡邊のパートナーを受け止める力が、小野のプリマとしての資質を存分に開花させている。その気品、気怠いユーモア、間隙を縫うウィットの炸裂。振付家の限定なく、小野の振付解釈は優れているが、特にプティ振付への感度は異常に鋭い。片肩回し、アキンボでの腰振り、フレックス足からのつま先伸ばし。プティが意図したニュアンスを完璧に動きに乗せることができる。しかも自然に伸び伸びと演じている姿から、ベテランの落ち着いた境地を感じさせた。コッペリウスが若手時代の先輩パートナー、山本であることも一因だろう。二人のピンポイントの音楽性がぴたりとはまり、2幕の芝居に心地よい風が吹いた。

渡邊はフランス味の自然体。ノンシャランな感触も出せる。手の力みに少し目が行くが、ラインも美しく、伸びやかな跳躍で爽やかな空気を醸し出した。女性に正面から向き合う一種の包容力は、パートナーとしての貴重な資質と言える。山本コッペリウスはパ・ド・ドゥの喜び、踊りの巧さ、実存の重みがやはり際立つ。ただ小野相手のせいか、この回はどこか楽しんでいるようにも見えた。以前は思わなかったが、自分を語らない密やかさという点で、似た者同士なのかもしれない。

スワニルダの友人は、細田千晶、寺田亜沙子率いるベテラン・中堅組(柴山紗帆、渡辺与布、飯野萌子、広瀬碧)、益田裕子率いる中堅・若手組(朝枝尚子、中島春菜、原田舞子、廣川みくり、廣田奈々)が担当。前者はダイナミックな踊りと濃厚な演技、後者はおっとりした可愛らしさで、スワニルダをバックアップした。

衛兵は全員黒髪(プティ仕様)で帽子をかぶり、髭を生やしているため、配信画面からは判別しづらかったが、速水渉悟の鮮やかなトゥール・アン・レールと踊りの巧さは目立った。またアンサンブル最年長 貝川鐡夫の切れの良い軽みも。プティのニュアンスを余すところなく伝える福田圭吾は、冒頭の行進のみ確認、絶品のチャルダッシュは見逃してしまった(配役なし?)。衛兵、町娘共に、生き生きとしたアンサンブルに仕上がっている。

東京フィルハーモニー交響楽団率いる冨田実里の指揮は、懐が深かった。時折拍手を交えながら、観客のいないダンサーの心許なさを大きく受け止めている。ドリーブの輝かしい色彩も素晴らしく、東京フィルから厚みのある弦を引き出した(コンマスは三浦章宏)。最後はオケピットからの熱い拍手が、ダンサーたちを祝福。温かい気持ちで配信画面から離れることができた。