新国立劇場バレエ団『ライモンダ』2021【追記】

標記公演を見た(6月5, 6, 11, 12日 新国立劇場オペラパレス)。2004年バレエ団初演、12年ぶり4回目の上演である。改訂振付・演出は元芸術監督の牧阿佐美、舞台装置・衣裳はルイザ・スピナテッリ、照明は沢田祐二による。牧版の特徴はマイムを舞踊に変換し、物語よりも音楽性を重視する点にある。群舞振付はプティパのシンプルなパの連続から、モダンなフォーメーション、難度の高い振付へと改訂。牧の優れた音楽性がよく生かされている。またウェストモーランド版と共通する1幕の歴史舞踊は貴重である。一方、白い貴婦人が省略され、夢にアブデラクマン(薄井憲二氏によればアブドゥルラクマンが初演時表記とのこと)が登場しないため、物語の重層性が損なわれる可能性がある。ただ今回の印象では、肌理細やかな演技がバレエ団に浸透しており、舞踊のみが突出することはなかった。この12年の間に物語バレエの経験が蓄積されたことに加え、吉田監督による演技指導、アレクセイ・バクランの熱血指揮が奏功しているのだろう。大ディヴェルティスマンに陥ることなく、有機的な古典作品に仕上がっている。

ライモンダ、ジャン・ド・ブリエンヌは4組。いずれの組も技術、演技共に申し分なく、プロ集団としての矜持を見せる。初日の米沢唯と福岡雄大は、技量の高さ、モダンなスタイルが一致し、充実の組み合わせとなった。踊りの質が似通っている。中村恩恵版『火の鳥』での双子のようなユニゾンが思い出された。米沢のライモンダはアリーエフ版(18年 日本バレエ協会)ですでに完成の域に達していたが、今回はまた一から役を作り直している。現在の自分と掛け合わせるためだろう。初日を見る限りでは まだ研究途上に思われたが、3幕アダージョでは圧倒的な存在感、磨き抜かれた踊りで、現在の高い境地を明らかにした。対する福岡は、牧のノーブル・スタイルとは肌が合わないものの、凛々しい十字軍騎士ははまり役。アブデラクマンとの決闘も勇壮、万全のサポートで米沢ライモンダを支えた。2幕最後から終盤にかけて見せた米沢との身体的呼応は、二人にしか起こりえないケミストリーである。

2日目の小野絢子と奥村康祐は初顔合わせながら、ぴったり息の合った舞台を作り上げた。小野の繊細な踊りを、奥村がゆったりと受け止めている。小野は出だしこそやや緊張気味だったが、1幕3場の夢の場面からは美質が花開いた。体全体で音を奏でるような優美なアダージョ、ヴァイオリン・ソロ【近藤薫】と完全に一致している。久しぶりに小野の伸びやかなアダージョを見た。また同場ヴァリエーションで見せた爪先の美しい軌跡も忘れ難い。佇まい、パのみでバレエの美を体現できるレヴェルにある。3幕を透明なリリシズムで彩るなど、踊りと役が緊密に結びついた原点回帰のアプローチだった。対する奥村は宮廷愛の騎士。1幕 別れの場面の情熱、2幕 決闘の猛々しさと婚約者を護る逞しさ、アダージョの献身的なサポートが揃い、至高の愛を捧げる騎士を出現させた。女性群舞に囲まれて絵になる男でもある。

三日目の柴山紗帆と渡邊峻郁は爽やかな組み合わせ。柴山の体の美しさ、パの正確さ、優れた音楽性が、すっきりと水のように流れる舞台を作り上げる。ヴァリエーションも安定、バレエの技法に対する潔癖さを随所に感じさせた。3幕はやや硬さが見られたが、1, 2幕同様、音楽と一体化すれば柴山らしさが出せたのではないか。本来はニキヤ、オデット=オディールで見せたドラマティックな音楽性が持ち味。秋の『白鳥の湖』が期待される。対する渡邊は柴山をふわりと支える。絵から登場する時の格好良さは、いかにも凛々しい騎士。礼儀正しくノーブルなジャン・ド・ブリエンヌだった。

四日目は木村優里と井澤駿。体のエネルギーの強さが見合う よい組み合わせである。伸び伸びと気持ちをぶつけ合う清々しさも。木村はザハロワを想起させるが、もっと繊細に動きのダイナミズムを生かしている。パートナーとの笑顔も自然になった。一方、井澤は荒事系の大きさ、力強さが出た。2幕 帰還の凛々しさ、同幕最後の儀式性が素晴らしい。3幕コーダでは迫力ある踊りを見ることができた。ギャロップの二人の息もぴったり。『白鳥の湖』では別パートナーとなるが。

第3の主役 アブデラクマンには中家正博、速水渉悟が配された。前公演『コッペリア』のコッペリウス同様、配役の妙がある。中家はこれまで数々の敵役を演じてきた。プティ版『ノートルダム・ド・パリ』のフロロ(牧阿佐美バレヱ団)、『ホフマン物語』のリンドルフ、『ジゼル』のハンス、敵役ではないが『くるみ割り人形』のドロッセルマイヤー、『R&J』のティボルト、『マノン』のムッシューG. M. 。エスパーダ(牧)、バジルのスペイン物も加え、これらの蓄積を全投入してアブデラクマンを造形した。

これまで牧版の同役は、ジャンと同等に渡り合うノーブル・タイプが配されてきた。プティパ版初演者がダンス―ル・ノーブルのP・ゲルトであること、中世においてはイスラム世界が文化・文明の先進国であったことを考慮したのだろう。ただ肌塗りもなく、ノーブルな立ち居振る舞いに終始したため、役の肚が分かりにくい難があった。中家はワガノワ系のノーブル・スタイルに、敵役の濃厚なニュアンス、異教の女を愛するロマンティシズム、配下を率いる胆力を融合させた。贈り物を捧げる1幕の体さばき(マントの扱い!)、2幕の「くの字」に折れる跳躍とヴァリエーションの優れた解釈、膝をついた瞬間に斬られる間合いの素晴らしさ。よく鍛えられた褐色の肉体からは、やはり官能が滲み出るが、振付家はどう見るか。肌塗りはヴィハレフ復元版でも行われているが、造形としては中家の方がはるかに気品がある。一方、速水は若手らしいアプローチ。体も柔らかく、年上の配下を引き連れるやんちゃ王子に見える。踊りの素晴らしさは言うまでもないが、さらなる役の彫り込みが期待される。

ドリ伯爵夫人には本島美和。登場するだけで舞台に華やかさをもたらす。本来は律修修女だが、牧版同役の可能性を最大限生かしている。美しさ、慈愛、気品にあふれ、若手を暖かく見守る舞台の要となった。1幕から登場するアンドリュー2世王、鷹揚な貝川鐡夫とは、『カルメン』に始まり、様々な役を共に演じてきた。夫婦のような安定感がある。場をまとめる儀典長には内藤博。慎ましくノーブルな佇まい、役を心得た演技で舞台を牽引した。ドリ伯爵夫人との阿吽の呼吸が素晴らしい。

バレエ団は主役は言うまでもなく、ソリスト、アンサンブルに至るまで、踊りに柔らかいニュアンスと繊細さが加わった。『眠り』に続き、ソリストとして初めて見るダンサーも。パ・ド・カトルの中島瑞生、渡邊拓朗、浜崎恵二朗、マズルカ吉田明花など。細田千晶(クレメンス)、寺田亜沙子(チャルダッシュ・スペイン人)、福田圭吾(サラセン人)のベテラン勢、飯野萌子、五月女遥、奥田花純、山田歌子の中堅組、若手では廣川みくり、廣田奈々が個性を発揮。バレエ団全体が底上げされた印象だった。

東京フィルハーモニー交響楽団を率いるのは、久方ぶりのアレクセイ・バクラン。流麗なグラズノフに熱い血潮を吹き込み、踊りの喜びと劇的力感を際立たせた。公演終了後、2週間以上経つが、未だに『ライモンダ』が耳に鳴り響く。