「全国合同バレエの夕べ」2021

標記公演を見た(8月6, 8日 新国立劇場 オペラパレス)。「文化庁 次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」の一環である。昨年はコロナ禍で中止せざるを得なかったが、今年は現状変わらないまま、市松配席、マスク着用、時差退席等、感染予防対策を講じた上で、2日にわたり開催された。全国から6支部、1地区が10作品を発表、最後は両日とも恒例の本部作品『卒業舞踏会』で締めくくられた。

オペラ劇場での生演奏公演は、若手ダンサーにとって得難い経験である。今回は6日に井田勝大、8日に福田一雄が指揮を担当、『卒業舞踏会』の師弟競演が期待されたが、8日当日、演奏のシアターオーケストラ・トーキョーにコロナ陽性者が出たため、急遽 録音音源での上演となった。音質は素晴らしく、臨場感あふれる音楽を楽しめたものの、地方のダンサーにとって生の音とぶつかる体験は貴重。致し方ないこととは言え、残念だった。

出品内容は、プティパ作品(含改訂)の抜粋5作、シンフォニック・バレエ4作、ネオクラシック作品1作という内訳。珍しくモダン=コンテンポラリーダンス系が見られない、バレエ主体の2日間だった。プティパ作品では、四国支部『騎兵隊の休止』よりパ・ド・ドゥ(振付指導:安達哲治)、九州北支部『イワンの仔馬』よりフレスコ、『ナイアードと漁夫』より村娘たちの踊り(振付指導:坂本順子)が、プティパ作品について再考する手立てを与えている。特に加瀬裕梨と佐野和輝が踊った牧歌的な『騎兵隊の休止』(96年)は、振付語彙にブルノンヴィルとの共通性があり、19世紀バレエへの認識を新たにさせた。ペロー版改訂の『ナイアード』も、当然ながらフランス派のスタイル(ツィスカリーゼ演出を参照とのこと)。柔らかい腕遣い、細かい足技、アン・ドゥダン、左右両回転を多用するスタイルは、『騎兵隊』と同じく、ブルノンヴィル作品を思わせる。九州北支部のダンサーたちは「フレスコ」では調和のとれた気品、『ナイアード』では牧歌的な瑞々しさをよく表していた。

中部支部『眠れる森の美女』より「森の情景」(再振付:エレーナ・レレンコワ、監修:岡田純奈)は、古典バレエの様式性を重視。幻影の場面ながら、オーロラ姫とデジレ王子がしっかり組んで、華やかな見せ場とする。石黒優美と水谷仁が誠実な踊りを披露、リラの精 黒沢優子は、美しい腕遣いに気品ある佇まいで場を引き締めた。森の精アンサンブルは、音取り、スタイル共によく揃っている。一方、関東支部『パキータ』(振付指導:井澤諒)は、渡辺恭子の華やかなパキータ、井澤駿のノーブルなリュシアンを中心に、パ・ド・トロワ、2つの女性ヴァリエーションで構成される。主役の充実、トロワ(金子紗也、百田朱里、井澤諒)の確かな技術もさることながら、はち切れるように元気なアンサンブルに驚かされた。スペイン(群馬?)の草木の匂いがする。渡辺パキータはその頂点にふさわしかったが、井澤兄弟はもう少し溌溂としてもよかったかもしれない。

シンフォニック・バレエは上演順に、東京地区『12人の踊る姫君』(振付:髙部尚子)。シューベルト交響曲、舞曲(ガヴォット?、マズルカ、タランテラ)を用いて、グリムの同名童話を舞踊化した。12人の王女が夜な夜な部屋を抜け出して舞踏会へと赴くさまが、メイドたちの持つシーツで表され、舞踏会では6人の王子が待ち構える。その秘密を探るのがマイケル。見えない体で王女たちを追跡する。第1王女の馳麻弥、第1王子の浅田良和、マイケルの清水豊弘は、それぞれタイターニア、オーベロン、パックを思わせる造形。浅田には美脚を強調する高難度のソロが用意された。髙部振付は時に狂気の果てまで行ってしまうことがあるが、今回はよく留まっている(最後のポアント投げは髙部らしいが)。抜きん出た音楽性は相変わらず。全体にクラシック技法を細かく詰め込んだ密度の高い振付で、特にタランテラのきびきびと浮き立つ踊りが素晴らしかった。

関東支部グラズノフ・スイート』(振付:堀内充)は、『ライモンダ』や『バレエの情景』等を使用。星空の下、詩人が妖精たちの世界に入り込み、共に踊る光景が描かれる。詩人の浅井永希は、堀内のロマンティシズムをよく体現、2人の女性ソリストとトロワ、デュオを繰り広げた。20人の女性ダンサーは、堀内のモダンで運動性の高い振付を生き生きと踊り、千変万化するフォーメーションを次々に築いていく。音楽に乗って踊る喜びを十分に感じさせた。今回は堀内の振付家としての自己を見せるのではなく、指導者としての側面を示す上演だったと言える。

東京地区『カラーシンフォニー』(振付:佐藤崇有貴)は、チャイコフスキーのドラマティックな音楽を大人に、グラズノフの可愛らしいメロディを子供に使用。大人と子供の男女カップルを二重写しにして、両者を繋いでいる。佐藤のカラーは当然ながら大人に顕著だった。主役に細田千晶と小柴富久修を迎えて、バランシン風の構成(『セレナーデ』の次々サポートなど)、クールなノーブル・スタイルを実現させた。細田の磨き抜かれた美しいライン、音楽をたっぷり使うしっとりとした情感、やや和風が滲むと思えたのは、先日の竜田姫と重ねたせいかもしれない。ブルーグレーのドレスがよく似合う、集大成のような踊りだった(カーテンコールではブラボー禁止の中、こらえきれない男性が2度声を発してしまった)。対する小柴も、本来のノーブルなカヴァリエ精神を発揮、細田を見守る美しい二枚目となる。佐藤のスタイルへのこだわりが十全に発揮された作品だった。

中国支部『スラブ舞曲』(振付:早川惠美子)は、ドヴォルザークの同名曲を使用。黒ドレスのソリスト(片山恵、水野晶、矢原葉月)に、赤ドレスのアンサンブル10人が、古典舞踊とスラブ民族舞踊(手繋ぎあり)を融合させた振付を踊る。早川の粒だった音楽性が素晴らしい。フォーメーション、ダンサーの出入りも全て音楽を反映。今回唯一の 完全なシンフォニック・バレエだった。スタイルはフランス派。ポアント音なしの柔らかい足技、調和のとれた全身フォルム、これ見よがしのない慎ましさが全員に行き渡り、早川の指導力を改めて知らしめる。ソリスト3人の技術の高さも際立っていた。終盤は早川のパワーに見る方も押されがちだったが、久々に清潔なスタイルを堪能した。

関西地区『La forêt』(振付:玄玲奈)は、チャイコフスキー(ローズアダージョ)やビーバー等の音楽を用いて、森の情景を描いたネオクラシック作品。森の女王(藤本瑞紀)と8人の森の精たち、娘(林田まりや)と母(竹中優花)が、様々な情景を紡ぎ出す。娘は白いドレス、母は薄紫のロングドレス、森の女王・精たちは薄緑のシースルー布がビキニを覆い、裸足ポアントというセンシュアルな衣裳。娘を森にとられて嘆く母が、終盤 白ベールをなびかせて娘を取り戻す流れが見える。物語を立ち上げるというよりも、その場の情感を描くことを重視しているように思われた。関西ダンサーのレヴェルは高い。パの正確さは当然として、磨き抜かれた美しいライン、濃厚な表現が、バレエ身体の魅力を強力に打ち出している。

最後は恒例の『卒業舞踏会』(原振付:ダヴィッド・リシーン、改訂振付:デヴィッド・ロング、指導:早川惠美子、監修:橋浦勇 –  初日カーテンコールでは珍しく早川、橋浦が登場し、ダンサーたちを労った)。いつもながら配役の楽しみがある。前回 女学院長だった小林貫太は今回 老将軍。コミカル味は抑えて相手を包容するふくよかな造形である。対する女学院長は、長年アシュトン作品の女形を演じてきた保坂アントン慶。英国パントマイム様式をベースに、橋浦指導を加えて、骨格の大きい女学院長を作り上げている。シルフィード・シーンで小林に寄り添う無防備な愛らしさがおかしかった。もう一人の女学院長は16年にも同役を務めた樫野隆幸。前回の母性的でグラマラスな造形に、楚々とした和風の味わいを加えている。佇まいのみで妙な味わいを出すのは小林恭の流れだろうか。

吉川留衣の繊細なラ・シルフィード、ダンス―ル・ノーブル 齊藤拓のスコットランド人、白タイツの似合う網干慎太郎の鼓手、技巧派 細井佑季の第1ソロ、同じく演技派 齊藤耀とパートナー佐藤祐基のピンポイント芝居など。6日は保坂が圧倒的存在感で道場破りの趣。8日は谷桃子系列による調和の取れた一幕だった。井田勝大のシュトラウスは、細やかですっきりとした味わい。終幕ワルツは物悲しさが滲み出た。井田は 髙部作品では王冠を被り、父王の役目も果たしている。