9月に見た振付家・ダンサー2021

橋本ロマンス @「SICF20 Winners Performance」(9月11日 スパイラルホール)

2019年開催「スパイラル・インディペンデント・クリエイターズ・フェスティバル20」のパフォーマンス部門でグランプリを受賞した、橋本ロマンスの新作『パン(仮)』。何の先入観もなく見たので、その才能に驚いた。多種多様な出演者、明確な世界観の提示、それを確実に舞台化する演出力(空間・時間とも)、観客を挑発し、自世界に巻き込むエネルギー、終演後の空間を演出する‟ふてぶてしさ”。全体がみっちりと構成・演出されて、埋め草が1秒もなかった。美大勅使川原三郎のメソッドを学び、ピナ・バウシュ、フィリップ・ドゥクフレ、スズキ拓朗の影響を受けたとのこと。全員が演出系。だが、ヒップホップ、痙攣的な動き、モデル歩き(?)を組み合わせた振付語彙は、上記の誰とも似ていない上、動きのみで観客を魅了するキレと緻密さがある。幼少期からダンスを学んでいたのか。

作品は客電の付いたまま、ダンサーたちがモデル歩きで登場。舞台を闊歩し、観客にガンをつけて挑発する。大小、太細とヴァラエティに富んだ体型の8人は、モデルの YO、HIBARI、MINOR、NOHARA(PUMP management Tokyo)、ダンサーの甲斐ひろな、田中真夏、村井玲美、山田茉琳。いずれも優れた踊り手だが、特にYOとMINORの身体は、ダンス界を嘲笑するような異化効果があった。声はもちろん、ダンスの技量に頼ることなく、体一つで空間や観客と勝負する潔さがある。虚構度の高い華やかな体を持つ YO は、言わばプリマの位置。MINOR の両性具有+爬虫類系の色気は持ち味とは思うが、カーテンコールでの人の好い笑顔を見ると、橋本の演出が強く入っていることが分かる。ダンサーでは、頭に剃りの入った田中の全身挑発的な体(胸見せあり)が不穏な空気を醸し出す。甲斐と山田の二人三脚、村井とNOHARA の大小コンビ、HIBARI と MINOR のモデルユニゾンなど、総踊りに混じって、様々なシークエンスが庭石のように置かれている。

客電は中間部にも点いて、舞台と客席との境界を揺るがす。終幕のモデル闊歩で、田中の強い視線に目をそらした自分が恥ずかしかった。高みの見物で偉そうなことを言う自分も。ダンサーたちは終演後の自分を演じて、奥に入っていった。そのままかと思いきや、観客をほっぽり出すことなく、きちんとカーテンコールをするところに、橋本のバランス感覚がある。いわゆる「自己表現」の乳臭さが皆無であることも特徴の一つ。よほど強固な美意識、作品のイデアがあるのだろう。

 

山本康介 @ 「International Choreography ✕ Japanese Dancers ~舞踊の情熱~」GP(9月17日 神奈川県民ホール 大ホール)

3年に一度、横浜市内全域で行われるダンスフェスティバル「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」の一環。12の有料公演と共に、観覧無料のダンスステージが3ヵ月にわたり繰り広げられる。芸術監督は元ベジャール・バレエ・ローザンヌ小林十市。小林のベジャールダンサーとしての蓄積や、50代を迎えた自身の経験を生かす個性的なプログラムが並んだ。本人もダンサーとして2公演に出演する。

標記公演の構成・演出は元バーミンガム・ロイヤル・バレエの山本康介が担当した。演目は上演順に、

・W. フォーサイス『ステップテクスト』(渡辺恭子、池田武志、関口啓、林田翔平)

・F. アシュトン『二羽の鳩』より pdd(島添亮子、厚地康雄)

・C. パイト『A Picture of You Falling』よりデュオ(鳴海令那、小㞍健太)

・R. プティ『マ・パヴロワ』より「タイスの瞑想曲」(上野水香、柄本弾)

・D. ビントレー『スパルタクス』より pdd(佐久間奈緒、厚地康雄)

・M. ベジャール『椿姫のエチュード』(中村祥子

・M. ベジャール『M』(池本祥真)

最終演目に続くフィナーレは、ベジャールの『火の鳥』から終曲。出演者全員が自演目衣裳のままベジャール語彙を踊る。ベジャールの下では皆平等。驚きの大団円だった。

作品上演の合間に、ダンサー・振付指導者が個々の振付家について語る映像が流される。フォーサイス、ショルツ(中止)、アシュトン、パイト、プティ、ビントレー、ベジャールの「作品と向き合う」演出の一端である。それぞれ 小山恵美+鈴木稔、木村規予香、佐久間奈緒、小㞍健太、ルイジ・ボニーノ、山本康介、クリスティーヌ・ブラン+小林十市が、振付家にまつわるエピソードや振付の特徴を語った。元スターダンサーズ・バレエ団芸術監督の遠藤善久が、NY で振付を行なった時、ダンサーの中にフォーサイスがいたエピソードは面白い。巡り巡って、フォーサイスの『ステップテクスト』スタダン初演時には、息子の遠藤康行が踊っている。またベジャール、ロマン、ブラン、小林が食事をしていて、急にブランのために『椿姫』を作ると言い出した話。ベジャールのインスピレーションの発生過程がよく分かる。

ゲネプロのため個々のパフォーマンス評は避けるが、この時点で振付家の息遣いが最も伝わってきたのは、『スパルタクス』だった。ビントレーの自然で流れるような音楽性、深く豊かな演劇性が、手兵の二人によって入魂の踊りへと昇華する。佐久間の雄弁な脚、感情の塊と化した肉体の素晴らしさ。厚地のノーブルな力強さと豊かなサポートが佐久間を大きく支える。実際のパートナーであることも奏功し、スパルタクスとフリーギアの濃やかな愛と別れの苦悩を、ハチャトリアンの名アダージョに乗せて情感豊かに描き出した。

また、作品未見のため振付家に肉薄していたかは分からないが、小㞍の精緻なコンテンポラリーダンス、またベジャールを踊った池本の正確なクラシック語彙など、質の高い舞踊も堪能することができた。ベジャールの『火の鳥』でまとめた小林十市芸術監督による熱いフィナーレ、スター主義ではなく、作品主導を貫いた山本康介芸術監督補佐の演出・構成が、モダンバレエからコンテンポラリーバレエへの系譜を辿る批評的なガラ・コンサートを作り上げた。

 

小林十市 @「エリア50代」(9月23, 25日 KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ)

これも「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」の一環。芸術監督小林十市と旧知の近藤良平が共に50代であることから、同じ50代のダンサーをゲストに迎え、4日間踊って語り合う企画である。ゲストは、安藤洋子、SAM(TRF)、伊藤キム、平山素子。このうち安藤と伊藤の回を見る。興味深いのは、ダンサーが振付家を指名する点。小林はコンテンポラリーのアブー・ラグラ、近藤はストリートのMIKIKO、安藤はフォーサイス(レパートリー)、SAM は能楽師 佐野登、伊藤はハウスの BOXER&Hagri、平山は舞踏の笠井叡を選んだ。いずれも面白い組み合わせである。なお舞台監督の原口佳子(出演あり)を始め、スタッフも全員が50代とのこと。

上演前に舞台で出演者3人がストレッチ。動きながら15分トークが始まり、クジ引きで出演順を決める。その不安や緊張感も楽しんで貰おうという趣向である。それぞれ約15分のソロを踊り、最後は椅子に座っての15分トークで終了。3番くじのダンサーはパフォーマンス直後のトークがきつそうに見えた(所見日は近藤、小林)。ダンサーの様々なコンディションの変化を間近で見られる、カジュアルで開かれた公演。小林監督の持つ宇宙規模の視野の広さが反映しているのだろう。

小林自身のソロは、フォーレの『パヴァーヌ』とラヴェルの『亡き王女のパヴァーヌ』で踊られた。ただし小林トークによると、最初は別の音楽で振付を完成させ、後からこの2曲に変えたという。振付が体に入った状態で、新しい音楽と動きを拮抗させるためか。実際、小林の踊りは音楽の叙情性に依存することなく、一つ一つの動きが粒だって見えた。

舞台には一畳ほどの白い机。小林はその机と対話するように動く。机からぶら下がる、机に腰かけて前傾し地面に落ちる、盲人のように手で机をさぐる、机の上でひっそりと横たわる、机の周りを跳ね回る、机の上でクネクネと踊る、最後は机に突っ伏して両腕を真横に広げて終わった。机はまるで友だちか相棒のようだった。これほど無機物と感応する踊りを見たことがない。振付のアブー・ラグラは、小林が椎間板を痛めて引退したことを知り、机をバーの代わりに採り入れたという。振付はバレエベース、力強い腕遣い、カジュアルな動きを組み合わせている。小林のクラシカルな美しさ、ベジャールダンサーとしての実存の深み、無垢な牧神を思わせる両性具有のエロスが迸るソロだった。

近藤は MIKIKO を選んだが、なぜか近藤の人生を辿る小品に仕上がっている。アコーディオン、卓袱台、ラジオ、古いテレビなどの小物遣い、映像、シルエット駆使、ラテン音楽多用は、近藤の演出と変わらない。近藤の演出なのか。初日は踊りに硬さがあったが、三日目は MIKIKO の振付を感じることができた。空間と和解したことで、近藤の叙情性、素朴な味わいがよく出ている。南米が侵すことのできない聖域であることも。本当は近藤色を排し、ダンサーとして新たな語彙に挑戦する踊りを見たかったのだが。

安藤はフォーサイスの『失われた委曲』抜粋ソロバージョン。第2部の自分のパートから見た作品像を踊ったとのこと。内股、内向きの体、両手で捧げ持つ仕草、印を結ぶ仕草、武術系低重心の動きなど、東洋的な体が頻出する。多軸、他重心のフォーサイス節もあるが、バレエによって分節された体ではないので、いわゆるバレエ解体には見えない。全般にフォルムを見せるのではなく、動きの流れや方向を示す舞踊手法だった。やや盛り込み過ぎの感があるのは、一人で何もかも踊ったからか。自身の個性を出すよりも、フォーサイスの振付を伝え残したいという使命感が強いように見える。安藤のアフロを含めた 6.5 頭身の体、寺の娘としての身体=精神は、フォーサイスの中でイコンのように輝いていたのだろう。

伊藤はハウスの BOXER&Hagri 振付。茶のジャケットを羽織った伊藤は、アップテンポの音楽でステップを踏む。本当はもっとステップがあるのかもしれないが、全て伊藤の踊りに。女性歌手ののどかな歌(日本語)では、伊藤の体から音楽が流れてきた。歌詞とメロディをじっくりと体で味わっている。優れた音楽性を基盤にした伊藤キム・ショーの趣。新語彙に挑戦するも無理がなく、優雅な色気を醸し出す練達のダンサー。この世に自由があるのだと思わせる、滋味あふれる自然体。舞踏の美点を受け継ぎつつ、ユーモアを加えた独自の境地にある。

 

安藤洋子 @ TRIAD DANCE PROJECT「ダンスの系譜学」横浜トライアウト公演(9月25日 Dance Base Yokohama)

安藤の新作『MOVING SHADOW』が30分、続いてフォーサイス振付『Study # 3』よりデュオが12分、終演後のトークが55分という公演。『MOVING SHADOW』とは ZUCCA のコレクション名から。今回の衣裳もサトウエミコが担当した。紺地に白の四角い水玉シースルーブラウスに紺のスパッツを、安藤、木ノ内乃々、山口泰侑が着用。青白い照明と相俟って、現実と影がうつろう空間を作り上げる。最初に英語のナレーション(数字数えあり)、終幕には木ノ内が宮沢賢治の『春と修羅』の序(一部)を暗唱。青い照明の根拠を示した。

幕開けは、中央で安藤が亡霊のように佇み、シモテ前に体操座りの山口、カミテ奥では木ノ内が「カァー」と鳴きながら爪先立ちスロー歩行をする。山口が立ち上がり、指を鳴らしながら(鳴らないが)「すみませーん」を必死で連発、空間の切断を図る。安藤は「エリア50代」と同じく、クネクネと東洋的、儀式的な動き。バレエ体の木ノ内はバリバリのフォーサイス節、ストリートの山口はフォーサイス振りながら、通常ではありえない手足の動きを見せる。横に揺れる動きなど、パ崩しを遥かに超えた柔軟性、見たことのない踊りだった。

企画に「振付の継承/再構築」を謳っているので、構成・演出はやはりフォーサイスの影響が濃厚。素手で作品を作った場合、もっと東洋的になる気がする。ダンサー安藤はクールに動きを遂行。80名から選んだ若者二人に対しては、(母ではなく)叔母のようなあり方だった。ダンサーの資質を見抜き、大きく育てる指導者としての力量が素晴らしい。

続くフォーサイス振付のデュオは、カンパニー最後の作品(12年)から。初演も安藤と島地による。5分ほど島地のソロ。破擦音を含む妙な言葉を発しながら、振付を味わい、思考する。充実した肉体に、フォーサイスを踊る喜びがあふれた。デュオはあまり絡まず。靴下パ・ド・ブレで前後に動く面白さ。ここでも安藤はクールに振付を遂行する。島地はあちらの世界に行っていたが、安藤は冷静に儀式を司っている感じ。踊ることが修行なのか。トム・ウィレムスのチリチリと繊細な音、霊妙なメロディがフォーサイス空間を作っていた。

アフタートークは安藤、島地、木ノ内、山口に、本公演のコンセプト/構成/プロデュースを担当した唐津絵理(DaBY 芸術監督/愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサー)が司会に加わった。以下は印象に残った言葉。

【安藤】

フォーサイスは霊感が強い、ダンサーが思っていることと反対の事をする。

・自分はアジア人で初めてフォーサイスのカンパニーに入った。それまで超絶エリートたちとやっていたので、ちょっと変なアジア人に興味が涌いたのかも。

フォーサイス「僕が見たいのはダンスじゃない、アートだけ、そうだよね ヨーコ」。

・自分とヤス(島地)は、見える所と見えない所を結び付ける役、人と人の間を繋ぐ役が多かった。

フォーサイス「ヨーコに最高の音楽と照明をあげてるから、自分の踊りを踊ってくれ、酔わないで」。自分がきれいな音楽に「ふぁー」となると、すぐに暗転にされた。

・祖母が宮沢賢治が好き、一度ダンスにしたかった。

【島地】

フォーサイスは今まで一度も「戻った」ことがない、毎日がトライアルになる、そういう生き方。

フォーサイスはこことそうでない所が同時に存在している、精神、空間の作り方において。

・(安藤の「人と人を繋ぐ役」という言葉に応えて)自分は皆がバーッとやって終わって、ポツンと立っていたりとかした、ソロでダメ出しされたことはない、1つのワードを貰って考える。

・デュオの元ネタはあるが、ほとんどインプロ。対位法で、元の動きから次のジェネレーションを作る、男を女に変えたり。男女はイーヴン、男と女ではない。