Noism Company Niigata ✕ 小林十市『A JOURNEY~記憶の中の記憶へ』

標記公演GPを見た(10月15日 KAAT 神奈川芸術劇場 ホール)。2ヵ月にわたって開催された「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」の最終公演である。芸術監督の小林十市と、旧知の間柄である NCN芸術監督の金森穣がタッグを組む。双方に新たな刺激や展開をもたらす好企画と言える。小林がベジャール・バレエ・ローザンヌで活躍していた頃、金森がルードラ・ベジャールローザンヌ・バレエ学校に一期生として入学。金森にとって小林は、留学先で世話になった兄貴に近い存在だという。

作品は2部構成。小林の人生をめぐる旅を描く。音楽はベジャールの好んだマノス・ハジダキス、ユーグ・ル・バールを使用。中間部に金森の映像版『ボレロ』を再構成した舞台版が組み込まれる。冒頭、椅子に座った小林がカバンの中から写真を取り出す、一枚、また一枚。背後に映し出されるベジャール・バレエ時代の写真。「全て終わったこと」と、カバンを持って立ち去ろうとすると、金森が登場(ジル・ロマンや小林が着ていた黒のベストに白Tシャツ、黒ズボン)、小林を踊りへと誘う。肩を組んだギリシャの踊り、嬉しそうな二人。そこに井関佐和子も加わる。金森がシモテに椅子を置き、小林を座らせる。NCN の若手・ベテランによる『ボレロ』を見つめる小林。クライマックスの寸前、小林はシャツの袖をまくり、輪の中へ入る。バックには上からの映像。右腕を差し上げた瞬間、小林は倒れ、皆は立ち去る。(休憩)

2部冒頭、倒れたままの小林。鳥のさえずりで目を覚まし、あたりを見まわす。奥からグレーの制服を着た男女がゾンビのように現れ、ベジャール節で小林をなぶる。井関、ジョフォア・ポブラヴスキー、三好綾音、中尾洸太が、ピエロの衣裳を分割して着用。小林は赤鼻を付ける。ル・バールの奇妙な曲に合わせて、井関たちがひくつく笑い、踊り、リフト。井関と小林がタンゴを踊ったり。小林はピエロの衣裳を着るが、脱ぎ捨ててカバンに入れる。ゾンビたちのユニゾン、正対する小林。そこになぜか仮面をつけた金森が中央に入り、ひと頻り踊って奥へと消える。つられるようにユニゾンに加わる小林。バックはパリ5月革命の映像。男たちにリフトされ、椅子に座らされる小林。椅子の激しいソロ。やがて背景が雲の映像に変わり、元の景色へ。金森が小林に上着を着せ、一枚の写真を渡す。カバンを手に前へ進む小林。見守る金森。

50代に入った小林を、ベジャール様式を踏襲しながら、未来へと促す作品。ダンサー小林の過去と現在を見据え、ベジャール讃歌を謳いあげる 振付家金森の愛が見え隠れする。長い旅を経て再会した兄弟の暖かさに加え、ベジャールの作品が常に「出会う場」だったように、異質がぶつかり合う新鮮さに満ちていた。ただし、直前の同フェス「エリア50代」で小林の鮮やかなソロを見ていたため、少し複雑な心境に。そこには過去の蓄積を十二分に生かし、新たな語彙を取り入れ、50代の現在を生き抜いたダンサーがすでに存在していたからだ。

金森は小林に「道化」を見ているが、ベジャールはさらに進んで、異界との接点としての役割を担わせていたように思う。研ぎ澄まされたクラシック・ダンサーであること、芸道の家に育ったことによる宇宙的な視野の広さから、現世から離れた存在として作品世界を生きていた。今回 金森の世界で新たに見出された資質は、東洋的な佇まい。『ボレロ』を見つめる座り姿勢、終盤の椅子のソロからは、祖父から受け継いだ剣道の血が息づいていた。Noism メソッドが誘い水になったのだろうか。井関と踊るタンゴでは持ち前のノーブルな精神を発揮。カンパニーと踊るスタイリッシュなユニゾンでは、一人異次元にいた。巧さを追求せず、その場で魂を燃やすことに心を傾けている。まさしくベジャールダンサーそのものだった。小林に最も呼応したのは、同じ赤鼻を付けた中尾洸太。小林の自然な佇まいに寄り添い、心を通わせている。