新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』〈新制作〉2021

標記公演を見た(10月23, 24, 30夜, 31日, 11月2, 3日 新国立劇場オペラパレス、11月7日 サントミューゼ上田市交流文化芸術センター 大ホール)。振付・演出はピーター・ライト、共同演出 ガリーナ・サムソワによる1981年初演の名版である(SWRB、マンチェスター、パレスシアター)。バレエ団にとって、98年の K・セルゲーエフ版、06年の牧阿佐美版(セルゲーエフ版による)に続く3つ目の『白鳥の湖』となる。これまでの2版はソ連時代の慣例で悲劇を避けていたが、ライト版は原点に戻り悲劇、しかも死後の世界と現在を同時に描く衝撃の結末である。

本来は吉田都芸術監督が就任した昨シーズンの開幕公演だったが、コロナ禍でコーチ陣の招聘が困難となり、今季に持ち越された。この1年ダンサーを見続けてきた吉田監督による万全の配役である。上田公演では速水渉悟の王子デビューが予定されたが、怪我で降板。初台初日のベンノ、他日のスペイン共々、残念ながら見ることができなかった。ステージングは元バーミンガム・ロイヤルバレエのノーテイター兼レペティトゥールのデニス・ボナー、主役コーチに元バーミンガム・ロイヤルバレエ プリンシパルの佐久間奈緒が招かれ、ライト版の真髄を伝えている。

演出面での大きな特徴は、「ロジカル」(吉田都)な物語展開。プロローグに先王の葬列を配し、王子の結婚、即位の緊急性を裏付ける。伝統に則った緻密なマイムは当然のこととして、舞踊シーンも全て物語に組み込まれ、誰に向かって踊られるのかが明確である。特にベンノと2人のクルティザンヌが王子を巻き込んで踊るパ・ド・トロワ(アンダンテ・ソステヌートは原曲通り)は、高度に演劇的だった。3幕花嫁候補のパ・ド・シスを部分的に復活させた演出も、ライト版の大きな特徴。物語の流れとして自然で、なおかつ舞踊的にも充実する。ハンガリー王女はPDS導入部、ポーランド王女はPDSVa4、イタリア王女は新発見曲Va2で、入り組んだ金細工のようなソロを踊る。4幕和解のパ・ド・ドゥにもPDSVa2が使用され、ブルメイステル、クランコ、ヌレエフによる原曲採用の流れを思わせた。登場人物では、道化はもちろんのこと、家庭教師も登場しないため、王子とベンノの関係性が強調される。終幕、ベンノが王子の遺骸を抱いて湖から上がってくる光景は、二人の幼少期に始まる濃密な歴史を感じさせた。

ライトの振付では3王女のソロが際立つ。ハンガリー王女の東洋的な神秘性、ポーランド王女の躍動感あふれる上体遣い、イタリア王女の細やかな足技、高速回転と、各国の個性がクラシック語彙の複雑な組み合わせによって示される。また宮廷男性陣に対し、クルティザンヌがレース模様のように絡みあう1幕乾杯の踊り、男性のタンバリンを女性が叩くナポリの踊りなど、対話のような振付が目立つ。3幕パ・ド・ドゥでは、アダージョにおけるオディールの跳びつきアラベスクが悪魔性を強調、4幕パ・ド・ドゥでは、アン・ドゥダン・ピルエットから片腕を半円にしてのけぞる特徴的なシークエンスが、オデットの絶望的な嘆きの象徴となった。

吉田監督が就任してから1年、女性ダンサーの踊り方が大きく変化した。今回の『白鳥』ではその最終形を見ることができる。主役から、ソリスト、アンサンブルに至るまで、上体を大きく使い、深く呼吸する吉田指導が徹底されている。統一されたライン美で定評のあった白鳥アンサンブルも、一人一人が自分の呼吸を保ち、意志を持ってフォーメーションを形成。見ているこちら側もゆったりと呼吸し、自分が肯定されている気分に。明日への活力を養うことができた。ファシズム的とも言えるライン美への陶酔の代わりに、生きるエネルギーを観客に与える白鳥アンサンブル。吉田監督の考える国立劇場としての理想の舞台に近づいている。

主役のオデット/オディールは4人。初日、4日目昼(未見)、上田は米沢唯、2日目、4日目夜は小野絢子、3日目(未見)、6日目は柴山紗帆、5日目、初台最終日は木村優里。振付解釈のディレクションが細かく入り、全員が明快な役作りを実現している。グラン・フェッテの旋回が大きくダイナミックになったことも共通点。吉田監督の指導だろうか。2幕グラン・アダージョは対話的、4幕和解のパ・ド・ドゥに感情の表出が求められているように思われる。

米沢は3月吹田とは異なる白鳥造形。相変わらず今を生きる姿勢を貫いている。初日は動きの生成感が強かったが、上田では常に相手と対峙し呼応する緻密な演技が前面に出た。湖畔のマイムに至るまで定型を洗い直している。白鳥は体を殺した求心的佇まい、黒鳥は丹田に力のある弾力的肉体。3幕回転技、フェッテは悪魔の所業風。鋭く完全で、容赦がなかった。

小野は音楽と一致した動きの精度、脚の表情に一段と磨きが掛かった。本人初日はエネルギーがやや弱めだったが、二回目には自らの思い描く白鳥・黒鳥像を生き生きと体現、美しさと力が漲っている。黒鳥の優雅さ、気品は相変わらず。白鳥の獰猛さを緻密に表現していたのが意外な驚きだった。

柴山は雑味のない水のような造形。外面的なライン美ではなく、バレエの体が必然的に生み出す芯の強い美しさが備わっている。基本に則った技術で、振付を力みなく遂行。動きから解釈が透けて見えない点に、肉体の神秘を感じさせる。本調子であれば音楽に身を委ねる無意識の領域まで至っただろう。白鳥らしい白鳥だった。

木村は伸びやかなラインとダイナミックな踊りが持ち味。横浜の『パキータ』にも言えることだが、これまでよりも一つ一つのパに集中しているため、今回は爆発的な脚の表現には至らなかった。あるいは踊り方を改造中なのか。狂気を含む無意識の大きさが木村の長所。改造後の飛躍に期待したい。

ジークフリート王子はそれぞれ、福岡雄大、奥村康祐、井澤駿、渡邊峻郁。初日の福岡は美しく端正な踊りが印象的だったが、上田では米沢オデット/オディールに魅了される王子に変貌を遂げた。憂鬱のソロ、喜びのソロを、初々しい王子となって踊る。グラン・アダージョ、オデットのソロでは、米沢を包み込むようにサポートし、見つめていた。初日全体を覆ったニヒルな硬さが氷を溶かすように消え、豊かな感情にあふれている。ライト版の演劇志向もあるが、米沢との呼吸に促されたのかもしれない。

奥村は1幕の憂鬱の表現、2幕オデットへの寄り添い、ロットバルト魔力の犠牲ぶり、4幕悲劇のニュアンスと、細やかな演技が際立った。道化もこなす芸域の広さだが、メランコリックな色調がよく似合う。丁寧でノーブルな踊りにさらに磨きが掛かり、パートナーを含め、目前の人への誠実さが滲み出る王子だった。

井澤は王子らしい格調高いスタイルが身についている。憂鬱のソロは、音楽、感情、役どころが一致した入魂の踊り。完全にジークフリートと同化していた。ノーブルな踊りもさることながら、エネルギーが爆発する荒事系の踊りも得意なので、ロットバルト(この版は踊らないが)でも見てみたい気がする。

渡邊はノーブルスタイルを身に付けつつある。切れ味鋭い踊りに磨きが掛かり、3幕ソロではトゥール・アン・レールの連続で喜びを爆発させた。二枚目なので王子は適役。マイムの様式性、自然な佇まいなど、演技面でのさらなる進化を期待したい。

王妃は今季からプリンシパル・キャラクター・アーティストとなった本島美和と、バレエ団元ソリスト盤若真美のWキャスト。本島の王妃はリアルな造形。夫を亡くした悲しみ、息子への愛情、臣下への慈愛が、自然なマイム、立ち居振る舞いから滲み出る。さぞ夫から愛されたことだろう。一方盤若は、98年のセルゲーエフ版初演においても王妃を演じている。マイムの様式性が高く、手・腕の表現に切れと強度がある。妃というよりも女王の風格。威厳に満ちた造形で、王妃の典型を示した。

ロットバルト男爵は、貝川鐡夫、中家正博、中島駿野の「時の案内人」トリオ(竜宮)。貝川の茫洋とした存在感、音楽を楽しみながら白鳥たちを指揮する姿に味わいがある。中家は気の漲る演技で、悪魔的存在を的確に描出、踊りがないのは残念だった。中島は人の好さが滲み出て、現段階では人間色が優っている。

ベンノは木下嘉人、福田圭吾、中島瑞生(上田)。木下の華やかで大きい踊りに目を見張る。考え抜かれた演技、学友としての気品が、ベンノのあるべき姿を現前させた。一方、福田は牧版で道化を踊ってきたせいか、ややそちら寄りの造形。王子を献身的に見守り、愛情深く従うベテランの芝居だった。中島は華のあるノーブルタイプ。踊りの質も向上し、今後に期待を抱かせる。

女性ソリスト陣は充実。ベテラン細田千晶のハンガリー王女、チャルダッシュは、クラシカルな気品に満ち溢れ、寺田亜沙子の2羽の白鳥、スペインは、隅々まで行き届いた踊りで後輩の手本となった。ライト版の見せ場であるクルティザンヌ、3王女のソリスト陣は鍛え抜かれている。飯野萌子、五月女遥、池田理沙子、奥田花純による盤石の踊り、廣田奈々、中島春菜の気品、廣川みくりのエネルギー、また新加入の根岸祐衣がゴージャスな踊り、池田紗弥が癖のない清潔な踊りを見せて、今後の配役予想を困難にさせた。また2羽の白鳥、王子友人たちの横山柊子が、生成感の強い踊りで舞台を活気づけている。チャルダッシュ木下の香り高い踊り、ナポリ五月女の相方を促すタンバリン叩き、音感の鋭さも印象深い。

女性陣はお化粧向上のため(?)、男性陣は王子友人を除いて、髭面が多く、本人特定が難しかった。それにも増して、踊りの癖を矯正する強力な指導、技術の底上げが、個人の特定を妨げている。バレエ団はプロ集団としての新たな局面を迎えたと言える。

指揮はポール・マーフィと冨田実里。マーフィの緩やかな指揮により、大編成の東京フィルハーモニー交響楽団はゆったりと演奏(時に管が落ちたり、弦がフラットになるも)。冨田は初台ではフォルテの響きが重かったが、上田の小編成になるとその駆動力が生かされた。白鳥たちは舞台に合わせて、30人から24人に変更。ライト版の本来に戻っている。