11月に見たダンサー・振付家 2021

大塚卓東京バレエ団中国の不思議な役人』(11月6日 東京文化会館

同団7月公演「HOPE JAPAN」の『ロミオとジュリエット』より pdd を見て驚いた。知らない間にスターが誕生していたからだ。当時のツイッターには「技術の高さ、振付解釈、情熱的なサポート。同世代でも抜きん出た王子役ダンサー。今後が楽しみ」と書いている。今回も同じベジャール作品だが、 期待を裏切らなかった。「中国の役人」の薄気味悪さはあまり出せなかったものの、動きのしなやかさ、踊りの巧さ、振付解釈、音楽性(踊りから音楽が聞こえる)、パトスが揃っている。首藤康之を継ぐボレロ・ダンサーになる予感がする。

公演は、ベジャール中国の不思議な役人』、キリアン『ドリーム・タイム』、金森穣『かぐや姫』第1幕(初演)という、何か金森を挟んで親戚関係のようなトリプル・ビル。バルトーク武満徹ドビュッシーの組み合わせもよく、生演奏で見たい気がする(ドビュッシーは音源にバラつきあり)。キリアン作品は沖香菜子の叙情性が際立つも、全体の動きに金森指導が入ればと思った。『かぐや姫』は全幕完成の途上にある。かぐや姫がまだ幼いため、パ・ド・ドゥよりも、ベジャールへのオマージュと言えるアンサンブルの方が印象に残る。かぐや姫を都まで案内する「秋見」は、伝田陽美(あきみ)から取られている(としか思えない)。金森も伝田の気の漲る体、エネルギーの強さを認めたのだろう。伝田の『ボレロ』も見てみたい。

 

中島伸欣『Movement In Bach』@東京シティ・バレエ団「シティ・バレエ・サロン vol.10」(11月6日 豊洲シビックセンタホール)

中島曰く「創作する時は絵コンテを描くが、今回は音楽のみで創った」。20年はコロナ禍の人々を描く問題作、19年は今回と同じく音楽のみの作品だった。以下はその時の評。

中島作品『セレナーデ』は、ドヴォルザークの「弦楽セレナーデホ長調」を使用。ネオクラシカルなスタイルで、中島らしい諧謔味があちこちに付される。特にフレックスの足技が可愛らしい。背中を丸める、膝を曲げるなど、体のアクセントも面白く、明るく晴れやかな音楽性が横溢する。バランシンの引用もあるが、オマージュと同時に、捻りを加えて楽しんでいる様子あり。愛のアダージョは例によって対話のごとく雄弁だった。音楽から汲み取ったものが余さず形になった、瑞々しく機嫌のよいシンフォニックバレエ。レパートリー保存を期待する。(19/12/20)

今回はバッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番」「2台のヴァイオリンのための協奏曲」を使用。冒頭、黒いスポーツウェアに煉瓦色タイツ、黒サングラスの女性たちが無音で動き始める。音楽が入ると、楽器と呼応して三々五々、ステップはなく、両腕のみでクネクネと動く。なぜバッハでこの動き、と思うが、確信に満ちた振付。続いて奥から男女が出現。男は白シャツに白ズボン、女はピンクワンピースにピンクタイツ。極めて音楽的なパ・ド・ドゥである。見る側も、音楽、動きと共に体がほぐれ、暖かくプリミティヴな喜びが胸一杯に広がった。男の両耳を後ろからつまむ女、男の胸をツンと突く可愛らしさ。肉体から逸脱しない愛の形、美しく声高でない、中島にしか作れない愛のパ・ド・ドゥだった。続く「2台の」では水色と藤色のワンピースを着た4人の女性が、ポアントで左右に揺れる動きを見せる。音楽に合わせるのではなく、戯れる感じ。リズムよりも曲想が動きとなっている。中島の素晴らしい音楽性を改めて確認した。

スタジオカンパニーの育成公演ながら、中島の創作エネルギーがダンサー、観客に伝播、クリエイティブな喜びがホールを満たす。人間としての誠実さ、生活の根っこ、嘘の無さが、小声で可愛らしく伝わる新作だった。

 

貝川鐡夫『神秘的な障壁』@ 新国立劇場「DANCE to the Future 2021 Selection」(11月27, 28日 新国立劇場 中劇場)

クープランの同名曲を使用した女性ソロ作品。3分程の小品ながら、音楽と一体化した華やかな貝川ワールドが出現する。男性ソロの『カンパネラ』同様、バレエ団の女性にとって持ちダンスとなりうる作品。薄明るい空間の上方に、白いスモークが立ち昇る。無音のなか、薄緑のセパレーツに透き通ったガウン(衣裳:植田和子)を羽織った米沢唯が一人佇む。チェンバロと同時に動き始めるその絶妙な間合い。繰り返しながら次々と転調する微妙な曲想が、米沢の微細な動きによって身体化される。チェンバロの弦をはじく濁りのない音と、米沢の意識化された透明な肉体が呼応、雲のような、霊のような、神秘的障壁を描き出した。透明ガウンの扱いまで視野に入れた米沢の緻密な振付解釈と、祈りを捧げる無垢な魂とが融合し、奇跡的なパフォーマンスを生み出したと言える。『カンパネラ』の福岡雄大、『ロマンス』の小野絢子と並ぶ、優れた貝川解釈である。

二日目は貝川作品を多く踊ってきた木村優里。振付の運動性を重視するアプローチで、動きを見ている間に終わってしまった。『Super Angels』ならこれで問題はないが、微妙に揺れ動く音楽と振付の今作では、もう少し繊細な動きが必要だろう。動き自体の情報量があまりに少なく、体の質を変えるべきところを、演技で補っている(これは『Danae』にも言える)。上体を含む身体の意識化をさらに期待したい。

 

髙橋一輝『コロンバイン』@ 新国立劇場「DANCE to the Future 2021 Selection」(11月27, 28日 新国立劇場 中劇場)

池田理沙子にインスパイアされて創った作品。コロンビーヌの連想から、ソルケル・セグルビョルンソンの同名曲を選択したのだろうか。フルートと弦を使用した民族風音楽と、赤、青、黄の民族風衣裳(植田和子)がぴたりと一致。振付はバレエベースに日常的仕草や演技が加わる。ダンサーの個性を生かしたドラマ作りと音楽が渾然一体となった振付で、一つの共同体に近い世界を作り上げた。パ・ド・ドゥを作れる点を含め、メンターであるビントレーに近い作風。スキップでの集合離散は素晴らしく、ビントレーへの明らかなオマージュである。

ダンサーは池田に加え、渡辺与布、玉井るい、趙載範、佐野和輝、髙橋自身。髙橋のダンサーを見抜く力、視野の広さにより、それぞれにふさわしい振付が与えられている。と同時に、他ダンサーも踊れる普遍性、振付の幅があり、貝川作品と同様、レパートリー化が期待される。池田の伸び伸びとした可愛らしさ、渡辺の屈託のない明るさ、玉井のダイナミズムに滲む女らしさ、趙の大きさ、佐野のいじけ具合、そして池田を遊ばせる髙橋の男気をじっくり味わうことができた。