長谷川六先生を偲ぶ2022

昨年3月30日に亡くなられた長谷川六先生を偲び、これまで書いたダンス評をまとめて掲載する。表題(緑太字)前の日付はブログ掲載日。

 

2012-01-15

長谷川六の踊り

実演者として、批評家として、プロデューサー(教育者)として、特異な歴史を刻んでいる長谷川六氏。氏の舞踊公演について昨年と一昨年のものをアップする。

「自由であれ」                            

 長谷川六の『櫻下隅田川』を見た。客電が落ちても、客席は落ち着かない。後方で紙をめくる大きな音、携帯音が鳴り、通路では遅れてきた親子連れの声、「あ、六さんだ!」。そうしたざわめきを物ともせず、長谷川は悠然と舞う。清濁あわせ呑む風でもなく、無関心でもなく、ただ一期一会を貫いている。

 舞台は空間的にも時間的にも厳密に構成されていた。助演の中西晶大にはおそらく細かな指示が出されているだろう。二人の動きの質的変化は徹底してコントロールされている。しかしその場で実際感じられるのは、セッション感覚、何も前提としない究極の自由である。来る局面ごとに長谷川の体が反応し、動いているように見える。しかもその反応は深部に生じて、肉体は力みなく静かに漂っている。これまで見せてきた地母神のようなパワー、気の漲り、エロスの横溢は消え、消えたこと自体も想起させない新たな境地だった。

 助演の中西はモノとして存在する能力を持つ。亡霊のように、あるいは精霊のように狂母の傍らに佇む。仄暗い照明を浴びて蹲る姿は、石仏かイコンのような聖性を帯びていた。長谷川の空間で生きることのできる、自立した踊り手である。

 能を基に身体を使った作品だが、受ける感触は音楽に近い。刻々と変わる微細な動きが、快楽を伴って感覚を刺激する。ただし動きの解釈は拒絶され、思考は麻痺したままだ。ベケットのような空間、または能のエッセンスを抽出したような舞台。メッセージは常に「自由であれ」である。(2011年7月7日 シアターX)

     * * *

「鎮魂の舞」

 長谷川六が『薄暮』の2010年版を上演した。87年の初演。能の形式を採り、前後二場を長谷川のソロ、間狂言はその都度変わる。今回は韓国現代ダンスの南貞鎬(ナム ジュンホ)が務めた。この作品は「天声人語」(朝日新聞)に書かれた沖縄の一人の老女から、インスピレーションを得ている。神山かめは夫をニューギニア、長男をスマトラ、次男を沖縄で失う。以来、膏薬を体に貼りながら反戦行進を続けてきた。長谷川はこの老女の慟哭を身体化し、能の形式を用いて老女に救いを与えている。

 作品は例によって長谷川の美意識の具現だった。カミ手にギターを持つマカオが登場する。生演奏と歌に同時録音のエコーをかぶせ、ブルースの感触とミニマルな現代性を行き来する。その傍らで長谷川は土色の長衣を身につけ、狂女のように髪を逆立てて佇む。音楽とは交感のようなセッション。音楽によって長谷川の体が劇的に変わることはないが、集中が増し、体の統一が促される。老女神山となった長谷川は、夫への想い、子への愛情を少ない動きで表現、ほの暗い照明の中で己の肉体との対話を続けた。

 長谷川の横の動きは美的。日本刀のような厳しさを帯びた右腕と、微細な手の動きが尋常ならざる美しさである。一方、前後の動きは危機を孕む。世界が瓦解するのではと思わせる危うい歩行。舞踏を経由した果ての現在のすり足なのだろう。かつては今よりもポジティヴな気のみなぎる神山かめだったかもしれない。現在は静か。しかしこれを衰えと思わせないのは、長谷川の肉体の探求が継続しているからである。

 間狂言を挿んでの後半は一面海の底だった。鬱金色の鉢巻きに水色の長衣、クリーム色の打ち掛けを着た長谷川は、鳥のように両手を広げてたゆたう。海の底で神山かめは長谷川によって救いを与えられる。膏薬を貼って歩き続けた神山への、まさに鎮魂の舞だった。

 間狂言の南は黒い袖無しTシャツ、クリーム色の柄物スカート、黒いベタ靴という日常的な装いに、赤い紅を両頬に丸く塗って滑稽味を添えた。相方はベースの斉藤徹。南が「斉藤さーん」と呼んで掛け合いが始まる。圧倒的な美意識を誇る長谷川の空間とは異なり、南の空間は日常性から発するコミュニケーションの場である。互いの即興に耳を傾け、動きを見守る。南の韓国舞踊に由来するエレガンスと暖かさ、内側からスパイラルに広がる肉体がすばらしい。斉藤の音もいつしか韓国太鼓のように響いた。どんなリズムでも三拍子を拾う南の軽やかな足踏み。踊りの愉楽と、無垢でユーモラスな対話が横溢した空間だった。

 南の間狂言を入れたことで改めて、長谷川の演劇と美術への傾斜が明らかになった。実演者として批評家として、日本ダンスシーンに多くの栄養を注ぎ込んできた歴史を思った。(2010年7月7日 シアターX)

 

2012-07-11

長谷川六最新ソロを見る

批評家、ダンサー、プロデューサー、教師として、日本ダンス界で独自の地位を築く長谷川六のソロを見た(7月10日 キッド・アイラック・ホール)

長谷川は、日本画家間島秀徳による巨大な円筒二基の間で、湯浅譲二の40年前の曲をバックに踊った、と言うか、居た。円筒が陰になってほとんど見えない位置(私)。時々長谷川の研ぎ澄まされた美しい手がぬっと出てくる。ガラス玉をばらばらと落とす音が、食べ物をこぼすようにユーモラスに聞こえる。円筒にしゃぶりついたり(ほんとはいけないこと、絵の具が落ちる)、左右の椅子を行ったり来たりして見た。左の女性はすごく迷惑そうにしていた。集中できないからか。でも見えないことに怒っている風も。

湯浅の音楽はノイズ風で、アフタートークの時、音量が足りないとの湯浅の苦言あり。長谷川が使用する音とは違って、生の荒々しさがある。そのため、いつもの美的に洗練された空間とは異なる破れ目、裂け目が生じた。踊り自体も音に立ち向かっているような、対話しているような切迫感があった。キュレーションの面白さだろう。

こういう事故的パフォーマンスだったが、と書いて思い出したのが、終盤の長谷川。若い男の子二人にガラス玉を拾うよう命令、また正座で見ていた女の子に立つように促した。しかしその子は足が痺れて立てない。生まれたばかりの子鹿のように、長谷川の手につかまり、ようやく立ち上がった、その初々しさ。長谷川の慈母のような肉体を招き寄せた。

帰り道はいつものように体がほぐれ、細胞が解放された。長谷川の気が空間に充満し、客の体を通り過ぎたからだ。このように、踊りを見て、自分が肯定(解放)されることはほとんどない。神事のような踊り、本来の踊りである。だからダンサーの才能を評価しようとするスケベ根性は出てこない。

 

2013-04-27

長谷川六パフォーマンス『透明を射る矢2ヒロシマ

長谷川六のパフォーマンス『透明を射る矢2ヒロシマ』を見た(4月26日 森下スタジオ)。

長谷川の主宰するPAS東京ダンス機構による新作公演シリーズ「ピタゴラス2」の一環。今回は上野憲治との共演。両手奥それぞれに書見台を置き、原民喜『夏の花』の一節を交互に読み、交互にソロを踊る。

長谷川は黒いプリーツのソフトジャケットに黒のロングスカートで登場。「大の字」に立つと、黒子役の女性(後に衣装デザイナーと分かる)が、置いてあった赤い衣装と冠を長谷川に着せる。衣装は細かく切れ目が入り、体全体を覆う筒状のもの。同じ赤い布で作られた冠は、四角い底辺に山型の屋根を持ち、紐で固定する。シルエットは能衣装、赤いビラビラは原爆の業火を身に纏っているように見える。

上野が原民喜の言葉を読んでいる間、長谷川は研ぎ澄まされたフォルムで、空間を作る。「立つ」、それだけでスタジオを異化する。身体のあり方は能に近く、背後に無数のフォルムを感じさせる。両足で立つと左脚の曲りが深い。長谷川の表徴。手足は苦行僧のように極限の様相を帯びて、節があるのに優雅で美しい。このような能、または神事に関わる身体に加え、今回初めて太極拳の型と、気の放出を見せた。

赤い衣装を脱いだ後、『夏の花』の朗読へ。上野は美丈夫だが、まだ拮抗できる体ではない。長谷川は朗読を終えると、メガネを付けたまま奥の立ち位置へ行く。どうするのかと見ていると、何事もなかったようにメガネを置きに書見台へ戻った。以前シアターXの公演で、時計を付けたまま舞台に出たことがあるが、そんなことはどうでもよいのだ。

徹底したモダニズム美意識と、能、神事、武術の体の融合、そこに何でもありの精神が加わった踊り手。そして自分にとっては舞踊批評の唯一の師匠である。

 

2013-09-13

長谷川六『曼荼羅

標記公演を見た(9月12日 ストライプスペースM&B)。

今井紀彰の曼荼羅のようなコラージュ作品と、柳田郁子の赤と生成りの布造形作品が置かれた空間でのダンス公演。前半は坂本知子の構成で、坂本と加藤健廣、上野憲治が、走り回り、ぶつかり合い、ころげ回り、踊る。坂本の緻密な肉体の輝き、一秒たりとも躊躇を見せない集中した動きが素晴らしい。加藤は肉体の虚ろな部分が他者との接点になっている。上野は感じはよいが、まだ見られる体とは言えない。

後半は長谷川のソロ。黒いジャージ地のロングドレスで、ギャラリー前方部分中央に位置をとる。たちまち長谷川の気が空間に満ちて、見る側の身体が自由になる。両足を踏ん張り、やや前傾、掌を上に両腕を前方下に差し伸ばし、少しづつ動く長谷川。ロマン派をくすませたような不思議なピアノ曲の高まりと共に、右回りに空間に入り込んだ。曲はグルジェフアルメニア生まれの思想家、精神指導者で、グルジェフ・ムーヴメントと呼ばれる舞踏を残す)の弾く瞑想のための音楽とのこと。メロディに身を委ねるロマン派的な熱さは、これまで感じたことがなかった。終盤、柳田郁子自らが長谷川の体に、生成りのビラビラした布を付けていく。微動し続ける長谷川、布の形を直し続ける柳田。最後にビラビラで完全に顔を隠した。ケイタケイが服をめでたく重ね着するのとは違って、得体のしれない豪華な異人(貴人)が突っ立っている。柳田の愛、柳田に肉体を差し出す長谷川の愛の一致だった。

 

2013-10-11

長谷川六@ヒグマ春夫

長谷川六がヒグマ春夫の空間に存在するのを見た(10月9日 キッド・アイラック・アートホール5階ギャラリー)。「連鎖する日常あるいは非日常の21日間・展」の一環である。

開演30分前にすでに長谷川は、白い布でぐるぐる巻きにされて椅子に座っていた。道路に向かって開放された大きな窓に、ほぼ正方形の部屋。中央に立方体の木枠が組まれ、半透明の白レースが上と窓方向に張られている。さらに窓にも揺れる白レースのカーテンが。木枠のレースと窓のカーテンにヒグマの映像がノイズ音と共に映し出される。焦点の合っていないシミだらけの車窓風景が飛ぶように過ぎて、時折深海魚の燻製が風景にかぶさる。カーテンに映される二重の映像は、風に揺らめいて外界へと消えていく。骨だけの傘が浮かぶ天井には、波飛沫の映像。隅にはミイラのような長谷川の体。三々五々人が集まるなか、30分間、長谷川と共にその空間に身を浸した。

開演時間になると、長谷川がぬーっと立ち上がり、布を内側から広げて体を現した。左腕には腕時計。木綿の紐を持って水平に伸ばし、肩幅に繰り、弓のように引き絞る。木枠と窓の間で動くので、途中からレース布で遮られ見えなくなった。昨年のパフォーマンスでもインスタレーションで、ほとんど体が見えなかった。キッド・アイラックでは見えないことになっているのか。

布を取った長谷川は、ツナギの上だけみたいな赤い作業着を身に着けている。これが着たかったとのこと。高橋悠治とヒグマ春夫のサインが背中に入っている。いつものような気の漲りがなかったのは、30分間布に入っていたせいだろうか。終演後の挨拶で「呼吸ができないし、暑いし」と言っていた。布の中ではどういう体だったのだろうか。瞑想状態? 人の声だけが聞こえる。音で人を判別していたのだろうか。長谷川ミイラの並びに座ってヒグマのぼんやりした映像を見るという、夢に近い体験だった。

 

2014-07-19

長谷川六パフォーマンス『素数に向かうM』『透明を射る矢M』

六本木ストライプハウスでの「TOKYO SCENE 2014」の一環。米人報道写真家トーリン・ボイドの日本風景をバックに飾ったパフォーマンス企画である(企画・制作:PAS東京ダンス機構、後援:ストライプハウス、助成:PAS基金)。『素数に向かうM』(7月16日昼)は、深谷正子の構成・振付で長谷川がソロを踊る。『透明を射る矢M』(7月18日)はヒロシマをテーマにした連作で、上野憲治とのダブル・ソロ。両作ともストライプハウスの中地下ギャラリーで行われた。芋洗坂に面した幅広い窓から、昼間は陽光が、夜は街灯が降り注ぐ。道行く人の顔も。(もう一作『そこからなにか』というソロ作品もあったが、見ることができなかった。)

素数』は深谷の構成が入ったかっちりした作品。外光が入るので弛緩するかと思ったが、もちろん長谷川の身体は外部条件とは無関係にそこに存在する。4つの背の高いティーテーブルの上に、折り畳み式鏡が横向きに置かれている。長谷川も鏡を持って登場。両手で鏡をまさぐりながら佇む。左手首にはいつものように時計。両脇に袋状のポケットが着いた黒い麻のワンピース。脹脛と足が見える。その足に惹きつけられた。右足には土踏まずあり。左足は外反母趾で土踏まずが中にめり込んでいる。その不具合は個性を突き抜けて、絶対的フォルムにまで昇華している。左右の足が生み出す密やかなステップ―太極拳の弓歩のような柔らかさ―を凝視してしまった。

途中、両脚を肩幅に立ち、両手で胸を押さえ、次に頭を押さえ、顔の前で両肘下腕をくっつけ、そうして両肘を脇に引きつけてから、思い切り息(気)を飛ばすシークエンスが繰り返された。「ハッ」。その度に長谷川の気がギャラリーに充満し、愉快な気分に。深谷の振付とのことだが、長谷川の武術に馴染んだ体が生かされていた。最後はエラ・フィッツジェラルドの弾力のある歌に合わせて、体を揺らす。観客席のみやたいちたろう君(1歳)に手を振りながら、機嫌よく終わった。剣道(?)、モダンダンス、能、舞踏、オイリュトミー、太極拳、バレエ他が混淆された肉体。その運用を見るだけで喜びを感じる。

『透明』の方は、今回『夏の花』(原民喜)を読む場面がなかった。バッハ、忌野清志郎、ビリー・ホリディを長谷川がCDで流す。上野とは絡まず、それぞれがヒロシマを思いながら動きを見出していく(泳ぐ動きは共通していた)。上野は分節化された肉体ではないが、生の、豪華な存在感がある。少し長谷川を見過ぎていたのが残念。長谷川があまり既製のダンサーと組まないのは、生の味が欲しいからだろうか。

長谷川の演出は、作品と言うよりも「場」を作ったという印象。そのため、地下で行われる次の公演の観客が、窓を覗きながら建物に入ってくるのが、よく見えた。全体に小ぎれいな女性が多い。うなじの美しい女性が窓の向こうで人待ちしているのと、直下で行われているパフォーマンスを同時に見ることになる。舞踊評論家山野博大氏も通行人の中に。外に開かれたギャラリー公演ならではの面白さだった。

 

2015-07-12

長谷川六『闇米伝承』2015(追記あり

標記公演を見た(7月10日 ストライプハウスM)。東京ダンス機構主催「TOKYO SCENE 2015」の一環である。作・演出・装置・出演は長谷川六。衣装(装置としての衣服)製作は奥野政江。照明はカフンタ。と書いて、照明に気付かなかったことに気付いた。照明効果は無意識に刷り込まれている。あるべき照明の姿。

昨年は、道路に面した半円を描く大ガラス窓を背景にし、行き交う人々が見える舞台設定だったが、今回はギャラリー中央にある階段がバック。壁には高島史於による70年代の写真が並ぶ。花柳寿々紫、藤井友子、三浦一壮、矢野英征、畑中稔の霊に囲まれて踊る形。

カミテ通路から長谷川が登場。留袖をリフォームした長い衣装、右手には杖、ではなく竹刀、左手には紫の花束。盲目のオイディプスか、能役者の佇まい。竹刀がよく似合っている。ついさっきまで受付でにこやかに微笑んでいたのが、一瞬で本来の体に統一される。つまりどこでも集中できるということ。足袋のような白い靴下をはき、地面を選びながら静かに動く。床の中央には三枚の畳んだ着物。その前で、長谷川は体と対話しつつ、フォルムを変えていく。竹刀を斜めにしたり、両の手で捧げ持ったり。その腕の美しさ(左前腕裏には丸い痣がある)。様々な身体技法を経てきた果てに獲得された美しさである。一瞬一瞬フォルムを切り取り、体の位相を変える手法は、能に由来するのだろうか。気の漲りは穏やかだが、見る者の中に確実に堆積して、ふと気が付くと涙が流れていた。

『闇米伝承』という題の下に、「母親の箪笥から着物が一枚、また一枚消え、四人の子供のいのちを繋いだ」とある(ちらし)。母の着物を思い、父の竹刀を使った舞。そこにバッハの無伴奏チェロ組曲を流すところが、モダニスト長谷川。一方、張りつめた神事のような瞬間ののち、それを破壊するかのごとく、母の着物を両腕に巻きつけてぶん回すのが、ポストモダニスト長谷川。最後は『ケ・サラ』を「70年代を思って歌い」、終わりとなった。

「昨日膝を痛めて歩きづらいので、父と祖父の使った竹刀(剣道の師範だった)を杖に使いました」と挨拶。花束も「今朝頂いたもの」だった。完全な自由を垣間見られる時間。人間は自由なのだと思い出させるパフォーマー

*長谷川六氏より「着物を振り回すのは、乱拍子、唄を歌ったのは、シテは謡うので」とのご指摘を頂いた。全て能にある要素で創られていたということ。

 

以上がこれまで書いたダンサー長谷川六評。以下は、今年3月6日にシアターX で行われた山野博大・長谷川六追悼公演「舞踊と批評の60年」のプログラムに寄せた追悼文である。

 

六先生のこと

長谷川六先生とは、教師と生徒、編集者と書き手、ダンサーと批評家、という三重の関係だった。初めてお会いしたのが98年の森下スタジオ。先生の「舞踊学」の講座を受講し、現代ダンスの歴史や公演評の実践的な書き方を教わった。記憶に残っている言葉は「批評を書く者はプログラムに書いてはいけない」。ご自身も能藤玲子の評伝以外、プログラムに書かれていない。

最初に公演評を書くよう依頼して下さったのも先生だった。『ダンスワーク』での公演評や年間総括、「山崎広太論」、さらにインタビュー集『舞台の謎』の出版まで面倒を見て頂いた(当時はその有難さが分からなかった)。

ダンサーとしては、武道、能、舞踏、バレエ、オイリュトミーを経過した、誰とも似ていない体で、一気に異次元を現出させた。先程まで受付で観客の応対をされていたのに。ダンスにおいても日常においても人を魅了する、その繊細で知的な手の動きは、ダンサー長谷川の表徴である。それはまた、酔った山崎広太の吐しゃ物を掬う愛の手でもあった。

 

六先生、ありがとうございました。