東京シティ・バレエ団「トリプル・ビル 2022」

標記公演を見た(3月10日 東京文化会館 大ホール)。本来は1月、新国立劇場中劇場での公演だったが、関係者のコロナ陽性が確認されたため、場所を変えて3月の開催となった。プログラムは、山本康介振付『火の鳥』、ウヴェ・ショルツ振付『Octet』、パトリック・ド・バナ振付『WIND GAMES』。当初組まれたバランシン振付『Allegro Brillante』は、コロナ禍で指導者の来日が困難となり、ショルツ作品に変更。さらに、ド・バナ作品は2020年7月の上演予定が、緊急事態宣言の影響で延期されたものである。波乱含みの公演ながら、東京文化会館のピットでは、井田勝大指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団が、濃厚なストラヴィンスキー、瑞々しいメンデルスゾーン三浦文彰独奏による鮮烈なチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲を奏で、音楽的充実を印象付けた。

幕開けの山本版『火の鳥』は、夜の森、月明かり、コンビナート爆発、監視塔といった不穏な映像(笹口悦民)から始まる。幕が上がると、中央にはきのこ雲のような林檎の木。民話の素朴な味わいよりも、ホラー系の雰囲気が漂う。衣裳(桜井久美)は、火の鳥の赤チュチュを除くとモダン路線。ただし最後は全員白い着物を羽織って終わる。王子が火の鳥に貰った日本刀でカッチェイを切り殺すという、和風の設定ゆえだろうか。暗雲の垂れ込めるような映像に対し、衣裳はキッチュなまでに華やか。視覚的統一よりも相互作用を求めたのだろう。

振付は、フォーキン原振付やマイムに、姫と王子のパ・ド・ドゥ、侍女や手下の躍動的なアンサンブルを加えたクラシック・スタイル。和風の動きは採用せず。物語バレエとシンフォニックバレエを合わせたような味わいだが、山本の小品に見られる抒情的で繊細な音楽性は後退している。物語の骨格を考えたせいだろうか。山本の長所は音楽を細かく腑分けし、そこからドラマを立ち上げる点にある。再演に向けてさらなる音楽的アプローチを期待したい。

火の鳥の中森理恵は硬質な踊り。野性味や奔放さはなく、美しいラインを誇る火の鳥だった。対するイワンの濱本泰然はノーブルな造形。カッチェイを刀で切るという単刀直入さとは相容れなかったが。カッチェイの内村和真、王女の清田カレンは適役、元気のよい手下と侍女をそれぞれ率いた。

2つ目は再演を重ねるショルツ作品『Octet』。東京シティ・フィルの瑞々しい弦楽八重奏に乗って、快調に滑り出した。繰り返しシークエンスの懐かしさ、いきなりアラベスク、いきなり膝抱え、いきなりルルヴェの楽しさ。動きの流れが気持ちよいのは、全て音楽から生み出されているから。木村規予香指導の下、新キャストも加わり、バレエ団は生き生きとしたパフォーマンスを繰り広げた。3楽章の福田建太は幼さが抜け、男性の色気が備わってきた。独自の音取りと動きに面白さがある。

最後のド・バナ作品『WIND GAMES』は、ド・バナがチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴き「平原を駆け抜け鷹を放って狩猟する遊牧民の姿が浮かんだ」ことから創作された。明確な物語はなく、植田穂乃香とキム・セジョンのデュオを中心に、吉留諒のソロ、4人の女性、2人の女性、4人の男性が様々な関係性を紡ぎ出す。植田は赤のロマンティック・チュチュ、女性4人は白のロマンティック・チュチュに細い2本の三つ編みが顔を跳ねる。男性陣は上半身裸で、黒ズボンという衣裳。振付はコンテンポラリーの語彙を基盤に、正座やフラダンス風動きなど、民族舞踊のニュアンスが加わる。動きが内面から生まれる点、ダンサーを巻き込むパトスの強さを含め、やはりベジャールを思い出させる。

ソリスト吉留の情熱的で鮮やかなコンテの動きに驚かされた(これまでクラシックしか見てこなかった)。ベジャールダンサー首藤康之の系統だったのか。キムは均整の取れた美しい肉体を駆使し、重厚な存在感を、植田は堂々とした立ち姿に風格を漂わせた。ダンサーたちはド・バナの熱い肉体を通したチャイコフスキーに、持てるエネルギーの全てを投入、全身全霊でド・バナの愛情に応えている。

国内外の振付家作品を踊る意欲的なトリプル・ビル。音楽的にも変化に富んだ組み合わせだったが、一方で、所属振付家作品を踊る機会が減っている。そのうちの一人、中島伸欣の作品評を以下に再掲する。昨年東京シティ・バレエ団「シティ・バレエ・サロン vol.10」で上演されたスタジオカンパニーによる『Movement In Bach』である。

中島曰く「創作する時は絵コンテを描くが、今回は音楽のみで創った」。20年はコロナ禍の人々を描く問題作、19年は今回と同じく音楽のみの作品だった。以下はその時の評

中島作品『セレナーデ』は、ドヴォルザークの「弦楽セレナーデホ長調」を使用。ネオクラシカルなスタイルで、中島らしい諧謔味があちこちに付される。特にフレックスの足技が可愛らしい。背中を丸める、膝を曲げるなど、体のアクセントも面白く、明るく晴れやかな音楽性が横溢する。バランシンの引用もあるが、オマージュと同時に、捻りを加えて楽しんでいる様子あり。愛のアダージョは例によって対話のごとく雄弁だった。音楽から汲み取ったものが余さず形になった、瑞々しく機嫌のよいシンフォニックバレエ。レパートリー保存を期待する。(19/12/20)

今回はバッハの「ヴァイオリン協奏曲第1番」「2台のヴァイオリンのための協奏曲」を使用。冒頭、黒いスポーツウェアに煉瓦色タイツ、黒サングラスの女性たちが無音で動き始める。音楽が入ると、楽器と呼応して三々五々、ステップはなく、両腕のみでクネクネと動く。なぜバッハでこの動き、と思うが、確信に満ちた振付。続いて奥から男女が出現。男は白シャツに白ズボン、女はピンクワンピースにピンクタイツ。極めて音楽的なパ・ド・ドゥである。見る側も、音楽、動きと共に体がほぐれ、暖かくプリミティヴな喜びが胸一杯に広がった。男の両耳を後ろからつまむ女、男の胸をツンと突く可愛らしさ。肉体から逸脱しない愛の形、美しく声高でない、中島にしか作れない愛のパ・ド・ドゥだった。続く「2台の」では水色と藤色のワンピースを着た4人の女性が、ポアントで左右に揺れる動きを見せる。音楽に合わせるのではなく、戯れる感じ。リズムよりも曲想が動きとなっている。中島の素晴らしい音楽性を改めて確認した。

スタジオカンパニーの育成公演ながら、中島の創作エネルギーがダンサー、観客に伝播、クリエイティブな喜びがホールを満たす。人間としての誠実さ、生活の根っこ、嘘の無さが、小声で可愛らしく伝わる新作だった。(11月6日 豊洲シビックセンタホール)

ぜひバレエ団員にも踊って欲しい。