スターダンサーズ・バレエ団『The Concert』他 2022

標記公演を見た(9月24日 東京芸術劇場 プレイハウス)。バランシン振付『スコッチ・シンフォニー』(NYCB52年 / SDB88年)、ロビンズ振付『牧神の午後』(NYCB53年 / SDB91年)、ロビンズ振付『コンサート』(NYCB56年 / SDB初演)による1950年代トリプル・ビル。ロビンズ2作はタナキル・ルクレア初演の繋がりもある。マラルメ専門家のルクレアの父は、『牧神の午後』原詩の「泉のように青く冷たいニンフと、羊毛を吹き抜ける暑い風のようなニンフが、同一人物であることをよく理解している」とロビンズに書き送った(Deborah Jowitt, Jerome Robbins, Simon & Schuster, 2004, p.226)。『ラ・シルフィード』オマージュのバランシン作品、ルクレア由来の透徹した神秘性(牧神)及び、浮世離れしたコメディセンス(コンサート)を主調とするロビンズ2作品は、バレエ団の音楽性、演技力、軽やかなスタイルを生かす好プログラムだった。

『コンサート』は21年3月に上演予定だったが、コロナ禍で中止に。今回が国内バレエ団初演となる。ショパンピアノ曲が舞台上で演奏され、オーケストラが自然に加わる編曲版。軍隊ポロネーズで登場するピアニストの演技も重要である。「舟歌」で始まるピアノコンサートにおかしな面々が集う。音楽青年、お喋りな2人娘、少し頭が飛んでいるバレリーナ、怒る女、中年夫婦、内気青年など。

バレリーナと内気青年による破茶滅茶PDD、アンサンブル6人がどうしても揃わない「ミステイク・ワルツ」、豪快でコミカルな男性マズルカ、傘をさした人々がそぞろに歩く夢想的情景が続く。終幕は、全員が蝶の羽と触角を付けて飛び回り、ピアニストの逆鱗に触れる(虫取り網で追いかけられる)場面で終わる。男性が女性をマネキンのように扱うシークエンス、葉巻夫が妻を殺そうとする場面も。喜劇的要素と詩情があざなえる縄のように現れては消える、クールで批評的な作品である。

バレリーナ役の渡辺恭子ははまり役だった。突き抜けた明るさ、繊細さが、頭を叩かれて倒れる際の ‟衝撃のなさ” を演出する。これまで主役を踊ってきた蓄積と、それを一気に捨て去る思い切りのよさが、類まれなバレリーナ像を作り上げた。葉巻夫の池田武志も、死神(クルト・ヨース)、狼(宝満直也)と並ぶはまり役。渡辺のお尻や腰を触っていやらしくなく、二人の呼吸もぴったりだった。妻の喜入依里もナチュラルな気の強さ。内気青年の佐野朋太郎、音楽青年の小澤倖造、お喋り娘の西原友衣菜、東真帆、怒る女の岩本悠里、案内役の渡辺大地など、演技の機微を見る楽しさがある。「ミステイク・ワルツ」6人のすっとぼけた味わいも、このバレエ団らしい。3月公演『緑のテーブル』を牽引したピアノの小池ちとせが、にこりともしない演技で舞台の要となった(演じた感想を聞いてみたい)。

ロビンズ版『牧神の午後』は、牧神とニンフの森をバレエスタジオに置き換え、ダンサー二人が鏡(正面)を見ながら踊りを確認する様子が描かれる。半覚醒のエロティシズムはそのまま。組む時も常に正面を見るため、感情の交換は鏡を通して迂回し、そこはかとないドラマを生成する。バレエダンサーの謎に迫る神秘的な傑作である。ニンフは喜入、東のWキャスト、牧神は林田翔平が配された。当日は若手の東と林田。両者とも見た目がよく、振付を美しくこなしている。ただ東は緊張のせいか硬さが、林田には見せる意識が垣間見られ、鏡の自分を確認する無意識の官能性を醸し出すには至らなかった。

幕開けの『スコッチ・シンフォニー』は、メンデルスゾーンの同名曲(1冒頭, 2, 3, 4楽章)に振り付けられた。1楽章のバットリー多用、男女ユニゾン、2楽章のシルフィードとスコッツマンは、『ラ・シルフィード』オマージュ。キルト姿の男性8人がシルフィードをかぎ型に囲んで護るフォーメーションが面白い。左右2回繰り返され、最後は高くリフトされたシルフィードを、スコッツマンが受け止めて終わる。インスピレーションの解明不可能な天才的振付である。

1楽章のスコッチガールには塩谷綾菜。素早いバットリーを男性顔負けの躍動感で次々と繰り出す。両手グーの勢いもよい。脇に控える佐野、飛永嘉尉との3人ユニゾンも素晴しかった。塩谷は技術のみならず音楽的詩情に優れる。アダージョも見てみたいところ。スコッツマンの林田は、シルフィードの喜入に翻弄される二枚目。喜入はパトスが滲み出る造形。3楽章でアンサンブルを主導する場面に本領があった。

田中良和指揮、テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラが、メンデルスゾーンドビュッシーショパンを生き生きと演奏し、華やかなトリプル・ビルを支えている。