新国立劇場バレエ団『ジゼル』新制作 2022 ②

標記公演を見た(10月21, 22日昼, 23, 28, 29日昼 新国立劇場 オペラパレス)。7日間9公演、主役キャストは5組。バレエ団の総力を挙げた新制作である(作品については )。

ジゼルは見た順に、小野絢子、柴山紗帆、米沢唯、木村優里、池田理沙子。それぞれの個性を十分に生かした舞台だった。初日の小野は「ジゼルはこうあるべき」という理想形が自分の内にあり、それに向かって邁進するタイプ。姿形のよさ、行き届いた振付遂行に、精緻なジゼル像が浮かび上がった。2幕での飛翔感が素晴らしい。柴山は内気で儚いジゼルらしいジゼル。クラシカルな美しさに加え、狂乱シーン、終幕の慈愛に真情が滲み出た。

米沢はひたむきに恋する少女。それゆえ裏切られた衝撃は大きい。2幕の踊りにはフランス風のエレガンスが。一方、倒れたアルブレヒトを起き上がらせようとする必死の腕使いには、米沢にしか表すことのできない真実があった。振付の意味を考え抜いた上で、人生の全てを舞台上に置いている(「人生の一部を舞台上に置く、それが我々アーティストの存在意義」バクラン)。

木村はマネージュの切れ、踊りのアスレティックな味わいが本領。村娘らしさ、ウィリらしさも体当たりで表現した。ミルタ・ダンサーでもある。池田は少女らしさ、ナチュラルな狂乱シーンに、細やかな役作りを感じさせた。少し幼過ぎる気もするが、パートナーが変われば違う表現になるかもしれない。

アルブレヒトも見た順に、奥村康祐、井澤駿、渡邊峻郁、福岡雄大、速水渉悟。全体にジゼルへの接触が多く、ノーブルな遊び人風の演技で統一されている。1幕ヴァリエーションの繰り返しでは、アントルシャ、ロン・ド・ジャンブ・アン・レール・ソテを披露。純粋な青年というよりも格好の良い二枚目である。

初日の奥村は、遊び人風演技から純粋な愛情が透けて見える。小野ジゼルを柔らかくサポート、終幕の別れの嘆きは深く激しかった。井澤は持ち前の鷹揚さでノーブルな王子を体現。控えめな柴山ジゼルと淡い恋の物語を描き出す。終幕はジゼルの慈愛に包まれて終わった。渡邊は絵に描いたような二枚目。ヴァリエーションも美しく、米沢ジゼルの恋の的となる。終幕は米沢の深い愛情を一身に受け、涙ながらに生き延びた。

福岡はこれまでの蓄積を生かした役作り。練り上げられた造形である。遊び人風ながらストイックな味わいは福岡らしさ。木村ジゼルをよく導いて、舞台の骨格を作り上げた。2幕登場の突き詰められた歩行は、オーボエの痛切な響きと合致。福岡と同期する指揮者バクランの息遣いが聞こえるようだった。速水は満を持しての王子役。よく考えられた演技、美しく力強い踊りで期待に応えている。今後は自分をさらけ出す舞台も見てみたい。

ヒラリオンは4キャスト。見た順に、初日の福田圭吾は激情に突き動かされるタイプ。やや演技が生々しすぎるが、ジゼルへの熱い思いが伝わってくる。中家正博はマイムを踏まえたメリハリある演技。森番らしい体躯と肚で、正統派ヒラリオンを描出した。中島駿野はややノーブル寄りだったが適役。もう少し胸襟を開いた演技が望まれる。木下嘉人は有能な狩場番人だろう。一挙手一投足に意味があり、作品世界が見る間に立ち上がる。何を演じても生きた役となる屈指の演技派である。

ミルタは3キャスト。見た順に、初日の寺田亜沙子はベテランらしい行き届いた演技。踊りは本来の調子とは言えないが、美しい立ち姿で場を支配した。根岸祐衣は風格があり、女王としての厳しさをよく身に付けている。今後は内側からの造形も期待したい。若手の吉田朱里は、伸びやかな踊りに瑞々しい透明感を漂わせた。まだ乙女らしさの残るウィリの女王である。

ウィルフリードはアルブレヒトの親友に変更されたが、演技自体はさほど変わりがなかった。清水裕三郎は持ち役ではまり役。優雅な物腰で主人に仕えている。小柴富久修は少し友人の趣きあり。序盤で立ち去る時の「こりゃだめだ」は小柴ならでは。ベルタはブドウ園の経営者という設定。楠元郁子はしっかり者で優しく、娘の異変にすぐ気付く。ベテランらしい滋味がある。中田実里はやり手経営者。娘にもテキパキと愛情を注ぐ。対照的なベルタだった。

クーランド公爵は夏山周久。ゲスト・コーチでもあり、吉田監督の信頼が厚い。豪奢な衣裳にも負けない堂々たる存在感で、1幕に華やぎを加えた。途中バチルドと喋る時は腹芸になっているが、何を話しているのか、もう少し分からせて欲しい気もする。バチルドは見た順に、益田裕子、関晶帆、渡辺与布。この版では富豪の娘という設定のため、通常とは異なる芝居になる。毛皮の縁取りをしたピンクの衣裳に、金銀宝石を山と付け、指輪を見せつけるバチルド。益田、関はおとなしく演出通りに演じていたが、渡辺は役を生きて、ジゼルとの対話では人の好ささえ醸し出した。芝居を変える余地が残された役に思われる。

ペザント・パ・ド・ドゥは4組。初日の池田=速水は主役でも組んでいる。続く女性陣は見た順に、ダイナミックな奥田花純、音楽的でまろやかな飯野萌子、音楽的で鋭い五月女遥。男性陣は、ノーブルで技術もある山田悠貴、爽やかで初々しい佐野和輝、ノーブルで大きさのある中島瑞生。山田は『シンデレラ』道化に配役されたが故障で降板。ようやく実力発揮の場を得た。

パ・ド・ドゥのバックには必ず、森本晃介と石山蓮の新人二人が立っている。何かの予告だろうか。森本の強烈な存在感はアンサンブルでも。村人の浜崎恵二朗は水際立った佇まい、村娘新加入の直塚美穂は伸びやかな踊り、廣川みくり(モイナ配役も)も同じく。廣川のウィルフリード追っかけ演技は、『アラジン』の大和雅美を想起させた(大和の方がとぼけているが)。

村人アンサンブルは元気よく、ウィリ・アンサンブルはパトスにあふれる。以前よりも揃っていないが、個々人が自分を発揮するということか。ウィリ交差はもう少し速い方が飛翔に見える気がする。

指揮のアレクセイ・バクランは昨シーズンの『くるみ割り人形』以来。ロシアのウクライナ侵攻が始まって以降、初めての新国立劇場公演となる。ダンサーに深く寄り添い、エネルギーを舞台に注ぎ続ける相変わらぬ姿に胸が熱くなった。カーテンコールで、腕を大きく広げて迎えにくる米沢を、嬉しそうに見つめるバクランの姿が忘れられない。2回を振った冨田実里は、柴山ジゼルにふさわしく濁りのない音作り。東京フィルハーモニー交響楽団の弦の響きが美しかった。全回を通して2幕ヴィオラ・ソロが舞台に大きく貢献している。