2月に見た公演 2023

2月に見た公演について、メモしておきたい。

全国共同制作オペラ『田舎騎士道』+『道化師』(2月3日 東京芸術劇場 コンサートホール)

演出は元宝塚歌劇団演出家の上田久美子(美術、大阪弁字幕も)、振付は『田舎騎士道』が前田清実、柳本雅寛、『道化師』が麻咲梨乃、凝闘は栗原直樹による。歌手とダンサーが同一役を演じ、『田舎騎士道』は大阪のだんじり祭り、『道化師』は大衆演劇の一座、タイガースファンが、イタリアオペラの背景となる(後者は文楽の形式も使用)。歌がよく聞こえたのは『道化師』だった。振付が一部コンテ風をまじえつつ、義太夫を聴かせるのと同じ、歌を説明する動きになっていたからだろう。

対して『田舎騎士道』では歌がよく聴こえなかった。ダンスの自立性が高く、下手するとオケも歌も BGM になりかねない状態。さらに通常字幕と並列された大阪弁字幕が、ダンスと完全に一致する。2倍の情報量で歌まで意識が回らなかった。さらに有名な『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲では、全編を通して舞台をうろつく路上生活者の川村美紀子が、壁に向かってしゃがみ、小便のふりをして、オペラファンの神経を逆撫でした。

ダンサーは適材適所。護男(トゥリッドゥ)役の柳本雅寛、聖子(サントゥッツァ)役の三東瑠璃、葉子(ローラ)役の髙原伸子、日野(アルフィオ)役の宮河愛一郎、光江(ルチア)役のケイタケイ。ケイの箒で掃く日常身体ダンス、町の人たちを先導する朝の伸びやか体操が素晴らしい。ここ大阪の下町でも、ケイの妖精のような可愛らしさが一条の光となった。

柳本と三東の愛憎デュオは、柳本得意の暴力的コンタクト・インプロで振り付けられた。大阪弁字幕と相まって、柳本の血の美学がクールに迸る。対する三東は壁に向かって立つだけで、サントゥッツァの心情を明らかにした。柳本にぶつかり、壁に押し付けるや否や、反対にぶん回され、投げ飛ばされる。その魂の抜けたような激しくも儚い動き。間奏曲以降は、頭を下にしたまま階段に仰向けに横たわり、身じろぎ一つしなかった。薬の売人で刑務所に行っていたという上田読み替えに、やさぐれた体一つで説得力を与えている。

指揮はアッシャー・フィッシュ、演奏は読売日本交響楽団、合唱はザ・オペラ・クワイア、児童合唱は世田谷ジュニア合唱団。終演後、出口付近でもう一人の路上生活者 やまだしげきが施し(投げ銭)を受けている。川村がいたかは不明。缶の中にはかなりのお札が。オペラファンは楽しんでいたのかも知れない。

 

東京バレエ団特別公演「上野水香 オン・ステージ」Bプロ(2月11日 東京文化会館 大ホール)

本公演をもって上野水香プリンシパルを退き、4月からゲスト・プリンシパルに移行する。節目となるプログラム(B)は、『白鳥の湖』第2幕より、プティの『シャブリエ・ダンス』、同『チーク・トゥ・チーク』、ベジャールの『ボレロ』に、団員の踊るキリアン作『小さな死』と『パキータ』。斎藤友佳理芸術監督と上野が話し合って決めたという。

上野の『白鳥』は、牧阿佐美バレヱ団でのデビュー公演から長年月をかけて辿り着き、今現在も模索し続ける作品であることを窺わせる。達成よりも進行形の思考を感じさせた。プティ作品では、上野の素朴さ、人の好さ、美しい体が十全に発揮される。プティに見い出され、丸ごと愛された記憶と経験が舞台にあふれた。『シャブリエ』では『白鳥』(ゴメス肋骨負傷のため急遽代役)でも組んだ柄本弾が、温かいサポートで上野を自在に踊らせる。一方『チーク』では肋骨負傷にもかかわらず、マルセロ・ゴメスがルイジ・ボニーノの当たり役を濃厚に演じた。吸いつくようなサポート、洗練と粋が程よく備わった自在な動きに、ワールドクラスの名パートナー健在を示した。

ボレロ』では上野の現在の境地が露わになった。かつてはシルヴィ・ギエムの頸木か、スターのカリスマを出そうとしていたが、今回はあるがままの姿で、振付を真っ直ぐに遂行している。飾りも何もない真率さに、胸を打たれた。デビュー時の上野に一回りして戻ったよう。円卓から上野を抱え下ろす樋口祐輝、玉川貴博も嬉しそうだった。

団員の踊るキリアン作品『小さな死』は、初演時よりも馴染んでいた。6組の男女ペアも個性を発揮し、行き届いた指導を窺わせる。中でも大塚卓の作品解釈、振付解釈は、パフォーマンス全体を底上げした。あるべきタイミングであるべき形を見せられるのは、的確な解釈を実現できる鋭い音楽性、優れた技術があるからだろう。

『パキータ』は涌田美紀、秋元康臣を主役に、政本絵美、伝田陽美、中島映理子がヴァリエーションを踊る。涌田の引き締まった踊り、秋元の美しい跳躍と楷書のサポート、政本の伸びやかさ、伝田の明晰さ、中島の気品と、各自が個性を発揮。ソリスト6人の小粋でクラシカルな香りも、バレエ団の現在地を伝えている。

 

Whenever Wherever Festival 2023「〈ら線〉でそっとつないでみる」(2月12日後半 SHIBAURA HOUSE)

諸事情で最終日の後半しか見ることができなかった。プログラムは「ダンスを続けるということ」(伊藤キム、笠井瑞丈、伊藤千枝子、山田うん、山崎広太)、「ミニ盆踊り(夕盆)」(西村未奈、Aokid、石見舟ほか)、「森の地図を描きながら、エクソシストの反対語を探してみること〈パブリックスペース編〉」(西村未奈、アマンダ・ハメルンほか)、「rendance」(Aokid、アキオキムラ、穴山香菜、飯塚大周、石見舟、伊藤キム、伊藤千枝子、笠井瑞丈、小山綾子、坂田有妃子、白井愛咲、高橋春香、鶴家一仁、トチアキタイヨウ、長沼航、松本奈々子、水越朋、宮脇有紀、山井絵里奈、山田有浩、山中芽衣、山野邉明香、吉田拓、吉村?、米沢一平、龍美帆)。

出遅れたせいか、SHIBAURA HOUSE 1階、総ガラス張りの明るい空間に馴染めず、最後まで傍観者のままで見てしまった(「rendance」では背後のタイムキーパー2名の囁き声が集中を阻害)。急激な寒さで体調を崩し、初日の山崎広太「スキゾダンス」を見られなかったのが悔やまれる。

山崎の ‟ダサカッコワルイ・ダンス” については、‟ダサカッコワルイ” 概念を生み出した郡司ペギオ幸夫が、新著『かつてそのゲームの世界に住んでいたという記憶はどこから来るのか』(青土社)第1章で論じている。一昨年の wwfes 公演のチケットを買って見たとのこと。山崎からするとまさしく『やってくる』(郡司著、医学書院、‟ダサカッコワルイ” 概念についての論述あり)だったろう。

 

新国立劇場バレエ団『コッペリア(2月23, 24, 25日昼, 26日昼夜 新国立劇場バレエ団)

前回21年はコロナ禍のため、全キャスト無観客無料ライブ配信という衝撃的な公演形態が採られ(コチラ)、延べ16万7千人が視聴したという。今回の公演には令和2・3年度に寄せられた寄附 10,643,950円 が使用された(2/17 吉田都芸術監督メッセージより)。有観客の通常公演に戻った今回は、役デビューを含む5キャストが組まれた。

初日から、小野絢子・福岡雄大(渡邊峻郁降板のため代役)、米沢唯・井澤駿、柴山紗帆・福岡、池田理沙子・奥村康祐、米沢・速水渉悟。コッペリウスは山本隆之、中島駿野。ルイジ・ボニーノが来日指導し(前回はオンライン指導)、主役の演技、アンサンブルの踊りが一新された。

最も印象的だったのが、小野、米沢、福岡、山本による高度なパフォーマンス。小野の弾けるウイット、小悪魔的コケットリー、優れた音楽性、米沢の揺るぎないドラマトゥルギー、強靭な足技、軽やかな可愛らしさ(!)、同門の福岡と山本は、タイプは異なるものの、濃厚な存在感、緻密な振付解釈による人物造形が共通している。特に山本の小野と米沢に対する演技の違いに驚かされた。

2幕コッペリア(本当はスワニルダ)とコッペリウスのパ・ド・ドゥは、山本・小野では音楽の聴こえる愛のアダージョになっていたのが、山本・米沢では、コッペリウスの人形に溺れる哀れと老いが浮き彫りになる。前者は山本の優れた音楽性が小野の音楽性と呼応したのに対し、後者は米沢の勘所を押さえた的確な(容赦ない)演技によって、山本が本来持つ実存的深みが前面に引き出されたと言える。小野、米沢の美点もさることながら、相手の演技に縦横に応える山本の懐の深さ、「今ここ」を生きる舞台人としての在り方は、後輩たちが学ぶべきものだろう。役デビューの速水は、美しい踊りを見せたものの、主役としてはようやくスタート地点に立ったところ。振付解釈、役作りを含め、今後に期待したい。

プティの振付は、高難度の主役パ・ド・ドゥ(コッペリア人形とコッペリウスを含む)のみならず、アンサンブルの奇天烈な動きが目玉と言える。チャルダッシュをあそこまで面白くクリエイトできる振付家が他にいるだろうか。福田圭吾が見事なグラン・プリエ、滑らかで重みのある移動で、プティ・アクセントのお手本を示した。中家正博のノーブルスタイル、木下嘉人のエレガンス、森本晃介の鋭いエポールマンも印象深い。スワニルダ友人では、廣川みくりのコメディセンス、プティ的とは言えないが直塚美穂のエネルギッシュな踊りが目立った。

マルク・ルロワ=カラタユードが緩急心得た指揮で、ドリーブの持つ幸福感、フランス音楽の香りを、東京交響楽団から引き出している。冒頭の手回しオルガン(録音)時、思わず首で拍子をとる姿を見た。

 

Noism Company Niigata『Der Wanderer―さすらい人』(2月25日 世田谷パブリックシアター

Noism Company Niigata が新体制となって初めての公演。出演は Noism1 、 Noism0、演出・振付は NCN 芸術監督の金森穣。シューベルト歌曲をダンサーの個性に合わせて選曲し、ソロやデュオで綴る。曲間には物語性を帯びた出入りを演出。 Noism0 の山田勇気がさすらい人として、皆を見守り、同じく井関佐和子が異界(天国)の存在として、唯一奥壁入口から現れ、死者を誘い、慰める。

CDから選ばれた歌手達は名手揃い(Noism HP)。金森が楽しみながら選曲・構成を考えたことがよく分かる。ただし、歌曲名と詩人名はプログラムにあるものの、訳詩の掲載がないため、振付と詩の関係を十全に味わうことができなかった。ドイツ語が解ればさらに振付の意図が辿れただろう。結果、歌を音楽のように聴きながら、一人一人の踊りを見ていくことになった(歌手とダンサーのジェンダー一致はなし)。

驚いたのはコントラルトのナタリー・シュトゥッツマンと井関を合わせたこと。白いドレスに身を包み、天上から降りてきたような井関に、太く深い声質を与えている。井関の佇まいはこれまで同様、透明感にあふれる。シュトゥッツマンの声のような踊りを踊って欲しいという金森の願望だろうか。さすらい人の山田は、『残影の庭』における旅の修行僧と同じくはまり役。力みなく自然な佇まい、ダンサーたちを見守る透徹した眼差し、井関を支える真率さ。一挙手一投足に真実味がある。

ダンサーたちは堂本教子による衣裳を身に付け(個性に合わせている?)、与えられた振付を真摯に遂行する。井本星那のドラマティックなリリシズム、三好綾音の激しさ、中尾洸太の豊かな感情と暖かみ、庄島さくら・すみれの繊細なミラーダンス、坪田光の抒情性、樋浦瞳の内に秘めた情熱、杉野可林の力強さ、糸川祐希の大きさと、個性を味わうことができた。中尾は黄色シャツに水色ズボンのウクライナ色。終盤のバラの花を全員で植えていく儀式は、鎮魂を意味するのだろう。カーテンコールは受けなかった。