日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」2019

標記公演を見た(8月10, 12日 新国立劇場 オペラパレス)。文化庁及び、公益社団法人日本バレエ協会が主催する「次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」の一環。各地で活躍する振付家・ダンサーが一堂に会し、互いの研鑽を確認し合う、言わば「バレエのふるさと」のような公演である。

今回は5支部、 1地区が7作品を出品。両日とも最後は例年通り、本部作品『卒業舞踏会』で締めくくられた。古典改訂は厳密には1作品、後は全て創作という珍しいプログラム構成である。ただし、創作の中にロマンティックなスタイルを踏襲した作品があり、古典の少なさを補っている。

北海道支部『Scène de Carnaval』(振付・演出:渡辺たか子)は、プティパの『アルレキナーダ』、フォーキンの『ル・カルナヴァル』を思わせるコメディア・デラルテ物。コロンビーヌ(佐藤流音)、ハーレキン(安中勝勇)、ピエレット(枡谷まい子)、ピエロ(加藤誉朗、向井智規)、道化師のアンサンブルが登場し、一幕の恋物語が描かれる。ダンサーたちのクラシカルな美しさ、技術の高さが素晴らしい。ロマンティックなスタイル、的確なマイム、キャラクターを反映した高度な振付が揃い、19世紀バレエの香りを味わうことができた。

唯一の古典改訂は、中部支部の『ラ・シルフィード』第2幕より(再振付:エレーナ・A・レレンコワ、監修・指導:岡田純奈)。ブルノンヴィル版から、シルフィードとジェイムズのパ・ド・ドゥ、ソリスト、アンサンブルの踊りを抜粋。シルフィード石黒優美は愛らしく、柔らかい腕遣いをよく身につけている。ジェイムズの水谷仁は、もう少し男らしい勢いが望まれるものの、ブルノンヴィルの傑作ソロに果敢に挑戦。ジュニアを含めたアンサンブルも、スタイルをよく意識し、ロマンティック精神の体現に努めた。レレンコワの所属したサンクトペテルブルク・オペラ・バレエ マールイ劇場は、ソ連で初めて同版を導入。パ・ド・ドゥ最後のアラベスク・パンシェで、ジェイムズがシルフィードの後脚のみを手首で抑える(つまり体に触れない)型が残されているが、今回は残念ながら踏襲されなかった。

沖縄支部白鳥の湖』第3幕より「花嫁の踊り」(改訂振付・演出:長崎佐世)は、ハンガリー、ロシア、スペイン、イタリア、ポーランドの花嫁候補たちの踊り。音楽、設定は同じながら、振付は新たに創作され、全員ポアントで踊る。ダンサーの技量に合わせたため、やや大らかな振付も散見されたが、スペインを踊った長崎真湖には、高度な技術、クラシカルなスタイルを十二分に発揮させた。久しぶりに見る長崎らしい踊り。以前『コッペリア』で見せた古風なスペインを思い出す。脇に従えたモンゴル人男性二人も美しいスタイル。フィナーレはいつも通り、身も心も浮き立つような総踊りだった。

東京地区2作品は、共に物語性を帯びたシンフォニック・バレエだった。初日幕開けの佐藤真左美振付『ビゼー組曲』は、ビゼーとメサジェの音楽を使用。スペイン風のキャラクター色濃厚な振付で、床面も多く使う。田辺淳、栗原柊を始めとする男性ダンサーの見せ場、カノン、ユニゾンを駆使したパワフルな群舞は見応えがあり、若い二人による「花の歌」パ・ド・ドゥも情感にあふれた。全体にややスポーティな感触が残るのは、音楽を汲み取るというよりも、音楽を使っているからだろうか。

2日目幕開けの『La Source』は、日原永美子のモダンな語彙が、グリーグの民族的な『ノルウェー舞曲』を密に読み解いていく。下敷きとなった物語は、ダークな存在感を放つ中川賢が、永橋あゆみと松野乃知の仲を引き裂こうとするが、二人の愛が打ち勝つというもの。ダーク系のキャラクターは日原作品の特徴である。音楽的なソリスト、アンサンブルをバックに、Noismで磨き上げられた中川の低重心で切れのよい踊り、永橋のしっとりと美しい佇まい、松野のノーブルなスタイルが、的確に物語を導いた。

残る創作2作は、コンテンポラリー系。関東支部の二見一幸振付『Twenty two Echoes』は、女性21人、男性1人に振り付けられた。前半のメカニカルな音楽では、二見のスタイリッシュな振付が炸裂。後半のラフマニノフでは、集団で踊る、集団でフォルムを作るモダンダンスの伝統が反映されている。コール・ド・バレエとは異なり、「個人」が集まって何かを成し遂げるのは、バレエダンサーにとって貴重な体験だったのではないだろうか。

対する中国支部の島崎徹振付『The Gate』は、バレエダンサーだって気持ちよく踊っていいのでは、というアプローチ。整然と並んだ24人の女性ダンサーが、少しずつフォーメイションを変えながら、バレエのアンシェヌマンをパワフルに綴っていく。子供の声とパーカッション、宗教曲に合わせた左右に揺れるフォーメイション、微妙な反復運動は、ダンサーのみならず、観客をも気持ちよくさせる。一見 体操的に見えてそうでないのは、音楽との密着度が高く、呼吸を伴っているから。見終えたあと、脳がすっきりするのを感じた。フォーサイスが、エポールマンへの意識の集中を、多幸瞑想と捉えていることを想起させる。

恒例の本部作品『卒業舞踏会』は、原振付 D・リシーン、改訂振付 D・ロング、振付指導 早川惠美子、監修 橋浦勇による。要となる老将軍の高岸直樹は、男らしさにコミカルな味わい、女学院長の小林貫太は、まったりとした女らしさ(父 恭の腹芸女形とは異なるリアリズム)で、濃厚なラブシーンを演じた。高岸は伊藤範子作品で女装役に開眼しており、今後の展開に期待を抱かせる。

他役はWキャスト。神戸里奈のラ・シルフィードが、抜きん出た素晴らしさだった。体の質を変え、別世界の生き物と化している。ノーブルなパートナー 高比良洋と共に、ロマンティックな森を現出させた。また、即興第1ソロ 松本佳織の鋭い音楽性、同じく宮崎たま子の疾風のような役作り、即興第2ソロ 盆子原美奈の透明感あふれる踊りが印象に残る。鼓手では、野中悠聖が力強さ、森脇崇行が美しい踊りで個性を発揮した(共に瀬戸内地方出身)。ベテラン・パートナーの佐藤祐基、下島功佐を始め、男女アンサンブルは早川道場の威力を見せつけている。

福田一雄指揮、シアター・オーケストラ・トーキョーは、9演目中5演目を演奏。福田のビゼーチャイコフスキーは、一気に劇場音楽の濃厚な香りを立ち昇らせる。ヨハン・シュトラウスでは、舞曲のエネルギッシュな喜びが横溢。さらに今回、ルースカヤで、類まれなヴァイオリン・ソロを聴くことができた(浜野考史)。

吉田都引退公演「Last Dance」2019【追記】

標記公演を見た(8月8日 新国立劇場 オペラパレス)。「NHKバレエの饗宴」特別企画として、2日間にわたり開催。当日8日は、9歳でバレエを始めた吉田が、サドラーズウエルズ・ロイヤル・バレエ団で11年、英国ロイヤル・バレエ団で15年、フリーランスで9年踊り続けた日々の、最後の日だった。吉田の踊りを、ロイヤル・バレエ団来日公演および、新国立劇場バレエ団、スターダンサーズ・バレエ団、小林紀子バレエ・シアターのゲスト出演、また映像等で見てきたが、これが最後、という感慨は意外にも薄い。むしろ新たな門出に向けての一区切りという印象が強かった。来シーズンから新国立劇場舞踊部門の芸術監督に就任が決まり、指導者という形で吉田のバレエ人生が続くからだろう。

プログラムは2部構成 11演目。吉田が踊ってきたレパートリーを、英国ロイヤル・バレエ団、バーミンガム・ロイヤル・バレエ団、新国立劇場バレエ団を始めとする国内バレエ団の精鋭たちと共に踊る。自身は第一部で、『シンデレラ』第3幕からシンデレラのソロ、『誕生日の贈り物』からフォンテインのパート、第二部は、『白鳥の湖』第4幕から別れのアダージョ、『ミラー・ウォーカー』からパ・ド・ドゥを踊った。前半は優れたアシュトン・ダンサー、ロイヤル・スタイルの体現者として、後半は恩師ピーター・ライトにより開花したドラマティック・バレリーナとして、その資質を見せる好セレクションである(かつてイナキ・ウルレザーガと踊ったマクミラン版ジュリエットの、激しいパトスも忘れがたいが)。

第一部幕開けのシンデレラ・ソロは、ダンサー人生を振り返る吉田の心情と重なる。舞踏会を思い出して夢見心地で踊り、手に触れたガラスの靴に、あれは現実だったと気づく喜び。複雑なアシュトン振付を正確に、しかも軽やかに踊り、慎ましい佇まいから、暖かなオーラが光のように広がっていく。吉田の世界が凝縮されたソロだった。対するフォンテインのパートでは、6人のバレリーナを率いるプリマの輝かしさを体現。ヴァリエーションの細かい足技は当然のこととして、グラン・アダージョでの周囲を祝福する晴れやかな佇まい、献身的パートナー、フェデリコ・ボネッリに支えられた緊密なラインは、長年にわたるロイヤルでの経験に裏打ちされている。

第二部幕開けは、オデット別れのアダージョ。ラインの伸びやかでリリカルな美しさ、限界に至るまでの動きの精錬、ボネッリとの親密なパートナーシップに、『白鳥』と全身全霊で向き合う吉田の姿が浮かび上がる。新国立劇場バレエ団次期芸術監督としての開幕作品予告、さらにバレエ団ダンサーへの強力なメッセージとなった。

最強のパートナーだったイレク・ムハメドフとは、ライトの初期作品を踊り、観客への別れの挨拶とした。来日公演で踊った『タリスマン』パ・ド・ドゥ同様、阿吽の呼吸。全身を包み込むようなムハメドフのサポートは空前絶後。誰にもまねはできない。吉田は思うがままに感情をほとばしらせ、ムハメドフと共に鏡の向こうへと消えていった。手に届きそうで届かない、イデアとしてのバレリーナだった。ムハメドフのサポートはカーテンコールでも続く。吉田を観客の前にエスコート、さらにもう一押しして、吉田が受けるべき喝采を浴びさせる。フィナーレでは延々と続く総立ちのカーテンコールに、吉田がこれを最後と手を振ると、すかさず大きく両腕を振り上げて、吉田を援護した。幸せな幕切れだった。

英国ロイヤル・バレエ団からは、プリンシパルのヤスミン・ナグディと平野亮一が『くるみ割り人形』のグラン・パ・ド・ドゥ、ミーガン・グレース・ヒンキスとヴァレンティーノ・ズケッティが、『タランテラ』と『リーズの結婚』第2幕からパ・ド・ドゥ、またBRB プリンシパルの平田桃子と、ロイヤルのジェームズ・ヘイが『アナスタシア』第2幕からクシェシンスカヤのパ・ド・ドゥを踊った。大先輩 吉田への敬意を滲ませる誠心誠意の舞台に、胸が熱くなる。ただし、依然として吉田がロイヤル・スタイルの最上の手本であることも示して、伝統の体現者が日本に渡る(戻る)ことに複雑な気持ちになった。

国内バレエ団からは、スターダンサーズ・バレエ団がビントレーの『Flowers of the Forest』から「Scottish Dances」、新国立劇場バレエ団プリンシパルの米沢唯と、東京バレエ団プリンシパル秋元康臣が『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥ、新国立劇場バレエ団プリンシパルの小野絢子と福岡雄大がビントレー版『シルヴィア』第3幕からパ・ド・ドゥを踊り、これまでの吉田との共演に対する感謝の意を表した。

さらにアシュトンの『誕生日の贈り物』(抜粋)では、スターダンサーズ・バレエ団の渡辺恭子・池田武志、牧阿佐美バレヱ団の阿部裕恵・水井駿介、小林紀子バレエ・シアター プリンシパルの島添亮子と新国立プリンシパルの福岡雄大東京バレエ団プリンシパルの沖香菜子・秋元、谷桃子バレエ団プリンシパルの永橋あゆみ・三木雄馬、新国立プリンシパルの米沢・井澤駿(女性ヴァリエーション順)が、吉田、ボネッリと共に踊る。 初演バレリーナの個性を生かしたヴァリエーションは適材適所、男性マズルカも壮観。英国派は当然ながら、ロシア派、フランス派の教育を受けたダンサーたちも、一様にロイヤル・スタイルを身につけ、アシュトンの細かいフットワーク、振付アクセントをものにしている。主役級が揃ったとはいえ、振付指導のデニス・ボナー、同補佐 山本康介の指導力は明らかだった。

BRB で活躍した山本は、吉田の信頼も厚く、今回の総合演出・バレエマスターを担当した。その振付作品同様、音楽性に優れ、繊細でこれ見よがしのない演出が、吉田の滋味を引き立てる。控え目だが暖かな光が行き渡る、吉田の現在の境地がそのまま反映された公演だった。

指揮は井田勝大、管弦楽東京フィルハーモニー交響楽団。落ち着きのある端正な音楽で、舞台の充実に貢献した。

 

【追記】

幕開けのシンデレラ・ソロで吉田の手に触れたのは、トゥシューズだった。後日、舞台写真を見て気が付いた。吉田の心情に沿った的確な演出。

7月に見た振付家・ダンサー 2019

マルコ・ゲッケ @ ネザーランド・ダンス・シアター『Woke up Blind』(7月6日 神奈川県民ホール 大ホール)

来日プログラム4作の中で圧倒的に面白かった。レオン=ライトフット作品は当然だが、カンパニーのためのコンテンツという意識が強く、パイト作品は英語のセリフと動きの連関が、ネイティヴのようには読み取れなかった。言葉の壁は厚い。

ゲッケの振付は誰の影響も受けず、誰にも影響を与え得ない単独性がある。バレエのパの高速運用、動きの増殖、空手のように指を揃えたつつき(連打)。鳥のようにも、アニメのようにも見えるクキクキ動き、ひくつきがある。脚もバレエと武術風の低重心が有機的に組み合わさって、自然。体の芯から動きが生まれている。ブルースのようなスキャットのようなジェフ・バックリーの音楽とは一心同体だった(一致しているのではない)。川村美紀子の歌を思い出す。

中心のセバスチャン・ハインズが素晴らしい。スター。カリスマがある。踊りの巧さのみならず、動きを一気に自分の人生に引き付けることができる。同パートを福岡雄大に踊らせたいと思った。

 

柳下規夫✖正田千鶴 @ 東京新聞「現代舞踊展」(7月13日 メルパルクホール

柳下は自らも出演の『白夜・逍遥とロマン』、正田は『Floating―揺れども沈まず』(上演順)。柳下作品は本人の出演がなければ成立しない固有の世界、正田作品はバレエ団がレパートリー化すべき、普遍的なアヴァン・ギャルドである。

今回の柳下は、白のスーツを着込んだお洒落なパートナー。ドレス姿の女性を小粋にサポートする。女性を自由に踊らせ、後ろ手を組んだ上に女性を立たせる面白いリフトを見せる。ラヴェル風のワルツと、もの悲しいサックス生演奏で、エレガントなデュエットを作り上げた。

いつもはふっくらと母性的な女性アンサンブルは、きれいで洒落ている。振付はアラベスク、ピルエットなどシンプル。そこに正面性が加わり、「見せる/踊る」のあわいから妙な存在感が生まれる。音楽的とか美的とかを超越した、一種浮世離れしたアナザーワールド。不死の世界? ダンサー柳下には異様な色気があり、彼岸の人に見える。

正田は岡本太郎。女性9人のオールタイツが白地に大きな丸模様だったということもある。幾何学的な四肢のポジション、アラベスクに、手足をバタバタさせる原始的な動きが加わる。クセナキスのパーカッションはあまりに複雑で、音取りが不可能に思われるが、ダンサーたちは整然と振付を遂行。なぜ手足をバタバタさせるのか。正田自身にも分からない意識以前の欲求、確信がある。道なき道を進み、後から来る者もいない。これ程の孤立(孤独)に長年耐えて、なおかつ先に進む強さ。前衛と言うしかない。

この日は加藤みや子の踊りを見ることができた。萩谷京子の『透過』である。加藤は周囲のダンサーを巻き込み、すぐさま配下に置く巫女、または魔女的な存在感を見せた。東洋武術のような切れ目のない動き、その全てに気が横溢し、四方にじわじわと放射する。萩谷の指示(振付)に対する思考の強さと深さ、実存と直結した動きに圧倒された。自作で見るよりも奔放。

 

山崎広太 @ 「都市縦断型パフォーマンス・プロジェクト~インフォーマル・ショーイング」(7月13日 渋谷ハチ公前)

 自身のワークショップのショーイング。当日は猛暑で少し熱中症気味だったが、日傘をさしてハチ公前に赴いた。山崎が数人のパフォーマーたちと円陣を組んでいる。物陰から覗いていたが、少し目を離したすきに、誰もいなくなった。帰ろうとした時、山崎と遭遇。「交番前がいいですよ」との言葉を残し、再びいなくなる。交番前に行くと、何やら立っている男が。少し変。時々体の位置を変える。道行く人に気づかれないようにダンスをしているのだ。あまりの暑さに帰ろうとすると、再び山崎が現れ「今からユニゾンが始まりますよ」。見ていると、あちこちで男女が素知らぬ顔で同じ動きをしている。雑踏は気付かず。時折、見ている我々に気づいて、パフォーマーを見る人も。面白かったが暑かった。この後、渋谷警察署前歩道橋、夜には森下スタジオでショーイングだったが、見られず。

 

勅使川原三郎 @ 『幻想交響曲(7月15日 カラス・アパラタスB2ホール)

佐東利穂子とのデュオ作品。勅使川原の自筆絵が飾られているギャラリーを下りて、薄暗いホールに入る。ベルリオーズの同名曲を勅使川原と佐東が交互に踊る(佐東の分担が多い)。1、2楽章はやや単調に思えたが、3楽章(野の風景)の勅使川原の牧歌的ソロ、4楽章(断頭台への行進)の佐東の爆発的ソロに続き、5楽章(魔女の夜宴の夢)では、勅使川原の奇形的ソロから、音楽と共に突き抜ける狂ったような壮絶デュオに至る。佐東は強靭、勅使川原の周りをグリグリと踊る。対等のデュオだった。 

 

熊川哲也 @ 「関直人先生お別れの会」(7月26日 渋谷エクセルホテル東急)

熊川は飛び入りで、熱い別れの言葉を述べた。オーチャードホールのリハーサルから駆け付けたとのこと。「まだ小学生だった頃、札幌の公演で関先生の作品を見た。素晴らしい振付。翌年には自分も出演し、ソロを振り付けて頂くようになった。 篠原聖一さんと一緒に踊ったことも感激だった。井上バレエ団には関先生の作品を受け継いでいって頂きたい」。自身の踊りと同じように、熱く、速く、率直で、嘘のない挨拶。嵐のようにやってきて、嵐のように去っていった。井上バレエ団理事長の岡本佳津子氏によるしみじみと振り返る追悼の言葉、関の『青のコンチェルト』で初共演した清水哲太郎・森下洋子夫妻の挨拶も。会場には、柊舎でチュチュを縫っていた山崎広太の顔もあった。

 

金森譲 @  Noism15周年記念公演(7月27日 めぐろパーシモンホール 大ホール)

金森は自作に出演した。再演の『Mirroring Memories』と新作『Fratres 1』。前者は自作アンソロジーを師ベジャールに捧げる形。後者はペルトの同名曲に振り付けた儀式性の高い作品(蹲踞あり)。ワーグナーで踊るソロよりも、ペルトのユニゾンで見せる踊りに、ダンサー金森の非凡な才能が確認できる。前者は、ワーグナーの全能感あふれる音楽と、金森のカンパニーでの立場があまりにクロスし、余計なものが入る。後者の、カンパニーと踊るユニゾンでは、振付の可能性を最大限視覚化した。自分が振り付けたから、ではなく、他者の振付でも解釈の深さは同じだろう。腕の雄弁、体が内包するパトス・物語性、フォルムの絶対性、動きの正確な速さ、そしてアポロン的な輝かしさ。他者の作品でも見てみたい。

 

柴山紗帆 @ 新国立劇場 こどものためのバレエ劇場『白鳥の湖(7月29日朝, 30日昼 新国立劇場オペラパレス)

今シーズンの柴山は、『不思議の国のアリス』のアンサンブル、『くるみ割り人形』のルイーズ(=蝶々)、雪の結晶ソリスト、スペインソリスト、『ペトルーシュカ』の街の踊り子、オペラ『タンホイザー』のバレエシーン・ソリスト、『ラ・バヤデール』のニキヤ、『シンデレラ』の春の精、『アラジン』のダイヤモンド、こどものためのバレエ劇場『白鳥の湖』のオデット=オディール を踊った。英国バレエとロシアバレエが混在するなか、プティパ作品のニキヤとオデット=オディールに、柴山の資質が花開いている。その抒情性、ターボエンジン(知人の言)を思わせる強靭なテクニック、音楽とドラマが分かちがたく結びついた振付遂行。演技ではなく、踊りそのもので物語を語ることができる。

前シーズンの印象は、正確なポジションが生み出す美しいライン、技術の確かさが前に出て、役作りは淡泊に思われたが、今シーズンの主役では、美点と役作りが渾然一体となり、吟醸酒のような味わいが醸し出された。ニキヤ初役の雑味のない音楽的抒情性、二回目の『白鳥』は、驚くべき進化を遂げていた。振付の一つ一つが意識化され、役の感情を指し示している。そのニュアンスの細やかさ。高度な技術もこれ見よがしではなく、役に奉仕している。フォルムを見る喜び、四肢の軌跡を見る喜び、音楽に浸る喜びがあった。今回感じられた身体の艶は、ダンス・クラシックの技法によってのみ付与される希少なクオリティである。

 

井上バレエ団『シルヴィア』2019

標記公演を見た(7月21日 文京シビックホール・大ホール)。この5月10日にバレエ団芸術監督の関直人が急逝、その悲しみも癒えぬうちの新制作上演である。バレエ団は創立者井上博文亡き後、その志を継いで、関による古典改訂と創作及び、ブルノンヴィル作品を活動の柱としてきた。今回の新作は、バレエ団の講師で、創作公演「アネックスシアター」芸術監督の石井竜一が、構成・振付・演出を担当した。関作品のバレエマスターも経験し、関に見守られての新たな船出だったが、途中からは一人旅となった。

タッソの牧歌劇『アミンタ』に想を得た『シルヴィア』は、バルビエ台本、ドリーブ音楽、メラント振付により、1876年パリ・オペラ座で初演された。主役シルヴィアはサンガリ。94年火事でセットが焼失し、上演が途絶えたが、1919年にスターツが復活させる。41年のリファール短縮版を挟んで、46年アヴリーヌが再復活。スターツ版主役のザンベリが協力した。主役はリファール版も踊ったダルソンヴァル。79年そのダルソンヴァルがアヴリーヌ版を復活、メラント、スターツ、リファール振付が含まれる。主役はポントワだった(INTERNATIONAL ENCYCLOPEDIA OF DANCE, OXFORD UP, 1998)。2018年のルグリ版はメラント原振付とされる。

フランス国外では、1986年のサラコ版(主役:ブリアンツァ)、1901年のイワノフ版(プレオブラジェンスカ)、11年のファレン版(キャシュト)。また52年のアシュトン版(フォンテイン)は、2004年 C・ニュートンによって復元された(バッセル)。93年のビントレー版(吉田都)は、2009年の改訂を経て、新国立劇場バレエ団でも上演。他にモダンダンスを取り入れたノイマイヤー版(97年)がある。日本国内では1956年、服部・島田バレエ団がアシュトン版の資料に基づいた島田廣版を初演(古藤かほる/小倉礼子)。編曲を福田一雄が担当した(森龍朗『二人の舞踊家文芸春秋企画出版部, 2018年)。

石井竜一版は全三幕。原台本に即した物語の流れだが、一幕のワルツ・レントは三幕に移され、ディヴェルティスマンの一曲となる。最大の特徴はその三幕の構成。アミンタとオリオンのせめぎあい、ディアナのオリオン殺し、エンディミオン回想を経たディアナの、シルヴィアとアミンタへの赦し(アポテオーズ)を冒頭に移し、全てが目出度く収まってから、ディヴェルティスマン、グラン・パ・ド・ドゥ、フィナーレ(バッカスの行列)で幕となる。同じドリーブの『コッペリア』三幕と似た構成になり、古典的調和を感じさせる改訂だった。

振付は、一幕がロマンティック・スタイル、二幕がキャラクター色濃厚な踊り、三幕がノーブルでクラシカルな踊りと、物語に沿って振り分けている。19世紀バレエの形式に従い、伝統的マイムを使用。一幕 森の妖精たちの柔らかな踊り、村人たちの牧歌的なブルノンヴィル・スタイル、三幕 ディアナのニンフたちによる純潔のパ・ド・ブレなど、バレエ団の特徴がよく生かされている。振付家の伝統に対する敬意が、作品の端々から感じられた(エロスのトラヴェスティはパリ初演に則っている)。

関直人の独特の音取りと加速するエネルギーは、見る者を熱狂に駆り立て、劇場全体を祝祭の場へと変換させたが、石井の音楽性、振付スタイルはよりクラシカル。グラン・バットマンをユニゾンで踊るフィナーレの盛り上がりには、晴れやかな品格があった。男性ダンサーへの要求も高く、アミンタ一幕ソロの野性的でダイナミックな振付、三幕ソロの技巧的で洗練された振付の違いに驚かされた。一幕での負傷したアミンタの動線、エロス像の位置など、気になる部分もあるが、井上らしい全幕レパートリーが誕生したと言える。美術は大沢佐智子、衣裳は西原梨恵、照明は立川直也が担当した。

シルヴィアには初日が田中りな、二日目が源小織、アミンタはそれぞれ荒井成也、浅田良和、オリオンは米倉佑飛、檜山和久、エロスは越智ふじののシングル、ディアナは大島夏希、福沢真璃江。その二日目を見た。

源は持ち前の明るさに、しっとりと垢ぬけた雰囲気が加わった。バレエ団伝統の主役を引き受ける在り方、舞台への捧げ方が身に付きつつある。アラベスクの美しさ、上体の晴れやかさなど、ラインにも磨きがかかり、今後への期待を抱かせる。

対するアミンタの浅田は、源との呼吸もよく、はまり役。羊飼いの野性味と、フランス風のノーブルスタイル、さらに役に入り込む物語性が揃っている。ソロでの技巧も見応えがあった。

オリオンの檜山は、ダークな持ち味を存分に発揮。力強く鋭いソロを随所で見せる。シルヴィアに迫るデュエットの怖ろしさ、アミンタとの激しいせめぎあいに、所属バレエ団での蓄積を窺わせた。

エロスは越智への宛て書きに思われる。魔法使い姿での細かい足技、エロス姿での可愛らしい威厳、小回りの利いた踊りなど。最後にディアナに大弓を渡し、大小の弓が揃うところは、いかにもアポテオーズだった。

そのディアナは立ち役。福沢の磨き抜かれた姿態は、そのまま女神。三幕中盤から終幕まで、中央奥に佇むのは至難の業だが、美しいデコルテと両腕を晒しながら、場を治め続けた(一人ぼっちになる瞬間は、少し可哀そうな気も)。

主役からアンサンブルまで、バレエ団のスタイルは徹底されている。デンマーク派、フランス派の技術を受け継ぎながら、それらと異なるのは、19世紀に通じるアーティザンとしての意識が前面に出ることだろう。自己表現を戒め、舞台に殉じる姿に、観客は現代では失われた美学を見るのだろう。

中尾充宏、桑原智昭を始め、ノーブルスタイルの持田耕史、演技派の佐藤祐基など、ゲスト陣が舞台に大きく貢献している。

音楽監督と指揮は冨田実里。初演とあって、まだ全体のバランスが取れていない印象を受けたが、ダイナミックな音作りに持ち味を発揮した。演奏はロイヤルチェンバーオーケストラ。

 

東京シティ・バレエ団『ロミオとジュリエット』2019

標記公演を見た(7月14日 ティアラこうとう 大ホール)。本作はバレエ団と江東区との芸術提携15周年を記念して、2009年に初演された。12年、14年の再演を経て、今回は25周年記念、5年ぶりの上演となる。構成・演出・振付は中島伸欣、振付 石井清子、編曲 福田一雄、美術 江頭良年、照明 足立恒、衣裳 小栗菜代子による。

全2幕の構成。バルコニーシーンが間奏曲を挟んで、そのまま街の広場に続き、ロミオとジュリエットの奔流のような恋が、原作に近い時間感覚で描かれる。また女性4人による「運命の人々」が、悲劇に至る道筋、行き違いをヴィジュアルに演出する。鈍色の衝立移動による場面転換、終幕 二人を慰撫するように広がる銀色の布も、中島版の大きな特徴である。

振付はキャラクター・ダンスが石井、ストーリーテリングが中島(騎士の踊りはどちらだろうか)。石井の、ロマの踊り子、旅芸人、街の人々に付けられた音楽的で色彩豊かな振付、中島の宙を飛ぶようなバルコニーシーン、床をころがる悲しみに満ちた夜明けのパ・ド・ドゥ、さらに自らを傷つけるロミオ、およびジュリエットのソロ。それぞれの個性が花開いている。バルコニーでジュリエットにキスをされ、でんぐり返るロミオ、両腕リフトしたジュリエットを下ろしながらのキス(力技)も、中島版でしか見られない。

主役は初日がキム・セジョンと清水愛恵、二日目が吉留諒と庄田絢香。初役同士の二日目を見た。吉留ははまり役。ロミオの真っ直ぐに育った純粋さ、素直さが体現されている。踊りの端正なスタイル、役に入る没入の深さ、パートナリングの親密さ、さらに初々しさが、稀にみる涼やかなロミオを造形した。マキューシオの仇を討つ若々しい憤り、その後の悔恨の瑞々しさは、吉留のドラマティックな資質を示している。

庄田のジュリエットはしっかり者。活発で腹が決まっている。ロミオに先にキスをするのも納得できる。確かな技術は、バルコニーでのロミオとの踊り合い、弾むような跳躍から明らかである。まだ表現主義的なソロの解釈が追い付いていないが、全てが自分の踊りになれば、さらに激しいジュリエットになるだろう。

ティボルトの濱本泰然は、ダークなノーブルスタイル。吉留ロミオとの闘いは阿吽の呼吸で、見応えがあった。マキューシオの内村和真は踊りの切れも素晴らしく、愛される人柄。ロミオを庇う死の場面には説得力がある。ベンヴォーリオの福田健太は少しやんちゃ系。将来のロミオに見えた。

物語の筋道や感情の流れに沿った細やかな演出が、バレエ団の演技力を発揮させる。ヴェローナ大公 李悦、キャピュレット夫妻 春野雅彦・平田沙織、乳母 草間華奈、パリス 石黒善大、ロレンス修道士 堤淳、その助手 佐世義寛が、団の伝統を受け継いでいる。また、目の覚めるような踊りを見せた玉浦誠、岡田晃明率いる旅芸人、濃厚なロマの踊り子たちも、舞台を鮮やかに彩った。

指揮は井田勝大、演奏は同じ江東区芸術提携団体の東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。福田編曲版をダイナミックに歌い上げた。ただしダンサーの音楽を待つ瞬間が前半部に散見される。演出との摺り合わせを期待したい。

6月に見たダンサー・振付家 2019

佐辺良和 @ 青山実験工房「能と琉球舞踊」(6月24日 銕仙会能楽研修所)

標記公演は、能と琉球舞踊を並列させ、組踊における能の影響を見ようというもの。組踊の始祖 玉城朝薫は、大和芸能に造詣が深く、1706年薩摩で仕舞『軒端の梅(東北)』を舞った(プログラム)。第一部は、和泉式部の霊を舞う舞囃子『東北』と、和泉式部の化身 梅の精を踊る創作舞踊『軒端の梅』、第二部は舞囃子『芦刈』と、その翻案と言われる組踊『花売りの縁』が上演された。

能は思い出したように見るが、琉球舞踊は生では初めて。共に摺り足ながら、前者は直線歩行、後者は足の動きが左右にほころぶ柔らかさがある。構えを含む能の緩急に対し、琉球舞踊は常に体が揺蕩うように平行に推移する。その立ち方は、男性は直立で足は逆ハの字、女性は右足重心で左つま先を少し浮かせる。また女性は立膝座りだった。耳を澄まして意識を集中させなければならない能から、琉球舞踊に移って、体がフッと楽になる。詞章の問題、演者の資質によるのかもしれないが。

佐辺良和は『軒端の梅』を自作自演、『花売りの縁』では森川の子を演じた。薄紫の衣をまとった梅の精は、女踊り。初めてなので、女踊りという意識なく見たが、慎ましく、ふっくらとした艶があり、自然。動きが滑らかで、佇まいのみが目に見える。陶然とした。組踊では男役。すっぱりとした男らしい演技で、若い男の色香を放つ。菊之助の両性具有を連想させるも、舞踊家らしいストイシズムが芯にあった。

 

ナターリヤ・オシポワ @ 英国ロイヤル・バレエ団日本公演(6月26, 29日 東京文化会館大ホール/神奈川県民ホール

前回来日に続き、今回もやはりオシポワが面白かった。ワディム・ムンタギロフと組んでの『ドン・キホーテ』、セザール・コラレスと組んでの『ロミオとジュリエット』バルコニーシーン。登場しただけで笑顔になる。全身に気が漲り、一直線に役を生きることが予感されるから。バルコニーにジュリエットとして現れた時には、思わず声が出た。これから起こる逢引きの激しさが、立ち姿に表れていた。

ボリショイ・バレエ時代には、ふくらはぎの筋肉が目につき、男性並みの脚力、技術の高さのみが印象に残ったが、ロイヤル・バレエに来てからは、脚が歌うようになった。活きた脚の美しさ。プティが生きていたら、オシポワを使っただろう。

キトリはロイヤルの指導に沿いながらも、役の計算や思惑を超える楽しさがあった。思わず体が動いている。脚の切れと自在さ、マネージュの驚くべき早さ、正確さ。高さと飛距離のある跳躍には見る喜びがあり、陽性の資質を共有する菅井円加を思い出させた。扇子をあちこちに投げられて、恐らく体もあちこちされるせいか、パートナーのムンタギロフはやや疲れ気味。一方、四方に飛び散るようなジュリエットを、コラレスは動じず受け止め、丁々発止に踊る(全幕ではどうなるか)。可愛い子ぶるオシポワが可愛かった。

他には、ガラで『オンディーヌ』のパ・ド・ドゥを踊ったフランチェスカ・ヘイワードが素晴らしい。フォンテイン生誕100年を記念したプログラムの一つで、唯一彼女のオーラと香気を偲ばせる。妖しい妖精そのものだった。日本人ダンサーでは、平野亮一のデ・グリュー。武士のように力強く、真っ直ぐな個性を発揮した。東京シティ・フィルを率いたのは、新国立劇場でもおなじみのマーティン・イエーツ。自作(ピアノ譜から編曲)の『ドン・キホーテ』を嬉しそうに振っていた。

 

ディミトリス・パパイオアヌー @ 『THE GREAT TAMER』(6月28日 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)

題名の「偉大なる調教師」は神を連想させるが、パパイオアヌー自身のことかもしれない。時空間が怖ろしくコントロールされている。ワンショット、ワンショットがすべて絵になり、舞台の呼吸の乱れがない。そのため観客の呼吸も乱れない。全て演出家の美意識下に置かれ、何のためかも問われない。ダンサーたちは皆美しく、植物系のほどよい筋肉を纏っていた。このため裸が頻出しても、厭らしさがない。丹念に作り上げた美的世界が、厳然と存在している。

舞台は一畳の薄板を全面に敷き詰めた丘。男が向こう側から登ってきて、仰向けの裸の男に布をかける。すぐに布をあおる別の男。このシークエンスが何度も繰り返される。また、裸で仰向けになった女性の鳩尾を、片手で突きながら押し進める男。女は板の下の穴に滑り込む。明らかにピナ・バウシュを思わせる演出だが、ピナのようなダンサーの傷口を抉る残酷さ、退廃はない。また繰り返しの強迫性もなく、一定のリズムで絵柄を見せる面白さに重点がある。美的画面という点では、ロベール・ルパージュを思わせるが、演劇性はなく、意味を成す一歩手前。もう一つの世界を創りたいという欲望の結果として、作品は存在する。死生観は明るく、ユーモアあり。

ダンサーたちはよく訓練され、美的に統一されている。ダンスのムーブメントを作ってはいないので、振付家というよりも演出家だと思うが、ダンサーへの指示は振付と同じ精度に見える。

因みにムーブメントを「てにをは」の組み合わせでなく作った振付家は、マッツ・エック、ウィリアム・フォーサイス、マルコ・ゲッケ、山崎広太。

 

 

 

新国立劇場バレエ団『アラジン』2019

標記公演を見た(6月15, 16, 22昼夜, 23日 新国立劇場オペラパレス)。ビントレー版『アラジン』は2008年、牧阿佐美芸術監督時代に同団が初演したオリジナル作品である。2010/11シーズンから、ビントレー自身がBRBとの兼任芸術監督として就任。2011年の再演は、東日本大震災から一か月半後だった。当時劇場で配られたビントレー監督のメッセージを、以下に抜粋する。

Those who have lost homes and loved one's must feel many years away from the solace and healing that only time can bring, but the prayers and thoughts of all of us, safely delivered from the earthquakes worst, are with them....The dancers and I have been longing to get back on stage and dance for you and we hope that the charming and humorous story of Aladdin and his Princess, and their triumph over dark and sinister forces, has brought a much needed revival of your spirits after the recent tragedy.

大原永子監督下では、2016年に続いての再演となる。ビントレーの息吹が残る前回とは異なり、一レパートリーとして相まみえた印象。改めてビントレー作品の振付密度の高さ、運動量の多さに驚かされた。

壮大なテーマと舞曲・行進曲が有機的に絡み合う、カール・ディヴィスの音楽が素晴らしい。「宝石組曲」の様々な西洋舞曲、原作の舞台 中国を反映する五音音階、さらに踊りの求心力を高めるラーガ旋法が、次から次へと繰り出される。先行オペラ・バレエからのウイットに富んだ援用を含む、瑞々しく栄養豊かなバレエ音楽である。スコティッシュ・バレエ(2000)のために作られたが、ビントレー版初演に合わせて新たに曲が加えられた。

ディック・バード、スー・ブレインによるお伽話風美術と衣裳、マーク・ジョナサンのダイナミックな照明が、ビントレーの水際立った演出を支える。場面転換の鮮やかさ、ローテクを駆使した劇場マジック、緻密に計算されたダンサー出し入れ。これ程ストーリーテリングに長けた振付家がいるだろうか。意味のない動きは一瞬たりともない。振付自体はダンス・クラシックを基盤とするが、アダージョでの床面の使用など、モダンに振れている。生足ポアント(砂漠の風、プリンセスのお付き)のエロティシズムも、他のレパートリーにはない特徴の一つである。

主役のアラジンは、福岡雄大、奥村康祐、福田圭吾の大阪出身者で占められた。福岡は、舞台をまとめる懐の深さ、はじける演技、重厚な踊りが揃い、プリンシパルのトップにふさわしい舞台だった。踊る喜び、演じる楽しさが、動きの鮮やかさを増している。またジーン(井澤駿)への敬意に、福岡独自の役作りの深さが見えた。

奥村は前回よりも格段にたくましくなり、悪戯っ子の勢いにあふれる。千秋楽では小道具が手に付かなかったものの、舞台俯瞰の範囲が広がり、持ち味の女性との親和性も遺憾なく発揮した。砂漠の風たちとの阿吽の呼吸、母親との情愛に満ちた再会シーンに独特の味わいがある。

全幕主演初となった福田は、はまり役。動きの切れ、規範に則った踊り、何より体で音楽を生きる生来の音楽性がある。パートナーへの献身、周囲との細やかなコミュニケーションはいつも通り。持ち前の開放的な精神が、暖かな空間を生み出した。周りのダンサーたちにも、「福田のため」という気持ちが見え隠れする。

プリンセスにはそれぞれ、小野絢子、米沢唯、池田理沙子。小野は初日こそ、厳密な振付遂行が前面に出たが、2回目には、あの懐かしい ‟小野絢子” が蘇った(もちろんヴァージョンアップして)。舞台に薫風を運ぶ清潔な佇まい、瑞々しい音楽性、そして天性のユーモア。毒入り杯をぐるりと回して笑いを取れるのは、小野を措いて他にはない。本来の姿に戻った小野は幸福そうだった。また我々観客も幸福だった。

米沢は穏やかに相手を受け止めるプリンセス。奥村に対しては、幼馴染を見守るような、少し面白がる眼差しを向ける。出会い、結婚式、愛のパ・ド・ドゥ全てに、心をじんわりと温める澄み切ったオーラが拡がった。唯一米沢の裏面が出たのは、マグリブ人(菅野英男)への抵抗シーン。菅野の柔軟なサポートと無意識の包容力に、米沢の体が反応し、劇的なデュエットを作り上げた。

池田は、初演者のニュアンスを重視する丁寧なアプローチだった。初役とあって、まだ完全には自分の踊りになっていないが、マグリブ人誘惑の溌溂とした踊り、パ・ド・ドゥでの真っ直ぐなパートナー対峙に、池田らしさが出た。

第三の主役 ジーンは、井澤駿、渡邊峻郁、速水渉悟のそろい踏み。井澤は初日こそ立ち上がりが遅れたが、その後は重厚な肉体を駆使し、重量感のあるダイナミックな踊りで魔人の大きさをアピールした。斜めに腕組みするポーズが、歌舞伎の見得を思わせる。床に這いつくばるご主人様への挨拶は、魔人そのもの。福岡アラジンとの合掌挨拶には、熱い交感が見えた。

初役の渡邊は、踊りの鋭さ、真摯な演技に持ち味を発揮した。米沢プリンセスとの合掌挨拶は『R&J』の予告。真面目に愛を育む姿が目に浮かぶ。同じく初役で新人抜擢の速水は、まだ側近を率いる余裕がない。期待通りの鮮やかな踊りだが、役の踊りではなく、今後はドラマへの眼差しが望まれる。

マグリブ人には、悪の厳しさが出た菅野、妖しい魔術師そのものだった貝川鐡夫。菅野は酔っ払いの演技に秀でる。両者はサルタンにもたすき掛けで配され、愛情深い父を演じた。特に貝川は情の深さに加え、コミカルな演技に新境地を拓いている。

アラジン母には、さっぱり派の中田実里と、遠藤睦子=丸尾孝子の系譜に連なるさばけた派の菊地飛和。パイプ煙草のあしらいはまだ研究の余地ありだが、アラジンの頭をパッカーンと叩く小気味よさは、両人とも見事(いつから叩くようになったのか)。アラジン友人の木下嘉人=原健太、宇賀大将=小野寺雄の両組も、踊りの切れと機嫌の良い演技で、アラジンへの友情を示した。

宝石ディヴェルティスマンは適材適所。中でも、サファイア 本島美和、細田千晶の嫋やかな美しさ、エメラルド 寺田亜沙子のマジカルな腕遣い、ルビー 木村優里のダイナミズム(もう少し‟捧げる”気持ちを期待したいが)、ゴールド 中家正博の正統派クラシック、エメラルド 小柴富久修の妖しさ、同じく速水の踊りの巧さが目立つ。中家はサルタン守衛でも、音楽的で相手に呼応する演技を見せた。寺田はジーン側近も牽引。オニキスとパールと共に仮面付きだが、両陣とも溌溂とした献身的アンサンブルだった。

今回は初日、二日目キャストをポール・マーフィ、三日目キャストを冨田実里が指揮した。マーフィーは音の広がり、流れるようなメロディに円熟味を、冨田は明確な構造と強度の高い音作りで若々しさを発揮した。演奏は東京フィル。トランペットの生きの良さが印象に残る。