新国立劇場バレエ団『String SAGA』『暗やみから解き放たれて』2026

標記公演を見た(7月3, 4日昼夜 新国立劇場 中劇場)。新国立劇場バレエ団が、新旧オリジナル作品によるダブル・ビルを上演した。宝満直也振付『String SAGA』世界初演と、ジェシカ・ラング振付『暗やみから解き放たれて』(2014/16)である。ミニマル・ミュージックの使用、シンプルな美術、シルエットを含む照明(映像はなし)、ポアント使いのバレエ・ベース振付が、期せずして一致する。趣味のよいプログラムだった。

幕開けの『String SAGA』は、久石譲の『Viola Saga』(2023)に無音や切断を施した、30分の作品。振付の宝満は、久石の叙情的メロディ、ミニマルな繰り返しからカタストロフィに至るプロセスを、丹念に読み解いて、作品モチーフの「String(糸)」と絡ませる。バレエ・ベースの振付は音楽的。冒頭から中盤過ぎまでは優れたシンフォニック・バレエだった。音楽に沿ったダンサーの出入りも楽しく、情感豊か。一方、後半の主役(Tangle)登場以降は、コンセプトに寄せたフォーメーションで、音楽との関係性が薄らぐ(主役によっては少し説明的にも)。終盤の総踊りも勢いはあるが、序盤の緻密さに比べるとやや粗く感じられる。宝満らしい繊細さが全編を貫くことを期待したい。

美術は、宝満の『でたら芽』(2023)でも組んだ長峰麻貴。前回は巨大な紙だったが、今回は1枚の網目状巨大布である(オーガンジーとのこと)。四方を天井から吊るし、中幕や、舟のような形に次々と変容させる。そこに吉本有輝子の変幻自在な照明が当たり、黒、金、銀、白と、布色/布質が変化。二つの構成要素は、下方にいるダンサー同様、音楽と共に躍動するように見えた。冒頭、女性主役の動きで布に波紋の広がるシークエンスが素晴らしい。ダンサーと布の対話だった。

matohu による衣裳は、糸や布をモチーフにした斜め/エックス模様。薄水色と白(Twist)、水色と金(Tension)、臙脂と紺(Intertwine)、金と銀(Flick & Spin)墨色と銀(Tangle)と、パートによって色が分けられている。男性はTシャツにズボン、女性はワンピースにスパッツ、主役女性はワンピースのみで、脚のラインが強調される。漠然とアースカラーのオーガニックな衣裳を予想していたが、意外にもバレエ作品らしい華やかさだった。

キャストは主役を除いてほぼシングル。Twist は五月女遥/東真帆、赤井綾乃、根岸祐衣、石山蓮、長谷川諒太、森本晃介、Tension は花形悠月、山本涼杏、上中佑樹、Intertwine は大木満里奈、橋本真央、仲村啓、小川尚宏、Flick & Spin は石山、山田悠貴、Tangle は直塚美穂・中家正博/小野絢子・渡邊峻郁、Weave は全員という配役。

Twist は力強く機敏なアンサンブル、Tension はシンメトリーの張りのあるトロワ、Intertwine はラインとフォルムの絡まるカトル、Flick & Spin は超絶技巧炸裂の男性デュオ、Tangle は複雑なアンシェヌマンを駆使した主役PDDで、ダンサーたちは振付家の意図を的確に体現していた。ただし、強度のあるラインとダイナミックなパートナリングを期待された初日主役の直塚、中家は、直塚の振付/音楽解釈がまだ完全には身体化されておらず、優れたパートナー中家との相乗効果を生み出すには至らなかった。

一方ベテランの小野、渡邊コンビは、小野の精緻な振付解釈と優れた音楽性により、作品自体の求心性を大きく高めている。冒頭、布と対した小野は、小さな動きで空間を大きく変容。渡邊とは濃厚な関係性を築き、官能の海に溺れるようなPDDを作り上げた。アンサンブルを体で率いて、フォーメーションに命を与えるのは、ベテラン主役のなせる技である。Twist と Flick & Spin の2パートを踊った石山は、布被りのソロを与えられた山田と、金銀のシンメトリー・デュオを生き生きと形成。五月女を始めとするソリスト常連組の溌溂とした踊りに加え、長谷川の涼やかなソロ、森本の力強さ、大木の不思議な味わい、橋本の伸びやかさなど、様々な個性を味わうことができた。

舞台監督は小口邦明、同助手に福田紘也が入り、共に「NBJ Choreographic Group」で創作の研鑽を積んできた仲間に支えられた、新作上演でもあった。またラング作品を最後に退団する広瀬碧も創作仲間。宝満とは、同じ新国立劇場バレエ研修所5期生という縁がある。

2作目のラング作品『暗やみから解き放たれて』は、東日本大震災で亡くなった人々へのレクイエムである。空中に浮かぶ18個のドーナツ型ぼんぼりは、死者の魂。ダンサー18人と呼応するように上下し、魂の行方を視覚化する。冒頭、津波に飲まれた人々が、横たわり、ころがり、起き上がって奥へと歩き、後ずさりし、再び横たわる。奥幕が閉じて暗やみになると、パートナーを探す2組の男女が現れ、少し上げられた幕の奥と手前を行き来する。女性2人はパ・ド・ブレで浮遊し、相手の男性を探し求める。続いて男性3人による楽しそうな踊り、幕下から脚を見せる女性6人のユーモラスな踊り、ぼんぼり型チュチュの女性3人によるクリスピーな踊りが次々と展開、様々な死者の姿を垣間見せる。最後は少年が駆けまわる中、全員で奥の明るい方に向かい、「暗やみから解き放たれて」幕となった。

リーフレットにあるラングの言葉「このバレエ作品は日本の方々と瀬河家の家族に捧げられています」は、初演時から変わっていない。震災から3年後の2014年に創られた作品だが、ラングはそのことに触れていない。表面的には、ぼんぼりに代表される日本文化へのオマージュにも見える。ラングはそれでもよいと思ったのだろう。ダンサーにも観客にも作品の真の主題について語らなかった。初演時、一部のダンサーを除いて、散漫に見えたのは、そのせいだったのかも知れない。再演時も同じく。

今回ラングは非公式だが、作品を東日本大震災の死者への鎮魂と復興を祈って創ったことを明かしている。初演時にラングはなぜ言わなかったのか。当事者ではない者が鎮魂を明言することは、土足で踏み込むように思えたのか。東京で地震を経験した我々も、傷付き、回復が必要だった。震災の年、ビントレー元芸術監督は『パゴダの王子』を創り、国土の復興と人心の回復への祈りを終幕に込めた。同監督に依頼されたラングが、日本のバレエ団に死者のためのレクイエムを振り付けることは、自然だったろう。それを明言しなかった点に、ラングの人となりが窺える。今回の再演で作品の方向性が明確になり、普遍的なレクイエムとして生まれ変わった印象を受けた。

Wキャストは以下の通り。初日は、小野絢子、米沢唯、井澤駿、速水渉悟、飯野萌子、吉田朱里、李明賢、原健太、森本亮介、川口藍、金城帆香、原田舞子、広瀬碧、宇賀大将、内田美聡、川本果侑、花田美月、太田寛仁。二日目は、木村優里、柴山紗帆、木下嘉人、水井駿介、森本(亮)、菊岡優舞、佐野和輝、渡邊拓朗、榎本志結、小田那奈、岸谷沙七優、木村優子、白駒紗楽、五月女翔子、田尻紗菜、徳永比奈子、堀之内咲希、太田。

初日は、小野、米沢、井澤、速水の4人が、強度の高いカルテットを築いた。小野の作品を引き受ける肚、米沢のその場を生きる力を、井澤と速水が懐深く受け止める。井澤はアンサンブルの軸となり、速水は森本(亮)、宇賀と技巧的なトロワを繰り広げた。またぼんぼりチュチュの吉田が、死者の魂に入りこむ高い共感力を示している。終幕に走り回る宇賀は、無垢だった。二日目は、渡邊(拓)の存在が圧倒的だった。ダイナミックな木村を受け止め、アンサンブルの強い軸となる。奥に向かって歩く姿には、全てを引き受ける責任感が漂っていた。

音楽は、オーラヴル・アルナルズ、ニルス・フラーム、ジョッシュ・クレイマー、ジョン・メトカーフの楽曲を使用、美術はラング自身、衣裳は山田いずみ、照明はニコール・ピアース、クリエイティヴ・アソシエイトに瀬河寛司が入っている。

 

NBAバレエ団『リトルマーメイド』『HIBARI』2026

標記公演を見た(6月20日12, 15時、6月21日15時)。昨年1月に逝去したリン・テイラー・コーベットによる2作品(個別上演)。共に70分の上演時間ながら、緻密な構成のため、全幕物の見応えがある。『リトルマーメイド』は、2012年キャロライナ・バレエ初演、NBAバレエ団初演は2018年。『HIBARI』はバレエ団オリジナルで2015年初演。久保綋一芸術監督のアメリカ経験を生かした、独自のレパートリーである。

『リトルマーメイド』は、ミュージカル風の歌とナレーションにより、初心者への分かりやすさを意図するが、同時に細やかなマイムもあり、振付はショーダンスから、宮廷舞踊風、アクロバティックなPDDまで多彩。海の映像を駆使し、場面転換やダンサーの出入りもよく考えられている。アンデルセン原作のキリスト教的な教訓や、人魚姫の自己犠牲はなく、王子が海底に降りて、姫と結ばれるハッピーエンド。父王と母后がそれを許すのも、大人からすると少し無理筋に思われるが、子供たちにとっては、楽しい経験となるのだろう。

マーメイトは3キャスト。初日12時は勅使河原綾乃、15時は寺尾はづき、二日目は当初山田佳歩の予定だったが、故障降板で寺尾が代役となった。初回の勅使河原は、難度の高い技をそうとは見せない高度な技術の持ち主。アン・ドゥオール、アン・ドゥダン回転の切り換えは、相変わらずの素晴しさだった。自分の奥底にある感情を引き出して、役を生きるため、演技が深い。少し日本的な情緒も加わり、意志のあるマーメイドを造形した。今回で退団とのことだが、『海賊』で見せたドラマティックなメドーラは忘れ難い。相手を包み込む慈愛に満ちていた。バレエ団の柱とも言うべき存在の退団は、残念と言う他ない。一方の寺尾は、地の可愛らしさを生かした造形。明るく爽やかなマーメイドだった。

王子のクリスチャンは、誠実で真摯な新井悠汰、情熱的で凛々しい北爪弘史、海の魔女は、鋭くロックな市原晴菜、ふくよかでゴージャスな齊藤真邑、少しコミカルなソニアには須谷まきこ、大島沙彩(米津美千花は未見)が配された。海の王は堂々と爽やかな竹中朋宏、大きく包容力のある刑部星矢、海底を取り仕切るメカジキは、躍動感あふれる中山諒、軽快な増田慈(栁島皇瑶は未見)、王子友人は共によく尽くす井出累滋、獺越界斗が務めている。子役の金魚たちの愛らしさは相変わらず。登場するだけで幸せになった。

『HIBARI』は、日本を代表する歌手、美空ひばりの生涯を、映像、歌、踊りで綴る。子供時代から晩年までの代表作を辿り、華やかなショービジネスと愛を求める私生活が交互に現れて、美空の一生を体験した気持ちになった。ジャズを歌わせても第一級、オペラも歌えたかも知れない声を、大衆に寄り添い、日本人の心を歌うことに捧げた。アメリカ人振付の作品だが、美空の歌に深く入り込む可能性は、日本人ダンサーにあるのではないか。バレエ団にとって、貴重なレパートリーと言える。ナビゲーターは演歌歌手の丘みどり、分かりやすい解説に、美しい歌声も披露した。

勅使河原と女性群舞の瑞々しい「リンゴ追分」、勅使河原と北爪(小林旭役)による初々しい「おまえに惚れた」、須谷・新井のしみじみとした「哀愁波止場」、米津・三船元維による痛切な「哀愁出船」、井出・栁島率いる元気な男性群舞「お祭りマンボ」、寺尾と男子4人による溌溂とした「真っ赤な太陽」、神田里穂奈・荘野千尋・中井杏香=北爪・刑部・森田維央の男女3組による濃厚な「ある女の詩」、渡辺栞菜と多田遥・安中勝勇の少し洋風な「悲しい酒」、米津(山田代役)と刑部による「愛燦燦」、最後は「人生一路」「川の流れのように」の総踊りで締め括られた。

スタイリッシュなショーダンスから、ユニゾンを多用する対話のようなPDD、しっとりと濃厚な男女デュエット、透明に浄化されたPDDまで、トリッキーなリフト、布を用いた造形美(『くるみ割り人形』風布引きも)、グレアム風グラン・プリエを駆使するなど、コーベットの多種多様な引出しを、改めて確認することができた。

牧阿佐美バレヱ団『リーズの結婚』2026

標記公演を見た(6月14日 文京シビックホール 大ホール)。アシュトン版『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』は1960年、英国ロイヤル・バレエ団により初演された。ロシア、アメリカではヘルテル曲が使用されていたが、編曲者のランチベリーは、パリ版のエロール曲を基に民族音楽等を加えて、独自の音楽を作り上げた。オズバート・ランカスターによる美術は牧歌的。アシュトンはカルサヴィナ経由のマイム、リボン使用、トラヴェスティなど、19世紀の遺産を再構成し、バットリー多用のアレグロと、アクロバティックなグランド・リフト、フォークダンスを同居させる。芝居の面白さに、舞踊の楽しさが加わった19世紀田園讃歌である。

同団初演は1991年、再演を重ねる重要なレパートリーだが、今回は「アシュトン・ワールドワイド・フェスティバル 2024-2028」の一環としての上演。アシュトン財団からダニエル・クラウスを振付指導に招いている。細部の手直しもさることながら、全体にやり過ぎず、あっさりすっきりとした芝居が印象的。特に立ち役はドタバタ感が薄れ、自然体の演技に変わっていた。

主役はWキャスト。母シモーヌは初日が米倉大陽、二日目が坂爪智来、リーズは米澤真弓、西山珠里、コーラスは大川航矢、清瀧千晴、トーマスはシングルで京當侑一籠、アランは小笠原征諭、𡈽屋文太。その二日目を見た。

シモーヌの坂爪は元々ノーブルタイプ。品の好い母親役で、娘への愛情表現もすっきりとしている。マイムはやり過ぎず、水が流れるように自然だった。木靴の踊りも爽やか。娘の西山は清潔なライン、切れの良い足技、母に似た品のある芝居で、慎ましやかなリーズを造形した。2幕の結婚、出産を夢見るマイムの叙情性、それをコーラスに見られた時の恥じらい、さらに腕への口づけを許し、スカーフ交換に至る感情の流れを、きめ細やかに表現する。母娘のやり取りの繊細さは、バレヱ団の個性である音楽性に由来するのかもしれない。まるで音楽を聴くようなマイムシーンだった。

コーラスの清瀧は明るい好青年。リーズに言い寄る時は少しやんちゃでいたずらっ子。見せ場のリボン・ダンスに始まり、ダイナミックなソロ、愛情深いアダージョで、若い恋とその成就を爽やかに描き出した。トーマスは当たり役の京當。初役当時、元々ノーブルタイプなのが、急に恰幅の好い中年男性を巧みに演じて驚かせた。今回も大らかで、息子への愛情を懐深く示す。終幕の慰めも暖かかった。𡈽屋はペーソスなしの透明で明るいアラン。鮮やかな変則バットリー、右足を右に出す癖で、アランのこだわりを巧みに表現する。作り過ぎず、振付に語らせるアプローチだった。

公証人の濱田雄冴は少し若め、書記の岡本尚之は雰囲気が合っている。細野生の活発なおんどりと愛らしいめんどりたち、リーズ友人や、村娘、農夫たちが、のどかな田園風景をバックに、生き生きとした踊りで人生の喜びを謳い上げた。

湯川紘惠の指揮はおっとりと落ち着いた雰囲気。東京オーケストラMIRAI から牧歌的な音色を引き出している。

バレエ団ピッコロ65周年記念発表会「LAST PERFORMANCE」2026

標記公演を見た(6月6日 練馬文化センター 大ホール)。松崎すみ子、松崎康通によって設立されたバレエ団ピッコロが、65周年を迎えた。1961年の松崎すみ子バレエ教室(後のバレエ団ピッコロ附属研究所)発足に端を発し、66年のバレエ団設立以来、創作バレエ、古典改訂、子供のためのバレエ作品を発信し続けてきた。すみ子の多彩な舞踊言語駆使の振付と、康通の台本、美術、照明、演出が一体となった作品は、練馬クリスマス公演でも上演され、『不思議の国のアリス』は現在も再演を続けている。

子供たちを丸ごと肯定し、生き生きと踊らせる ‟すみ子ワールド” は、クリスマス公演の楽しみだった。生徒たちにも感情豊かに踊るよう指導。すみ子亡き後は、松崎えりがその精神を受け継ぎ、生徒の育成とレパートリーを護ってきたが、残念ながら今回が最後の発表会となった。えりはコンテンポラリー創作で、すみ子と並走、すみ子と共有する音楽性、康通の影響を思わせる空間構成に、秀でた才能を見せている。今後の創作活動に期待したい。

4部構成5時間に及ぶ発表会は、すみ子の『くるみ割り人形』全2幕、同じく『日本の祭り』より、子供のためのヴァリエーション、えりの創作とヴァリエーション、教師の振付作品、団員自作ソロに、古典ヴァリエーション、バレエ団の歴史を物語る写真映像が並ぶ。『くるみ割り人形』は、やはり子供たちの自然な笑顔と、伸びやかな踊りに目を奪われた。『日本の祭り』では菊沢和子の切れのよい踊りとキリッとした所作、ゲスト大神田正美の迫力ある大きさが際立つ。すみ子とえり親子の創作には、クリエイティブな喜びがあった。

ゲストは、常連の橋本直樹が、松岡梨絵と共に、王子、金平糖の精を踊った。橋本の端正で凛々しい踊り、礼儀正しさ、愛情深いサポート、松岡の磨き抜かれたスタイル、切れのよい踊り、慈愛に満ちた佇まいは、バレエ団の最後にふさわしい輝きと煌めきがある。須藤悠、久野直哉、飛永嘉尉も、適材適所の配役。須藤は『海賊』『眠れる森の美女』で踊りの様式性を、久野は『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』『白鳥の湖』「花のワルツ」でノーブルな踊りを、飛永は『パリの炎』『ラ・シルフィード』「クラウン」で高い技術とバットリーの美しさを披露、共に丁寧で献身的なサポートだった。また特別友情出演として、ピッコロ出身で、現在ブルガリア国立スタラザゴラ歌劇場バレエ団プリンシパルの須賀遥有が、同プリンシパル兼バレエマスターの石郷朝暉と『ラ・バヤデール』1幕PDDを情感豊かに踊り、ピッコロへの感謝を捧げている。

教師は菊沢和子、北原弘子、小原孝司、中村えみ、山口裕美、堀越美保(助教)、田代夏花(助教)。それぞれの持ち役で出演した後、主宰の松崎えりと共にカーテンコールに登壇、出演者たちを熱く労った。

MoN Takanawa『アレコ』2026

標記公演を見た(6月4日 MoN Takanawa Box 1000)。「MoN Takanawa : The Museum of Narratives」開館記念プログラムの一環。マルク・シャガールの巨大背景画をバックに、宝満直也が新振付したバレエ作品である。背景画はレオニード・マシーン振付『アレコ』(1942年)のために描かれ、現在3点が青森県立美術館、1点はフィラデルフィア美術館の所蔵。2024年、4点の全作展示が実現した機会に、『アレコ』の復活上演が行われた。今回の再演では場所を劇場に移し、デジタル化された背景画4点を、大型 LED スクリーンに映し出す。幕ごとの背景転換が可能となった。

原作はプーシキンの『ジプシー』。音楽はチャイコフスキーのピアノ三重奏曲『偉大な芸術家の思い出に』を、新たにオーケストラ編曲した録音音源を使用(音楽監修:冨田実里、編曲:中原達彦、演奏:NBAバレエ団オーケストラ)。貴族のアレコが、自分の住む世界を嫌い、ロマの少女ゼンフィラに恋をする。ロマたちと生活を共にするアレコだが、ゼンフィラは同じロマの若者に心を移し、アレコは二人を刺し殺す、というあらすじである。上演は50分、その前に20分の作品紹介映像が流され、背景画の経緯が明らかにされた。

宝満の振付はバレエを基盤とし、貴族たちの優雅さとロマたちのエネルギッシュな踊りを対比させる。冒頭の貴族たちのシーンは、当日主役の解釈のせいか、やや説明的に思われたが、終盤、アレコが狂気に陥った場面の、貴族とロマが交錯する演出は効果的だった。どの社会からも逃げるアレコが浮き彫りになる。アレコとゼンフィラのPDDは牧歌的、ゼンフィラの恋心は曖昧に見える。対してゼンフィラとロマの若者のPDDは官能的。複雑なアンシェヌマンにより、濃厚な感情のやりとりが可視化された。終幕、アレコが若者を刺し、ゼンフィラを抱えて殺す(またはゼンフィラが自死する)場面の緊迫感は素晴しかった。

主役はWキャスト。アレコはAプロが大川航矢、Bプロがアレクサンドル・トルーシュ、ゼンフィラは勅使河原綾乃、山田佳歩、ロマの若者は新井悠汰、北爪弘史。そのうちBプロを見た。トルーシュのアレコは、貴族社会への嫌厭よりも、嫉妬による錯乱狂気に個性を発揮した。ゼンフィラの腕をつかみ、脚をつかんで抱きしめる。ノイマイヤー作品で培った役への没入が、よく生かされていた。

ゼンフィラの山田は、登場するだけで場を支配、薫風とエネルギーの流れを舞台にもたらす。自由奔放なロマの娘を、上体の柔らかさ、生きた脚遣いで鮮やかに描き出した。終幕の死の場面では、若者の亡骸ににじり寄り、熱い口づけをして息絶える。対する北爪は官能的なPDDの名手。山田とは技量が拮抗し、エロティシズムと濃密な肉体の対話が生み出された。相手をよく見るパートナリング、美しい技術、切れの良い踊りが目覚ましい。NBAバレエ団を中心とするアンサンブルは、シャガールの懐かしさと孤独が綯い交ぜとなった夢の世界を背景に、エネルギッシュな踊りで舞台作りに大きく貢献した。

新国立劇場バレエ団『白鳥の湖』2026

標記公演を見た(6月7, 9, 10, 11, 12, 13日 新国立劇場 オペラパレス)。P・ライト版『白鳥の湖』は1981年、サドラーズ・ウェルズ・ロイヤル・バレエ団(現 BRB)で初演された。新国立劇場バレエ団初演は2021年。23年の再演を経て、今回3年ぶり3回目の上演となる。

本版はガリーナ・サムソワによる湖畔の演出を導入し、プティパ=イワノフ改訂版以降の伝統へ敬意を払う一方、パ・ド・シス曲や新発見曲を使用して、原典版へのオマージュを捧げている。1幕 PDT のアンダンテ・ソステヌートも、原曲順で王子のソロに使い、プロローグ先王葬列からのメランコリックな雰囲気を引き継がせた。3幕の民族舞踊を、オディールを含む4人の花嫁候補のお供に設定して、物語の流れを緊密にする演出も効果的だが、ライト版最大の特徴は、1幕後半部にクルティザンヌを登場させ、男性のホモ・ソーシャルな空間を築いたことだろう。終幕、学友のベンノが、ジークフリードの亡骸を抱いて湖から上がってくる構図も、同じ傾向を示している。P・プロウズの重厚な美術と衣裳、修道女、修道士、旗持ちが、亡霊のように背後に佇む舞踏会風景は、宮廷の閉塞感をよく表していた。

振付指導は、元バーミンガム・ロイヤル・バレエ団プリンシパルの佐久間奈緒。4、5月の『ライモンダ』とは異なり、主役級はそれぞれの個性を発揮するアプローチを採っている。踊り方よりも、役の心を伝える指導だったと思われる。全体的には、脇役から立ち役、アンサンブルまで、芝居心のある演技と立ち居振る舞いが目覚ましかった。

主役のオデット/オディールは6キャスト。見た順に、吉田朱里、柴山紗帆、小野絢子、木村優里、米沢唯、直塚美穂。それぞれ個性を生かした舞台を披露したが、やはりベテランの小野、米沢の考え抜かれた緻密な造形が際立った。二人を終幕で支える2羽の白鳥、山本涼杏と金城帆香は、直に触れた体から、プリマの息遣いを感じ取っただろう。

小野は体調不良で、初日の4幕を降板したとのこと(吉田が代役)。2回目も本調子とはならなかったが、これまで蓄積された細やかな振付・役解釈を、水のように淡々と身体化した。『ライモンダ』では力強さが印象的だったが、今回はガラス細工のように繊細なオデット。一方オディールの江戸っ子気質は薄まったが、薫り高い気品は相変わらず。終幕は無常を受け入れた ‟彼岸の踊り” に見えた。

米沢は自然体のオデット。その場で湧き出る感情に身を委ね、ジークフリードと相対する。一方オディールは悪魔の娘であることを肚に置き、鮮やかなグラン・フェッテも、技術を見せるためではなく、魔性を表すために遂行される。優れた技術に磨きをかけながら、それを当然の前提として役を追求する姿勢は、他の追随を許さない。昨夏のロンドン公演『ジゼル』終演後、英国ロイヤル・バレエ団前芸術監督のモニカ・メイスンが、米沢にかけた言葉「すべてに真実があった。全てが信じられた」(『ダンスマガジン』2025.11)は、米沢の本質を表している。

中堅4人は道半ばながら、伸び伸びと個性を発揮した。木村はゴージャスな体を生かし、白鳥、黒鳥ともにダイナミックな造形。あまり内面を掘り下げることはせず、力強く真っ直ぐに踊る熱量の高い舞台だった。柴山の美しい姿形は大きな美点。いわゆる白鳥・黒鳥のあるべき姿を体現していたが、さらに自分ならではの役解釈、パートナーとのコミュニケーションが加われば、爆発的な舞台となるだろう。

吉田は演技をするというよりも、役になる、役を生きるアプローチ。王子と心を通わせることより、ミルタ等の経験を生かして白鳥アンサンブルをまとめ、悲劇を生きるオデットを造形した。長い手足によるライン美もさることながら、自らの精神性を周囲に広げていく点に、吉田の個性がある。初役の直塚は、伸びやかで気持ちの良い踊り。エクステンションの大きさが、雄弁な踊りの助けとなっている。マイムは細やかで真情にあふれる。自分に正直に物語を紡いでいた。

ジークフリード王子は見た順に、井澤駿、李明賢、奥村康祐、速水渉悟、福岡雄大、渡邊峻郁。井澤は情熱的な王子。深い抑鬱状態の中、オデットと巡り合い、生きる希望を見い出す。1幕憂愁のソロは、小手先ではない全身全霊の踊りだった。吉田とはアルブレヒトとミルタとして出会っている。全てを出し切る演技で、幕前カーテンコールでの吉田への挨拶は長く深かった。初役の李は、若くまだ幼い王子だが、皆に見守られることが自然なノーブルな輝きがある。1幕憂愁のソロの繊細な音楽解釈と、その自在な身体化は抜きん出ている。まだサポートに不安があり、柴山とのコミュニケーション不全のせいか、本人初日はアダージョが見せ場とはならなかった。

奥村は王子でいることが常態のベテラン。白鳥たちに囲まれる時の自然な振る舞いは、持ち味と言える。1幕憂愁のソロは程のよいメランコリーを湛え、3幕喜びのソロは晴れやかだった。本調子とは言えない小野に対しても、自然体で臨んでいる。2回目となる速水は、お手本のような美しい1幕ヴァリエーションが際立つ。ダイナミックな木村をしっかりと支え、確かな舞台作りに貢献している。

福岡は長年の貫禄が滲み出る王子だが、瑞々しい感情と、躍動感あふれる踊り、古典の様式性が渾然一体となり、後輩たちへ貴重な示唆を与えている。米沢オデットの死を眼前にした4幕の慟哭には、涙が出た。舞台に自らを捧げる志を同じくする米沢と、古典への旅を続けた2か月間だった。渡邊は初役の直塚を支える優しい兄のような王子。オデットはもちろん、オディールにも、ベンノにも、クルティザンヌにも優しい。悲劇的ではなく、なごやかな雰囲気の舞台だった。幕前カーテンコールでの、直塚のぴょこんとしたお礼の挨拶に、同じくぴょこんと応えたのが象徴的。

王妃は、鷹揚な楠元郁子、優雅で母性的な関優奈、少しカラボス風の大木満里奈、ロットバルト男爵は、ノーブルで肚の据わった中家正博、大きく重みのある小柴富久修、さらに王子兼任の井澤が、真っ直ぐで熱い男爵像を加えている。ベンノは、愛情深くよく気が付く木下嘉人、晴れやかで丁寧な中島瑞生、若々しく颯爽とした水井駿介、落ち着いたよきパートナーの上中佑樹が務めた。クルティザンヌと踊る PDT の技量も揃い、トゥール・アン・レール(左右はなし)は、全員5番降りだった。クルティザンヌは、飯野萌子・五月女遥、花形悠月・山本涼杏、東真帆・小田那奈の3組。飯野以外は初役ながら、全員踊りの技量が高く、役どころを心得ていた。

4羽の白鳥は五月女、飯野の容赦ない牽引、2羽の白鳥はくっきりと意志のある金城帆香、躍動的な山本、体から音楽が聞こえる堀之内咲希が印象深い。白鳥たちは、古風なチュチュと相俟って、自然体のアンサンブルを形成。揃えようとする意識よりも、白鳥たちの内面が滲み出る演技と踊りだった。

3幕ハンガリー王女は、濃厚で滑らかな飯野、こってりと意志のある金城、若手の榎本志結、ポーランド王女は、伸びやかで元気な山本、鋭く鮮やかな根岸祐衣、巧みで意志のある堀之内、イタリア王女は、音楽的で切れ味鋭い五月女、おっとりとした花形、にこやかな赤井綾乃が務めた。チャルダッシュは、広瀬碧・木下、原田舞子・宇賀大将の2組。女性陣の美しい踊りに対し、重みと鮮やかさのある木下、軽快な宇賀大将が、エネルギッシュな踊りで応えている。マズルカは、川口藍、関晶帆、趙載範、中島たちが華やかに率先、勢いのある踊りを披露した。

ナポリの踊りは、五月女・東、小田・田尻紗菜の女性2組と、小野寺雄・田中陣之介、水井・森本亮介、石山蓮・佐野和輝の男性3組による混合組み合わせ。五月女・東は鋭い音感と強いアレグロ、小田・田尻は牧歌的な味わいで、趣の異なるナポリを作り上げた。ベテラン小野寺と研修所後輩 石山のピンポイント・タンバリンも印象深い。スペインの踊りは、山本・金城、花形・根岸、関(優)・根岸の女性3組と、仲村啓・渡邊拓朗、小川尚宏・森本晃介の男性2組による混合組み合わせ。スタイリッシュな踊りに、被り物と濃い化粧が加わり、オディールの眷属にふさわしい強度を見せる。仲村は伸びやかさとノーブルな味わい(廷臣時も)、森本は美しいラインが印象的だった。

指揮はポール・マーフィ、冨田実里、管弦楽は東京フィルハーモニー交響楽団。マーフィーのライト版に沿ったアップテンポの指揮、冨田のダンサーの呼吸に合わせたエネルギッシュな指揮が、充実した音楽を紡ぎ出し、10回公演を大きく支えている。

K-BALLET TOKYO『パリの炎』2026

標記公演を見た(5月31日夕 オーチャードホール)。演出・振付は芸術監督の宮尾俊太郎。原振付:ワシリー・ワイノーネン、音楽:ボリス・アサフィエフ、舞台美術・衣裳デザイン:ロバート・パージオーラ、照明デザイン:足立恒、編曲:横山和也という布陣。

『パリの炎』原典版は1932年、ロシア革命15周年記念作品として、国立レニングラード・オペラ・バレエ劇場(現マリインスキー劇場)で初演された。1933年モスクワ・ボリショイ劇場で上演、1947年に同劇場で改訂、1960年に復元され、1964年まで上演された(プログラム―文:村山久美子)。革命の勝利を祝う原典版に対し、2008年、革命のもたらす悲劇を描いたラトマンスキー版が、ボリショイ劇場で初演される。元の4幕構成を2幕に変え、農民ジェロームと貴族の娘アデリーヌの悲恋を加える。終幕はギロチンを導入、アデリーヌが処刑され、ジェロームが嘆くなか、群衆の非情さが浮き彫りとなる。

2013年にはミハイル・メッセレルが、1947年改訂版に基づいた3幕の新版を、ミハイロフスキー劇場で初演した。革命讃歌はそのまま、終幕には「自由」「平等」「友愛」を謳う3組のアレゴリック・ダンスが踊られ、ワイノーネンのアクロバティックな振付が蘇った。全体的には、バレエの様式性を重視した復刻版という印象である。ラトマンスキー版にも、フィリップとジャンヌの婚約のPDD、バスクの踊り、カルマニョーラなど、ワイノーネン振付が残されているが、新振付はモダンダンス風語彙が多く、振付家の個性が前面に出た版と言える。

宮尾版は、先行2版とは異なる独自の新版だった。ラトマンスキー版の骨格を採用、同じくワイノーネン振付を残しているが、新振付は、バレエの様式性に現代的な密度を加えた新鮮さを伴う。農民、貴族、王族の違いを明確にし、時代に応じた古風なパを取り入れている。ジェロームとアデリーヌの叙情的なPDD、王と王妃の複雑なPDD、王のノーブルで高難度のソロなど、振付は全て物語の流れ、登場人物の立場や感情に沿っていて、ダンサーには「気持ちから踊る」(アフタートーク:島村彩)ことが求められる。当然だが、宮尾監督は熊川哲也総監督の音楽的振付で育ったこともあり、振付は音楽と完全に一致していた。

演出面では、若き日のナポレオンが狂言廻しとして登場することが最大の特徴。冒頭書き物をしているナポレオン、その回想が、これから始まる舞台という設定。コルシカ貴族のナポレオンが、当時マルセイユにいたこと、チュイルリー宮殿襲撃を見ていたという史実を基に、宮尾が想像したファンタジーである。義勇軍に加わる時、ジェロームには帽子、ナポレオンには上着が与えられ、ジェローム亡き後(フィリップに射殺される)、その帽子を被り、皇帝ナポレオンへの道を歩む。さらにロベスピエールも登場、バスクの踊りを義勇軍と踊る。熊川哲也、遅沢佑介、宮尾俊太郎と、ベテランダンサーが配されている。

全体的には、宮尾演出の視野の広さ、バランスの良さ、人間洞察の深さが印象深い。フィリップとジャンヌ、ジェロームとアデリーヌ、ルイ16世とマリー・アントワネットの3組が、善悪を越えて、それぞれのドラマを紡ぎ、それぞれの人生を物語る。アントワネットが処刑された瞬間の民衆の姿に、出来事の重み、意味が立ち現れ、仲間内の殺人に内ゲバの悲惨が描かれる。両方の悲劇を見ているナポレオンの姿は、宮尾自身だろうか。ダンサーは適材適所、いずれも役どころが腑に落ちている。

アサフィエフの音楽は多彩。民族音楽、バロック音楽、ロマン派音楽が組み合わさり、ドラマ、音楽、踊りが緊密に結びついている。パージオーラの美術も素晴らしい。紗幕のチュイルリー宮殿襲撃の場面を基調に、マルセイユ、パリの街並み、崩れつつある王宮、断頭台が、抑制された美しい色調の衣裳と共に、物語をバックアップする。照明も効果的だった。

プログラムに掲載されたオレシア・ノヴィコワ(ゲスト)の作品評、「物語の展開がしっかりしていてわかりやすく、極めてエモーショナルです。彼自身の作品を作られたと思います・・振付家が物語を少し遠くから俯瞰して見せるような語り方の構成が映画的です・・音楽の選び方も理想的。民族舞踊の振付も効果的で、構成や群舞の移動がすっきりとしていて優れています。あるものから最高のものを抽出して作られているという点で、宮尾さんは非常に賢くて才能のある演出家です」は的確だった(取材・文:高橋森彦)。

主役キャストは出演順に、ジャンヌが日髙世菜、岩井優花、長尾美音、菅井円加(ゲスト)、フィリップが D・スミレフスキー(ゲスト)、山本雅也、山田博貴、ナポレオンが山田博貴、栗原柊、高橋真之、ジェロームが石橋奨也、武井隼人、(田中大智)、アデリーヌが島村彩、長尾美音、原美咲、マリー・アントワネットが木下乃泉、O・ノヴィコワ(ゲスト)、日髙世菜、ルイ16世が栗山廉、D・スミレフスキー、ボルガル公爵が鴻野寛太、石橋奨也、N・ヴィユジャーニン。

所見当日のジャンヌは岩井、フィリップは山本。共に高い技術、ダイナミックな踊り、真っ直ぐな演技で、革命下の恋人たちを力強く造形した。ジェロームは武井、アデリーヌは長尾。武井は切れの良い踊りと熱い演技、長尾は情感豊かな踊りとリリカルな演技で、身分違いによる悲恋を瑞々しく描き出した。ナポレオンの栗原は、透明感のある佇まいと美しい踊りで、一種妖精のような狂言廻しを演じている。若き日のナイーブなナポレオンが浮かび上がった。

アントワネットのノヴィコワは、チュチュの威厳、スリップドレスの叙情性に、プリマの風格と懐の深さを滲ませる。的確な振付解釈を、雄弁な脚遣いを駆使し、隅々まで身体化させた。王妃としての気品、妻としての愛らしさ、母性愛が渾然一体となったアントワネットだった。対するルイ16世の栗山は、ノーブル。長身の品の良さに逞しさが加わり、典雅な王を体現した。ノヴィコワへのサポートには、技術的にも精神的にも余裕が見られる。内実を伴った王と王妃だった。

アデリーヌの父、ボルガル公爵は石橋奨也。いぶし銀の引き締まった演技、貴族のノーブルでクールな佇まいが適役だった。オランプは婀娜っぽい辻梨花、ロベスピエールはベテランの遅沢佑介が、大きく力強い回転技で、後輩たちを革命へと駆り立てる。王妃侍女(サーバント)の島村彩、世利万葉は、様式性を伴った高い技術で、難度の高い宮尾振付の機微を伝えている。セレモニー・マスターは暖かみのあるビャンバ・バットボルド、処刑人サンソンは、クールでダークなオーラを放つ中井皓己。義勇軍、王女・王太子の子役たちは、清潔な踊りに自然体の演技で、指導者の薫陶を明らかにした。

市民アンサンブルの生き生きとした演技と踊り、貴族アンサンブルの優雅さ(と滑稽味)まで、振付家の細やかな演技指導が行き渡っている。熊川総監督の築いた「踊れて当たり前」というバレエ団の気風に、新たな血が加わり、バレエ団は次の段階に入った模様だ。

指揮は井田勝大、管弦楽はシアター オーケストラ トウキョウ。井田は『ラ・マルセイエーズ』を含むアサフィエフの多彩な音楽を、舞台のダンサーたちと一体となって楽しんでいるように見える。喜びにあふれたピットだった。