日本バレエ協会『パキータ』全幕 2024

標記公演を見た(3月10日昼夜 東京文化会館 大ホール)。都民芸術フェスティバル参加公演。『パキータ』全幕は個々のバレエ団で取り上げることが少なく、協会だからこそ上演可能な演目と言える。バレエを構成する3つの要素、クラシック・ダンス、キャラクター・ダンス、マイムが全て揃い、ロマンティック・バレエクラシック・バレエの好さを一度に味わうことができる。マイムの多さゆえ、バレエファンのみならず、芝居好きの観客にも好まれる作品と言えるだろう。

『パキータ』は1846年、パリ・オペラ座で初演された。振付はジョゼフ・マジリエ、音楽はエドゥアール・デルデヴェス、主役パキータにはカルロッタ・グリジ、リュシアンにはリュシアン・プティパ(マイム役)が配された。翌年ピエール・フレデリクとマリウス・プティパサンクトペテルブルクマリインスキー劇場で上演、1881年に同プティパが改訂を施し、レオン・ミンクスの作編曲で、1幕にパ・ド・トロワ、3幕に子供マズルカ、グラン・パ・クラシックを追加振付した。その後、グラン・パ・クラシックのヴァリエーションを増やし、パ・ド・トロワを加える形で、単独上演が行われるようになった。全幕復元・改訂版の歴史については、斎藤慶子氏による詳しい解説がプログラムに掲載されている。

今回の上演はアンナ=マリー・ホームズによる改訂振付で、世界初演となる。演出補にリアン=マリー・ホームズ・ムンロー、作編曲にケヴィン・ガリエ、ケリー・ガリエ、照明は沢田祐二、衣裳は村田沙織、バレエ・ミストレスに佐藤真左美、角山明日香という布陣。原典版と同じく2幕3場の構成。プロローグを立て、盗賊に両親(フランス人貴族)を殺された赤子のパキータが、ロマの手に渡る経緯を描く以外は、ほぼ台本通りである(平林正司『十九世紀 フランス・バレエの台本』慶応義塾大学出版会, 2000)ガリエによる作編曲は、イタリアで発見されたマイクロフィルムの2つの音源が原典。それを音楽ソフトに転写し、20世紀初期の演奏法を加味したオーケストレーションを施したという(プログラム)。

演出構成とマイムを担当した演出補のムンローは、ボストン・バレエスクール出身。大学で音楽を専攻し、演劇の修士号を取得している。まさにバレエの演出に適した経歴の持ち主である。プレトークで本人が見せた創作マイムの実演(リュシアン、イニゴ、ロペス、メダリオン、赤子、イニゴの家)は、分かりやすく、観客のマイムシーン理解を手助けした。演出面の大きな特徴は、1幕パ・ド・トロワを、ロマの首領イニゴとパキータ友人4人の踊るパ・ド・サンクとし、2幕グラン・パのヴァリエーションも同じパキータ友人が踊る設定にしたこと。プロローグにおいて、子供時代の友人4人と赤子のパキータとの対面を描き、友人4人に固有名を与えた点と併せ、パキータを育てたロマ共同体への視線を強く感じさせる演出と言える。

舞台はナポレオン・フランス軍統治下のスペイン。1幕はロマの娘パキータとフランス軍将校リュシアンの出会いを中心に、パ・ド・サンク(本来はトロワ)、パ・ド・マタドール、パ・ド・ボヘミエンヌ(パキータと友人4人)、ロマの男達の踊り、ロマの女達のショールダンスが繰り広げられる。続く2幕1場は、イニゴの家でのマイム場面と少しの踊り。イニゴと町長ドン・ロペスがリュシアン殺害を企てるも、パキータの機転で二人は逃れ、舞踏会(2場)へと向かう。コントルダンス(幕前)、ガヴォットが踊られる中、リュシアンとパキータが登場。リュシアン殺害を企てたドン・ロペスは逮捕される。さらにパキータの持つメダリオン(パキータの父)と、広間の肖像画(リュシアンの叔父)が同一人物と分かり、パキータとリュシアンの結婚の祝宴となる。子供マズルカが始まり、グラン・パ・クラシック(6つの Va)、最後は壮麗なアポテオーズとなる。

アンナ=マリー・ホームズ振付のスペイン舞踊、ロマの踊りの楽しさ。2幕1場ではパキータとリュシアンがブルノンヴィル風や、『ドン・キホーテ』風のステップを踏む。前半のバットリー多めの軽やかな踊り、後半グラン・パの厳密な古典舞踊、その両方をバレリーナに要求する芸術的難度の高い振付である。母アンナ=マリーの闊達な振付を、娘リアン=マリーが現代に通じる演出と音楽的マイムで繋ぎ、演劇性、音楽性ともに優れた『パキータ』全幕の仕上がりとなった。

アレクセイ・ラトマンスキーとダグ・フリントンによるプティパ全幕復元版(2014)、ユーリー・ブルラーカによるグラン・パの復元版(2008)も、参考資料になったことだろう(前者については部分映像以外未見)。今回パキータ Va には、いわゆる「ニシアの Va」(ドリゴ曲)が選択された。また1幕パ・ド・サンク(本来はトロワ)には、プーニ曲の女性 Va が独自に加えられている。1幕パ・ド・マタドールはパ・ド・マントと呼ばれ、女性群舞の半分は男装だったが(プティパ版も)、その伝統を適切に踏襲、子供群舞も加わる見せ場となっている。パキータと友人の踊るパ・ド・ボヘミエンヌは、パ・ド・セットのところを、パ・ド・サンクに変更して、友人4人とパキータのより深い関係を想像させた。

主役は3組。パキータ初日は上野水香、リュシアンは厚地康雄、イニゴは清水健太、二日目マチネはそれぞれ、吉田早織、浅田良和、二山治雄、ソワレは米沢唯、中家正博、高橋真之、その二日目昼夜を見た。

マチネのパキータ 吉田は、伸びやかなラインに華やかな佇まい。グラン・パ Va は少し苦労したようだが、明確な技術と瑞々しい演技で全幕をまとめ上げた。対するリュシアンの浅田はフランス風伊達男、鮮やかな踊りと献身的サポートで吉田を支えている。イニゴの二山はフランス派の美しい踊り。トロワ Vaでは、2番で踏み切るトゥール・アン・レールを左右で回り、それを2回繰り返す超美技を披露した。演技もすでに『ラ・フィーユ・マル・ガルデ』(NBAバレエ団)のコーラスで実証済み。今回も2幕の酔っ払い踊りなど、マイムシーンのツボを外さなかった。パ・ド・サンクでのパートナーとの呼吸も良好、序盤にムーンウォークを見せたような気もするが、なぜ?

ソワレのパキータ 米沢は円熟の極み、プリマの舞台である。1幕のグリジを思わせる軽やかさ。目にも止まらぬ足技に小鹿のような踊りで、仲間の皆を引き連れる。2幕のマイムは手練の技。笑いの間を巧みに取りつつ、迫真の演技で芝居を盛り上げた。グラン・パではゴージャスなプリマ、光り輝く体となる。踊りの洗練、的確な役解釈、盤石の技術、さらにその場に全てを捧げる献身が揃い、来し方行く末が凝集するようなバレリーナとしての結節点を示した。

リュシアンの中家は正統派ダンスール・ノーブル。ワガノワ仕込みの行儀の良さ、立ち姿の美しさ、全てを引き受ける懐の深いサポートで、米沢を大きく支える。端正な踊り、明快なマイムに気品が漂い、悠然とドラマを進めた。『エスメラルダ』で組んだ時も思ったが、所属団体でも見たい組み合わせである。イニゴの高橋は真面目に悪役を遂行。正統的踊りと力強い演技で、舞台に厚みを加えている。

ドン・ロペスには、コミカルな味付けのマシモアクリ、悪役の魅力全開の保坂アントン慶、デルヴィリ将軍には鷹揚な小原孝司、不思議な味わいの中村一哉、将軍の副官には控えめな関口武、渋みのある柴田英悟、将軍の母では深沢祥子(未見)、岩根日向子、テーラー麻衣が、しっとりとした貴婦人を演じている。

パキータの友人はマチネが若手、ソワレはベテランの巧者が揃った。中でもマチネのオーム・ソフィアが、技術、エレガンス、古典の香りでずば抜けている。未来のパキータである。グラン・パ・クラシックのアンサンブルは、マチネは明るく元気、ソワレはよく揃っていた。1幕ロマ男性群舞は勢いがあり、女性群舞は情念が深い(ショールダンス)。注目のパ・ド・マタドールは、可愛らしさはあるものの、トラヴェスティの魅力を伝えるには至らず。もう少し少年(若者)らしい身のこなし、体の鋭いラインが欲しいところ。直近では、バレエシャンブルウエスト『ドン・キホーテ』における街の少年役(女性)が理想的だった。

指揮は井田勝大、管弦楽はジャパン・バレエ・オーケストラ、コンサート・マスターは小林壱成。井田はロマンティック・バレエ『ドナウの娘』(振付:P・ラコット)日本初演の際、指揮者アシスタントとして楽譜の修正を含め大きな役割を果たしている。今回もロマンティック・バレエの牧歌的な味わい、古典バレエの格調の高さを練達のオーケストラから引き出して、世界初演に大きく貢献した。

 

新国立劇場バレエ団『ホフマン物語』2024

標記公演を見た(2月23, 24昼, 25日 新国立劇場 オペラパレス)。ピーター・ダレル振付の『ホフマン物語』は、1972年スコティッシュ・バレエで初演された。75年にSBに入団し、プリンシパルとして活躍した大原永子は、新国立劇場芸術監督2年目の2015年に本作を導入。18年の再演を経て、今回が6年振り3度目の上演である。吉田都現監督は今季プログラムを「歴代監督へのオマージュ」とし、大原前監督に現役時代の当たり役であった本作を捧げている。

オッフェンバックの同名オペラを原作とする『ホフマン物語』は、オペラ劇場での上演にふさわしく、英国系レパートリーを擁するバレエ団にとって、ダレルの振付家としての位置取りを知る貴重な作品である。アシュトン群舞の影響や、クランコとの劇場トリックの共有(はミラーダンス、はボディダブル)、また同い年のマクミランとは、強烈な相互関係があるように見える。公演直前にパリ・オペラ座バレエ団の『マノン』(74年)を見る機会があったが、『ホフマン物語』からの影響を強く感じさせた(3人の友人→3人の紳士、スパランザーニの空中前転 → 乞食リーダーの同じく、ジュリエッタの男性陣リフト → マノンの同じく)。ジュリエッタのリフトはイーグリングの『くるみ割り人形』におけるアラビアへ、さらにスパランザーニの子分2人、ダーパテュートのミニョン2人は、ビントレーの『シルヴィア』におけるジルベルトとジョルジュ、ゴグとマゴクに生まれ変わっている。

その上で今回は、ケン・バークと共にステージングを担当した大原前監督に、ダンサーと観客が感謝の気持ちを表明できたことが重要だった。2022年2月、コロナ禍で『マノン』が途中で打ち切りとなり、劇場は封鎖。一時英国に戻った前監督は、ロックダウンで再来日が叶わず、そのまま監督の任を終えた。その後『ジゼル』新制作観劇に来日するも、正式の挨拶はなく、今回初めてカーテンコールで団員と共に舞台に上がり、初日ホフマンの福岡雄大から感謝の花束が贈られることとなった。本人が監督だったら起こり得ない光景だが、功績を讃える場は劇場の歴史を紡ぐ上で重要である。観客は歴史の一場面に立ち会い、前監督への感謝の気持ちに胸を熱くする機会を得ることができた。

主役ホフマンは3キャスト。初日の福岡雄大は熱血ストイックな気質をそのまま投影する。2幕ロシアンPDDの力強さ、3幕修道者の引き裂かれるような苦悩に本領があった。老け役には馴染まない若々しさがある。二日目の井澤駿はロマンティックなタイプ。1幕の華やかさ、2幕の情熱、3幕のダイナミズムをゆったりと演じ分けている。最終日の奥村康祐は、1、3幕の無垢な味わいに個性が見える。4人の女性を受け止め生かす柔らかさがあり、5つのパートを柔軟な体で流れるように結び付けた。

リンドルフ/スパランザーニ/ドクターミラクル/ダーパテュートは2キャスト。初日の渡邊峻郁は持ち味を生かした色悪風の造形。1幕のコメディは納まりが悪いが、3幕の妖しい色気は際立っている。ドラキュラ伯も出来そうだ。二日目・最終日の中家正博は悪魔そのものだった。1幕のコミカルな演技と、動きの突き抜けた鮮やかさ、2幕のゾッとさせる冷やかさ、3幕の重厚な肉体、さらにエピローグの光線を放つ指差し。はまり役である。

オリンピアの池田理沙子は、少し硬さが見られたが、可愛らしい人形ぶり、奥田花純はホフマンの目(眼鏡装着)に見えるオリンピアを、人間味、情味のある踊りで演じている。アントニアの小野絢子は抒情的で嫋やかな演技。PDDではプリマの貫禄、古典の粋を見せつけた。同じく米沢唯は情感豊か、PDDの踊りには艶があり、スラブ風ソロは残像深く、後々まで音楽が耳に残った。ジュリエッタの柴山は久しぶりに本領発揮。体の美しさを生かした優美な踊りで、アタックも強く、地力が見える。木村優里はやや迷いがあるか。別日配役ラ・ステラの演技にも言えるが、主役は ‟与えること” が仕事である。もう少し自立した演技が必要だろう。

最終日の米沢ジュリエッタは円熟の極み。優れた技術、考え抜かれた演技、踊りの艶が打ち揃い、素晴らしい造形へと導いた。かつて本島美和が高級娼婦と観音様を合わせたような、今思えば和風のジュリエッタを見せたが、米沢は娼婦と聖女の洋風。体の質を ‟気” によってではなく、長年の鍛錬によって変えている。リフトする男性陣も貴重品を扱うような手つきだった。

ホフマン友人は、①速水渉悟、森本亮介、木下嘉人、②石山蓮、小野寺雄、山田悠貴。速水の圧倒的な踊り、森本は少し硬さが見られたが端正な踊り、木下の役の踊り、石山の覇気あふれる踊り、小野寺のずっしりとした踊り、山田の華やかな踊りと、見応えがあり、今後の配役に期待を抱かせる。スパランザーニ召使いは、ベテランの福田圭吾を始め、宇賀大将、小野寺、菊岡優舞が、熱くコミカルな演技と踊りで1幕を献身的に支えた。

ラ・ステラは木村と渡辺与布、共に華やかで適役。渡辺は名前通り、プリマ(ドンナ)のパワーとエネルギーを出待ちの人々に与えている。お付きの今村美由紀は巧みな造形。お金を貰って主人を裏切る後ろめたさを、ミリ単位で表わしている。益田裕子は個性を生かし、ややクールなお付きだった。アントニア父は中家と小柴富久修。懐深く、厚みのある中家に対し、小柴は暖かく優しい父親像を描き出す。体全体から人の好さが滲み出た。カフェの主人はベテランの内藤博が、少し控えめに務めている。

幻影たちは、①飯野萌子、直塚美穂、廣川みくり、②中島春菜、金城帆香、花形悠月、男性陣は、渡邊拓朗、太田寛仁、仲村啓。全員が初役で個性を発揮、幻影性は後退し、元気のよさが前面に出た。特に直塚。渡邊は大きさ、太田は穏やかさ、仲村はノーブルな晴れやかさで、女性陣をサポートしている。幻影アンサンブルはよく揃い、トップ森本晃介の美しいエポールマン、誠実なサポートが目についた。

初日は舞台全体に硬さが見られたが、徐々に暖かな血が流れ始め、最終日は小野、米沢の2大プリマが実力を遺憾なく発揮する充実の舞台となった。1幕のコメディ・アンサンブル、2幕の抒情的アンサンブル、3幕の官能的アンサンブルも、日を追うごとに生き生きと息づき、大原前監督の熱血指導を明らかにしている(監督時代はもっと厳しかったと思われるが)。

指揮はポール・マーフィ、管弦楽は東京交響楽団。こちらも徐々に熱が加わり、オッフェンバック音楽による劇場の楽しさを伝えている。

パリ・オペラ座バレエ団『白鳥の湖』『マノン』2024【追記】

標記公演を見た(2月10, 11, 17, 18日全昼)。前回の来日は 2020年2‐3月、コロナ禍が始まっていたが、万全の体制を整えて公演は決行された。オレリー・デュポン前芸術監督のもと、伝統の『ジゼル』(41年/87年/91年)、クランコ振付『オネーギン』(65・67年/09年)が上演されている。4年ぶりの今回は、22年に電撃辞任したデュポン監督に代わり、ジョゼ・マルティネス監督の指揮下で公演が行われた。演目はヌレエフ振付『白鳥の湖』(84年)、マクミラン振付『マノン』(74年/90年)。現監督がエトワールに指名したオニール八菜、マルク・モロー、ギョーム・ディオップも来日し、その采配ぶりを明らかにしている。

ヌレエフ振付のオペラ座白鳥の湖は、本人先行版よりもオーソドックス。振付に脚技などの装飾は多いが、いわゆる『白鳥』らしさを留めている。特徴はヴォルフガングとロットバルトを同一人物が踊り、王子とのデュオが3回繰り返されること。1幕の教育係と生徒風デュオから、王子の憂鬱ソロを経た後のシンメトリー・デュオ、さらに最終幕も同形デュオで締め括られる。最初のデュオに続く「乾杯の踊り」は男性陣のみ。しかも手を繋いで踊られ、ヴォルフガングを頂点とするホモ・ソーシャル(セクシャルというよりも)な世界を可視化する。王子は『ラ・シルフィード』のジェイムズの如く、椅子に座って物思いにふけり、夢に救いを求める若者である。今回の上演は18年前の来日時よりも、ヌレエフらしい濃厚な雰囲気が薄れ、フランス派の伝統が前面に出たという印象だった。

主役4キャストのうち2組を見た。オデット/オディール、ジークフリート王子、ヴォルフガング/ロットバルトは、1組目がヴァランティーヌ・コラサント、ディオップ、アントニオ・コンフォルティ、2組目がパク・セウン(アマンディーヌ・アルビッソンの代役)、ジェレミー=ルー・ケール、ジャック・ガストフである。

コラサントはオペラ座伝統の造形。脚の力感が素晴しい。ヌレエフ愛好のロン・ド・ジャンブ・アン・レールは左右等しく、グラン・フェッテは大きく美しい。やや前傾したバランスも盤石。小さいポアントで、ルルヴェは滑らか、素足に近い踊り方である。いわゆる「表現」ではなく、佇まいで見せる慎ましやかな演技。19世紀と地続きの、伝統芸能に近い味わいがある。王子のディオップはまだ若く、サポート慣れしていないようだが、アラベスクの伸びやかさ、初々しさが、操られる王子に合っていた。昨夏の「オペラ座ガラ―ヌレエフに捧ぐ」で、明るく溌溂としたブルノンヴィルを見せたコンフォルティは、色気と艶のある魅力的なヴォルフガング。ロットバルトのヴァリエーションも、トゥール・アン・レールは不調ながら、力強く美しい踊りだった。

アルビッソンの代役を務めたパクは、13年に入団しているが、フレンチ・スタイルではなかった。ポール・ド・ブラを意識し、ラインを美しく見せる。技術もあり、繊細な演じ分けを行なって、通常では美しい白鳥・黒鳥と言えるだろう。パ・ド・トロワを踊ったカン・ホヒョンも同じ踊り方。トロワのもう一人、ムセーニュ・クララが自然なフレンチ・スタイルであるのに対し、ややこれ見よがしの踊りを見せる。英国ロイヤル・バレエ団と同じく、多様性重視の結果だろうか。因みに、山本小春、桑原沙希はアンサンブルに馴染んでいた(パティントン・エリザベス・正子は識別できず)。王子のケールは卒なく、ガストフは小柄ながら、コンフォルティよりもダークな色合いが濃厚だった。ヴァリエーションも切れ味鋭い。

白鳥たちはヌレエフの振付を黙々と踊る。2幕の風がそよぐような腕揺らし、4幕の前傾して足を床にこする動き。全員が心を一つにして、愛らしいアンサンブルを作り上げる。ドガの踊り子そのものだった。

ヴェロ・ペーンの指揮が、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団から総力を引き出している。素晴らしい『白鳥』だった。

マクミランの最高傑作『マノン』は、英国ロイヤル・バレエ団、アメリカン・バレエ・シアター新国立劇場バレエ団、【追記】小林紀子バレエ・シアターで見ている。そのどれとも異なるオペラ座の『マノン』だった。ジョージアディスのぼろ布を背景にしながら、淡彩の絵画のような味わい。マクミランの複雑な振付も易々とこなし、自然なマイムで淡々とドラマが進む。クランコの『オネーギン』の際は、フランス寄りが物足りなかったが、今回はフランスの小説を原作とし、フランスの音楽を使用しているせいか、一つの確立されたアプローチに思われた。さらにピエール・デュムソー指揮の素晴しさ。マーティン・イエーツの少し線の細いメロディアスな編曲を、立体的、ドラマティックに解釈、マスネ音楽本来の姿を露わにさせる。弦の弱音の美しさ、打楽器の切れ、金管の咆哮に、豊潤な19世紀フランス音楽の香気が漂う。音楽の様々な断片が耳について離れなかった。

主役3キャストのうち2組を見た。マノン、デ・グリューは、1組目がミリアム・ウルド=ブラーム、マチュー・ガニオ、2組目がリュドミラ・パリエロ、マルク・モローである。

ウルド=ブラームのマノンは、コラサントの白鳥と同じく、近代的自我、表現とは無縁。演技、振付ニュアンスをことさら強調せず、フレンチ・スタイルで鍛えられた体のままそこにいるという印象。外見の幼さも加わり(今年定年だが)、アモラルな少女が、自らの意志なく、悩みなく、快楽の流れに乗って、男達のアイコンとなる姿が、18世紀フランスから抜け出てきたように見えた。対するガニオは純粋な神学生そのもの。情熱も涼やか、腕輪のPDDで天を指す清らかさ、清潔なアラベスクのラインが、ウルド=ブラームの幼いマノンに合っている。

パリエロは成熟したマノン。演技も踊りも慎ましさを纏っているが、自分の意志があり、自ら選択して生きていることが分かる。シルヴィー・ギエムのマノンにインスパイアされたのか、沼地の造形はその美脚と共に、ギエムの鮮烈さを思い出させた。対するモローは情熱的なデ・グリュー。品格ある佇まいに育ちの良さを滲ませ、パリエロのマノンにあふれんばかりの愛情を注ぎ込む。いかさま賭博では原作通り、袖口にカードを忍ばせて、マクミラン振付にフランスの時代色を加味した。若き日にローラン・イレールとギエムの『マノン』を見て、初めてバレエで泣いたと語るが(『ふらんす』2004. 2)、深みのある独自のデ・グリュー像だった。パリエロへの献身は、壮絶な沼地に続いて最後まで。カーテンコールで誤って前へ出そうになったパリエロを引き留め、強く抱きしめた。

牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンドゥⅡ」2024

標記公演を見た(2月3日 文京シビックホール 大ホール)。芸術監督 三谷恭三のプロデュース公演「ダンス・ヴァンテアン」に続く新シリーズ、「ダンス・ヴァンドゥ」の2回目である。22年の前回は、前年に亡くなった牧阿佐美を偲び、アシュトン作品と牧の振付集というプログラムだった。今回は三谷自身の色彩濃厚な公演である。

3部構成の第1部は、バランシン振付『ジュエルズ』より「ルビーズ」、第2部は三谷振付『ヴァリエーション for 4 』、『エスメラルダ』よりワガノワ振付「ダイアナとアクティオン」GPDD、牧振付『飛鳥 ASUKA』より「すがる乙女と竜神の PDD」、第3部はローラン・プティ振付『アルルの女』。バランシン、プティというムーヴメント創出に優れた振付家作品と、牧、三谷という団所属振付家作品が並び、創作物に力を注いできたバレヱ団の歴史を窺わせる。

バランシンの「ルビーズ」(67年)は、96年に「ダンス・ヴァンテアン」で団初演、翌97年の再演以来、27年振りの上演である。ストラヴィンスキーの『ピアノとオーケストラのための奇想曲』に振り付けられた闊達なシンフォニックバレエ。ルビーの情熱的な煌めきを模した短い衣裳(カリンスカ)で、男女プリンシパル、女性ソリスト、男性4人、女性8人が、バランシン特有のモダンな語彙を炸裂させる。直線的グラン・バットマンからのポアント突き刺し、大股開きのグラン・プリエ、腰やお尻を突き出す動き、肘、手首を曲げた回転、膝を出しての小走りなど。バレエのパの拡張を大きくはみ出して、バレエの禁じ手を連発する。社交ダンスの組手はジャズエイジの狂騒を想起。女性ソリストが大股グラン・プリエ、アラベスク・パンシェを連続させるシークエンス、4人の男性が女性ソリストの手と足を持って、ポーズを作っていくシークエンスが面白い。

初日の男女プリンシパルは『三銃士』でも組んだベテラン米澤真弓、清瀧千晴。米澤の優れた音楽性、高い技術が、振付のアタックをビシビシと可視化する。清瀧は米澤を見守りつつ、超絶技巧を披露。明るく、楽しく、ユーモラスに、息を合わせて作品を牽引した。ソリストの高橋万由梨は大らかさあり。グラン・プリエやアタックはやや淑やかだったが、アラベスクの美しさが際立っていた。ノーブルな中島哲也、坂爪智来、細野生、濱田雄冴の男性陣、織山万梨子率いるアンサンブルは、当初硬さが見られたものの、主役の躍動に引っ張られて徐々に覚醒、最後はバランシンの突き抜けた明るさを舞台に横溢させた。振付指導はポール・ボーズによる。

第2部の三谷作品『ヴァリエーション for 4 』(2000年)も「ダンス・ヴァンテアン」から生まれた。ウォルトンの『ファサード組曲』第1、2番に振り付けられ、黒いTシャツに黒ズボン、黒帽子に白手袋という小粋なスタイルで、男性4人が踊る。ショーアップされた高難度ソロが並ぶ、言わば顔見世作品。歴代のダンサーが踊り継いで、今回は鈴木真央、石山陸、大平歩、小笠原征諭が、溌溂とした踊りを見せた。

続く「ダイアナとアクティオン」のGPDDは、ロシア・バレエの人気コンサートピース。初日アクティオンの大川航矢が得意とする演目である。胸のすくような超絶技を爽やかに踊り、晴れやかなオーラで客席を包む。ディアゴナルの 540 連発は見たことがない。対するダイアナの上中穂香は、伸びやかなラインで女神の気品を示した。若手女性アンサンブルの瑞々しい踊りが、バレヱ団の新しい地平を予感させる。

牧作品『飛鳥 ASUKA』より「すがる乙女と竜神のPDD」は、日髙有梨と近藤悠歩によって踊られた。竜神とすがる乙女の婚姻の踊りで、すがる乙女の慎ましやかで凛とした佇まいが記憶に残る。日髙は22年の全幕上演において、近藤と「銀竜」を踊っており、今回はむしろそちらに近い印象を受けた。スレンダーな肢体からダイナミックな踊りが繰り出される。竜神の近藤はロマンティックなタイプ。今回は日髙のサポート役に徹している。

第3部のプティ作品『アルルの女』(74年)も、「ダンス・ヴァンテアン」で団初演された(96年)。以降、バレヱ団は数々のプティ作品を上演、初演し、プティとの蜜月を築いた。今回はルイジ・ボニーノの直接指導を得て、作品本来の姿が蘇っている。ヴィヴィエットの青山季可、フレデリの水井駿介には役の肚が入り、プティ語彙の経験豊富なベテランダンサーがアンサンブルを主導、さらに作品の全てを知り尽くすデヴィッド・ガーフォースの指揮が加わり、プティの最高傑作が輝かしい命を取り戻した。

バランシンが音楽から振り付けるなら、プティは物語から。手揺らし、脚揺らし、体あおり、6番足、フレックス足、くるくるパーの手回しなど、プティならではの装飾語彙が、バレエのパに装着される。その全てに意味があり、物語を指し示す。「メヌエット」でのヴィヴェットのクキクキ動き、「ファランドール」でのフレデリの足踏みマネージュの素晴らしさ。選曲はもちろん、動きと音楽の関係性も傑出している。

ベテランの青山はこれまでの蓄積を生かし、報われない愛を体に持ち続ける。心ここにない男との哀切極まるパ・ド・ドゥ、フレデリのシャツを拾い、腰低く消え入るように去る姿に、青山の来し方が表れていた。足首上下ヒョコヒョコ歩きの可愛らしさ、口に手を当てる表情の瑞々しさも、青山の個性である。対する水井は高い技術を駆使し、アルルの女への激情を全身で表現する。男性陣を率いて踊るフラメンコの気迫、終幕マネージュの一足一足には渾身のパトスがこもっていた。全身全霊を傾けたフレデリだった。坂爪智来を始めとする男女友人たちは、プティ振付の意味を体現、優れた音楽性で生きたアンサンブルを作り上げている。

ガーフォースの指揮が素晴しい。ストラヴィンスキーの弾けっぷり、コンサートピースのダイナミックな迫力、ビゼーのドラマ構築と、多彩な指揮で充実の公演を率いた。管弦楽は東京オーケストラ MIRAI 。

「NHK バレエの饗宴 2024」

標記公演を見た(1月27日 NHK ホール)。今現在の洋舞シーンを映像に残す貴重なアーカイブ公演である(後日 Eテレで放送予定)。3部構成の第一部は、東京シティ・バレエ団による『L'heure bleue』、第2部は永久メイ&フィリップ・スチョーピンによる『眠れる森の美女』からGPDD、金子扶生&ワディム・ムンタギロフによる『くるみ割り人形』からGPDD、中村祥子&小㞍健太による『幻灯』、第3部は新国立劇場バレエ団による『ドン・キホーテ』第3幕。井田勝大の指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏が、バレエ団の垣根を越えた祝祭的公演を牽引した。

幕開けの『L'heure bleue』は、東京シティ・バレエ団のレパートリー。ハンブルク・バレエ団で活躍したイリ・ブベニチェクの振付である。額縁をモチーフとした舞台美術、バロック風衣裳に、バロック音楽を使用。西洋の耽美的な恋模様を、バレエベースのコンテンポラリー語彙で描いている。今回来日した振付家直々の指導が入り、バレエ団の美しい古典スタイルとコンテンポラリーの動きが、極限まで磨き抜かれた。

悠然と男達をあしらう主役の岡博美、美脚を披露する男装の植田穂乃香、折原由奈、ワンピース姿の可愛らしい平田沙織、石塚あずさの女性陣に対し、成熟した魅力の沖田貴士、目の覚めるような鮮やかな踊りの吉留諒、岡田晃明、林高弘、さらに無邪気なエロス福田建太の男性陣が、恋の駆け引きを実施。岡の懐の深さ、吉留の覇気あふれる美しい踊り、福田の無意識の半裸体が、作品に立体的な陰影を与えている。

作品の土台となった音楽構成のうち、バッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」は、辻彩奈と竹内鴻史郎(辻は「ヴァイオリン協奏曲第2番」も)、同じく「チェンバロ協奏曲第5番」ラルゴ、「6つのパルティータ」は五十嵐薫子(Pf.)の演奏。鮮烈なヴァイオリンに心駆り立てられ、夢のようなピアノ(ラルゴ)によって、神話の世界へと誘われる。生演奏の醍醐味を最も味わえた作品だった。

第2部は3つのパ・ド・ドゥ。マリインスキー・バレエの永久メイとスチョーピンは、お家芸の『眠れる森の美女』を踊った。永久は前回出場時よりも大人びた風情。気品、精神性の高さはそのままに、匂やかなオーロラをゆったりと演じている。ロシア派の美点である芸術への敬意が、繊細でしなやかな踊りから滲み出た。

英国ロイヤル・バレエの金子扶生とムンタギロフは、ライト版『くるみ割り人形』からGPDD。金子は重みのある金平糖の精で、主役を歴任してきた存在感を示した。コーダは溌溂と思い切りがよく、金子本来の素顔を垣間見せる。ムンタギロフはにこやかで丁寧な踊り。公演最後のフィナーレでは第3部の主役、新国立劇場バレエ団の米沢唯と隣り合わせになり、『マノン』での二人の熱演を思い出させた。

ウィーン国立、ベルリン国立、ハンガリー国立の各バレエ団で踊り、帰国後 K バレエカンパニー(現 K-BALLET TOKYO)で活躍、現在フリーとなった中村祥子は、小㞍健太の『幻灯』を小㞍と踊った。リヒターによるヴィヴァルディ『四季』の変奏(録音音源)を使用、四季の移り変わりを人生と重ね合わせる。照明、スモーク、カーテンが、暗転と共に、空間を変幻させた。中村は裸足とポアントを使い分け、2つのアダージョと軽快なソロを踊る。そのよく考えられた緻密な体遣いに圧倒された。これまでの経験が蓄積となって生かされている。小㞍は回転技の多いスタイリッシュなソロで持ち味を発揮。アダージョでは中村の良さを引き出すべく、黒衣に徹した。ベテラン二人の現在が響き合うデュエットだった。

第3部は新国立劇場バレエ団『ドン・キホーテ』第3幕。シーズン開幕公演の熱気をそのままNHKホールに移し込んだ。キトリの米沢唯は本拠地と全く変わらず。舞台と客席に晴れやかなオーラを降り注ぐ。鋭い回転技、長いバランスなど、高い技術は言うまでもなく、その場で自分を捧げ切る姿勢に、あるべきプリマの姿が見える。対する速水渉悟は高い跳躍と美しい踊りが特徴。米沢キトリと丁々発止の小粋なバジルだった。

第1ヴァリエーションの山本凉杏、第2ヴァリエーションの直塚美穂は、次代を担う逸材。山本の古典の味わいと落ち着き、直塚の伸びやかさが、清々しいグラン・パ形成の一翼を担った。川口藍、中島瑞生による艶やかなボレロ、華やかなファンダンゴ、活きのよいアンサンブルに、ドン・キホーテの趙載範、サンチョ・パンサの福田圭吾を始めとする立ち役の面々がよく心得て、豪華全幕のクライマックス再現となった。

 

1月に見た公演他 2024

* 天使館『魔笛(1月8日 KAAT 神奈川芸術劇場 ホール)

振付・演出・構成は笠井叡。笠井はポスト舞踏派と称して、これまで『櫻の樹の下には―笠井叡を踊る』、『櫻の樹の下には―カルミナ・ブラーナを踊る』を創作してきた。大植真太郎、島地保武、辻本知彦(辻のシンニョウは一つ点)森山未來、柳本雅寛、笠井が踊る形式だったが(カルミナは笠井がコロナ陽性でリモート参加)、今回は柳本が外れ、菅原小春が加わった。

モーツァルトの『魔笛』を終曲から始める破天荒な構成。衣裳も定番となった黒スーツに高下駄から、褌、長襦袢を経て、最後に『魔笛』の登場人物らしき服装に至る(笠井は最初から黒服)。タミーノ:森山、パミーナ:大植、パパゲーノ:島地、パパゲーナ:菅原、ザラストロ:笠井、夜の女王:辻本と、配役は決まっているが、逆から始まるので、筋を追うことよりも、笠井の音楽的振付を味わう上演になった。

フリーメーソンの三角形に目や、神殿の柱、ピラミッドに砂漠、さらに「現在」を表す砲弾の雨、笠井叡・久子夫妻のオールヌードが、バックに大写しされる(中瀬俊介)。その前で、配役の歌に沿って様々なソロ、デュオ、カルテットが踊られる。大植、島地、菅原、森山によるユニゾンの面白さ。笠井の呪術的な手の動きと斜めのポーズが歩行と組み合わされる。4人の体の質の違い、蓄積されたテクニックの違いが浮き彫りになった。

パパゲーノの島地は本領発揮、伸びやかで柔らかく音楽的。相手を受け止める体である。パートナーの菅原は紅一点の意識なくジェンダーレス、繊細で切れの良い踊りを見せる。島地と菅原のパパパ・デュオは似たもの夫婦だった。

タミーノの森山は控えめに全体を見守る。楚々とした佇まい、湿り気を帯びた体で、糊のような役割を果たした。「お控えなすって」の仁義の切り方が最も様になっている。夜の女王の辻本は、本作が故障復帰となる。動かないブラックホールのような体で、カインの末裔たる女王を体現した。パミーナ大植は今回はオカッパ(最初は坊主、次は美しい長髪)。笠井の振付を真っ直ぐに踊る。笠井の息子と言ってもいいほど。体いじりは相変わらずで森山、菅原とともにブリッジを披露した。無垢な体と魂の持ち主である。

その笠井は、前作で踊れなかったことを取り返すように、一番元気だった。ピンマイクで喋りながら、くるくると楽し気に踊る。弟子たちに担がれて退場する時の嬉しそうなこと。5人のベテラン振付家兼ダンサーが、これほどまでに献身できるのは、笠井の空間だからこそ。5人の笠井振付遂行の偽りのなさ、互いの踊りを見る真剣な眼差しに感動を覚えた。終幕、金銀紙吹雪が舞うなか、死体となって宙吊りになる笠井。西洋的知識の血肉化された体で、日本的霊性を表す唯一無二の存在である。

 

小野彩加 中澤陽 スペースノットブランク『言葉とシェイクスピアの鳥』(1月9日 吉祥寺シアター

吉祥寺ダンス LAB. の6回目。これまではジャンルの垣根を越えたコラボレーションが多かったが、今回は演劇にダンスシーンを組み込んだ公演だった。前半と後半は身体表現を伴った発話や対話、中間部に動きのみの場面がある。これが興味深かった。3人づつのバトルや全員ユニゾンなど。最初は無音、途中から音楽が入る。音楽が入ると少しダンスに見えるものの、全体的には、決め時の吐く息、何か意味を感じさせる手の動きから、手話に近い感触を受けた。手話を全身に拡大させ、東洋武術の足や、体操、スポーツ系の動き(柔道の審判など)を組み合わせた印象。ダンスと言うよりも身体技法の実演に見える。個人による動きの幅はあるが、それぞれの思考の流れ、情緒、感情は排除されている。

15人の出演者はダンサー体型でない人もよく動き、俳優としても発話がこなれている。城崎国際アートセンターのレジデンスを経ているとのことで、全体のパフォーマンスの質は高く、ラボらしい実験性も見て取れた。ただ、身体表現と発話の組み合わせ(少し岡田利規を思わせる)については、直近の山崎広太の詩的喚起力、中村蓉の言語解像度と音楽的抽出力に比べると、語られるテキストの推移が緩くランダムに思われる。加えて瞑想音楽が流れるため、集中するのが難しかった。中間部の身体技法に言葉を組み合わせるとどうなるか、テキストを(題名にある)シェイクスピアから採ったらどうかなど、色々夢想しながらの145分だった。

 

山崎広太ダンス・クラス(1月13, 14日 Dance Base Yokohama)

「舞台作品の制作を心がける方に向けたスペシャルワークショップ」という副題。主催は山崎、共催は Dance Base Yokohama(DaBY)、黒沼千春を中心とする Core Collective の後援による。2日間それぞれ、テクニッククラス、インプロビゼーションクラス、コンポジションクラス(基礎編)が開講された。そのうちインプロビゼーションクラスを両日見学した。 DaBY は一般に開かれた、いつでも見学ができるスタジオである。復元建築のため入れ子構造になっており、外廊下から見学する。例によってスタジオに立つ4本の巨大な柱が、クリエイティブな空間を形成する。

初日は Core Collective のメンバーに山崎をよく知っている人、ダンス経験者だが、山崎の技法を知らない人が混ざっていた。インプロへの道筋を教えるクラスで、手、腹、脚、口、声出し、座位、立位、椅子座り、振り子動きなどが、伝えられる。座位で口を大きく動かした後、同じ動きを体で繰り返すパートが面白かった。そこに音楽が入ると、誰もが途端にダンスになる。山崎がやって見せる動きの繊細さ。優雅で滑らか。すっと動きに入る体の、蓄積、歴史を思わされる。見る者を同期させる親密な体でもあった。

二日目は Core Collective のメンバーに、舞台経験のあるダンサーのみとなった。山崎もリラックスして、阿吽の呼吸で指示を出していく。これで分かるのかと思うほど簡潔な言葉だが、ダンサーたちはすぐに動きを出す。改めて体をメディアにしている表現者の凄さを思った。立位の動きが主で、歩行、言葉出し、点から面で動きを作る、つつきコンタクト、3人インプロ(役割あり)など。

後半は山崎の動きをダンサーが真似るダイアゴナル行って帰り。まるで親鳥が雛に餌を与えるように、次々と動き(養分)を与えていく。それだけでなく、一人一人順番に動きを作らせて、皆が(山崎も)真似るシリーズも。作品と同じように、山崎の体が糊となって徐々に共同体が形成される。

最後は①腹から動く、②正面性のアフリカンダンス、➂それぞれ(覚えてない)を組み合わせて、ポップな曲で全員インプロの嵐となった。その凄まじさ。ダンサーたちはダイアゴナル時に体が出来上がり、3つの動きを必死で覚えて、今はゾーンに入っている。山崎が一つ一つ餌を与えて、インプロが出来るようになる奇跡の過程を見ることができた。終わって車座になると、山崎が「頭が痛い」とつぶやく。動きすぎたか。

 

* Noism✕鼓童『鬼』(1月13日 KAAT 神奈川芸術劇場 ホール)

演出振付は Noism Company Niigata 芸術総監督の金森穣、22年の初演である。作曲は原田敬子、衣裳は昨年11月に他界した堂本教子による。新潟を拠点とするカンパニー、鼓童とNoism Comapany Niigata のコラボレーションとして注目を集めた。作曲を委嘱された原田が「鬼」というテーマを提示し、そこから金森は、鼓童の本拠地である佐渡を舞台に、伝説の役行者と清音尼をモチーフとして振り付けた。清音尼を Noism0 の井関佐和子、役行者を同じく山田勇気、侍女・遊女・鬼を、Noism1 の三好綾音、庄島さくら、庄島すみれ、杉野可林、太田菜月、兼述育見、修行者・鉱山労働者・鬼を、同じく中尾洸太、坪田光、樋浦瞳、糸川祐希、ジョフォア・ポプラヴスキー(ゲスト)、鬼を金森自身が務めた。

改めてダンサー金森と井関がよく似ている。体の質感、腕使い、体捌き。金森の方が力感は優るが、井関はより一層体が研ぎ澄まされてきた。山田は年齢を重ねるごとに武術家としての風貌が濃くなっている。修行僧としても同様。年齢を味方にする Noism0 の存在意義を強く感じさせた。Noism1 のダンサーたちはよく訓練され、金森の東洋的ニュアンスを具現化している。ノイズム・メソッドによる鍛錬の賜物だろう。

再演で方向性が分かっているせいか、原田の楽曲が初演時よりもよく聴こえた。ただし物語の意味が付着し、金森の音楽との呼応が十全に読み取れたとは言えない。抜きん出て優れた音楽性の持ち主なので、原田=鼓童との音楽的一騎打ちを見たかった気もする。

一方同時上演の『お菊の結婚』は、ストラヴィンスキーの『結婚』に振り付けられた。ピエール・ロティの『お菊さん』を基に、フランス人から見た日本人の異形性を人形ぶりに変換。ニジンスカ原典版のエコーもある。ピエールのポプラヴスキー、お菊の井関、楼主の山田、その妻の三好、息子の中尾、さらに遊女たちや若い衆、青年、ピエールの許嫁に至るまで、複雑な音楽を汲み取った振付を精緻に踊っていた。

だがなぜこの原作を選んだのかという疑問も浮かぶ。日本人である金森が日本人蔑視を含む小説を用いる裏には、海外経験からくるシニシズムがあるのだろうか。コンテンポラリーダンスのカンパニーとして、明確な物語を付加した方が、観客に伝わりやすいとの考えだろうか。劇場コンテンツとしては通りやすいが、金森の資質を生かした作品とは必ずしも言えない。21世紀の振付家として、ストラヴィンスキー(と原曲の物語)に素手で勝負し、ニジンスカに対抗して貰いたかった。

 

* Ballet Art Kanagawa 2024『白鳥の湖(1月14日 神奈川県民ホール

日本バレエ協会 関東支部 神奈川ブロックによる第38回自主公演。演出・再振付は石井竜一、バレエミストレスは小島由美子、池田尚子、大滝ようによる。石井版はマイムを採用し、終幕を悲劇で終わらせるオーソドックスなヴァージョン。新演出としては、プロローグでジークフリードとベンノの幼少期を描いた他、3幕の花嫁候補の踊りにオディールを絡ませるなど、随所に工夫が見られる。終幕では、死後のジークフリードとオデットの立ち姿を、ベンノが見守る演出となっている。

新振付は1幕パ・ド・トロワ(村人が踊る)のヴァリエーション、3幕のキャラクターダンス、3幕パ・ド・ドゥのコーダ(新発見曲使用、全員で踊る)など。いずれも音楽性が豊かである。1幕ワルツ、4幕白鳥フォーメーションでは、シンフォニック・バレエを振り付けてきた蓄積を感じさせた。

音楽性に優れる石井だが、演劇性の面では初演とあって分かりにくさが残る。登場人物の出入り(1、3幕の王子)、オディール選択の重複など、物語の流れが途切れる印象を受けた。またプロローグのマイムは、もう少し音楽と呼応した優雅さが望まれる。神奈川ブロックでは橋浦勇版、井上バレエ団では関直人版という優れた先行版がある。石井版の再演に向けて、更なる練り上げを期待したい。

オデット=オディールには福田侑香。ロシア カレリア共和国音楽劇場バレエ団に6年間所属、ソリストとして主役を踊ってきた。演出によりオディールのみを経験しているが、オデットも完成度が高く、古風なロシア派の伝統を感じさせる。一挙手一投足に神経が行き届き、あるべきラインとフォルムを隈なく見ることができた。湖畔のマイムも素晴らしい。品格があり、稀に見る本格派の白鳥だった。

ジークフリード秋元康臣。同じくロシア派の美しい踊りを見せる。王子らしい気品と悲しみの表現が際立っていた。ベンノには高橋真之。道化のパートを踊るせいか、学友に少し道化色が加わっている。献身的な踊りに人の好さが滲み出る幼友達だった。パ・ド・トロワは牧歌的な村娘、勝田菜々穂、西沢真衣に、溌溂とした村の青年、益子倭。益子は舞台をはみだす元気のよさだった。ロットバルトの安村圭太、王妃の三井亜矢、ヴォルフガングの川島春生はやや控えめ。やり過ぎず、心得た演技で舞台に貢献した。

白鳥アンサンブルは指導が行き届いている。ポアント音なし、音楽的によく揃っていた。花嫁候補の率いるキャラクターダンスもそれぞれ見応えがある。チャルダッシュの孝多佑月、ナポリの山下湧吾を始めとする男性ゲスト陣も、ノーブルなスタイルで統一されていた。

指揮の木村康人が俊友会管弦楽団から、情感豊かで引き締まった音楽を引き出している。

NBAバレエ団『ドン・キホーテ』新制作2023

標記公演を見た(12月23日昼夕 所沢市民文化センターミューズ マーキーホール)。演出・改訂振付:久保綋一、岩田雅女、安西健塁、衣裳デザイン:西原梨恵、照明プラン:TOMATO JUICE DESIGN / 山本高久、舞台美術デザイン:安藤基彦という布陣。西原デザインのシックな色使い、チュチュの洗練された美しさに目を奪われた。扇子のデザインも美術品の如く。舞台美術は夢の場のクリスタルな唐草模様が印象的。3幕広場のランタンは暖かさと懐かしさを呼び起こした。

構成はプロローグ、1幕バルセロナの広場、2幕酒場と夢の場、3幕バルセロナの広場。ジプシー野営地はなく、夢の場も森ではないため、森の女王は登場しない。1幕街の踊り子ナイフ巡り、サンチョパンサの毛布投げ、3幕ボレロファンダンゴもカット。ガマーシュの出番を増やし、3幕コーダを全員で踊るところは、バリシニコフ版と共通する。

一方、ガマーシュを踊る役に設定し、酒場の酔っ払い男をジーグで踊らせ、酒場のおかみとガマーシュの恋を描くなど、大胆なカットを補って余りある新演出が続出する。最大の見どころはドン・キホーテ夢の場。若き日のキホーテ、アロンソ・キハーノ(別配役)が登場し、ドルシネア姫(同)と美しいパ・ド・ドゥを踊る。1幕メヌエットの変奏(冨田実里編曲)がロマンティックに奏でられ、コンラッド風のキハーノがチュチュ姿のドルシネアを凛々しくサポートする。老いたキホーテの抱く若い精神を具現化した名場面。同団の『海賊』同様、演出家 久保のロマンティシズムが横溢した。

団員振付家の岩田は、流れるように絡み合う夢の場パ・ド・ドゥを振り付けて、二人の愛を雄弁に歌い上げる。同じく安西によるガマーシュ振付、酔っ払いジーグ、アンサンブル振付は、超絶技巧に加え、キャラクター色濃厚で巧み。二人の振付家の今後が期待される。新演出・新振付満載ながら、古典の格調を保っている点は、バリシニコフ版との大きな違いである。1幕伝統的マイムの音楽性、演劇性の素晴しさ。同団がかつてヴィハレフ版『ドン・キホーテ』を上演した際の遺産だろうか。

キトリとドルシネア姫は、本公演後プリンシパルに昇格した勅使河原綾乃と山田佳歩の交互配役。共に高い技術を誇り、チュチュ姿には気品と風格がある。勅使河原は鋭い回転技、山田はくっきりとした明快なラインが持ち味。演技面においても進境を示しており、今後が期待される。対するバジルは3キャスト、そのうち北爪弘史はノーブルな踊りに行き届いた芝居、新井悠汰は切れ味鋭い踊りと優しさで、新制作の舞台作りに貢献した(孝多佑月は未見)。

エスパーダとアロンソ・キハーノは宮内浩之と刑部星矢の交互配役。宮内はスタイリッシュなエスパーダ、気品のあるキハーノを、刑部は濃厚なエスパーダ、ノーブルで情熱的なキハーノを演じて、舞台の華となった。メルセデス(街の踊り子込み)は姉御肌の浅井杏里、華やかな渡辺栞菜、ドン・キホーテは鷹揚で愛情深い古道貴大、ノーブルな安中勝勇、サンチョパンサは芸達者の安西健塁、可愛らしい佐藤史哉、ロレンツォはどっしりとした多田遥、男らしい内村和真の配役。

踊るガマーシュには、正統派の踊りとコミカルな演技の高橋真之、癖のない踊りとすっとぼけた演技の三船元維が配された。1幕の伝統的マイムから、2幕キホーテとの決闘、酒場のおかみとの恋模様、3幕トレアドールたちとの闊達な踊りまで、見せ場が続く。本作で退団する高橋にとってはなむけの役となった。超絶技巧を酔っぱらって踊る酔っ払いにはベテランの大森康正と安西。大森はロシア正統派の酔っ払いを悠々と演じ踊る。バジルの狂言自殺を見ているのは彼一人、そのおかしみに演者としての懐の深さを感じさせた。踊りの切れは言うまでもない。対する振付家の安西は奇矯さが際立つ。臭うようなサンチョ共々、珍しいタイプのキャラクターダンサーである。

キトリ友人は、大島沙彩と米津美千花、市原晴菜と鈴木恵里奈、キューピッドには軽やかな須谷まきこと明るい米津、酒場のおかみには太っ腹で鉄火肌、振付家の岩田が配された。伊藤龍平、本岡直也率いるトレアドールはノーブルで切れ良し。元気なセギジリア・アンサンブル、たおやかな夢の場アンサンブルは、スタイル、音楽性ともよく揃っている。

指揮は磯部省吾、演奏はNBAバレエ団オーケストラ。冨田編曲を加えた新たな楽曲構成を、機動力豊かに生き生きと奏している。