東京シティ・バレエ団『白鳥の湖』2021

標記公演を見た(7月18日 ティアラこうとう 大ホール)。バレエ団の主要なレパートリーである石田種生版『白鳥の湖』は、セルゲーエフ版、ブルメイステル版を参考にしつつ、4幕の石庭にヒントを得た独自のフォーメーションで、日本的美意識を主張する。また全編に及ぶクールで研ぎ澄まされた様式性は、石田の古典解釈の一端を示すものだった。現在 演出を担当する金井利久は、石田のドラマトゥルギー重視を継承しながら、人間的な温かみを作品に導入した。登場人物のその場で起こる生き生きとした感情が、名作古典を彩る。男性ダンサーのノーブルスタイルは団の伝統だが、これにも柔らかさが加わり、女性ダンサー(1幕)はより細やかな踊りを見せるようになった。ポアント音の無さ、繊細な足技、上体の柔らかな表現は、安達悦子監督の指導の賜物だろう。定評の白鳥群舞は若手が多く、熟成の途上にあるが、感情面への指導がよく伝わってくる。3幕の民族舞踊はダイナミック(指導:小林春恵)。ベテラン・若手ダンサーが一丸となって熱血指導に応えている。

主役はWキャスト。初日のオデット=オディールは清水愛恵、二日目はオデットに中森理恵、オディールに飯塚絵莉(当初配役の佐合萌香は怪我で降板)、ジークフリード王子にはそれぞれキム・セジョン、福田建太が配された。その二日目を見た。

オデットの中森はすでに『白鳥』全幕を経験済みだが、1月のショルツ・セレクション『Air!』で佐合とWアダージョを踊り、今回の配役となったようだ。中森の美しく伸びやかなラインは健在。持ち味の明るい華やかさは、王女としての毅然とした佇まいに取って代わり、引き締まったバレエ・ブランを作り上げた。王子が若手ということもあり、感情のやりとりが見えにくかったのは残念だが、よく考えられたオデット造形だった。対する飯塚は、落語バレエ『鶴の池』、「ニッセイ名作シリーズ2021」ですでにオディールを踊っているとのこと。華やかで求心的な踊り、鮮やかなライン、切れ味鋭いフォルムで、一気に王子を誘惑する。フェッテもダイナミックで情熱的。陽性のはじけるオディールだった。

対する福田は設定通りの若い王子。1幕の立ち居振る舞い、2幕のサポートはまだ慣れていないが、3幕では飯塚オディールにあおられて、持ち前の輝かしい踊りが出現した。ヴァリエーションでの恋の喜び、コーダでの躍動感あふれる踊り合いが舞台を熱くさせる。体温の高そうな王子だった。道化の岡田晃明は、若い王子に献身的に仕える。規範に則った正確で美しい踊りも、あくまで役の踊り。舞台を愛情深く取りまとめている。王子を陥れるロートバルトには妖しい雰囲気の内村和真、貫禄の王妃には若生加世子、ヴォルフガングには受けの芝居に秀でる青田しげるが配された。

1幕パ・ド・トロワは、松本佳織、斉藤ジュンの高レヴェルの競い合いに、沖田貴士のダイナミックな大きさが加わり、華やかな場面となった。初日トロワの平田沙織、上田穂乃香は、三羽の白鳥、スペインで、美しいラインを披露。同じく三羽の且股治奈は、踊りのダイナミズムで先輩に伍している。スペインの濱本泰然は はまり役。踊りの美しさ、大きさにさらに磨きが掛かった。

指揮は井田勝大、演奏は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。グラン・アダージョはややダンサーを見過ぎるきらいもあったが、骨格の大きいシティ・フィルを駆使し、躍動感あふれる音楽で舞台を牽引した。

6月に見た英国バレエ2021

2つのバレエ団による英国バレエの競演。スターダンサーズ・バレエ団のピーター・ライト版『コッペリア』(95年 BRB)と、牧阿佐美バレヱ団のフレデリック・アシュトン版『リーズの結婚(ラ・フィユ・マル・ガルデ)』(60年 RB)である。『コッペリア』は昨年上演予定だったが、コロナ禍で今年5月への延期を余儀なくされた。さらに、3月のスエズ運河座礁事故で舞台美術・衣裳の到着が遅れ、6月に再延期という、艱難を乗り越えての上演である。両者共に牧歌的なフランス・バレエ(含ロシア経由)へのオマージュだが、ライトの緻密な演劇性、アシュトンのクリスピーなムーブメントと、多様な舞踊スタイル導入など、英国バレエの豊穣さを再確認することができた。

 

スターダンサーズ・バレエ団『コッペリア(6月13日 テアトロ・ジーリオ・ショウワ)

森の詩人 P・ファーマーのけぶるような美術を背景に、スワニルダとフランツの恋模様が闊達に描かれる。ライトの「ロジカルな演出」(吉田都)は、特に1幕で顕著だった。ドラマトゥルギーに則った細やかなマイムは演劇そのもの。コミカルなツボもピンポイントで押さえられ、肩や脚を見せるスワニルダのコケットリーも加わる。ジプシーの女からフランツを取り戻し、その両腕を自分の体に巻き付ける仕草には驚かされた。3幕は本来アレゴリカルなディヴェルティスマンだが、村人たちの踊りという設定のため、共同体の温かさを帯びている。人形のコッペリアが人間に変身し、コッペリウスと踊りながら去る結末には、ライトのロジックよりもロマンティシズムが滲み出た。

2日目当日はスワニルダに塩谷綾菜、フランツに林田翔平という配役(初日は渡辺恭子、池田武志)。パートナーシップも熟しつつあり、演技、踊り共に阿吽の呼吸を感じさせる。塩谷は正確な技術と優れた音楽性を併せ持つバレリーナ。繊細な足技、柔らかな腕遣い、ふっくらとした踊りのニュアンスがスワニルダにふさわしい。3幕パ・ド・ドゥも力みがなく、対話のように自然だった。演技は控えめながら的確。2幕では可愛らしさの中に小悪魔的な要素を滲ませた。コッペリウスとの丁々発止には、客席から子供の笑い声も。よほどテンポが良かったのだろう。終始一貫したスワニルダ造形に、ドラマティック・バレリーナとしての未来が予感される。対する林田ははまり役。いい加減な二枚目浮気男の芝居が板に付いている。1幕の 演技を伴うダイナミックなソロ、民族舞踊からは、情熱的なエネルギーが発散された。ジプシー役フルフォード佳林との相似形の踊りも楽しい。フルフォードは相変わらずの芝居巧者だった。

コッペリウス博士の鴻巣明史もはまり役。明快なマイムで舞台に流れを与える。痙攣的な動きにもわざとらしさがなく、奇矯さを巧みに避けている。最後がハッピーエンド(夢であろうと)だからだろう。奥行きと重みのあるコッペリウスだった。村長の福原大介、宿屋主人の比嘉正、領主の東秀明、夫人の周防サユル、時の父の鈴木稔といった立ち役連が、心得た演技で舞台を支えている。

スワニルダ友人たちの音楽性、柔らかなポアントワーク、自然な芝居はバレエ団の美点を象徴。「スラブ民謡の主題によるヴァリエーション」は幸福感に包まれた。重厚な両民族舞踊も素晴らしい。3幕では石山沙央理の暁、喜入依里の祈りが印象深い(タイプとしては喜入の暁、石山の祈りに思われるが)。

指揮は田中良和、管弦楽はテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ。牧歌的で温かみのある音楽作りがライト版の演劇性とよく合っていた。

 

牧阿佐美バレヱ団『リーズの結婚』(6月26日夜 新国立劇場 中劇場)

バレヱ団初演は91年。2年ぶり16回目の上演である。無料配布プログラムには歴代キャストのリストや、振付指導のアレクサンダー・グラント(初演時アラン)、メール・パークとの記念写真が掲載され、バレヱ団の歴史の一端を偲ばせる。さらに前回に続き、D・ヴォーン、I・ゲスト、J・ランチベリーによる詳しい解説文が、作品理解を深める手助けとなった。特に 1幕2場のリーズの爪先伸ばし小刻み速歩が、ジョージア国立舞踊団(?)の踊りから生まれたとは。カルサヴィナから受け継いだマイムと共に、アシュトンのムーヴメント(英国民族舞踊、リボン綾取り)への好奇心、意識の高さが、作品に強度を与えている。

主役のリーズには中川郁、コーラスは元吉優哉(初日昼は阿部裕恵、清瀧千晴、二日目は西山珠里、水井駿介)、シモーヌは保坂アントン慶(二日目は菊地研)、トーマスは京當侑一籠、アランは細野生(二日目は濱田雄冴)。中川と元吉は前回と同じ組み合わせである。二人の自然な演技と相性の好さから、喜劇性よりも愛の物語が前面に出る舞台となった。

中川は明るくおっとりとしたリーズ。自分の持ち味を生かしたアプローチである。パキパキとはじけるアシュトン・スタイルはあまり強調せず、物語の流れを重視、コーラスとの愛をゆっくりと育む。2幕の自然な「夢見るマイム」から、突然現れたコーラスとの恥じらいを含む愛の確認、さらに結婚パ・ド・ドゥの薫風漂うリリシズムが素晴らしい。しっとりした味わいも加わり、元吉コーラスを受け止める懐の深ささえ感じさせた。その元吉は内側から感情が湧き出るタイプ。幕が進むにつれてゆっくりと愛情が滲み出て、麦束から現れる所で頂点に達した。リーズの腕に口づけするその真実味。見る者の胸を熱くさせる。ダンサーとしての美質(背中の柔らかさ、美しい爪先、柔軟な開脚)も無意識のうちに発揮。2幕コーダのグランド・ピルエットは鮮やかだった。中川の少し浮世離れした感触と、元吉の無意識が組み合わさった舞台に、束の間 現実から浮遊することができた。

シモーヌの保坂は完成形。パントマイム様式が板に付き(アシュトン版『シンデレラ』の義姉を思い出す)、全く違和感がない。引きの演技も味わい深い。トーマスの京當も前回に引き続き、のどかな大きさがある。王子役からいきなり喜劇的立ち役に至れるのが謎。アランの細野は前回よりも可愛らしく、周囲とのコミュニケーションも自然になった。納まりはよいが、その分ペーソスは減じた印象。公証人の塚田渉、書記の依田俊之はベテランの味わい。おんどりの中島哲也、フルートボーイの坂爪智来を始め、農夫アンサンブルが充実の踊りを見せる。一方、リーズ友人、村娘アンサンブルはバレヱ団の優れた音楽性を体現した。

東京オーケストラMIRAI 率いる冨田実里は、ランチベリー作編曲の音楽群を的確に指揮。個々の楽曲をその性格に応じて振り分ける。2幕の愛の場面では主役二人と共に、情熱的なクライマックスを実現した。新国立の『ライモンダ』以降、グラズノフが占拠していた耳に、ランチベリーが割って入るようになった。現在も混在中。バクランに負けないバレエ愛を冨田に見た。

 

新国立劇場バレエ団『ライモンダ』2021【追記】

標記公演を見た(6月5, 6, 11, 12日 新国立劇場オペラパレス)。2004年バレエ団初演、12年ぶり4回目の上演である。改訂振付・演出は元芸術監督の牧阿佐美、舞台装置・衣裳はルイザ・スピナテッリ、照明は沢田祐二による。牧版の特徴はマイムを舞踊に変換し、物語よりも音楽性を重視する点にある。群舞振付はプティパのシンプルなパの連続から、モダンなフォーメーション、難度の高い振付へと改訂。牧の優れた音楽性がよく生かされている。またウェストモーランド版と共通する1幕の歴史舞踊は貴重である。一方、白い貴婦人が省略され、夢にアブデラクマン(薄井憲二氏によればアブドゥルラクマンが初演時表記とのこと)が登場しないため、物語の重層性が損なわれる可能性がある。ただ今回の印象では、肌理細やかな演技がバレエ団に浸透しており、舞踊のみが突出することはなかった。この12年の間に物語バレエの経験が蓄積されたことに加え、吉田監督による演技指導、アレクセイ・バクランの熱血指揮が奏功しているのだろう。大ディヴェルティスマンに陥ることなく、有機的な古典作品に仕上がっている。

ライモンダ、ジャン・ド・ブリエンヌは4組。いずれの組も技術、演技共に申し分なく、プロ集団としての矜持を見せる。初日の米沢唯と福岡雄大は、技量の高さ、モダンなスタイルが一致し、充実の組み合わせとなった。踊りの質が似通っている。中村恩恵版『火の鳥』での双子のようなユニゾンが思い出された。米沢のライモンダはアリーエフ版(18年 日本バレエ協会)ですでに完成の域に達していたが、今回はまた一から役を作り直している。現在の自分と掛け合わせるためだろう。初日を見る限りでは まだ研究途上に思われたが、3幕アダージョでは圧倒的な存在感、磨き抜かれた踊りで、現在の高い境地を明らかにした。対する福岡は、牧のノーブル・スタイルとは肌が合わないものの、凛々しい十字軍騎士ははまり役。アブデラクマンとの決闘も勇壮、万全のサポートで米沢ライモンダを支えた。2幕最後から終盤にかけて見せた米沢との身体的呼応は、二人にしか起こりえないケミストリーである。

2日目の小野絢子と奥村康祐は初顔合わせながら、ぴったり息の合った舞台を作り上げた。小野の繊細な踊りを、奥村がゆったりと受け止めている。小野は出だしこそやや緊張気味だったが、1幕3場の夢の場面からは美質が花開いた。体全体で音を奏でるような優美なアダージョ、ヴァイオリン・ソロ【近藤薫】と完全に一致している。久しぶりに小野の伸びやかなアダージョを見た。また同場ヴァリエーションで見せた爪先の美しい軌跡も忘れ難い。佇まい、パのみでバレエの美を体現できるレヴェルにある。3幕を透明なリリシズムで彩るなど、踊りと役が緊密に結びついた原点回帰のアプローチだった。対する奥村は宮廷愛の騎士。1幕 別れの場面の情熱、2幕 決闘の猛々しさと婚約者を護る逞しさ、アダージョの献身的なサポートが揃い、至高の愛を捧げる騎士を出現させた。女性群舞に囲まれて絵になる男でもある。

三日目の柴山紗帆と渡邊峻郁は爽やかな組み合わせ。柴山の体の美しさ、パの正確さ、優れた音楽性が、すっきりと水のように流れる舞台を作り上げる。ヴァリエーションも安定、バレエの技法に対する潔癖さを随所に感じさせた。3幕はやや硬さが見られたが、1, 2幕同様、音楽と一体化すれば柴山らしさが出せたのではないか。本来はニキヤ、オデット=オディールで見せたドラマティックな音楽性が持ち味。秋の『白鳥の湖』が期待される。対する渡邊は柴山をふわりと支える。絵から登場する時の格好良さは、いかにも凛々しい騎士。礼儀正しくノーブルなジャン・ド・ブリエンヌだった。

四日目は木村優里と井澤駿。体のエネルギーの強さが見合う よい組み合わせである。伸び伸びと気持ちをぶつけ合う清々しさも。木村はザハロワを想起させるが、もっと繊細に動きのダイナミズムを生かしている。パートナーとの笑顔も自然になった。一方、井澤は荒事系の大きさ、力強さが出た。2幕 帰還の凛々しさ、同幕最後の儀式性が素晴らしい。3幕コーダでは迫力ある踊りを見ることができた。ギャロップの二人の息もぴったり。『白鳥の湖』では別パートナーとなるが。

第3の主役 アブデラクマンには中家正博、速水渉悟が配された。前公演『コッペリア』のコッペリウス同様、配役の妙がある。中家はこれまで数々の敵役を演じてきた。プティ版『ノートルダム・ド・パリ』のフロロ(牧阿佐美バレヱ団)、『ホフマン物語』のリンドルフ、『ジゼル』のハンス、敵役ではないが『くるみ割り人形』のドロッセルマイヤー、『R&J』のティボルト、『マノン』のムッシューG. M. 。エスパーダ(牧)、バジルのスペイン物も加え、これらの蓄積を全投入してアブデラクマンを造形した。

これまで牧版の同役は、ジャンと同等に渡り合うノーブル・タイプが配されてきた。プティパ版初演者がダンス―ル・ノーブルのP・ゲルトであること、中世においてはイスラム世界が文化・文明の先進国であったことを考慮したのだろう。ただ肌塗りもなく、ノーブルな立ち居振る舞いに終始したため、役の肚が分かりにくい難があった。中家はワガノワ系のノーブル・スタイルに、敵役の濃厚なニュアンス、異教の女を愛するロマンティシズム、配下を率いる胆力を融合させた。贈り物を捧げる1幕の体さばき(マントの扱い!)、2幕の「くの字」に折れる跳躍とヴァリエーションの優れた解釈、膝をついた瞬間に斬られる間合いの素晴らしさ。よく鍛えられた褐色の肉体からは、やはり官能が滲み出るが、振付家はどう見るか。肌塗りはヴィハレフ復元版でも行われている。造形としては中家の方がはるかに気品がある。一方、速水は若手らしいアプローチ。体も柔らかく、年上の配下を引き連れるやんちゃ王子に見える。踊りの素晴らしさは言うまでもないが、さらなる役の彫り込みが期待される。

ドリ伯爵夫人には本島美和。登場するだけで舞台に華やかさをもたらす。本来は律修修女だが、牧版同役の可能性を最大限生かしている。美しさ、慈愛、気品にあふれ、若手を暖かく見守る舞台の要となった。1幕から登場するアンドリュー2世王、鷹揚な貝川鐡夫とは、『カルメン』に始まり、様々な役を共に演じてきた。夫婦のような安定感がある。場をまとめる儀典長には内藤博。慎ましくノーブルな佇まい、役を心得た演技で舞台を牽引した。ドリ伯爵夫人との阿吽の呼吸が素晴らしい。

バレエ団は主役は言うまでもなく、ソリスト、アンサンブルに至るまで、踊りに柔らかいニュアンスと繊細さが加わった。『眠り』に続き、ソリストとして初めて見るダンサーも。パ・ド・カトルの中島瑞生、渡邊拓朗、浜崎恵二朗、マズルカ吉田明花など。細田千晶(クレメンス)、寺田亜沙子(チャルダッシュ・スペイン人)、福田圭吾(サラセン人)のベテラン勢、飯野萌子、五月女遥、奥田花純、山田歌子の中堅組、若手では廣川みくり、廣田奈々が個性を発揮。バレエ団全体が底上げされた印象だった。

東京フィルハーモニー交響楽団を率いるのは、久方ぶりのアレクセイ・バクラン。流麗なグラズノフに熱い血潮を吹き込み、踊りの喜びと劇的力感を際立たせた。公演終了後、2週間以上経つが、未だに『ライモンダ』が耳に鳴り響く。

 

 

 

KAAT『未練の幽霊と怪物』2021

標記公演を見た(6月9日 KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ)。作・演出:岡田利規音楽監督:内橋和久、出演:森山未來(シテ)、片桐はいり(アイ)、栗原類(ワキ)、石橋静河(シテ)、太田信吾(ワキ)、七尾旅人(歌手)、演奏:内橋和久、筒井響子、吉本裕美子。俳優とダンサーを等しく扱う KAAT らしい座組だった。翌日の感想ツイートは以下の通り。

KAAT『未練の幽霊と怪物』(作・演出:岡田利規)4日目を見た。能の形式と即興性を完璧に生かした、本質的な意味での「現代能」。チェルフィッチュ様式と能がこんなに近いとは。ダンス公演としても破格。シテの石橋静河森山未來が、それぞれ「敦賀」と「挫波」で20分のソロを踊る。囃子方地謡(もちろん現代の)とインプロを交えながら。あと20回公演。ダンスではせいぜい4公演のところ。二人の入魂の踊りを見て、大丈夫かと思う。アイは片桐はいり。高低緩急自在な喋りと破天荒な全身運動が一致。ずーっと「はははは」と笑ってしまった。空前絶後の才能。ワキの栗原類「片桐さんが怖い」。

作品は「敦賀」と「挫波」の2演目から構成され、それぞれが夢幻能の形式を採る。外から来るワキがシテと出会い、物語を聞く。シテが去った後、アイがその背景をワキに詳しく語る。アイが去ると、後シテが現れ、謡いながら舞を舞う。ワキはそれを傍らで見届ける。後は何事もなかったかのように、三々五々去っていく。

敦賀」の後シテは、高速増殖炉もんじゅを中心とする核燃料サイクル政策の亡霊、「挫波」の後シテは、新国立競技場の設計コンペで1位となるもキャンセルされ、その後 急逝したザハ・ハディドである。岡田は政府に対する彼らの怨念を前景に出さず、同調した我々国民の無意識をアイ(近所の人)に語らせる。結果として、彼らへの鎮魂を永遠に行える循環が形成された。岡田の詞章がよく分かるのは、ワキの導入とアイの語りのみ。シテの語り、謡い、地謡は、単語は聞こえるものの、意味は宙に浮き、音となって響く(能と同じ)。ただ何かが切実に語られ、それをワキと共に体で受け止めた感触のみが後に残される。能の演者たちがその場で初めて(真に)出会い、鎮魂を行なって去るのと同じ清々しさがあった。

美術(中山英之)も 橋掛かりのある能舞台をミニマルに転換。松の代わりに黄色の三角灯3個を地面に置き、鋭い三角模様が舞台床に亀裂を入れる。囃子方地謡も能と同じ位置。囃子方は「ダクソフォン」を使用し、鼓、笛、笙、オンドマルトノの音色を醸す。間狂言ではエレキギターの即興演奏。メロディはなく、能と同じく音の響きで舞台に介入する。地謡は一人。マイクを駆使して、シテと即興で掛け合う。衣裳はミュンヘン・カンマーシュピーレで岡田と組む Tutia Schaad。 石橋静河の纏う紙垂(しで)を思わせる白ブラウスが印象的。シテとアイはスニーカー、ワキはサンダル、後シテは裸足だった。客電は付いたまま。終幕に点滅する非常灯から、岡田の幽霊物が思い出された(コチラ)。

敦賀』シテの石橋は、バレエで鍛えた引き締まった体から涼やかな気を放つ。薄ピンクのシースルー・ワンピース、黒レオタード、膝サポーター姿の後シテ(もんじゅ)となってからは可愛らしさも。後シテの舞はコンテンポラリーダンスの系統だが、全て自分の踊りになっている。七尾旅人との掛け合いでは言葉に導かれるように動き、囃子方はそれを支える形だった。言葉と音楽への鋭い感性に加え、20分ソロの一瞬たりとも自分の体から離れることのない誠実さがある。見る側の集中も途切れなかった。

同ワキの栗原類は浮世離れした存在感が特徴。オレンジ色のカバンを引きずりながらセリフを語るが、言葉に感情を乗せないチェルフィッチュ様式を、手足を動かさずに実践できる。アイの片桐はいりと対峙する時、石橋の舞を直立して体に受ける時の究極の受動態。その痕跡が表に現れるには長い時間を必要とするのだろう。

『挫波』シテの森山未來は、モスグリーンの柔らかい上下を纏う今どきの建築家。後シテとなってからは、グレーのギリシア風長衣を身に着けて、舞楽や舞を意識した様式的な動きを見せる。ザハ・ハディドの流線形や丸まる体も。囃子方と呼応するダイナミックな音楽性、エロスを含む熱い謡いに、これまでの蓄積を窺わせる。七尾との掛け合いは、両者の声が混じり合う官能性を帯びていた(森山に対する七尾はやや控えめで、音重視の謡い方)。女性を男声で謡う両性具有は森山によく合っている。舞踊公演では慎ましく引き出しを見せないが、演劇公演はテリトリーということか。映像で見せる狂気の片鱗がちらつく舞だった。

同ワキの太田信吾は、手足を動かしながらセリフの意味を剝いでいくチェルフィッチュ様式を、唯一遵守する。ただ即興ベースの舞台ゆえ、身体的強度の面で、囃子方地謡、アイの片桐との呼応が見られなかった。身体能力というよりも、意識の持ち方の問題に思われる。

その片桐は2演目ともアイを務める。声の高低、緩急、音色を自在に操り、同時にうつ伏せを含む全身運動を実践しながら場を制す。橋掛かりで控えている時から、おかしみを漂わせ、舞台に上がってからは声と動きで空間を切り刻む。しかもシテの嘆きの背景を観客に的確に伝えるのである。このような離れ業は片桐にしかできない。シテ、ワキはキャスト変更可能だが、アイは片桐にしかできないと思わせるほど、作品と一体化している。片桐の語りを面と向かって聞く栗原の言。「僕はアイのはいりさんが怖いんです(笑)。というのは、すごく面白くて素晴らしいってことなんですけど。ダイナミックさを示しつつ、全然あざとくなくてナチュラル。大変ですけど、ちゃんとその芝居を受け止められるように頑張んないとなと思っています」(プログラム)。

 劇場のコンテンツではなく、「クリエーション」に立ち会えた貴重な時間だった。

 

5月に見た『ドン・キホーテ』 2021

Kバレエカンパニー『ドン・キホーテ(5月19日 Bunkamura オーチャードホール

演出・再振付・舞台美術・衣裳デザインは芸術監督の熊川哲也。2004年の初演以来、再演を重ねる重要なレパートリーである。熊川版は、熊川自身が踊ったバリシニコフ版を基盤とし、そこに英国的な様式性と細やかな演技が加えられている。今回さらにバジルとエスパーダの鍔迫り合いが振り付けられた(居酒屋)。2幕冒頭のアダージョは、前音楽監督で現名誉音楽監督 福田一雄による原曲ピアノ譜からの編曲。2幕の間奏曲も福田好みの「キューピッドたちの踊り」を使用。終幕のスペイン色濃厚な曲も素晴らしく、いわば熊川と福田の合作版と言える。

主役4キャストのうち、初日の日髙世菜と高橋裕哉を見た。3月の『白鳥の湖』に続く組み合わせである。日髙は今回もベテランらしい落ち着きで舞台をまとめている。全く毛色の異なる作品にもかかわらず、3月と同印象を受けるのは、日髙の個性が発揮されているからだろう。高い跳躍を誇りながら、重心の低い、丹田を意識した佇まい。技を切れではなく、ややまったりとした自分の間合いで見せる。グラン・フェッテなど決めるべき所もあっさりと、演技もことさらではなく、かと言って大らかというのでもない。一貫して自分の芯がぶれない、不思議な存在感の持ち主である。対する高橋はノーブルなラインに人柄のよさが滲む。やや控えめなバジルながら、熊川初演のチャレンジングな振付を、鮮烈な腕遣い、思い切りのよさで踊り切った。

ドン・キホーテ役 ニコライ・ヴィュウジャーニンの枯れた立ち姿、腰を折った歩行が素晴らしい。佇まいだけで舞台を浄化する「善」の体現者である。プロローグ、夢の場面、終幕でのドルシネア(片岡美紅)への憧憬にも真実味があった。キホーテが愛情をかける相棒 サンチョ・パンサには、可愛らしく献身的な酒匂麗。3幕行進曲とコーダの切れの良い踊りは、まさしくサンチョの踊りだった(なお熊川版では3幕に毛布投げ→ 胴上げがある)。キホーテを天敵とするガマーシュにはビャンバ・バットボルト。悠然と構えるキホーテに対し、痙攣的に動く細かい演技で応酬する。なぜか時折 自分を匂ったり。二人の正統派フェンシングは見応えがあった。また伊坂文月のロレンツォも腹の決まった演技で、要所を締めている。

メルセデスの戸田梨紗子(森の女王も)は、街の踊り子にしては品よくおとなしめだったが、鮮やかな踊りで、エスパーダの杉野慧は、今すぐ闘牛場に立てるほど気迫のこもった踊りで、花売り娘の成田紗弥、毛利実沙子は華やかな踊りで、1幕を盛り上げた。2幕キューピッド 萱野望美の切れ味鋭い踊りも印象的。

石橋奨也を始めとする闘牛士たち、佐伯美帆を始めとする3幕アントレ、また森の精たちの統一されたスタイルと音楽性は相変わらず。グラン・パ・ド・ドゥ時に勢揃いするアンサンブルの、引き締まった様式性が素晴らしかった。1幕で活躍する子役たちはミニ熊川。

指揮は井田勝大、管弦楽はシアターオーケストラトーキョー。初日ということもあり、テンポの緩急がやや露わながら、舞台と呼応する演奏だった。

 

● NBAバレエ団『ドン・キホーテ(5月29日12時 所沢市文化センターミューズ マーキーホール)

同団は 2008年にセルゲイ・ヴィハレフ版、2015年にアンナ=マリー・ホームズ版『ドン・キホーテ』を上演した。ヴィハレフ版は19世紀バレエ研究に基づいたマイム重視のロマンティックな演出、ホームズ版は男性群舞のフラメンコが特徴。ヌレエフ版を参考に、コミカルな演技を基調とする。今回はホームズ版に古典的な様式性を加味しているが、ファンダンゴの粋で切れ味鋭い振付、ドン・キホーテとガマーシュ決闘のフラメンコ風振付は、依然として魅力がある。因みに決闘は3幕居酒屋の最後、黒中幕の前で行われ、中幕が上がると広場での結婚式となる。グラン・パ・ド・ドゥのアントレで神父(刑部星矢)が出てきて二人を祝福、二人が口づけを交わす場面は初めて見た気がする。

キトリは野久保奈央、勅使河原綾乃、バジルは新井悠汰、高橋真之のWキャスト。その初回を見た。2月のコボー版『シンデレラ』で鮮烈な主役デビューを果たした野久保は、キトリでも期待を裏切らなかった。まずは高度な技術。オシポワ並みの高い跳躍、軸が微塵もぶれない回転技(グラン・フェッテ前に7, 8回ピルエット、アン・ドゥダンの切れ、両回転も)、柔らかく切れ味鋭い足技が揃う。しかも技術を前面に出さず、いついかなる時も調和のとれた踊り、佇まいを保っている。音楽を目一杯使えるのも、抜きんでた技術があればこそだろう。さらに芝居の巧さ(コメディセンスは『シンデレラ』でも確認済み)。演技が常に相手との対話になっており、それがピンポイントの間合いで実践される。これ程演技と踊りが渾然一体となり、しかも気張りのない舞台は稀。久々に現れた本格的な古典バレリーナである(自然な演技、柔らかいポール・ド・ブラ、正確な足技は、フランス派を想起)。

バジルの新井は柔らかな開脚、高い跳躍を武器に、見応えのあるヴァリエーションを作り上げた。マネージュのアクセントに前後開脚が入る。癖のない素直な演技と持ち味の優しさで、野久保キトリを支えている。エスパーダにはシンデレラの王子を踊った宮内浩之。粋でノーブル、踊りも美しく、絵に描いたような花形闘牛士だった。対するメルセデスはベテランの峰岸千晶。街の踊り子にしては気品があり、古典の風格を漂わせる。峰岸の個性なのだろう。

ドン・キホーテの米倉佑飛は長身のノーブルタイプ。目の使い方など、まだ演技が定まらない点も見受けられたが、適役。相棒サンチョ・パンサの佐藤史哉は、もう少し彫り込みを望みたいところだが、可愛げがあり、こっそりとバナナを食べていた。ガマーシュの三船元維は一貫した役作りで、舞台を大きく支える。フラメンコ風決闘には思わず笑ってしまった。ロレンツォの安中勝勇は若く元気なキトリ父、キトリ友人の猪島沙織、阪本絵利奈と共に1幕を盛り上げた。

夢の女王はベテランの佐藤圭、キューピッドには切れのある岩田雅女、ジプシーソリストには関口祐美と大森康正の同門コンビが配された。関口の嫋やかな情感、大森の華のある鮮烈な踊りが印象深い。また夢のソリスト3人組(大島沙彩、須谷まきこ、福田真帆)の息の合った踊りが目を楽しませる。今回アンサンブルでは、ファンダンゴ男女の生きの良さに目を奪われた。

前回の『ドン・キホーテ』は現バレエマスターの鈴木正彦がゲストコーチ。大森康正のバジルには、現在では見られない細やかなニュアンスが加わっていた(今回は見当たらず)。貴重な伝統の保存を期待したい。

バレエシャンブルウエスト『ジゼル』+『In The Light』2021

標記公演を見た(5月22日夜 J:COM ホール 八王子)。主演目『ジゼル』に先立って、平田友子振付の新作『In The Light』が上演された。古典と創作を等しく重んじる 同団らしいプログラムと言える。副題は「見えないけれど此処にある光」。シューマンのピアノ協奏曲イ短調第1楽章を使用したモダンダンスである。冒頭 無音のまま、染谷野委と土田明日香がアダムとイブのように佇む。音楽が始まると、女性アンサンブルが縦一列に現れる。2人が流れ出て床を使う動き、残るアンサンブルは円を描くカノン。バレエによくある 音に付ける振付ではなく、曲想につけているため、カノンが緩やかになり、個々の想いが動きにこもる。新鮮だった。

吉本真由美と土方一生の愛情深いパ・ド・ドゥ(グラン・リフトあり)に、男女3組が加わり、ダイナミックなユニゾンへ。続いてベテラン吉本泰久のソロ。フォルムに情感がこもり、成熟した男性の色気を感じさせる。16人全員が後ろ向きに立つ景色から、川口まりがふわりと現れ、振付を掌握した繊細な動きで、音楽の聞こえるソロを踊る。吉本にリフトされると濃厚なドラマの片鱗が見えた。最後は全員 横一列となり、客席上方を見つめて終りとなった。平田は作品を仕上げることよりも、作品を作る過程を重視しているように思われる。ダンサーたちは平田の意図(自分と向き合う)をよく理解し、自分の動きを追求していた。モダンのよさが生かされたコラボレーションだった。

『ジゼル』の演出・改訂振付は今村博明・川口ゆり子による。今回改めて磨き抜かれた演出であることを実感した。登場人物の一挙手一投足に至るまで細かい演技が付けられ、しかもそれがダンサーたちの肚に入っているため、水のように滑らかに舞台は進んでいく。マイムも音楽性、様式性を超えて自然な演技に昇華。英国系ともフランス系とも異なる、日本人の体を通して出てくるマイムだった。ロマンティック・バレエゆえ、踊りと演技の継ぎ目がないのは当然だが、これほど段取りを微塵も感じさせない演出は珍しい。

ジゼルは、ベテラン川口ゆり子、若手の柴田実樹によるWキャスト。残念ながら川口が体調不良のため降板し、初役の柴田が昼夜を務めた。それに伴い、アルブレヒトも江本拓、芳賀望のWから、芳賀のシングルに変更された。柴田は同日2回目とは思えないしっかりとした舞台。華やかな容姿に伸びやかなラインを生かし、真っ直ぐにジゼルを演じている。特に狂乱の場と2幕では豊かな感情の発露が見られた。演技の方向性も的確で、ドラマティックな資質を窺わせる。

アルブレヒトの芳賀は、以前よりもノーブルな踊りと立ち居振る舞いだった。「楽しくやろうよ」のモットーは相変わらずだろうか。舞台に立つだけで空気を変える、狂気と接するような生々しさがある。2幕アントルシャは同日2回目にもかかわらず、果てしなく続いた。全てを投げ打つ舞台人の生そのものだった。カーテンコールでの柴田を見守る暖かい視線も芳賀らしい。

ヒラリオン 正木亮の熱く抑制されたマイム、正木と親しく交わるベルタ 延本裕子の自然体演技が素晴らしい。ジゼル友人、村の若者たちの闊達素朴な演技に、深沢祥子の美しいバティルド姫、逸見智彦のノーブルなクールランド公爵、宮本祐宜の忠実なウィルフリード、狩の貴族連が、重厚な演技で対抗。ペザント pdd の松村里沙、藤島光太の切れの良い踊りも1幕を盛り上げた(バックで踊る村井鼓古蕗、土方の音楽性も印象深い)。

ミルタには若手の伊藤可南。絹のように滑らかなパ・ド・ブレが美しい。凛とした佇まいに大きさもあり、はまり役だった。モイナ 山田美友、ズルメ 斉藤菜々美が牽引するウィリたちは、音楽性、様式性とも揃い、幽玄の世界を描き出す。同じスクールから生まれたアンサンブルの美点を、遺憾なく発揮した。

指揮は磯部省吾、管弦楽大阪交響楽団。フルオーケストラの分厚い響きが、場内に充満し、慎ましやかな舞台を大きく支えている。

アキコ・カンダダンスカンパニー『花を咲かせるために~バルバラを踊る』他2021

標記公演を見た(5月15日 東京芸術劇場 シアターウエスト)。アキコ・カンダ没後10年メモリアル公演である。カンパニーは師亡き後も、レパートリーを護り、新人を育成してきた。昨年はコロナ禍のため公演中止に。今年は密を避けるということもあり、6人の精鋭ダンサーが師への想いを踊りで綴った。

グラハム・メソッドを基盤とするアキコの創作は、優れた音楽性、構成美、華やかで深い情感を特徴とする。モダンダンスの受容を考える上で貴重な存在であると同時に、ヨガの影響を受けたグラハム・メソッドのクリエイティブな可能性を開示し続けている(オハッド・ナハリンの GAGA 同様、踊ることと健康が一致する希少な舞台舞踊メソッドである)。

Part1は、アキコ振付『マラゲーニャ』(08年)と、市川紅美新作『陽だまりのなかで』の師弟作品。レクォーナの音楽に振り付けられた前者は、グラハム・メソッドとフラメンコのニュアンスを融合させた スペイン色濃厚な作品である。ギターとカスタネットに導かれ、赤レオタードとスカートを纏った市川、粕谷理恵、田口恵理子、重野美和子、岩崎由美、岩田有記が、スタイリッシュに踊る。メソッド由来の 両手を胸元からスパイラルに上昇させる動き(内向き、外向きあり)、両腕を螺旋状に腹に巻き付ける動きに、フラメンコ風足踏みが加わり、禁欲的な情熱が迸る。

一方、ブラームスクラリネット三重奏に振り付けられた市川の新作は、音楽に即応するシンフォニック・ダンス。水色長袖ワンピースに透明レースのスリップドレスを重ねた市川、粕谷、田口、重野、岩崎が、音楽に乗って爽快に踊る。同じメソッド使用ながら、アキコよりも正面性が強く、ステップが細かい。内輪の脚から独特の溜めが作られ、東洋的なニュアンスが濃厚に立ち上った。

Part2は、アキコの代表作『花を咲かせるために~バルバラを踊る』(80年)。今回は「没後10年のメモリアル公演として構成を変え、カンパニーの新たな作品として上演」された(プログラムより、新構成・振付:市川紅美)。バルバラのパセティックな歌声に乗り、美しいドレスに身を包んだダンサーたちの総踊り、ソロが流れるように構成される。それぞれの個性に沿った振付が素晴らしい。出演順に、粕谷の全身からあふれる情感と美しい腕遣い、岩崎のウィットの富んだ可愛らしさとスパイラル腕の妙味、重野の毅然としたライン美とスカートを大きくあおるパッション、若手 岩田のダイナミックな力強さとゴムのような弾力、田口の求心的なストイシズムと的確な踊り、そして市川のゴージャスな佇まい。Part1では体が作品に追いついていない所も見受けられたが、本作では師への想いに突き動かされるように、作品と一体化している。濃厚な動きのニュアンス、丹田から発する強いエネルギー、毅然とした凛々しさ。アキコの振付と共に生きてきた人生が、そのままフォルムとなって表れる。市川を中心に、手前に粕谷、奥に岩田というフォーメーションが、カンパニーの連綿たる時の流れを視覚化した。

なぜスパイラル腕に感動するのか。踊る側の充足と見る側の充足がこれ程一致する舞台は他にはない。ディアナに忠心を捧げるニンフたちのような宗教的禁欲性も、カンパニーの独自色を強めている。