長谷川六の踊り

実演者として、批評家として、プロデューサー(教育者)として、特異な歴史を刻んでいる長谷川六氏。氏の舞踊公演について昨年と一昨年のものをアップする。


自由であれ                            
 長谷川六の『櫻下隅田川』を見た。客電が落ちても、客席は落ち着かない。後方で紙をめくる大きな音、携帯音が鳴り、通路では遅れてきた親子連れの声、「あ、六さんだ!」。そうしたざわめきを物ともせず、長谷川は悠然と舞う。清濁あわせ呑む風でもなく、無関心でもなく、ただ一期一会を貫いている。
 舞台は空間的にも時間的にも厳密に構成されていた。助演の中西晶大にはおそらく細かな指示が出されているだろう。二人の動きの質的変化は徹底してコントロールされている。しかしその場で実際感じられるのは、セッション感覚、何も前提としない究極の自由である。来る局面ごとに長谷川の体が反応し、動いているように見える。しかもその反応は深部に生じて、肉体は力みなく静かに漂っている。これまで見せてきた地母神のようなパワー、気の漲り、エロスの横溢は消え、消えたこと自体も想起させない新たな境地だった。
 助演の中西はモノとして存在する能力を持つ。亡霊のように、あるいは精霊のように狂母の傍らに佇む。仄暗い照明を浴びて蹲る姿は、石仏かイコンのような聖性を帯びていた。長谷川の空間で生きることのできる、自立した踊り手である。
 能を基に身体を使った作品だが、受ける感触は音楽に近い。刻々と変わる微細な動きが、快楽を伴って感覚を刺激する。ただし動きの解釈は拒絶され、思考は麻痺したままだ。ベケットのような空間、または能のエッセンスを抽出したような舞台。メッセージは常に「自由であれ」である。(2011年7月7日 シアターX)


鎮魂の舞
 長谷川六が『薄暮』の2010年版を上演した。87年の初演。能の形式を採り、前後二場を長谷川のソロ、間狂言はその都度変わる。今回は韓国現代ダンスの南貞鎬(ナム ジュンホ)が務めた。この作品は「天声人語」(朝日新聞)に書かれた沖縄の一人の老女から、インスピレーションを得ている。神山かめは夫をニューギニア、長男をスマトラ、次男を沖縄で失う。以来、膏薬を体に貼りながら反戦行進を続けてきた。長谷川はこの老女の慟哭を身体化し、能の形式を用いて老女に救いを与えている。
 作品は例によって長谷川の美意識の具現だった。カミ手にギターを持つマカオが登場する。生演奏と歌に同時録音のエコーをかぶせ、ブルースの感触とミニマルな現代性を行き来する。その傍らで長谷川は土色の長衣を身につけ、狂女のように髪を逆立てて佇む。音楽とは交感のようなセッション。音楽によって長谷川の体が劇的に変わることはないが、集中が増し、体の統一が促される。老女神山となった長谷川は、夫への想い、子への愛情を少ない動きで表現、ほの暗い照明の中で己の肉体との対話を続けた。
 長谷川の横の動きは美的。日本刀のような厳しさを帯びた右腕と、微細な手の動きが尋常ならざる美しさである。一方、前後の動きは危機を孕む。世界が瓦解するのではと思わせる危うい歩行。舞踏を経由した果ての現在のすり足なのだろう。かつては今よりもポジティヴな気のみなぎる神山かめだったかもしれない。現在は静か。しかしこれを衰えと思わせないのは、長谷川の肉体の探求が継続しているからである。
 間狂言を挿んでの後半は一面海の底だった。鬱金色の鉢巻きに水色の長衣、クリーム色の打ち掛けを着た長谷川は、鳥のように両手を広げてたゆたう。海の底で神山かめは長谷川によって救いを与えられる。膏薬を貼って歩き続けた神山への、まさに鎮魂の舞だった。
 間狂言の南は黒い袖無しTシャツ、クリーム色の柄物スカート、黒いベタ靴という日常的な装いに、赤い紅を両頬に丸く塗って滑稽味を添えた。相方はベースの斉藤徹。南が「斉藤さーん」と呼んで掛け合いが始まる。圧倒的な美意識を誇る長谷川の空間とは異なり、南の空間は日常性から発するコミュニケーションの場である。互いの即興に耳を傾け、動きを見守る。南の韓国舞踊に由来するエレガンスと暖かさ、内側からスパイラルに広がる肉体がすばらしい。斉藤の音もいつしか韓国太鼓のように響いた。どんなリズムでも三拍子を拾う南の軽やかな足踏み。踊りの愉楽と、無垢でユーモラスな対話が横溢した空間だった。
 南の間狂言を入れたことで改めて、長谷川の演劇と美術への傾斜が明らかになった。実演者として批評家として、日本ダンスシーンに多くの栄養を注ぎ込んできた歴史を思った。(2010年7月7日 シアターX)