山崎広太ソロを見る

 大野一雄フェスティバル2010で、久しぶりに山崎広太のソロを見た(11/23 BankART Studio NYK)。『百年の舞踏』と題した、数組のダンサーによるコンサート形式、そのトップが山崎だった。四角に取り囲んだ客席を跳び越え、3ヵ所で踊るため、見えない部分もあるが(柱もあるし)、山崎の現在の思考を存分に味わうことができた。
 9月彩の国さいたま芸術劇場での伊藤郁女作品では、伊藤とのデュオに誠実な人間性を感じさせたが、ソロでは山崎が現在考えていることが、そのまま肉化される。客電は点いたまま、音楽はミニマル、何ものにも頼らないし、何ものにも回収されない、すごい踊りだった。供物としての肉体であり続けるところは、舞踏の正統的な継承者である。一方純粋に体で思考する点では、ジャンルを問わず、現在随一のダンサーだと思う。ラストの体の波動を見せる場面では、気が漲り、踊り本来の姿が立ち現れた。山崎固有の踊りでありながら、伝統的でもある不思議。舞踏の歴史が身体化されているということなのだろう。